【2025注目の逸材】
たぶち・るい
田淵琉生
[鹿児島/6年]
だいりゅう
大龍ビッグドラゴンズ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、遊撃手
【主な打順】三番
【投打】右投右打
【身長体重】161㎝49㎏
【好きなプロ野球選手】なし
※2025年10月8日現在
偉業にも迫った夏
「良いピッチャーですね!」
今夏の全日本学童大会マクドナルド・トーナメントの3回戦。試合中も試合後も、複数の大人からそんなフレーズが聞かれた。
感嘆や称賛を招いたのは、大龍ビッグドラゴンズ(鹿児島)の背番号1。エース右腕の田淵琉生だ。真夏の連戦3日目、彼はこの日も先発のマウンドに立つと、試合後半まで『完全試合』ペースの快投を演じていくことになる。
三塁側のカメラマン席にいた筆者も初見で、「これは良いピッチャーだな」と思わず呟いていた。それも初回が始まる前、6球の投球練習の時点で。途中で撮影の手を止め、凝視せずにはいられなかった。
スピードボールの走りが、ハンパないのは一目瞭然。続いて訴えてくるのは、整ったメカニクスと頑丈そうなフィジカルだった。
試合後、エースの投法や育成方針を聞かせてくれた中里優士監督(=上写真)も、現役時代は投手だったという。
「子どもは個人差が激しいので、同じ型にハメるような指導はしていません。投げるフォームも、基本は各自ですね。ただ田淵はもともと、身体の線が細くないし馬力もあったので、中学生みたいに体重移動からちゃんとやるように、少しずつ教えてはきました。小学生によくある、突っ立ったまま腕だけ振るような、あんなのじゃない投げ方でいけるんじゃないかなというのは、下級生のころから感じていました」
一本足ですっと立てる。軸足でグンと大地を押し込むように始まるステップ中も、体勢が崩れない。そして、着地した前足でも地球の反力を得て、上半身と上半身のねじれを生じさせてから、右腕が力強く振られていく。
テイクバックはコンパクト。全般的にダイナミックといかないまでも、スローボール以外は腕の軌道も安定していた。
「投げ方は3年生くらいから、監督によくみてもらっています。最速? 全国予選の県大会(5月)のときに、球場の表示で109㎞でした。そこからはわかりません」
試合後に淡々と話した田淵は、マウンドではもっとクールだった。
イニング7~8球のペースで快調にアウトを重ねていく。迎えた5回、都合13人目の打者への34球目を逆方向に打ち返され、『完全試合』の偉業は幻に。当然、本人もそれを自覚したが、この試合初めてのセットポジションになっても、投球に狂いは生じなかった。
45球目で始まった6回は、連続二塁打を浴びて失点。一死で二番手にバトンを託すも、安打と四球で満塁になると再びマウンドへ。暴投で1点は献上したが、四番・五番打者を連続の空振り三振に斬って試合を終わらせた。締めて61球。
「野球はチームで勝ったときのうれしさが一番。ピッチングでは三振を取ったときとか、3者凡退で終わらせたときは楽しい。自信があるのはコントロールです」
言われてみれば、この試合も無四球。結果として6回18個のアウトをすべて1人で奪っており、22人の打者に相対して3ボールが一度もなかった。
「特に疲れもなく、球がしっかり伸びていたし、今日はコントロールも良いほうだったと思います」
調べてみると、1回戦は5安打1失点で無四球の完投。2回戦は先発と抑えで、トータル4回1/3を投げて4安打1失点、やはり四死球はゼロだった。さらに中川監督が補足してくれた。
「鹿児島の予選(県大会4試合)からずっと、フォアボールがゼロできてるんですよ」
投げないときには遊撃を守る。こちらの動作も基本に忠実で堅実だ
田淵は翌日の準々決勝も先発した。なお、1分間のプレー動画(※上記リンク先)に収めているのは、この試合の投球であり、快投した3回戦のパフォーマンスではない。
4連投のエース右腕は、球のスピードも精度も目減りしていた。しかも対戦相手の多賀少年野球クラブ(滋賀)は、過去に2回優勝している名門だ。
先頭打者ホームランなど、1回で3本の長打を浴びて3失点。続く2回も先頭から連続二塁打を浴びたところで、田淵は降板した。結局、この試合は3対9で落とし、チームの夏も終わった。
「少し疲れました。細かいコントロールがいつもの感じではなかった」
こう振り返ったエースに限らず、選手にも指導陣にも涙はなかった。難関の全国舞台で4試合。全力で駆け抜けたからだろう。
田淵は全試合に先発し、トータルで209球を投じた。イニングは17回1/3で、被安打16の13奪三振。自責点は9で防御率は4.58と、集計すると凡庸な数字に見えるが、特筆したいのは68人の打者に対しての「与四球1」だ。その1個もボール球を4つ投げたわけではなく、ベンチからの申告敬遠。つまり、実質的には無四球ピッチングを貫いたのだった。
鷹ジュニアにも迫ったが
実は今年の春先の公式戦で、田淵は『完全試合』を達成していたという。小学生の軟式野球は6イニング制で、二極化が進む昨今はレベルの差も激しい。
一方、「投球は1日70球まで」のシバリもある。そのなかで無安打無得点(ノーヒットノーラン)はままあるが、1人の走者も出さずに投げ切る『完全試合』となると、今日でもレア。四死球ゼロは当然、守るバックにもミス(相手の出塁)が許されないからだ。
チームのハイレベルは全国8強入りでも証明された。そこで「三番・投手」の大黒柱、田淵が地元・鹿児島市の「お山の大将」で終わるはずがない。
全国での打撃成績は9打数3安打の打率.333。二塁打1本で1打点、3四球。「ピッチングのほうが好きです」(田淵)
九州の福岡は、プロ野球ソフトバンクホークスの本拠地。年末には5・6年生で編成したジュニアチームで、NPBトーナメントに参戦する。田淵はそのジュニアチームのセレクションで、一次審査を通過していた。
ところが、全国予選を勝ち進んだ末の県決勝の日と、鷹ジュニアの二次審査とがバッティング。すると田淵は迷うことなく、仲間と戦うほうを即断したそうだ。
「どっちにしろ、(三次審査は)あんまり受ける気もなかったんです。注目されるのも、あまり好きじゃないので」
一瞬、耳を疑うようなことも、平然と真顔で口にする。かといって、我を通して集団の和を乱すようなことはない。むしろ、「大人のような思考がある子で、私も驚くことがあるし、下の子たちの面倒見もいい」と指揮官は証言する。いったいどのようにして、こういう6年生に育ってきたのか――。
野球を始めたのは4つ上の兄の影響で、年長から同じチームに入り、2年生のころに兄弟で大龍の門を叩いた。また田淵家には、2年前に第三子が誕生し、次男坊の田淵は兄にもなった。
学生時代は剣道一筋で、息子たちに野球や練習を強制したことはないという父・隆広さん。人の道を外れぬように躾は厳しいが、思想や主義、趣味趣向などの下駄は息子たちに預けているそうだ。
「何でも本人の考え次第なので、本人が自分から考えて『やるよ!』と言うことには、夫婦で支えるよ、という感じですね。ホークスジュニアの二次審査のことは、私は残念でした。かといって、将来は甲子園とかプロ野球とか、私からはそういう期待も何もありません。本人がその気なら、手伝いますけどね」
走る姿もまた美しい。だがプレーを除くと、人を押しのけて前面に出てくるようなタイプではない
まっさらなキャンパスを与えられた少年は、自分の世界観を自由にマイペースで描きながら今に至る。そういう背景や輪郭が見えてくると、何となく答えは予想できたが、あえて質問を重ねた。
「好きなプロ野球選手は? いません。憧れの選手も? はい、いないです」
「将来の夢は? 決まってないです」
「もしかして、中学で野球をやらない可能性も? はい、そうですね。野球をいつまでやるとかいうのも決めてないので」
判で押したような回答より、はるかに興味をそそられる。己が何者であるかなんて、人から決められることではない。何者になるべきか、自分でもよくわからぬまま大人になるのが普通なのかもしれない。
でもひとつだけ確かなことを、田淵に伝えておきたい。
鹿児島県から唯一、県のチャンピオンとして出場した2025年夏の夢舞台。そこで誰にも負けないコントールを披露したのは、キミだということを。
(動画&写真&文=大久保克哉)