【2024注目の逸材】
とみた・ゆうき富田裕貴
[愛知/6年]
きたなごや北名古屋ドリームス
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、二塁手、三塁手
【主な打順】三番
【投打】右投右打
【身長体重】150㎝41㎏
【好きなプロ野球選手】今宮健太(ソフトバンク)、村松開人(中日)
※2024年7月20日現在
身長は150㎝に達したところ。球速は「100㎞」の大台にまだ届いていない。それでも、富田裕貴には未来につながる整ったフォームと、足場が緩い雨天下でも乱れないコントロールがある。
「アピールポイント? どんな状況でも自分のピッチングができるところです。すごく緊張することは今もありますけど、深呼吸でリラックスする方法をお父さんに教えてもらいました。ストライクゾーンの四隅へ投げ分け? いえ、そこまでではないですけど、左右(内外)の投げ分けを間違うことはほとんどないです」
貴重な経験もある。昨夏は神宮のマウンドで全国デビュー。全日本学童大会の1回戦(対佐賀・川副少年野球)、7対1とリードして迎えた5回から二番手で登板し、6回に2安打と適時失策で1点は失うも、最後まで投げ抜いて勝利した。
「全国大会は緊張しましたけど、思い通りには投げられました」
2023年8月6日、神宮球場でのナイトゲームで全国デビュー。初打席は二ゴロだった(下)
続く2回戦(駒沢公園野球場)は、七番・遊撃でスタメン出場。山梨・甲斐JBCに1対5とされてなお、5回二死一、二塁のピンチでマウンドへ。四番打者を二直に打ち取り、6回の反撃につなげたものの、1点及ばすに惜敗している。
2019年には日本一手前の全国準Vも果たしている強豪チームにあって、当時の5年生で試合に出ていたのは、富田のほかに中堅手の大口航輝(現・遊撃手)のみ。大口はヒット1本に盗塁や得点もマークしたが、富田は3打数で音なしだった。
「5年生のときにまったく打てなくて、そこからはお父さんにも手伝ってもらいながら、努力を続けてきています」
平日朝の登校前は、素振りを100回から200回。帰宅後は父の帰宅を待って、ティー打撃でとことん打ち込む。自宅敷地内のガレージには、父が張り巡らせてくれた練習用のネットもある。
「お父さんの帰りが遅い日は、置きティーで打っています。疲れて休みたいときも少しはあるけど、お父さんがマッサージもしてくれます」
物心もつかないころから打ったり、投げたり。これを始めたのも、すでに野球に没頭していた12歳上の兄と、父の影響だったという。
最大の理解者と全幅の信頼
「お父さん」
今回のインタビュー中、富田の口から幾度となく出てきた単語がそれだった。
かといって極端に依存したり、強いられているわけでもない。野球も平日の努力も、あくまでも自分の意思だという。その最大の理解者で、世界一の協力者が父親なのだ。
「投げ方はお父さんとやる中で自然に。お兄ちゃん(12歳上)の高校野球が終わったタイミングで、1年の秋に北名古屋に入りました」
父・佳規さんにとってもまた、現26歳の長女に始まり、長男、次女に続いて誕生した末っ子は、目の中に入れても痛くない存在のようだ。高校までプレーした長男のときには、先を急ぎ過ぎた経験と反省も活きているという。
「長男はもう社会人で、私も56歳。でも、裕貴がいるからこそ体力も維持しなきゃと思えるし、あの子が『うまくなりたい!』と言うので夜の9時過ぎでも練習に付き合うことがありますけど、強制のようなことは一切していません」
伝統的に強打で鳴るチームは、今年も圧倒的な得点力で愛知大会4試合をぶっちぎりで制し、2年連続6回目の全日本学童出場を決めた。
準決勝で先制二塁打など、三番打者としても活躍した富田を含め、どの打者もバットを構えるまでは同様の形をしている。「打ち方はポイント、ポイントで統一したものがあります。それも、子どもが迷わないようにするのが目的で、野球経験者のお父さんたちには『オリジナルを教えるのではなくて、チームで指導されている形に戻してください』というお願いをしています」(岡秀信監督)
長打はほぼ左中間方向。状況に応じての打ち分けやバントなど小技もできる
チームの活動は週末と祝日のみ。平日の各家庭にまで指揮官の目が及ぶことはない。それでも父・佳規さんはやはり、指導陣の教え以上を息子に伝えることはないと語る。
「家に帰ってから『今日は何を教わった?』と聞いて、自主練習でその数を増やしてあげるようには手伝いますけど、私から違う技術的なアドバイスをすることはないです」
腰を据えた実直な取り組みが、パフォーマンスに確実につながってきている。トップチームに上がってきた4年生の夏から、そういう富田を見てきた指揮官は、今の新チームが発足すると迷わずに、主将の背番号10を授けたという。
「特別に体も大きくないし、活発に喋るほうでもない。ホントに普通の子なので、外からは誰がキャプテンなのか、すぐにわからないと思います。また私からも『もっと声を出してガンガン引っ張れ!』とか、そういうことは求めていません」(岡監督)
「将来は球速はそこそこで、抜群にコントロールが良くて、絶対に打たせないピッチャーになりたいです。高校は仙台育英(宮城)に行きたい」
主将は投手以外にも、複数のポジションをこなせる器用さがある。打席では状況によってはチャンスメイクし、ポイントゲッターにもなれる。要するに、攻守両面でいかなるときにも計算が立つ。こうしたところも、指揮官の信頼を揺るぎがないものとしているようだ。
「この子が打てなかったり、この子で作戦に失敗して点が取れなかったら、しゃあないなと思えるし、この子が打たれて負けたら、仕方ないなとみんなが納得する。そういう選手が富田です」
大願成就へ重い決断
全国出場を決めたのは、5月の大型連休中だった。8月の本大会までに時間的な余裕は十分ある。そこで岡監督が「念のために」と、選手全員に休息とフリータイムを与えてから課したのが、まずは肘のエコー検査だった。
不運にも、やや異常な変形が認められた6年生が1人。それがエース格の富田だった。痛みも自覚症状もなかったが、以降はノースローで調整。指揮官も決して無理をさせずに来たことで、6月半ばには全力投球でも問題ないところにまで回復し、現在は全快している。
あえてボールを投げなかった期間は、自身やチームを改めて見直す機会にもなったのかもしれない。富田は人知れず、思い切った決断を下していた。
「前までは(中日)ドラゴンズJrにも興味を持っていたんですけど、セレクションを受けるのをやめました」
年末の5・6年生の祭典、NPB12球団ジュニアトーナメントでは、歴代の先輩たちも毎年のように地元・中日のユニフォームでプレーしている。年々、注目度もレベルも上がっており、富田に限らず16人のメンバー入りを事前から約束された選手など、どこにもいない。
でも富田はトライする以前に、夢のひとつを自らの手で閉じた。誰に吹き込まれたわけでもなく、また誰かに打ち明けることもなく。果たして、その理由とは。
「この良い仲間たちと、高いところに目標を持って練習しながら、日本一になって監督を胴上げしてあげたい!」
切ないほどに、一途な12歳。こういう少年が育つのは、父や兄との歩みによるところが大なのはもちろんなのだが、ことごとく理に叶っているチームの土壌も一因ではないだろうか。