監督リレートーク

【学童監督リレートーク】“あるべき今と未来へ”vol.2

【学童監督リレートーク】“あるべき今と未来...

2023.03.20

 あるべき今と、これからの学童野球界をつなぐ輪。2022年日本一の倉知幸生監督(石川・中条ブルーインパルス)からスタートした『監督リレートーク』は、バトンを受けた辻正人監督(滋賀・多賀少年野球クラブ)の登場です。今やメディアからも引っ張りだこの“カリスマ指揮官”は、ともにレガシーを遺さんと、交流して10年以上になる全国区のジェントルな智将へ熱いメッセージを送ってくれました。 つじ・まさと●1968年、滋賀県生まれ。近大卒。多賀中の軟式野球部、近江高の硬式野球部で三塁手。20歳で多賀少年野球クラブを結成して現在も監督。チームは2000年代から全国大会の常連となり、16年に全国スポ少交流を初制覇。「卒スポ根」を標ぼう後、全日本学童を18年から2連覇。常識も覆す合理的な指導育成法を複数のメディアでも発信、「カリスマ監督」とも呼ばれる。夏の全国大会での采配は計18回で優勝3回、準優勝2回。JSPO公認軟式野球コーチ3 [滋賀・多賀少年野球クラブ] 辻 正人  ⇩ ⇩ 岡 秀信 [愛知・北名古屋ドリームス] おか・ひでのぶ●1969年、愛知県生まれ。小3から九之坪ビクトリーズ(前身)で野球を始め、主に投手。千秋中の軟式野球部から東海屈指の進学校・滝高へ進み、高3夏は背番号1で県3回戦進出。社会人軟式・大森石油でもプレーした。長男が在籍した鴨田リバース(前身)で2000年から指導者に。前身の2チームを含む3チーム合併で06年誕生の北名古屋ドリームスでも指導を続け、09年に6年生チームを全国スポ少交流8強へ導く。組織改編した13年からトップチーム監督で、21年に全日本学童準Vなど夏の全国での采配は計6回   進化に終わりなし  その人といつ、どこでどう出会ってどういう話をしたのか。正直、私は答えられないことのほうが多いです。失礼やなとは思いますけど、仕方がないんです。何しろ、毎週末のように新しい出会いがありますので。  練習試合の対戦の申し込みから見学・視察の問い合わせ、面識ある指導者からの悩み相談まで、電話が鳴らない日がないほど。こういう状況が少なくとも10年以上は続いている上に、今では多賀少年野球クラブ(通称「多賀」)の選手が100人以上になっています。  ですから最近は、多賀町(滋賀県)まで足を運んでくれた人に、たいしたお構いもできないケースが増えています。自分のチームの人々を幸せにできない人間が、チーム外にするアドバイスなんて何の説得力もありません。最優先は多賀の選手であり、保護者。もちろん、外部から見学や視察がある旨は、チームの全員で共有するようにしているので、「自由にグラウンドに入って、何かあれば指導者にどんどん質問してください」と事前にお伝えするようにしています。  最も大事な野球の入り口、未就学児から低学年の入門者へのレクチャーだけは私が専任。あとの練習は、効率よく回って適切に成果を得られるようにコーチ陣を配して任せます。コーチは選手の父親ではなく、全員が多賀の理想とノウハウを理解しており、変化(進化)を止めない私についてきてくれています。 5大会連続15回目の出場となった昨夏の全日本学童は、能力を発揮し切れずに2回戦敗退。これを踏まえてまた、新たな取り組みをスタートしている  歴代でも随一かもしれない潜在能力を持て余したまま、2回戦で敗退した昨夏の全日本学童大会を受けて、方針をまた改めました。真夏の連戦となる大舞台でパフォーマンスを発揮し続けるための、「体力強化」が大テーマ。練習の時間を延ばすとか、やみくもに数を課すとか、そういう安直な取り組みではありません。  従来通りの時短練習(平日2回は自由参加、週末は午後から半日)で野球脳とスキルを高めつつ、同時に持久力も獲得していく。詳しい内容は『令和の根性主義』という見出しで記事にしてもらっている、会員制のWebサイト(フルカウント)があるので、ここでは割愛させてもらいます。 「選手主体」をより広く!  さて、この「リレートーク」で私を紹介してくれた、中条ブルーインパルスの倉知監督。出会いのことはさっぱり、わからん(笑)。というのは冗談で、当初は腹に一物あるなという監督でしたね。  こちらに遠征に来てくれたのが始まりで、過去の試合結果をたどってみると2016年の12月半ば。多賀が初めて全国優勝(スポ少交流)した年で、倉知監督もその夏にもうひとつの全国大会(全日本学童)に出ていて、そこそこ以上の自信を持っていたようです。それでよくあるパターンですが、新チームの腕試しと多賀の様子見、みたいな感じで来はったんやと思います。 初めて日本一となった2016年。地元・滋賀開催の全国スポーツ少年団交流大会を制してバンザイ&ガッツポーズ(写真上)。閉会式後は指導陣や保護者らの手で夏空に舞った(同下)  練習試合は結果として勝つことはあっても、勝利だけを求めてはいないし、より具体的で大事なテーマを全体や個々に与えて臨むのが大半です。倉知監督の中条には初対戦で負けて(3対7)、年が明けてからの再戦(2月)は私からお願いしてガチで勝負させてもらったのを覚えています(6対5で勝利)。  その再戦のころには、私は「卒・スポ根」を宣言して、とにかく選手にストレスを与えない、という指導へ傾倒していきました(結果、全日本学童で2連覇)。倉知監督はその後も、定期的に遠征に来てくれたので、私と多賀が激変していく過程もよく知っていると思います。  一方で、中条の倉知監督は下級生が頭打ちなど悩める指導者に。2018年の12月だったようですが、遠征してきたその夜から翌朝まで、アルコールを口にしながら話したのを覚えています。その場に一緒にいた、雑誌の元編集者は当時の音声データも保存しているそうで、酔いが進んだ私は倉知監督に対して「オレから何かを感じたんなら、お前も変われや!」などと、上から目線で繰り返したそうです。まったく記憶にありませんが。  倉知監督はその後、実際に変わっていきました。監督の自分が変わらんと、何も好転せえへん! そういう覚悟もあったんやと思います。怒声とか威嚇で選手をロボットのように操縦するのではなく、野球の本質を教え込みながら選手に主体性を持たせて任せていく。180度に近い自身の改革が、昨夏の全国制覇に結びついたんやと思いますし、楽しくて強くて考える野球で勝てる! ということを証明してくれたと思います。...

【学童監督リレートーク】 “あるべき今と未来へ”Vo.1

【学童監督リレートーク】 “あるべき今と未...

2023.02.24

 あるべき今と、これからの学童野球界――。こういう視点も持ちながらフィールドに立つ背番号30番が、リスペクトや信頼を込めて他チームの30番へとメッセージを送ります。題して『学童野球監督リレートーク』。今と未来を明るく照らす“輪”は、2022年夏に日本一に輝いた中条ブルーインパルス(石川)の倉知幸生監督から始まります。       くらち・こうせい●1972年生まれ、石川県生まれ。津幡中の軟式野球部で一番・三塁。津幡高で一番・遊撃、県選抜で二塁手に。社会人軟式の佐川急便北陸支社で5年間プレーして全国準Vも経験。引退後の2008年、小4の長男と中条ブルーインパルスに入り、コーチを経て10年から監督に。16年、17年に続く3度目の全日本学童出場となった22年に初優勝。次男はNOL/石川で、三男は遊学館高でプレー、昨夏Vに貢献した服部成は甥にあたる 倉知幸生[石川・中条ブルーインパルス] ↓ 辻 正人[滋賀・多賀少年野球クラブ] つじ・まさと●1968年、滋賀県生まれ。近大卒。多賀中の軟式野球部、近江高の硬式野球部で三塁手。20歳で多賀少年野球クラブを結成して現在も監督。チームは2000年代から全国大会の常連となり、16年に全国スポ少交流を初制覇。「卒スポ根」を標ぼう後、全日本学童を18年から2連覇。常識も覆す合理的な指導育成法を複数のメディアでも発信、「カリスマ監督」とも呼ばれる。JSPO公認軟式野球コーチ3     3度目の正直で日本一に  昨年夏の全国制覇(全日本学童大会)は、子供たちのおかげです。彼らがホントによく頑張ってくれました。僕自身は特にそんなに何もせんと、でも過去の教訓は生きたと思います。    監督として全国大会は3度目で、過去2回は同じ失敗を繰り返していました。チームを何とか勝たせてやらんな、と自分がハイテンションになり過ぎて、大きい声も出てしまうし、試合中も怒り口調で選手を問い詰めたり。そのピリピリ感のようなものが子供たちに伝染して、いつもの力を出し切れんと終わってしまいました(2016年は2回戦、翌17年は1回戦敗退)。 2022年8月14日、全日本学童大会決勝で長曽根ストロングス(大阪)を3対0で破り、初優勝。V戦士たちの手で駒澤オリンピック公園硬式野球場の夏空に舞った    3度目の正直を期した昨年は、大会への入り方や試合への入り方に気を配りました。まずは指導陣も選手も、全員が落ち着いてバタバタせんように。試合中の僕はガマン、ガマンで子供たちがいかに楽しんでプレーできるかを考えて、声掛けもしていました。野球は失敗するスポーツ、プレーするのは小学生ですからね。結果、キャプテンの服部成(3回戦で完全試合も達成)をはじめ、子供たちは全国舞台の中でさらに成長してくれたと思います。       ノーサイン野球とは  中条ブルーインパルスで実践する「ノーサイン野球」は、選手同士で状況を読みながらサインを出し合い、試合を組み立てていくものです。高学年の公式戦でこれを実現するために、選手は下級生のうちから実戦を経験しながら、野球の本質を学んでいきます。    練習試合ではワンプレーや一打席ごとに、選手と監督とで振り返りを重ねて、戦術の共通理解を高めていきます。同じような状況が再びあったときには、どういう選択肢があって、自分ならどうすればいいのか。このあたりが明確になるほど、選手は自主的に課題に取り組み、試合中はプレーで絡む仲間のことも考えた判断もできるようになっていきます。やるべきことに集中するので、緊張やネガティブな考えなどから固くなるようなことはないはずです。 野球の本質を学びながら実戦を重ねてきた選手たちは、自分たちでサインを出し合いながら試合を組み立てていく...