「エンジョイ・ベースボール」が花を咲かせたと言ってもいいだろう。不動パイレーツの学習能力は抜けていた。戦いながら進化し、より結束し、気付けば東京の2番手から全国で2番目の高みで輝いた。変に気負わず、ヘタに気取らず、自らも考えてプレーした夢舞台の一週間。慶應義塾高(神奈川)、慶大の硬式野球部出身の指揮官は、選手のパフォーマンスや成長を促す引き出しにも長けていた。
※優勝チームのリポートは追って掲載します
(写真=福地和男)
(文=大久保克哉)
―Second Place ―
戦いながら成長した夏。
東京2位から全国「銀」
[東京]
不動パイレーツ
【戦いの軌跡】
1回戦〇4対0弓削(熊本)
2回戦〇1対0常磐(福島)
3回戦〇7対0菱・境野(群馬)
準々決〇12対2簗瀬(栃木)
準決勝〇4対0八日市場(千葉)
決 勝●2対6新家(大阪)
おしゃれで洗練された街、目黒区。東京の住みたい度ランキングなどは上位の常連で、各界の著名人らもゆったりと暮らしている。スタイリッシュな店舗に利便性も高い商業施設、自然の緑もふんだんで、「どの世代にもやさしい街」というフレーズも耳にする。ただし、それは「野球」が特別ではないことを意味してもいる。
区立・不動小学校を主な拠点とする、不動パイレーツに割り当てられた活動時間は原則、土日合わせて4時間のみ。東京23区でも、他県・他市に隣接しない内陸側にあるチームの多くは似たり寄ったりだろう。
劣悪とまでは言わないが、「学童野球」には誠に恵まれない環境。でもそれを言い訳にせず、「全国優勝」(永井大貴主将)を目標に臨んだ全日本学童大会で、2019年のベスト4を上回る準優勝。これは43回の大会史における、東京勢の最高成績となる。
土壌は大人の意識改革から
「見ての通り、特別に大きい子もいませんし、ちょっと気を抜くと普通の弱っちいヤツらなんですよ」
永井丈史監督は大会中、このような発言も繰り返した。6年生9人に5年生11人は、23区内のチームとしては十分に多いが、通常は学年別に活動をしており、現6年生は代替わりの際に退団者も複数。少人数からのスタートだったという。
2回戦は2010年王者に辛勝。1回裏に小原の先制ソロ(写真)、これを永井主将-阿部の継投で守り抜いた
1年でここまで人も増えたのは、近年の好成績や知名度も理由だろう。さらには、在籍する選手の保護者たちの、熱意やサポートも見過ごせない。
「平日は各家庭で自主練習したり、野球塾に通ったり。チームの練習場所も公共のグラウンドを確保したり(多くは抽選)。公式戦以外に、遠征でいろんなチームともやらせてもらいましたけど、親のみなさんの理解と協力をいただいたからできたことです」
こう語る永井監督も、主将の実父であり、学年監督4年目。この人が陣頭にいたからこそ、チームの躍進もあったのだ。そう思わせるものが今大会中も随所に見て取れた。銀メダル獲得の最大の理由はチーム力だという。
外角球の出し入れが出色だった阿部。準決勝では無四球完封勝ち
「小さくて弱っちいヤツらが試合をやるごとに絆が深まって、お互いを励まし合って称え合って。以前はそれも形だけだったのが、心からできるようになったことで集中力に変わって力を発揮できたのかなと思います」
時間をかけて、そういう土壌を築いたのは指揮官に他ならない。まずはベンチの大人から意識を改革したという。
「時には厳しい指導も必要です。ただ、試合中は指導者が厳しい声掛けをすると、それが子どもにも移ってエラーした子を全員で責め立てるみたいなこともあって。そういう反省から、プレーをその場で指摘したり注意するのはやめて試合後に。試合中はとにかく、選手がリラックスしてできるようにしよう、という方向性になりました」
指揮官が模範だった。守備で3アウトを奪うと真っ先にベンチを出て、選手たちをハイタッチで迎えては個々に笑顔で声を掛けていた。少しでも炎天下に選手をさらさないよう、伝達や確認は日陰のベンチ内で。手痛い走塁死や見逃し三振から戻ってきた選手を、その場で叱り飛ばすような光景はついになかった。
指南の先にある放任
どんなに勝ち続けても過信せず、「やるべきことをいつも通りにやるだけ」と、等身大であり続けることを強調。そのやるべきことも「声を出す」「初球ストライクから打つ」「サインプレーに応じて適切に動く」など、シンプルだった。
二塁手・岩崎(上)は前後にも守備範囲が広く、三塁手・西槙越(下)は送球も安定していた
パーフェクトを端から求めていない。完全無欠ではない代わりに、自らも考えて動ける選手たちだった。二死走者なしでも1球1球、ベンチを見るような打者は皆無。何から何までを大人に依存する体質を卒業しているからこそ、岩崎貴彦のような秀逸なリードオフマンも台頭したのだろう(※関連記事→こちら)。
今大会最多タイの3本塁打を放った小原快斗と阿部成真の三、四番コンビもそうだった。本塁打の後には派手にバランスを失うような空振りもあったが、ベンチからのお咎めや打球方向の指示などもなし。するとやがて、またシャープなスイングに戻り、状況や投球コースに応じた軽打で得点が生まれ、長打もまた生まれる。こういうサイクルが共通していた。大会中にそのあたりを指揮官に問うと、こういう答えだった。
「あの2人はバッティングが崩れてくるパターンはいつも同じ。過去にはそれも指摘しましたけど、今は自分たちで気付いたり、意識しながらやっているのではないかと思います」
一定の指南も施す。そういう段階も経た先に、あったのが適度な放任。だからこそ、個々の成長が加速したのだろう。
主体性が成長を加速
6試合のうち4試合が完封勝ち。正捕手の阿部は準決勝で69球の無四球完封という快投を演じた。大半のボールが100㎞に届かないが、アウトロー中心の出し入れが出色だった。そしてマスクをかぶれば、各打者の視界にあるうちは極端にインコースに位置取りして、そのまま内角球を要求するなど、駆け引きが巧み。
エースの永井主将には、その求めに応じるだけの精密なコントロールがあった。6月の東京予選時より球速も明らかに増して最速は110㎞。大会中は「気合い」「気持ち」のコメントが多かったが、都大会後に技術面の改善もしてきたという。
永井主将は両コーナーを突く制球力で、決勝でも強打者たちに立ち向かった
「1アウト三塁の守備とか走塁とか、全国大会までに細かいところもみんなで確認して磨いてきたので、チームとしてもすごくレベルアップしているなと試合をしながら感じています」
こう話していた遊撃手の小原は、夢舞台でサク越えアーチを描くたびに「勝っても負けても笑顔で終わりたいです」と繰り返してきた。
成功体験の伝道者
決勝では力及ばず、描いたようなエンディングとはいかなかった。それでも銀メダルを胸にした選手たちは誇らしげで、やり切った者ならではの清々しさも漂わせていた。永井監督もそれは同じだった。
「準優勝は前向きにとらえれば、まだ伸びしろがあるし、満足することもないと思うので、この悔しい気持ちを次の野球人生にもつなげてほしい。6年生も卒団までにまだ時間がありますし、良い形で成功体験も持てたと思うので、ここからもっと成長してくれると思います」
「エンジョイ・ベースボールの真髄はわかっているつもり」。慶應義塾高、慶大出身の永井監督は、ウォームアップ(下)から選手を乗せていった
放任は放置ではない。試合前の指揮官はノックバットを振るだけではなく、自ら地面にカラーコーンを並べてウォーミングアップから指揮する姿もあった。アドバイスは簡潔でタイミングも適切。メンタルや身体機能にも造詣が深く、新たな技術や指導法も吸収する柔軟さは、慶大時代の学生コーチに起因するようだ。
「実力がなかったので大学の最後は学生コーチになりましたけど、コミュニケーションを含めて自分なりにいろいろやってきた経験が今に活かされているかなとは思います。(慶應の)エンジョイ・ベースボールの真髄はわかっているつもりです」
暮らしやすい街の、プレーしやすいチームの全国準優勝。これに勇気や刺激を得た都心部のチームは多いことだろう。残念ながら、永井監督は今年度限りで来年は息子の中学野球のサポートへ。もちろん、それまでには全国への道程を含む成功体験やノウハウをチームに還元したいという。
5年生にしてチームの本塁打王。難波の全国初アーチは来年にお預け?
新チームには全国経験者が11人(登録5年生)もいる。予選から不動のレギュラーで、全国でも全6試合にフル出場して特大の中越え二塁打も放った難波壱の存在は、頼もしい限りだろう。
「全国は甘くない。盗塁とかも簡単にできないし、逆に盗塁されるし、すごい高いレベルというのが分かりました。来年もここに来たいと思います」(難波)