高円宮賜杯第44回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメントの決勝は、おそらく史上初の雨天コールドで、5回終了をもっての決着に。兵庫・北ナニワハヤテタイガースを11対0でリードしていた、前年度優勝の大阪・新家スターズの2年連続2回目の優勝が決まった。4回表を潮目にワンサイドとなった大一番だが、前半戦は見応えのある好勝負が展開された。
(写真&文=大久保克哉)
※日本一・新家スターズのリポートは後日にお届けします
決勝
◇8月22日 ◇明治神宮野球場
[大阪]3年連続4回目
新家スターズ
10190=11
00000=0
北ナニワハヤテタイガース
[兵庫]2年連続4回目
※5回終了、雨天コールド
【新】庄司、今西、山田、今西-藤田凰、庄司
【北】北嶋、山口、上石、二木、北嶋-矢之文
二塁打/山田(新)
5回裏(上)から激しい雨となり、6回表に新家が15対0とリードを広げてなお、二死満塁。交換するボールも手につかなくなって試合が中断(下)
もう十分だから、勘弁してもらえないか!? 「聖地」神宮球場を激しく打ちつける雨音は、不敗の前年王者へ全国から向けられた「白旗」を代弁するかのようだった。
6回表。11対0とリードする新家スターズの攻撃は、豪雨に等しく止む気配がなかった。一死から一番・山田拓澄のエンタイトル二塁打を皮切りに、1四球を挟む5連打で14対0に。二死となってから、八番・今西海緒が押し出し四球を選んでもう1点が加わり、2巡目の攻撃に入ってボール3となる。
ここで初めて、試合は中断する。そして約30分の待機を経ての「終了」という断に、異論は出なかった。「小学生の甲子園」とも言われる全日本学童大会で、それも決勝戦でのこういう決着は極めて異例。キャリア60年の北ナニワハヤテタイガースの石橋孝志監督も「こんなの初めてや。でも仕方ないわな」と、敗北を潔く受け入れた。
正式には5回終了、雨天コールド。これによって、公式記録に書き込まれていた6回表の新家の4得点や5安打も、すべて修正液で塗りつぶされた。
それでも11対0。新家スターズが文句なしに、2年連続2回目の日本一に輝いた。
新チームになってから、練習試合やローカル大会も含めて全勝中。この全国大会は前年度優勝枠での出場が約束されていたが、それでも大阪府予選に参戦し、これも制してきての完全無欠の全国制覇だった。
中断から30分が過ぎて、球審が「コールドゲーム」を宣告(上)。ネット裏では、両監督に屋内で実施する閉会式の説明も行われた(下)
表彰式は球場入り口からのメイン通路で行われ、歓喜の胴上げもなし。それでも千代松剛史監督は、満ち足りた表情で報道陣にも応対した。
「ボクはいつも厳しいことを言うてるんですけど、努力の成果が出て喜んでいるときに子どもたちが一番成長するんじゃないかと思っているんです。やっぱりね、これだけ(練習)やってきたから、この(日本一の)景色が見れた。となると、中学に行っても、努力の先にそういう光景があるんじゃないか…そういう話は子どもたちにいつもさせてもらっています」
双方で投げ合い
異例の幕切れと、最終スコアからすると霞んでしまうが、3回までの前半戦は緊迫の好勝負が展開された。それこそ、日本一を決するファイナルにふさわしい、せめぎ合いだった。
1回表、新家は山田の二塁打(上)と内野ゴロで一死三塁とし、三番・藤田主将の三ゴロ(下)で先制する
先攻の新家は1回表、あっさりと先取点を奪った。一番・山田のエンタイトル二塁打から一死三塁として、三番・藤田凰介主将の内野ゴロで1点が入る。
出るべき人が出て、進むべき人が進め、かえすべき人が返す。準決勝とまったく同じパターンで、新家が先手を取った。しかし、北ナニワは必要以上に前年王者を怖れてはいなかった。両監督には古くから面識があり、交流しているチーム同士でもある。
1回裏、北ナニワは先頭の山口が左前打(上)。続く二木の送りバントが内野安打(下)となって無死一、二塁とするが…
「自分たちは5年生の春に新家さんと1度だけ試合して、1対2で負けているので借りを返したい」
前日にそう話していた一番・山口琉翔が1回裏、左翼線にヒットを放つ。二番・二木正太朗のバント安打に続く犠打は失敗も、二走の山口がバッテリーの隙を突く好走塁(記録は三盗)で一死一、三塁としてみせた。
以降はバットから快音が響かず、北ナニワのスコアボードには「0」が並んでいくことに。それでもまだ何かありそうな予感が、少なくとも3回まではあった。新家の藤田主将も「ベンチの雰囲気も何となく、3回までは悪い感じもありました」と振り返っている。
新家は先発の庄司(上)が2回二死まで無失点。救援した今西(下)も1四球1安打、危なげのない投球で逃げ切った
北ナニワは先発の北嶋隼士主将が、1回を最少失点で切り抜けた。2回は一死満塁のピンチを招くも、前日に完封勝利していた2番手の山口が後続を抑えて無失点に。3回は失策も絡んで2点目を失うも、それ以上は得点を許さなかった。
4回途中から再登板した北嶋主将は、試合後にこう語っている。
「僕たちの代は『弱い、弱い』と言われてきたけど、ベンチもスタンドもみんな一緒になって全国の決勝という舞台まで来られた。ボク自身はもう悔いないし、やってきたことは間違いなかったと思います。ただ、そのやってきたことを、決勝では出し切れなかった」
何かありそうな予感も
3回までの北ナニワは、新家の準決勝までの相手とは勝手がやや異なった。前年王者の抜け目のない攻め口を前にしても、与四死球やミスの連発で自滅していかない。またオプションとしている守備の変則陣形で、真っ向から立ち向かった。
そして4回表、無死満塁の大ピンチで北ナニワの陣形が見事にハマった。ここで適切なプレーで1つのアウトを奪えていたら、予感は予感のまま終わらなかったのかもしれない。
3回表、失策絡みで失点した北ナニワは、石橋監督がタイムを取ってバッテリーに助言(上)。これでピンチを脱したが、4回表の2回目のタイム(下)では同様とはいかず
無死満塁で北ナニワが取った陣形は、こういうものだった。二遊間が投手の真横まで前進し、右翼手が二塁ベースのやや後方へ。これでスクイズと2ラン・スクイズという選択肢を、ほぼ消せる。外野は2人なので長打のリスクは高まるが、内野ゴロの罠にはめれば2-3の転送で併殺も狙える。
こうした守備陣形への準備と対応も当然、新家にはあったと千代松監督は語る。
「そういうシフトも自分たちで研究させていただきました。でも簡単に言うたら、ウチの子たちは『右方向に打て!』と言えば打てるし、それだけの練習もしているのでね」
要するに、あたふたする必要なし。磨き抜いてきた打のスキルをもってすれば、相手の守備網も突破できると踏んでいたのだ。実際に、外野4人シフトの中で、一番の山田が左翼線へヒットなど、見込み通りの打撃もあった。
打者14人で9得点。4回表の新家の長い攻撃は、九番の5年生・竹添來翔の四球(上)から始まった
ただし、4回表の無死満塁では、新家ベンチの見込み通りにはならなかった。三番・藤田主将が放った打球は、投手の横を抜けて人工芝の上を強く転がっていく。普通なら中前打だが、転がる先では右翼手が待ち構えていた。北ナニワの術中に陥ったのだ。
ところが、打球の処理者は外野手の5年生。しかもゴロが転がり出した当初は、一塁ベースも二塁ベースも無人だった。どこでどうアウトを奪うのか…一瞬の迷いが、ファンブルというミスにつながってしまったのだろう。
4回裏、無死満塁から敵失と四球で5対0とした新家は、松瀬の左前タイムリー(上)、黒田のスクイズ(安打=中央)など5者連続打点。さらに山田がイニング2本目のヒット(下)で2者を迎え入れる
三走生還で4対0とした新家は、嵩に懸かって得点を重ねていった。
四番・庄司七翔が押し出しを選び、五番・松瀬吟愛の左前打で6対0に。六番・黒田大貴のスクイズバントは内野安打となり、七番・新谷陸は押し出し四球で、八番・今西がスクイズ成功で5者連続打点。さらに一番・山田の右翼フェンス直撃打に、二番・西浦颯馬のスクイズ(ヒット)でイニング9得点となり、11対0と大勢が決した。
「自分たちが点を取られる理由はだいたいがエラー。取れるアウトを取れなかったら、こんな感じになってしまいます」と、北ナニワの北嶋主将。この長いイニング中、新たに2投手をマウンドに送ったが制球に苦しみ、守備陣も立て直せなかった。
大粒の雨が降り出した5回裏、先頭の六番・中川翔斗が左中間へ二塁打を放つも“大水に焼石”。圧倒的な大差と沈み込んだ雰囲気は変わらなかった。
5回裏、北ナニワの中川が左中間へ二塁打を放つ。「前年度優勝が2連覇というのは何か面白くないなと思うので、絶対に止めてやろうと思っていました」
一方の新家は、五番・松瀬が5打数5安打(※6回表の5本目(中前打)は記録なし)と大当たり。雨天下の5回裏も二ゴロを確実に捌くなど、地味ながら大会を通じても堅守で勝利に貢献してきた。そんな6年生が、金メダル獲得の要因をこう話している。
「これまで雨の日とかも練習をいっぱいして、みんなが遊んでいる時間も練習をしてきたので、優勝はそのおかげやと思います。(これまでに最も辛かったのは)雨で地面がぐちゃぐちゃのときに、ヘッドスライディングで捕るみたいな守備練習。あれが一番きつかったです」
閉会式は神宮球場の正面入り口の通路にて(下)。V戦士たちは控室からの道中で、保護者らと笑顔でハイタッチを交わした(上)
―Pickup Hero―
初Vから1年「長かった」。明るい職人、主将が導いた連覇
ふじた・おうすけ藤田凰介
[新家6年/捕手兼三塁手]
1年前は八番・右翼で、初の日本一に貢献した。主将ナンバーの10を背負った今夏は、まさしく屋台骨となってチームをまた全国の頂点に導いた。
「この1年は長かったのでは?」
同じく前年V戦士の山田拓澄からは「短いよ!」と後から突っ込まれたが、藤田凰介主将は「はい!」と実感を込めて即答した。
前年王者として、また全勝ロードを進む新チームのリーダーとして、背負ってきたものや求められてきたものたるや、いかばかりか。常に人前では明るく、舞台裏では殊勝なコメントを発し、フィールドでは実に頼もしかった。
巧打と小技に選球眼もある。簡単にはアウトにならない、相手には厄介な打者だった
全国では計5試合で、13打数4安打2打点の打率.307。4四死球で長打は二塁打1本、2盗塁。三番打者としてはやや物足りない成績かもしれないが、数字には残らない部分での貢献度も計り知れないものがあった。
準決勝に続いて決勝でも、初回の一死三塁という場面で確実にゴロを転がし、先制点を導いた。3回には先頭で右前打を放って二進すると、左前打1本で生還。緊迫していた前半戦で、奪った2点にいずれも絡んでいる。
出塁すれば、敵の虚も突きながら、どんどん先の塁へ(写真は3回戦)
「雨でも取れるものは取っていく」
その姿勢を自ら内外に示したのは、11対0で迎えた6回表だった。大雨の中で1点を加えてなお、一死二塁で右打席に立つと、フルカウントから四球を選んでみせた。結局、5回コールド決着となり、6回表の記録は白紙に。だが、大差や大雨でも容赦のなかった攻撃は、不敗軍団と主将の歩みを端的に物語っていたのかもしれない。
いつ何があろうとも、落ち着いていた。準決勝の後には「さすがに疲れはあります」と吐露したが、決勝でも試合中は疲労の色など微塵も見せなかった。なぜ、そこまでできるのか。
「それはやっぱり、練習してきたからだと思います」
投手の顔ぶれや相手打線に応じて、捕手以外に三塁と左翼も完璧に守った
身体能力と経験に甘んじない。守備のハイスキルには、鍛錬の跡もうかがえた。決勝でも地味なスーパープレーが2つあった。
まずは先制直後の1回裏、無死一、二塁のピンチでの捕邪飛。送りバント失敗となったこのプレーで、一塁ベンチ方向への小飛球に的確に反応し、落下点へ最短距離で進んでから、突き出したミットの中へと収めてみせた。
そして2対0とした直後の3回裏、一死一塁のピンチで相手はエンドラン。ここでの三ゴロを、捕るや否やの二塁送球で間一髪、フォースアウトを奪ってみせたのも背番号10だった。
準々決勝の3回、先頭で右中間へ二塁打を放った(撮影=福地和男)
卒団までにやり残していることがまだあるが、夏の夢舞台では大目標を完遂した。「全国出場権(前年度優勝枠)」をプレゼントした1年後の6年生たちへ、誌面を通じてメッセージをもらった。
「自分たちもそうでしたけど、新潟(来年度の全国大会開催地)へ無条件で行けるということで、これからそこを目指してずっと練習していくことになると思います。厳しいこともあるだろうけど、3連覇を目指してほしいと思っています」
―Good Loser―
名将の辛口も成長への道しるべ。36年ぶりVならずも、7年ぶり「銀」
きた北ナニワハヤテタイガース
[兵庫]2年連続4回目
準優勝
【戦いの軌跡】
1回戦〇6対5しらさぎ(東京)
2回戦〇17対4猪川(岩手)
3回戦〇1対0託麻(熊本)
準々決〇4対2安佐(広島)
準決勝〇1対0牧野(奈良)
決 勝●0対11新家(大阪)
「メッキが完全に剥げた」
石橋孝志監督の敗戦後の第一声はそれだった。1988年にはチームを日本一に導いた元V監督にとっても、決勝はぐうの音も出ない大敗だった。
「ウチは弱いし、そんなにワーワーと騒がれるようなチームとちゃう」
大会前も大会中も、そう繰り返していた。それでも、教えるべきことは教え、やるべきことはやってきた。そして試合となれば、勝つために手を尽くす。決勝の相手は確かに、試合運びもプレーの精度も一枚上だったが、7年ぶりの銀メダルだって誇らしい勲章だ。
「根性の差とちゃいますか。野球に対する姿勢。相手の新家は強いのは当然、うまいですよ。100%守り切って点を取ってくる。それがウチは7掛けくらいや。乗ってるときは神様も味方してくれるけど、攻めても守ってもミスで引っ張られるとこんなもんや」
いつもの辛口に掛け値はない。だが、目の前の結果だけで一喜一憂する指揮官でもない。選手個々を常によく見ていて、細やかなベンチワークで成長や活躍を促していく。負けたら終わりの全国大会でもそこはブレず、守りのオプションも出し惜しみをしなかった。
満10歳の驚嘆の善行
対戦相手を野次ったり、動揺やミスを誘うような声を発しない。敵失で派手に盛り上がったりもしない…。
今大会は審判団からの注意や直接の指導もあり、ベンチの大人を含むマナーアップが顕著だった。北ナニワハヤテタイガースでは、そのあたりがどう教育されているのかは定かでない。が、とある下級生の信じられない善行に、感心させられるシーンが準決勝であった。
0対0で迎えた3回表の守り。一死からの二ゴロを、4年生の北西稜が取り損ねてしまう(=上写真)。平凡なゴロだったが、北西は大会初出場で初スタメン。初めて処理する打球でもあった。しかも、深い位置から前進しながらの捕球で、見た目以上に難しかったのかもしれない。
二盗されて一死二塁となり、相手の三番打者の打球は、低いライナーでまたも北西の元へ。4年生の二塁手は、今度は確実に捕球しての二塁触塁で併殺とした。周囲の6年生たちが喜んで一塁ベンチへ引き上げる中で、北西だけは本塁方向へ走っていく。そして相手の打ち終わりのバットを拾い、相手チームに渡してからベンチ前の円陣へ(=下写真)。
自身初の全国大会で、最初のワンプレーでミスした直後とあれば、高校生でも己のことで手一杯のはず。それがどうだ。たかが満10歳の4年生は、自分のミスを取り戻すや、安堵する前に地面に転がったままの相手のバットに反応していたのだ。何たる視野の広さに冷静さだろうか。
その後、注視していると、相手チームのバットを拾うのは北西だけではいことも分かった。マウンドを降りる際の山口琉翔もごく自然に、近くに転がっているバットを拾って手渡していた(=下写真)。
スポーツマンシップの定義や是非はさておき、相手を敬う気持ちもあればこその、さりげない行動。その土壌にはきっと、人としての指揮官の導きもあるのだろう。「勝利」をただ追求するのみで、大人の模範もなくして、こういう子たちはまず育つまい。
世代屈指の満10歳も
今大会、北西が守った二塁のポジションだけは、スタメンも流動的だった。石橋監督は、準決勝で4年生を抜擢した意図をこう説明している。
「セカンドの先発はその日の状態で決めてます。6年生にチャンスをやってもやっても、ようレギュラーを取らない。もう一杯いっぱいで。なので、普段から一生懸命にやってる4年生を今日は使うた。当て馬いうか、いつまでも出してくれへんで、というのを6年生に示す意味もあって。北西は必死やったと思うし、エラーを自分で取り返した。これからもセカンドは競争やな…」
準決勝でサヨナラ打など大活躍した中川翔斗も、実は6月までは控え組だったという。「真面目」が評価されての抜擢に始まった、夏の大躍進だった。
準決勝の4回に代打で登場した6年生・髙橋丞彪が二塁に入り、5回の守りで美技を披露
「来年も全国に? いや無理ですよ。やるからにはベストは尽くすけど、通用するか…。4年生はひょっとしたら、分からんけど」(石橋監督)
2009年から東京で固定開催されてきた全日本学童大会は、来年度から全国9ブロックでの持ち回り開催になるという。1年後は北信越の新潟開催が決まっている。そこでもまた、満75歳の辛口トークが炸裂しているのかもしれない。
レギュラーとして全国準Vを経験した、馬野(上)と上石(下)の5年生コンビ
今大会でチーム唯一のサク越えアーチを放った馬野心輝、準々決勝で先制二塁打を放った上石玄は、ともに5年生。また4年生には、世代屈指とも言える正三塁手の山川諒(=写真下)に、前述の北西もいる。
「去年の全国は3回戦で負けて、それを越せるようにみんなで頑張ってきたので。仲間と協力し合って、楽しい夏休みだったなと思います」(山口)
6年生たちとその成功体験も、新チームの背中を強く押してくれることだろう。