大会は折り返しての競技4日目となる準々決勝。例年はこのあたりから体力勝負の色合いも増し、心身の疲労度や戦力の差が見え隠れし始める。新潟市みどりと森の運動公園野球場での第1試合は、ともに前日の3回戦で好投した右腕が先発したが、いずれも3回もたず。こうした展開で浮き彫りとなったのは、元王者の試合巧者ぶりと厚い戦力。加えて、九州男児たちの一本気だった。殊勲のヒーローと、一枚のフォトグラフに始まる敗軍のストーリーまでお届けしよう。
(写真&文=大久保克哉)
■準々決勝/みどりと森球場
◇8月16日▽第1試合
[鹿児島]3年ぶり2回目
大龍ビッグドラゴンズ
001002=3
32040 X=9
多賀少年野球クラブ
[滋賀]8大会連続18回目
【大】田淵、梅元-今村
【多】岡本、高井-高井、大橋民
本塁打/里見、高井(多)
三塁打/小田(多)
二塁打/梅元(大)、奥野、三好、里見(多)、安樂(大)
【評】双方の先頭打者に長打が生まれ、その後の攻防で明暗が分かれた。先攻の大龍は梅元咲翔主将の左翼線二塁打に、安樂誠希のバント安打で無死一、三塁とする。しかし、守る多賀はけん制で一死を奪うと、三番を申告敬遠して二盗を阻止。そして三振で大ピンチを切り抜けた直後、里見葵生の先頭打者アーチで先制した。多賀はなおも畳み掛け、奥野悠太の二塁打から二死一、三塁として、小田悠陽の右中間二塁打で3対0に。また2回にも、三好想太朗と里見の連続二塁打に、今井葵飛の右前打で加点した。大龍の反撃は3回表だ。敵失に梅元主将の中前打で1点を返し、続く安樂の左中間二塁打で一死二、三塁に。だが、多賀はここで救援した右腕・高井一輝が後続を断つと、4回裏には自らのバットで8点差とする満塁アーチを放つ。6回表、大龍は敵失と田淵琉生の左前打で1点。さらに今村亮太のテキサス安打と棈松快斗の三ゴロで1点を加え、代打攻勢で二死満塁としたが反撃もそこまで。多賀は後半から次々と選手が代わり、17人がプレーして準決勝進出を決めた。(了)
大龍は梅元主将が二塁打(上)も無得点。多賀は里見が中越えソロ(下)。長打に始まった1回の表裏が流れを左右することに
多賀の攻撃は先頭打者アーチで終わらず。二番・奥野が左翼線へ二塁打(上)。大龍の先発・田淵(下)は初回、三振で二死まで奪ったが…
1回裏、多賀は六番・小田の右中間二塁打(上)で2点を追加。2回表の守りでは、ライトへ抜けそうな打球を一塁手・大橋民紀太がアウトに(下)
2回裏、多賀は三好(上)と里見の二塁打で1点、さらに今井の右前打(下)で5対0に
大龍は3回表、敵失から二進した前田健心(上)が内野ゴロで三進。そして一番・梅元主将の中前打(下)で生還
3回表、1点を返した大龍は安樂の左中間二塁打(上)で一死二、三塁としたが、救援した多賀の高井(下)を前に後続は断たれる
4回裏二死、多賀は里見が3安打目の左前打(上)。内野ゴロ併殺崩れの後、岡本が左前打(下)
四番・大塚堅史主将の2打席連続安打(上)で二死満塁とした多賀は、高井が左へサク越えアーチ(下)。4回を終えて9対1と大量リードに
大龍は5回表、一死から鮫島龍斗が中前打(上)も、多賀は5-4-3併殺(下)で切り抜ける
諦めない大龍は6回表、敵失と田淵の左前打(上)で1点、今村の中前打と棈松の三ゴロ(下)でもう1点
6回表、2点を失って二死満塁となった多賀はベンチからのタイム(上)でひと息。そして、最後の打者を高井が空振り三振に(下)
―Pickup Hero―
やっぱり頼り!面目躍如の好救援&満塁弾
たかい・いつき
高井一輝
[多賀6年/投手兼捕手]
4年生に上がる直前の3年生大会、多賀グリーンカップではサク越え弾も放つなど、投打で大活躍してMVPに。そして4年生以下では最高位となる、西日本大会優勝にも貢献し、5年生の昨夏は全国デビューして2安打もマークした。
多賀少年野球クラブの18番。高井一輝は下級生のころから、学年を代表する中軸の一人だ。ただし、身体の急成長にスキルが追いつけない時期にあることと、20人超の同級生の底上げのせいもあるのだろう、眩いばかりに突出していたパフォーマンスが、最高学年になって影を潜めつつあった。
自身3度目(4年時はベンチ入りのみ)となった、夏の全国舞台でもチームは3連勝でベスト8まで来たが、高井はヒーローにはなれず。1回戦は4回まで無失点と好投し、2回戦では二番手で登板して逃げ切り。3回戦は2/3を投げて打席には立てず。ここまで3試合で2打数1四球の無安打と、バットマンとしては存在感が薄れていた。
しかし、うっ憤を晴らすかのように、準々決勝で大仕事をやってのけた。まずはピッチングだ。3回表、1点を失ってなお一死二、三塁で三番打者というピンチで救援すると、内野ゴロ2つで追加点を阻む。4回、5回も無失点で、6回にバックのミスが続いて失点したが、自責点は0だった。
「ペースよく投げられたと思います」
そして打撃だ。4回裏、3度目の打席は二死満塁の好機。ストライク、ファウルで追い込まれてからの3球目、真ん中やや高めにきた緩い球をジャストミートすると、舞い上がった打球は左翼70mのフェンスを越えていった(=上写真)。
これで9対1と、ダメ押しの一発に。翌日の準決勝でも、嫌な流れを断ち切る投球を見せた高井は、試合には敗れることになるが晴れやかな表情でこう総括した。
「自分もチームも力は出し切ったと思います。全国大会はやっぱり、めちゃ楽しかったです」
―TEAM Inside Story―
一枚の写真に始まった、縁と取材から見えてきた“薩摩隼人”のリアル
だいりゅう
大龍ビッグドラゴンズ
[鹿児島]
【戦いの軌跡】
1回戦〇2対1常盤(岡山)
2回戦〇4対3明石(兵庫)
3回戦〇5対2弘前(青森)
準々決●2対9多賀(滋賀)
47都道府県のチャンピオンチームが一堂に会して、夢舞台で行進した開会式の日。カメラマンが撮影した膨大な数の写真のなかに、どこか魅かれる一枚があった(=上写真)。
熱気むんむんのメインスタジアムの正面入り口前。選手や保護者らでごった返すなかで、瞬間を切り取ったその写真には、濃紺のユニフォームの選手が一人。手にある大会公式パンフに視線を落としており、傍らでページに手をやっている大人も同じユニフォームで、横顔が似ているので親子だろうと思われた。
得意気というよりは、はにかんでいる。一生の記念とも言える一冊を熟読しているふうではない。ただ純粋に、自分たちの写真や名前をそこに見つけて、じんわりと寄せる高揚を父と子で共有している――。
そんな感じの一枚を開会式の翌日、SNSで速報したなかに使った。するとその濃紺のユニフォームのチームは、1回戦から接戦をものにして3回戦へ進出。そこで筆者もついに、取材する機会に恵まれた。
一本気の土台にあるもの
鹿児島県の大龍ビッグドラゴンズ。公式パンフの紹介ページには、25人の枠いっぱいに2年生以上の名前が並んでいた。6年生は10人で、そのうち3人までは3年前の全国初出場時のパンフにも名前があった(当時3年生)。
その中の1人、背番号1の右腕・田淵琉生は、出色のスピードボールと制球力を備えていた。3回戦は4回までパーフェクト投球、バックの守備も堅かった。打線はこの試合で、前半の得点機をことごとくふいにしたが、一貫した強攻策を後半に実らせて勝利。本土の最南端からやってきたチャンピオンは、いかにも“薩摩隼人”という野球で予選から勝ち抜いてきたという。
「彼らはふだんの素振りも相当にやっているし、バッティング練習も頑張ってやってきてるので、『自分の自信をもったバッティングで良いところ見せてこい!』というスタイルが合っているんです」
こう話した中里優士監督(上写真)は、長男が6年生のときに指揮官となって11年目。3年前の2022年に、末っ子の三男・福助(当時6年)らを引きつれて全国舞台に初めて登場した(初戦敗退)。
「厳しいときは厳しい」「しっかり教えてくれる」というのが複数の選手たちの監督評で、週末と祝祭日以外に火曜日と水曜日の練習もみている。
「手づくりなのでナイター照明と言えるような立派なものではないですけど、ボールを打つくらいの灯りはあるので、平日は冬場でもボールを使って練習しています」(中里監督)
一番・遊撃兼投手の梅元主将(上)は、打って走って守れて投げられる。七番・二塁の東佳佑は3回戦で二塁打、準々決勝では場外ファウル(下)。この2人も3年前の全国でベンチ入りしていた
本番でバットを振り回すだけが“薩摩隼人”らしさではない。またそれだけで、全国8強まで勝ち進めるはずもない。
右本格派の田淵も、右サイドスローの梅元咲翔主将も、コントロールが抜群だった。田淵は1回戦で無四球の5安打完投。2回戦は2人の継投で1四球のみ、田淵は3回戦も無四球を貫いた。
「投手は4枚いますけど、鹿児島の予選ではフォアボールゼロでした。特に田淵と梅元は安定しています」(中里監督)
各打者は積極的だが、ボール球には手を出さない。一塁に出ればよく走るし、相手バッテリーのわずかな隙も逃さない。
3回戦は結果として5つの四球を選び、5つの盗塁を決めて、暴投により4つの塁を奪った。どれもこれも、相応の練習にトライアンドエラーを積み重ねてきたからこその数値だろう。
10人目の6年生
さて、あの開会式の写真の少年だ。
5対2で終えた3回戦の試合中に、筆者が特定することはできなかった。また試合後は、大会初導入のアフターマッチファンクションがあり、長いこと待たされたが、その間に保護者たちから確かな情報を得ることができた。
「あ~、あのインスタの写真、すごく良いですよね。あの子は七夕(知優)クンです」「6年生でレギュラーではない子ですけど、縁の下でみんなを支えてくれています」「そうなんです、真面目で試合中は大きい声でいつも盛り上げてくれてね」…。
中里監督(写真㊤右端)と父・弘和コーチと同じポーズをしているのが七夕。給水タイムには下級生たちと談笑する姿も(下)=3回戦・エコスタ新潟
そしてついに、本人にも話を聞けた。
「ボクは試合には出ていないんですけど、チームが勝てるように一生懸命にベンチから応援しています。ベスト4がみんなの目標なので、あと1つ勝ってほしいと思っています…」(七夕)
そこで傍らにいた母が、そっと教えてくれた。
「あのう、実は決まっていた用事がありまして、息子と私は今日で最後。これから鹿児島に帰るんです。最後に取材もしていただいて、良かったです」
父親の背番号28、弘和コーチはそのまま新潟に残った。そして明くる日の準々決勝。6年生が9人となった大龍は、名うての元王者のリアクション野球を前に完敗した。
序盤で5点ビハインドとなり、足技を使う展開に持ち込めなかった。1回表の走塁死2つは、流れを失う痛手となったが、3回戦同様に前掛かりな姿勢をうかがうことはできた。
相手は過去に大会2連覇も遂げている多賀少年野球クラブ。だが、その実績や知名度、巧みで豊富な引き出しに怯んだ様子は最後まで見られなかった。
迷いなきマン振り
「少し疲れました。細かいコントロールがいつもの感じではなかった」と、2回途中で降板した田淵。それでも与四球ゼロで、二番手の梅元主将も相手打線につかまりはしたものの、最後まで四死球を出さずに各打者と勝負した。
準々決勝の6回、先頭の安樂誠希はヒット性の当たりの敵失で一気に二進(上)。2点を返してなお、二死一、二塁から代打の5年生・小野は四球で吠えながら一塁へ(下)
“薩摩隼人”らしさは、8点を追う最終6回表の攻撃にも見て取れた。敵失も絡んで2点を奪うことになるが、特筆したいのはそこではない。吉元爽馬(5年)、樋口謙(4年)、小野羽琉人(5年)、中村孝太郎(5年)。代打で登場した下級生たちが、こぞって初球ストライクから食らいついた。それも迷いなきマン振りで。
「あの子たち(代打の下級生)は、手伝いをよくしてくれるので、何かのチャンスで出してあげたいと思っていたんです。点差もありましたので…」
指揮官は起用意図をそう語ったが、私的な思い出づくりで打席にいる雰囲気ではなかった。まだ終わっていない! 何としても塁に出てやる! そういうスイングに気圧されたか、3回途中から好投してきた相手右腕が2つの四球を出した。
代打の一番手・吉元(5年)はマン振りで3球ファウルなど、フルカウントから四球を選んだ
結果、4人の下級生たちのバットから快音は響かずに試合は終わった。
でも明らかな気骨はもしかすると、いつもと少し違うベンチの雰囲気から、自ずと生じた面もあったのかもしれない。第2試合が迫り、彼らの肉声は拾えなかったが、指揮官と主将はこういうコメントを残している。
「もうスッキリです。みんなよくここまで、気持ちよく頑張ってくれたので『ありがとう!』と言いたいですね。ただ、七夕がいない今日のベンチはちょっと寂しかったですね。彼は途中からウチに入ってきて、技術的には同級生についていけない感じでした。だけど『やれることがある!』と、声を出したり道具係をしたり。そんな彼を応援団長に任命すると、全国でも下級生たちをまとめてよくやってくれました」(中里監督)
「負けてる展開でも、(七夕は)しっかり声を出してムードメーカーになってくれる。今日は彼がいなくて、応援のときの声が少ないなと感じていました。全国でベスト8に入れたのは、練習のときからみんなで集中して、試合では底力を発揮してきたからだと思います。人生の思い出に残るような大会でした」(梅元主将)
ひと足先に帰郷していた10人目の6年生には、恩師や仲間らのそうした声も含めて、より特別な夏となったことだろう。父とまた静かに高揚している絵も浮かんでくる。
七夕を含む10人の成功体験は、5年生6人と4年生5人へと伝承される。指揮官は最後に、こう口にした。
「来年もまた、ここに来られるように頑張っていきたいと思います」