【2025注目の逸材】
ねばし・ゆうと
根橋悠斗
[東京/6年]
じょうとう
城東ベースボールクラブ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、捕手
【主な打順】三番
【投打】右投右打
【身長体重】151㎝40㎏
【好きなプロ野球選手】大谷翔平(ドジャース)、甲斐拓哉(巨人)他、多数
※2025年4月27日現在
「う~ん…あえて言えばジャイアンツですけど、ボクは球団というよりも好きな選手がたくさんいるんです。自分のなかでベストナインがあるくらい」
こうして根橋悠斗は、すらすらと9人のプロ選手名と理由を語り出した。
「ピッチャーは文句なしに二刀流の大谷翔平選手(ドジャース)です。キャッチャーはスローイングが抜群の甲斐拓哉選手(巨人)、ファーストはホームラン王もとっている山川穂高選手(ソフトバンク)、セカンドはありえない守備の巧さの菊池涼介選手(広島)で…」
野球好きのほどが、うかがえよう。プレーするのも、仲間と試合や練習をすることも楽しくて仕方がない様子。マウンドでも打席でも、120%を出し切らんとする思い切りが観る大人にも心地いい。フォームの骨子は整っているなかで、垣間見える粗削りも可能性を訴えてくる。
「投げ方は小さいころからお父さんとやってきてます。あとは『バネ投げ(BBMC相澤一幸氏提唱)』で、足の上げ方とか踏み出した左足の踏ん張りが体重移動につながるとか、教えてもらったことが役に立っています」
雄弁とユーモアと
「やるので好きなのはピッチャーです。試合では、球の速さとコントロールで打者を圧倒できるように心掛けています。まずは先頭打者と初回をちゃんと抑えて、チームを盛り上げる」
冬休み中は連日、父と河川敷でキャッチボールをするなど、平日は個人練習に余念がない。結果、昨年は98㎞だったストレートの最速が、現在はアベレージで100㎞を超えるようになってきている。
その速球をベースにしつつ、投球フォームを含めた緩急で打者と駆け引きする。引き出しの多さは、勝利への想いと責任感の裏返しでもあるのだろう。
昨年は三塁手兼右翼手として、都大会でもプレーした。2021年創立のチームは、全軟連の傘下に加盟した2023年度に、すぐさま江戸川区で3位となって都知事杯に初出場。続いて昨年は、全日本学童予選の東京大会に初出場した。それもスタメン9人のうち6人までが、根橋ら当時5年生という若いチームだった。
そして昨年末、卒団していく新居凛大主将(現中1)に「次は任せて!」と自ら具申し、「がんばれよ!」と背中を押されたのが根橋だった。迎えた新年の活動日初日に、立候補で背番号10を授かった。森糸法文監督(=上写真)はその翌日、こう話していた。
「実は他にもキャプテンをやりたいという子もいたんですけど、『ユウト(根橋)がやるんなら頼むよ!』と。それだけチームメートからの信頼も厚いし、親御さんもわれわれスタッフも、みんなが認めて納得して決まりましたね。江戸川区を通過点にして、都大会で勝って全国に行くんだ! と先頭に立ってやってくれるんじゃないかなと期待しています」
根橋が人望を集める理由は、意気に感じやすいピュアと雄弁に、独特のユーモラスもあるのかもしれない。将来の夢を問うと、「お父さんの敵(カタキ)を取ること!」と威勢よく始まった。
「ボクのお父さんは高校までカッコ良いショートで、強い想いでプレーしてたんですけど、プロになれなかった。お母さんからその話を聞いたときから、ボクが代わりにプロになってお父さんを喜ばせたいと思っています。お母さんも喜ばせたいし、妹をドン引きさせたい(笑)」
東京に誕生した理想郷
根橋の父・拓也さん(=下写真)は森糸監督が掲げる理想に賛同し、チームの創立時からヘッドコーチを務めている。ふたりは良き理解者同士というだけではなく、ともに日本スポーツ協会公認の指導者の上位資格「コーチ3」を取得するなど、たゆまぬ向上心と勤勉さも共通している。
森糸監督は生まれ育った北海道で野球に明け暮れた後、強豪私学高の野球部をケガで途中退部。卒業後に上京して社会人となり、知人の誘いで学童チームのコーチに。
「当時はまだ独身でしたけど、昔ながらの指導に思うところが多々ありまして、外に目を向けて自分からあれこれと理想を描くようになりました」(同監督)
それを具体的な形で、一般社団法人として立ち上げたのが城東ベースボールクラブなのだ。選手は自由参加で保護者の負担ゼロ、科学的な根拠に基づく指導など、先進的な取り組みに加えて、先述したように階段を確実に上りながら耳目を寄せてきている。
根橋コーチは都立高まで野球部でプレー。地元にできた城東でコーチになると同時に、創設メンバーの1人目として入部したのが、当時2年生だった長男の悠斗だった。
「息子には野球をやってもらいたかったので、幼いころからそれとなく仕掛けてはきたんですけど、思いのほか、のめり込むのが早くて苦労しませんでしたね」(同コーチ)
長男は幼児期の決定的な出来事をよく覚えている。打ったり、投げたりを楽しませてくれる父親と、初めてバッティングセンターに行ったときのことを。
「最初はバットにボールがぜんぜん当たらなかったんですよ。でも、だんだんと当たるようになって、野球って楽しいな!と」
就学前から、週イチの巨人アカデミーで野球により親しむように。城東に入った2年生からはどんどん増える仲間たちと、練習や試合に没頭してきて今日がある。
2年生から投手、外野手、遊撃手、三塁手、捕手と多くのポジションを経験。5年時は主に三塁を守った
胸を張って都大会へ
「楽しく笑顔でやれるチームです」
主将がそう切り出すまでもなく、主体的にプレーする城東の選手たちは満ち足りている様子。打って出るべき場面では、根橋を筆頭にどの打者もスイングに迷いがない。各々がただ好き勝手をしているわけではなく、野球のゲーム性も共通で理解していることは、外野陣の抜かりのないバックアップからもうかがえる。
たとえば、投手の一塁けん制時は右翼手は当然として、左翼手が三塁のバックアップへ動く姿もある。仲間のミスや次の次の場面までを想定すればこそ、だろう。どの野手も送球に迷いが見られないのは、仲間のフォローが安心感を生んでいるせいもあるはず。ともあれ、学童野球でここまでやれるチームも珍しいが、大人たちのビリビリした空気や怒鳴り声がまるで介在していないことにも驚かされる。
「ボクたちはノーサイン野球で、室内練習のときにもいろいろ作戦を考えてやってみるとか、ずっとそうしてきているので、お互いのこともよく分かっている。だから、カバーリングとかもできるんだと思います」
そう胸を張る背番号10にとっての「楽しい」は、バッティングセンター初体験のころの比ではないようだ。始めた当時よりも、さらに野球が好きになっている――。こういう選手を生めている時点で、森糸監督の理想のひとつは具現されていると思われる。
この新年度は大目標であった、全日本学童の最初の予選・江戸川区大会での初優勝は逸した。しかし、準決勝で敗れた1週間後の「第3代表決定戦」でコールド勝ちし、2年連続の都大会出場を決めている。以下は直後の指揮官の弁。
「対戦相手がどこであろうと、純粋に野球を楽しむことと、自分のベストを出し切ること。先週の負けから、この原点を再確認したんですけど、今日はそれができたかなというふうに感じています」
三番・投手で先発した根橋は2回を無失点。打っては3打数1安打、初回の第1打席は相手の好守でライトゴロにされたが、ジャストミートで内野を抜く当たりで仲間を勇気づけた。
「バッティングは4年生のころが絶好調で、5年生でも外野オーバーをよく打っていました。今はみんなを盛り上げるために打つ、という考えです」(根橋)
「準決勝で負けてからビデオを見て反省会をして、気持ちを切り替えました。投手陣の四死球の多さが敗因だったけど、今日(決定戦)は初回をゼロに抑えてチームを乗せることはできたかなと思います。目標は全国ですけど、まずは胸を張って都大会に行って、去年できなかった1勝を目指します」
父・根橋コーチはそんな息子の学童ラストイヤーと未来について、こう話している。
「今年はやれるところまで、行けるところまで行ってほしいし、本人が『優勝したい!』と言っているので、それができるように親としてもコーチとしても一生懸命にサポートしていきたい。将来は『プロ!』と言ってるようですけど、甲子園を狙えるような強豪高校で野球をやってくれたらうれしいかな、というのが正直な気持ちですね」
(動画&写真&文=大久保克哉)