女子野球選手のセカンドキャリア~母校女子野球部のコーチへ~

2025.10.10女子野球
女子野球選手のセカンドキャリア~母校女子野球部のコーチへ~

女子野球選手の引退後はどんな人生が待っているのか。

指導者・仕事・結婚・子育て・現役復帰など…さまざまな元女子野球選手のセカンドキャリアに迫ります。

現役選手として野球に打ち込む女子選手や保護者の方々へ、なにか少しでも選択肢のヒントになれば幸いです。

セカンドキャリア紹介 第四弾

大学卒業後に母校である横浜隼人高校に戻り、恩師の元でコーチとして日々奮闘する中園美夢(みむ)さんをご紹介します。

高校女子野球部が年々新規創部されている昨今、新たな環境ではなく出身校で指導者をする道を選んだワケとは…

その他のセカンドキャリア紹介記事は→ コチラ

2025年10月10日更新

 目次
プロフィール
なぜ母校のコーチに?
部活のコーチ以外の日常業務は?
恩師と選手の狭間で
田村監督から見た美夢コーチ
母校の指導者を目指す選手へ
編集後記

 

プロフィール

中園 美夢

横浜隼人高等学校
女子野球部コーチ

球歴:三鷹クラブW(女子中学軟式)→ 横浜隼人高等学校女子野球部 → 新波(女子硬式クラブ) → 横浜隼人高等学校女子野球部コーチ

 

なぜ母校のコーチに?

現役時代から、たくさんのご指導をいただき、自分自身を変えるきっかけをくださった田村先生への感謝の気持ちを、形として行動に移したいと考えたときに、この選択に至りました。

今では「あっという間だったな」と感じる2年半の高校野球生活ですが、当時は「今しかできないこと」に目を向けきれず、時間を大切にできなかったことに後悔もあります。

高校野球は間違いなく素晴らしい人生の財産になりますが、できる限り後悔を少なくして引退を迎えてほしいという思いがあります。

だからこそ「今しかできないことの価値」を伝えられるのは、同じ環境を経験した卒業生にしかできない役割なのかなとも思っています。

そんな思いから、母校のコーチとして力になりたいと考えるようになりました。

(ですが、当時の本音を言えば、毎日休みなく一人で部活動を運営している田村先生を、少しでもサポートできたらという気持ちがいちばん大きかったです)

 

部活のコーチ以外の日常業務は?

保健体育科の教員として、日々保健体育の指導にあたっています。

体育や保健の授業を通して、部活動の生徒だけでなく、さまざまな生徒と関わることができる時間は、私にとって非常に貴重なものです。

特に技能面で「できなかったことができるようになる」その瞬間に見せてくれる笑顔は、私の大きな原動力となっています。

その笑顔に出会えることを楽しみに、日々試行錯誤を重ねながら授業づくりに励んでいます。

 

恩師と選手の狭間で

コーチを始めたのは22歳の時で、高校を卒業してから約4年が経っていましたが、いざグラウンドで田村監督と一緒にいると、まるで現役時代に戻ったかのように緊張していたのを覚えています(笑)

選手が指導を受けている様子を見て、私も身が引き締まる思いがしました。

その頃一番難しく感じていたのは「私の時代」と「今の時代」のギャップを理解することでした。

指導の中で、選手たちが田村監督の想いをどれだけ受け取れているのか、疑問に感じることも少なくありませんでした。

想いを伝えてもなかなか跳ね返る力のない選手…そんな選手を目の当たりにした時に、私がメンタル的な部分でサポートできることは何かを深く考えるようになりました。

現役の頃は、理解できなかったことも今となってはあらゆる局面で活かされ、社会で生きていくための力になっている。このような経験やリアルを伝えることも私の役目だと思っています。

なかなか先が見えない高校時代は、ただ「怒られた」という記憶だけが残ってしまうかもしれませんが「何のためにかけられた言葉なのか」厳しい言葉の裏にある意図を理解することで、次の行動にも変化が現れると感じます。

日々選手を観察する中で、その成長や変化を間近で見ることができるのは、指導者としての醍醐味のひとつでもあります。

 

田村監督から見た中園コーチ

大学生でプレーをしながらと後輩たちの指導にあたってくれていました。

本人の高校時代に軟式から硬式に移行して、なかなか勝てず苦しかった時代を経験しているからこそ、基礎の大切さや細かい部分でのコミュニケーションや連携の必要性を生徒たちに指導してくれています。

また、横浜隼人の校風や女子野球部の文化を知っている卒業生が指導してくれるのも頼もしい存在です。

 

母校の指導者を目指す選手へ

女子野球の発展に伴い、全国各地で女子硬式野球部が次々と創部され、今では母校の指導者を目指す方も増えているのではないでしょうか。

選手と同じ目標を掲げ、日々ともに熱くなれる。そしてその目標が叶った瞬間、選手・スタッフとともに心の底から喜びを分かち合える。大人になってからも、こうした経験ができるのは、当たり前のことではないと思います。

選手とともに頂を目指し、そして母校がその頂点に立った瞬間、指導者としてはもちろんのこと、OGとしてもこの上ない喜びが込み上げてくるに違いありません。

母校の指導者だからこそ感じられる「特別な想い」。その瞬間の喜びや誇りは、言葉では表せないほど深く心に刻まれます。

それは、指導者になったからこそ味わえる、何にも代えがたい時間です。

 

編集後記

私自身、横浜隼人高校の田村監督とはクラブチームでバッテリーを組んでいた元チームメイト、その後は対戦相手の監督として…中園美夢ちゃんとは対戦相手として、何度も試合を行っていました。

今回、現役選手やその保護者の方々向けにセカンドキャリアを紹介したいと相談したところ、「恥ずかしいですが私で良ければ」と快く引き受けていただき本当に感謝しています。

母校や恩師への愛情と、指導者としての挑戦、そして現役選手たちの成長を願うメッセージに感動しました!

現役引退後のビジョンとして、『母校の指導者になりたい』そんな選手が増えてくることが女子野球が今後永続的に発展していくカギになるかもしれません。

フィールドフォース小林

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