先制、逆転、同点、勝ち越し――。序盤で激しく動いた試合のなかで、千葉の“最強軍団”は運にも見放されて大量失点。5人のスタメン5年生を含め、善処を尽くした京都の若いチームが逃げ切った。準々決勝の4試合目のリポートは「勝敗のポイント」を掘り下げ、ヒーローと敗軍のストーリーまでお届けする。近年は躍進が顕著だった関東勢は、この競技4日目をもってすべて姿を消した。
(写真&文=大久保克哉)
■準々決勝/みどりと森球場
◇8月16日▽第2試合
[京都]2年ぶり2回目
伊勢田ファイターズ
13700=11
40101=6
豊上ジュニアーズ
[千葉]2大会連続6回目
【伊】藤本、松倉、臼田-夏山
【豊】中尾、山﨑、中尾、山﨑-神林
本塁打/臼田(伊)、神林(豊)
二塁打/松倉2(伊)、村田、鈴木、後山(豊)、佐藤(伊)
【評】前半戦は激しい点取り合戦となった。伊勢田が1回表、松倉駿の二塁打に犠打、犠飛で先制すれば、豊上はその裏に倍返し。福井陽大の右前打に村田遊我の二塁打、死球と内野ゴロで同点とすると、鈴木海晴と後山晴(5年)の連続二塁打で4対1と逆転。しかし、なお一死二、三塁からのエンドランは空振りで三走挟殺など、ワンサイドには持ち込めず。逆に伊勢田は2回表、臼田塁人の2ランの後に八番・伊藤駿が二塁打で出ると、続く山本灯司(5年)が確実に送ったことで、ボークにより4対4に。さらに3回表、幸尚哉(5年)と藤本理暉の連打で無死二、三塁としてから、4四死球に赤尾空舞と松倉のタイムリーで大量7得点。そして2回から登板の臼田は、3回に1安打で1失点も、打たせてアウトを重ねた。審判団から「(90分超過で)この回が最後です」と告げられた5回裏の豊上は、神林駿采主将がレフトへ豪快にソロアーチを放つも、空砲に終わった。(了)
伊勢田は2回表、八番・佐藤が逆方向へ二塁打(上)。続く山本(5年)は犠打を決めたほか、二塁守備(下)では7度の守備機会で無失策(内野安打1)
―Zoom into the Point―
“不思議なし”準備と善処の勝利
『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』――。
かの名将・野村克也氏(元ヤクルトほか監督・故人)の座右の銘を、野球界で知らない大人はいないことだろう。この格言は、現在の長崎県平戸市の一帯を、江戸時代に治めていた文武の才が遺したとされる。
確かに、この準々決勝の敗者にも重なる節はある。だが勝者は、「不思議」で片づけられたら甚だ合点がいかぬはず。
伊勢田ファイターズは、目の前の1試合を勝つために最善を尽くしてきた。V候補本命と目された強敵を前にした準々決勝も、そこは変わらなかった。いわば「準備がもたらした勝利」でもある。
戦地へ乗り込む以前に
降雨で度々の中断を強いられた前日の3回戦。伊勢田の第3試合は17時4分に始まり、北名古屋ドリームス(愛知)との緊迫の1点差ゲームを制したのは、日没後の18時45分だった(=下写真)。
幸智之監督は、そこから翌日の準々決勝の会場入りまでの経過をこう振り返る。
「ホテルに帰れたのも遅かったので、すぐに入浴と食事、ストレッチとか身体のケアをするように指示しました。熱中症で試合に出られなくなるような子を出したくなかったので、少しでも早く睡眠に入れるように、大人たちに動いてもらいました。その間に、ボクは相手チームの試合の動画(大会主催者が公開)を視ながら、できそうな対策を練って。今日の朝に子どもたちにそれを話して、グラウンドで確認して動いて。そういう流れでした」
大会中は毎朝、グラウンドでボールを投げて打ってから会場入り。大半の参加チームにとって、バカにならない財と時間を投じての遠征となる全国大会だが、常連のチームや日本一を本気でうかがうチームの大多数は、全日程で練習場も事前に確保して乗り込んでくる。
伊勢田は2年ぶり2回目の全国出場ながら、全国区の強豪チームとの交流もある。勝ち進むための準備に、抜かりはなかった。
それはもちろん、過去に銅メダル2個を手にしている相手、豊上ジュニアーズも然り。舞台は2009年から16年続いた東京を離れ、今年から全国9ブロックの持ち回りの開催に。東京に隣接する千葉県で活動する豊上にとって、今夏の舞台・新潟はグンと遠くなったが、髙野範哉監督は何ら問題ではないと口にしていた。
「ウチは東京開催のときも宿舎を取ってたんですよ。勝てると思っていた準決勝で、ぜんぜん力を出せなくて負けた年(2019年)の次の全国大会から。毎日自宅から通うのと、試合場の近くで寝泊まりして試合をするのでは、疲れ方もぜんぜん違いますね」
要するに、複数泊を伴う遠征は初めてではない。チームの中核を成す、神林駿采主将、福井陽大、中尾栄道ら6年生5人は、8強入りした1年前(=上写真)にその集団生活も体験済だった。
そこまでお膳が整えられた先に、多くの栄光が待ち受けている。賛否両論あろうが、それも今に始まったことではない、夢舞台の裏側にあるひとつの事実である。
左の剛腕対策が奏功
さて、伊勢田の対応策の具体的なところだ。勝ち進んでいる最中とあって、指揮官は試合後も言葉を濁しつつ、相手の二枚看板投手を攻略できたのは、偶然や個人任せではないと暗に語った。
「特に相手の左のサイドスローの子(中尾=上写真)。すごい球威ですけど、投げにくいボールと、投げやすいボールというのが何となく想像できました。どういう配球をしてくるのか、そのあたりも選手たちに話して。それに対する練習をしてから会場に入りました」
準々決勝、一番・松倉(上)は二塁打2本で3打点。三番・藤本は先制犠飛に続いて3回に右前打(下)
1回に先頭打者二塁打の松倉駿、先制犠飛の三番・藤本理暉、2回に2ランを放った臼田塁人ら主力の6年生たちは、ハイレベルな投手にもフルスイングで対応できる。
事前の対策がより見て取れたのは、左打ちの5年生たちの打撃だった。
まずは2回表、赤穂空舞が詰まりながらも逆方向へテキサス安打を放ち、臼田の一発につなげた。そして4対4で迎えた3回表、打者13人で7点を奪った超ビッグイニングの始まりは、小柄な二番・幸尚哉が逆方向に叩きつけての左前打(=上写真)だった。赤穂はこの3回にもヒットを記録したが、身体に当たりそうな内角球をギリギリでよけた際のバットにボールが当たり(=下写真)、ゆるいフライが左翼線に落ちるというものだった。
「朝に話してやってきたことに、選手たちがスッと順応してくれましたね」(幸監督)
正捕手で四番を張る夏山淳主将が、イニング中に2死球で騒然とする一幕もあったが、5人の左打者は本塁ベース寄りのギリギリに立つことを恐れず。結果、6四死球を得ている(申告敬遠1)。
守る豊上はその3回、中尾と山﨑柚樹(=下写真)の左腕2枚が代わる代わる投げたが、突発的な大乱調に陥った。打ち取っている打球でアウトが取れない――相手打線の“こすいヒット”や、外角球にちょこんとバットを差し込むようなスイングが、左腕コンビにはボディブローのように効いた面もあったと思われる。
初体験でも動揺せず
伊勢田ナインにも、苦い初体験が生じていた。自慢のエース左腕・藤本が、わずか1回で降板。豊上打線に打ち込まれ、1対4と一時は逆転されてしまった。
しかし、幸監督(=下写真)はギャンギャンとわめいたり、アタフタもせず。ベンチの最前列に立ってじっと戦況を見つめ、2回から一塁の守備へ就く左腕へ、穏やかにこう伝えたのも印象的だった。
「時間を置いてから、もう1回(登板)あるからな」
結局、藤本の再登板はないまま、伊勢田が再逆転で勝利。試合中も指揮官の冷静な分析と判断が、奏功する形となった。
「ウチの藤本がKOされるようなことはまずなかったんですけど、(フォームの)バランスが悪い状態で投げてたし、ズルズルと球数だけ増えるのも嫌でしたので。藤本のあの速い球を捉えるということは、相手もそういう準備をしてきたと分かったので、逆にスローボールは合わないだろうなという読みで、早めにスイッチしました」(幸監督)
2回からマウンドに立った伊勢田の右腕、臼田は殊勲のヒーローとなっている(下参照)。
―Pickup Hero―
遅球をビシビシ!自ら2ラン後、4回2失点で逃げ切り
うすだ・るいと
臼田塁人
[伊勢田6年/左翼手兼投手]
V候補打破の立役者は、己をよく知る6年生だった。七番・左翼でスタメンに名を連ねた、右投右打の臼田塁人だ。
1回戦で三塁打と二塁打を放つと、2回戦では2点二塁打に2度の救援で勝利に貢献。チームに欠かせぬ存在に思われたが、大会前日まで幸智之監督からカミナリを落とされていたという。母・玲子さんがこう打ち明ける。
「ウチの子は気持ちが入るのか入らへんのか、変な感じやって、怒られ倒してきてたんです。なので私から『全国大会は出られへんと思うときや!ベンチで頑張り!』と伝えていたんです」
確かに、感情が表に出まくるタイプではないようだ。しかし、無神経や愚鈍では決してない。自分の特長や役回りを心得ており、等身大のプレーに徹する潔さがある。
準々決勝ではまず、バットでそれを示した。1対4と一気に逆転された直後の2回表、レフトへサク越え2ラン(=下写真)。
「ヒットを狙っていたんですけど、その結果がホームランになってくれて良かったです。サク越えは今年2本目です。1本目は練習試合で打ちました」
背伸びをしないところは、マウンドに立っても変わらなかった。自らの本塁打もあって2回表に4対4に追いつくと、その裏から救援。相手打線は1回、大会屈指の左腕・藤本理暉から4本の長短打で4点を奪っていた。だが、二番手の右腕には、恐れよりも確信めいたものがあったという。
「(相手打線は)藤本クンの速い球をめちゃくちゃ打っていたけど、スローボールの自分はタイミングを外せると思いました。速い球もたまに? はい、でもスピードは90㎞もいかないくらいです」
グラブを頭上へ掲げる独特のテイクバックとリズムから、山なりのボールを多投。3回に1安打で1点を失い、5回にはソロアーチを浴びたものの、四死球ゼロでアウトを積み重ね、そのまま逃げ切った。
昨今の学童野球では、スローボーラーも珍しくない。だが、打たれても失点しても取り乱さず、欲しいときに確実にストライクを奪える域まではなかなか達しない。聞けばやはり、臼田は相応の努力も重ねてきたと語る。
「自宅の近くの公園で、一人でスローボールの壁当てとかをやってきました。今みたいにコントロールがつくようになってきたのは、今年からです」
父・竜也さんは29番のコーチで、母は学生時代にソフトボールの捕手だった。そして「塁人」と名付けられた野球一家の息子は、小6夏の晴舞台でファイナルまで進出することになる。
幼稚園の教諭で声を出すのが日常という母は全6日間、スタンドで応援の音頭を取った(=下写真)。よく通る美声は閉会式の後には掠れがちとなっていたが、息子らを見つめる横顔は満ち足りていた。
「いろいろとタメていたもんとか、日々の蓄積がこういう大きな舞台で出てくれたんやなと、うれしく思っています」
―Team Inside Story―
最上の頂へ1年計画。完遂ならずも、道程に悔いなし
よとがみ
豊上ジュニアーズ
[千葉]
【戦いの軌跡】
2回戦〇2対1常磐(福島)
3回戦〇1対0大坪南波多(佐賀)
準々決●6対11伊勢田(京都)
自他ともに認めていた日本一候補。豊上ジュニアーズの2025年の夏は準々決勝、ベスト8で終わった。奇しくも、1年前と同じ成績ながら、今年の歩み方は従来にないものだった。
ついに目覚めた打線
福井陽大の先頭打者ヒットに始まった準々決勝は、さらに3本の二塁打で1回裏に4対1と逆転。大会屈指の相手のサウスポーの速球を、ものの見事に弾き返してみせた。その快音の連発を、超強力打線の目覚めの合図と感じたのは筆者だけではなかっただろう。
準々決勝は一番・福井の右前打(上)、二番・村田の中越え二塁打(下)で始まった
五番の鈴木(上)、六番の後山(5年=下)も二塁打で1回裏に4点
相手のエースが1イニングで降板したとき、髙野範哉監督は「もう8割9割、勝ったな」と思ったという。直後の2回表に追いつかれても、確信は揺るがなかった。
「向こうの先発ピッチャーがぜんぜん参っちゃってたので、4対4でも絶対にこっちが有利だと思ってたんですけどね…」
負け惜しみではない。指揮官は率直にものを言うタイプだ。また今年の6年生たちは、低学年のころからハイレベルで数々の優勝旗やメダルをコレクション。実質的に“千葉県に敵なし”で、そのウワサは早くから県外へも轟いていた。
そして最高学年になると、秋の新人戦に続いて6月の全国予選も県で圧勝(=上写真)。でも無類の“最強世代”にとっては、本番はそこから。チーム全体でそれを再確認するべく、髙野監督は恒例の胴上げを拒んで、保護者たちへこう発した。
「この代は全国優勝を目指してスタートしているので、ボクは全国優勝したら(胴上げを)お願いします」(※関連記事➡こちら)
チームを支えた二枚看板
2年連続の全国出場を決めてから約1ヵ月後。平日のナイター練習を訪ねると、指揮官の自信は増していた。
「今年はボクの気持ちも違うし、子どもたちも気持ちが入っている気がしますね。去年は全国を決めた後は、ダラダラの試合をして県大会でも負けてるんですよ。でも今年は違う。10対0で勝ってても、必死でプレーしてますね」(髙野監督)
緊張感を保つ要因にもなっていたのが、背番号1を巡る争いだ。低学年時代から強打でも知られた中尾栄道と、秋の新人戦で台頭してきた山﨑柚樹。いずれも100㎞を軽く超える速球を投げ込むサウスポーが、春先から激しく火花を散らしてきた。
結果、実戦での制球難という同じ課題も自ずと克服。チームが全国を決めてからも、安定した試合運びと勝利をもたらしてきたという。過去に全国3位へ2度導いている名将は、都合6回目の夢舞台が待ち遠しくてたまらない、という風情で言った。
「(1試合で)3回、3回と2人(中尾と山﨑)を代わりばんこに投げさせてるんですけど、両方とも結果が良い。だから今年の全国は楽ですね。例年はメインが1枚でサブが複数という感じで、球数を考えながらやっていて。ウエストとか、ムダ球もあまり使えなかったんですよね。でも今年はメインが2枚なので、70球で3回もてばいい」
さらに約1ヵ月。満を持して迎えた8月の全国大会は、1回戦がシードで2回戦から登場した。対戦相手も都道府県のチャンピオンであり、レベルも上がる。
豊上は辛くも2つ勝ってベスト8まで来たものの、ぶっちぎりの強さまではアピールできず。2回戦は2対1、3回戦は1対0で、どちらも3安打。予選の県決勝では、18安打2本塁打で15得点(4回コールド)していた超強力打線が、鳴りをひそめたままだった。
2つ目の「まさか」
こんなはずはないし、こんなものでもない!
そんなチームを救ったのが、左腕コンビだ。背番号1は譲った中尾だが、威力のあるボールを横から上から投げ込んで多くの打者を圧倒。エースナンバーを背負った山﨑は、3回戦の途中で制球をやや乱したものの、一時的なものと思われた。
迎えた準々決勝。お待たせ!とばかりに、打線がいきなり爆発した。3試合目にして、ようやく本来の姿を取り戻した。が、まさか!の展開が待っていた。
3回表はベンチからタイムが2度。1回目は無死二、三塁のピンチで(上)、2回目は押し出しで3点目を献上して(下)
「変なイニングをつくっちゃった。このところ、ず~っとやってなかったんですけど、久々に出てしまいましたね。ストライクが入らなくなって、死に球しか投げられなくなって…」
髙野監督がそう嘆いたのは、3回表だ。
不運なヒットから始まったこの回の守りで、左腕コンビが制球を大きく乱した。3つのアウトを奪うまでに2人で6四死球(申告敬遠1)、そのうち2つは押し出しだった。許したヒットは3本だったが、失点は7。先発の中尾から山﨑へ、山﨑からまた中尾へ、2度の交代に与四球による治療中断、給水タイムもイニング中に。
打者8人目、無死満塁からの本塁封殺でようやく1アウト。すでに4点を失っていた
長くて暑くて苦しい“魔の3回”を終えたとき、スコアは5対11に。すると、目覚めたはずの打線から快音が聞かれなくなり、3安打の2点止まり。初戦で二塁打、続く3回戦は代打で決勝二塁打、そして準々決勝はスタメンの五番で早々に適時二塁打を放った“ラッキーボーイ”、鈴木海晴が最後の打者になってしまった。
「やっぱり負けるべくして負けた。自分たちの野球でああいう形になっちゃったので、相手がどうこうというよりは自分たちが実力がなかったということ。まさかの野球ですよね。何度も日本一になっているチームは、1年間どんな試合でも今日のウチみたいな野球は絶対にやらないので。そこがウチの普段の甘さ…」
試合後の挨拶を終え、泣き崩れる6年生たちを遠巻きに眺めながら、指揮官の反省の弁は続いた。そして球場を出ると、全選手を従えて、チームの関係者や保護者らを前に同様の言葉を発した。
スポーツの結果は決して覆らない。厳しい指摘も受けた左腕コンビだが、“魔の3回”以降は立ち直った。4回は中尾が、5回は山﨑が無失点で終えたあたりも成長の証ではなかっただろうか。
「バッティングで、ぜんぜん打てなかったので…」
四番も張る中尾は、3試合音なしで終わった自らを責めながら号泣したが、「中学では全国制覇を目指してまた頑張りたいです」と声を振り絞った。
4回は中尾(上)が、5回は山﨑(下)が簡単に終わらせた
三番・捕手の主将、神林駿采も涙が止まらなかった。準々決勝でも本塁打(=下写真)のほか全3打席で出塁して得点に絡んだが、プレーのことは口にしなかった。
「あと2日(決勝まで)、みんなとやりたかった。自分たちは1年間、全国制覇に向けて頑張ってきたから、それができなかったは悔しいんですけど、このメンバーで頑張ってきたということはホントに最高の思い出です」
髙野監督は球場を去る前に、ポツリと言った。
「来年またイチからですね。今年とはまた違った、野球のできる子たちがいるので、そういうチームができそうなんで」
豊上は各学年に指導者を配しているが、現5年生たちは3年時(2023年)の1年間は、髙野監督の直々の指導と采配で育った。後山晴は正遊撃手として、この全国でもフル出場。守備力に長ける玉井蒼祐は、二塁手で全試合にスタメンに名を連ね、途中交代後は三塁コーチを務める姿もあった。
玉井(上)と後山(下)の二遊間コンビには来年の夏もある
非願成就へ向けた、新たな1年はもうスタートしている。秋の新人戦で千葉大会連覇を達成。11月の関東大会出場を決めている。