中学の野球部時代は、守り重視の管理野球の下で県4強。地元の公立高に進むと、1年秋の走塁中に手首に大ケガを負い、50近くあった握力が15に。監督は野球未経験のため、リハビリなども独学で励んだ。3カ月で復帰すると、書物も参考にしながら練習メニューを考案・刷新し、3年時には主将となって強豪校を撃破するレベルにまでチームを引き上げた。子どもに寄り添い、その気にさせる現在の指導のベースには、そんな学生時代の正負の経験があるそうです。監督リレートークの19人目は、“あるべき今と未来へ”のキャッチフレーズにもピッタリの栃木県の智将です。
(取材・構成=大久保克哉)
ほりの・まこと●1975年、栃木県生まれ。小学校6年間は宮城県仙台市で過ごし、向山フェニックスで小3から野球を始めて6年時は四番・捕手。中学から栃木に戻り、益子町立田野中の野球部では四番・一塁で県4強に2回。益子高(現・益子芳星高)ではじん帯損傷の大ケガも乗り越え、近隣の6校大会で優勝するなど活躍した。卒業後は社会人軟式のポイズンで全国大会出場、かねふくロッキーでも30代後半までプレーした。長男が小3で入部した横川中央学童野球部で1年間コーチの後、2014年から監督に。投手3人制や子ども目線の指導で徐々に力をつけ、次女・潤夏が4年時の2019年に全日本学童大会初出場。この秋の新人戦では県4強など近年も安定した成績を残している
[栃木・横川中央学童野球部]
堀野 誠
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生井康雄
[栃木・大平南中央クラブ]
なまい・やすお●1965年、栃木県生まれ。小山市立第一小で2年から軟式野球部に入る。小山中の3年時は三番・三塁の主将で県大会優勝、東京・後楽園球場での関東大会で銅メダルに輝く。栃木商高でも三塁手で2年秋に県準Vで関東大会出場、山梨・峡南に惜敗して春の甲子園出場はならず。3年春も関東大会出場、夏は県ベスト4。卒業後は東武鉄道に入社、地元・小山市の社会人軟式・クラウンで30代半ばまでプレー、国体予選の関東大会も経験した。球友の1人が2004年、学童の大平中央クラブの監督に就任してコーチとなり、2006年秋から監督を引き継ぐ。チームは2018年に近隣の大平南クラブと合併して、現チーム名に。授かった子は娘3人で野球と無縁ながら、実直な人柄と無私の愛で外部の指導者たちからも慕われている。
客観的な根拠を可視化
月曜から金曜までは仕事。土日になると昼間は学童野球の指導をして、夜は試合のデータをパソコンで集計する。気付けば、こういう生活が10年続いていますが、まったく苦になりません。週末はむしろ楽しくて、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
5・6年生主体のAチームと、4年生以下のBチームを合わせると、年間で平均120試合くらい。その中で少なくとも、1人につき50打席は立てるように起用をしています。
集計した個人成績表(=下写真)は、10試合単位や1カ月くらいの頻度で、定期的にチーム内へ配布。項目の数は、NPBの公式サイトやスポーツ新聞の投打ランキング表より多いはずです。また、体力を測定できる県の施設も定期利用して、スプリント力や跳躍力など11項目のランキング表も全家庭に配っています。
手間はかかりますが、可視化した成績や能力を共有することのメリットや効果は、計り知れません。結果を出している選手には、それが自信になる。逆に出せていない選手は、悪い通知表を受け取るようなものですが、「それだけ伸びる要素がある」という受け止め方をしてもらうように努めています。
指導者や保護者にとっては、有無を言わせぬ説得力になる。監督の私自身も主観(選手評価)とのギャップに気付いたり、意外な長所を見出せることも。データという裏付けもあることで、勝ちにいく公式大会では自信を持ってオーダーを組めるし、不平不満などの回避にもつながっていると感じています。
投球制限ルールより早くから投手3人制を実践。「練習試合から先発をローテで回して、球数で継投」(堀野監督)。2019年に全日本学童大会に初出場している(写真提供/横川中央学童野球部)
打撃成績の「三振」はあえて、「空振り三振」と「見逃がし三振」とに分けてカウント。投手成績では「ストライク率」や「与四死球率」も算出。これらは、チームとして目指している野球や選手像、私の指導内容にリンクしています。
例えば打撃では、ファーストストライクから打つ積極性を全員に求めています。その浸透具合を「空振り三振」と「見逃し三振」の数や全体との比較から、ある程度は読み取れる。そういうアプローチが効いているので、実戦でたとえ見逃し三振があっても、怒鳴りつける必要もありません。どんなにバットを振る意識で打席にいても、思わず見逃してしまうことだってある。それも野球であり、子どもであると私は考えています。
活動拠点の宇都宮市立横川中央小は1873年(明治6年)創立。150年もの伝統があり、現在は校庭の約半分で工事が行われている
昔のことですが、こんなこともありました。チームに入って間もない子を練習試合の代打で送り出したところ、泣き出してしまった。理由を聞いてみると「バッターボックスに入るのが怖い!」と。
打席に立つとか、バットを振るなんて、経験者や大人は造作もない。でも、子どもによっては相当に「勇気」が要ることなんですよね。そういう子どもの心理もできるだけ理解し、同じ目線でコミュニケーションを取ることを私は心掛けています。掛ける言葉とタイミング、表情や態度にも気を配ります。
長年、ヘッドコーチとして支えてくれている稲田典章、髙森準人コーチら首脳陣もそのあたりの良き理解者です。
腹を割って話せる間柄
「空振り三振で終わってもいいから、できるだけバットを振ってこい!」
こういう声掛けで背中を押すこともよくあります。積極的な打撃を志したきっかけのひとつは、根本雅章監督(勿来少年野球教室)との出会い。私をこのコーナーに紹介してくれた、福島県のベテラン監督です。
実戦でのバントとバント処理の精度を高める練習。一死二塁、カウント1-1からバントのみによる得点ゲームで、サインも打順もすべて選手たちで決める
お互いに全日本学童大会出場を決めた2019年に、SNSを介して連絡をいただいたのがお付き合いの始まり。私の出身地・真岡市にある球場にお招きして、壮行試合を2試合やりましたが、根本さんのチームは「強い!」の一語に尽きました。打線は一番から九番まで穴がなくて、初球は様子を見るなんて気はさらさらない。どの打者も1球目のストライクから強くバットを振ってくるのが、とても印象的でした。
さすがに全国区の強豪チーム。ウチは守りの野球で、全国出場もその年が初めて。それだけに余計にインパクトがありました。そして翌年からは2月の第4週に、根本さんのいわき市へ遠征するのが恒例になっています。
次打者が打者と走者へサインを出す。指揮官は離れて見守るだけ(バント得点ゲーム)
根本さんは1つ年下ですが、監督のキャリアも実績もぜんぜん上で、技術指導などの引き出しも多い。懐が深くて尊敬できる人で、私には唯一と言えるくらい、本音で話をしていただける監督で、ありがたい存在です。遠征の夜はお酒を飲みながらの野球談議になりますが、特に技術面については「そうだよね!」と考えの類似も多く、居心地がとてもいいんです。来年の2月、またお会いするのが楽しみです。
試合中の根本さんは厳しい声掛けもあるけど、筋が通っていてそこに愛もある。だから、子どもたちも寄ってくるのだと思います。前回の記事にありましたけど、一塁への全力走など「当たり前を当たり前にやる」ことの徹底と考えは、ウチも同じです。
同様に、試合中に厳しい言葉もありながら、その奥に優しさがある。そういう監督を私からご紹介したいと思います。
深い思いやりが随所に
栃木市で活動する、大平南中央クラブの生井康雄さん。県下には「わかば会」という由緒のある親睦グループがあり、今でも40チーム規模で、レベルに合わせた交流試合や合同練習、総会や新年会などを行っています。
この会で組まれた交流試合で、生井さんのチームと初めて対戦したのが数年前でした。根本さんと同じくインパクトがありましたので、今でもその日のことをよく覚えています。
冬場の基礎体力向上と交流を目的に、毎年2月には保護者や指導者を含め、20チーム1000人規模の大運動会「堀野祭」を主催(写真提供/横川中央学童野球部)
会場は生井さんの拠点、大平中央小の校庭。訪れてまず感心したのは、投球練習用のブルペンにマウンドが3つあって、それぞれ高さや傾斜が違っていたことです。学童野球は、公式戦もいろんな会場でやるのでマウンドもいろいろ。ほぼ平坦な地面にプレートが埋め込まれているだけのこともあったりします。
「普段からマウンドの違いにも慣れておけば、本番で戸惑うことはないよね」と生井さん。そのように、子どもたち自身でアジャストできるような環境も与えている。物事を合理的に考えて動けるのが、生井さんの魅力のひとつだと思います。
また、明らかに私より年上なのに、初対面のときから、ご挨拶も丁寧で、いつでも優しくて紳士的なお人柄。練習方法なども惜しげもなく教えてくれる一方で、逆に質問もしてくれたり。年齢とか実績とか関係なく、誰にでもそういう接し方をされる生井さんを慕う人は、県内だけでも相当数いるようです。
大運動会「堀野祭」より(写真提供/横川中央学童野球部)
試合中の生井さんは緊張感を保ちつつ、選手を必要以上に追い込まないような配慮も見て取れました。例えば、ショートを守る選手がエラーをしたら、タイムを取ってセカンドと守備位置を交代させる。そしてその選手がセカンドで無難にプレーをしたら、また元のショートへ戻す。そういうタイムが頻繁にありました。
ミスしたら即刻、ベンチに下げる。そういう厳しい采配も時には良薬となるのかもしれません。でも、生井さんは決してそういう手粗なことをされない監督。厳しい言葉も発する一方で、逃げ場を用意してあげている。そういう「思いやり」のようなものが随所にうかがえるんです。
選手の主体性を育む
ガチガチに管理された中学時代の反発もあり、私は選手を型にハメることを好みません。また、指示待ちの選手や集団も求めていません。
例えば、守備の動き出し。監督のサインや命令を待っているだけの選手と、自分で観察したり状況を読んで準備している選手とでは、一歩目の速さが違うと思います。そして後者が結果を出すと、自分のものになっていく。どうすればいいか、何をするべきかを考える習慣が身についていくことにもなる。
どうも精度が上がらない、集中が続かない…練習ではそんなときにはまず、選手たちだけで話し合うことも
私は今、そういう育成やチームを志しています。言うほど簡単ではありませんし、遠回りになる面も多々。でも普段から、選手たちに下駄を預けられるものは預けるようにしています。練習のグループ分けや順番なども、こちらから指示をしないようにしています。
根本さんや生井さんとは違う手法、スタイルですが、話せばきっとお二人とも耳を傾けてくれるはず。野球に対してどん欲である、という大きな括りでは私たちは共通していると思っています。では最後に、生井さんへメッセージを。
子どもたちを少しでも上達させてあげたい。そういう情熱は内に秘められているようですが、私の知り合いの中でも1位2位ではないかと思っています。物事の考え方も近くて、共感したり学べることもたくさんあります。私は微力ですが、栃木の学童野球をこれからも一緒に盛り上げてください!