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【学童監督リレートーク】“あるべき今と未来へ”vol.23

2025.06.08監督リレー
【学童監督リレートーク】“あるべき今と未来へ”vol.23

 いつの時代も、学童野球チームの多くは、父親監督と父親コーチに支えられています。そしてその「父親」たちの多くは、息子や娘と一緒に卒団していく。結果、自ずと新陳代謝が行われていますが、再び学童野球に戻ってくる「父親」も中にはいます。監督リレートークの23人目も、そういう指揮官です。監督1期目の経験と少なからぬ後悔に加え、学童を離れたからこそ気付いた数々を、現在の2期目で十分に生かしている。チームはこの6月に、全日本学童大会の県大会まで出場。どの顔も生き生きとしているのも印象的でした。

(取材・構成=大久保克哉)

こもり・まさゆき●1982年、栃木県小山市生まれ。間々田東小1年から、間々田一丁目学童で野球を始め、6年夏に北関東大会優勝で引退。間々田中では名将・板倉茂樹監督の下、投手兼中堅手の一番打者で県制覇、関東3位で全中に出場して8強入り。宇都宮南高では、一番・中堅で県8強が最高。白鷗大では50m走5秒8の俊足を生かして外野手一本に。新人戦で盗塁王に輝くなど、4年秋まで関甲新リーグでプレーした。2012年、長男が入部した間東キッズで父親コーチとなり、2015年から監督に。長男と卒団後、2022年に長女の入部と同時に父親コーチとして戻り、翌23年に監督へ復帰した。6年生の次男も在籍する現チームは、昨秋の新人戦に続いて今春も小山市大会で優勝し、県大会に出場している

[栃木・間東キッズ]

小森正幸

 ⇩ ⇩

安形弘志

[栃木・栃木ボーイズ]

あがた・ひろし●1959年、栃木県栃木市生まれ。薗部町で3年生から野球を始める。主に二塁手で栃木市立西中から栃木商高へ進み、3年時は三塁手兼外野手で主将も務めた。卒業後は下都賀総合病院の軟式チームでもプレー。1994年、学童チームの国府南小に長男(当時小3)とともに入り、父親コーチを経て翌95年から監督に。次男の時代も含めて都合10年、指揮官を務めて全日本学童の県大会出場1回。2005年に栃木市初となる、中学硬式チームの「栃木ボーイズ」を立ち上げて代表に。同チームの選手の弟や妹を対象に「幼児野球教室」を始めたところ、人数が多く集まったことから2021年に「学童部」も立ち上げて監督に。現在は中学硬式と学童部を統括する代表も務める

学童を離れて気付いた尊さ

 何だか上の空でも、とりあえず「はい!」の一語でやり過ごす。ミーティングをしていると、そのように返事だけをする子が少なくありません。ですから私はよく、途中でこのように聞き返します。

「それで、何が分ったのかな?」

 答えられない子を叱るのが目的ではありません。まともな答えが返ってこなかったときには、私自身が発する言葉や伝え方を改めるのです。

 子どもたちの反応をもって、己を質す。そういう努力も自然にできるようになったのは監督の2期目から。選手は小学生なので、できなくて当たり前。知らないのも当然。そういう大前提で子どもたちと同じ目線から、指導をスタートしました。まだ至らない点もあるのは自覚していますが、ものごとを俯瞰して捉えたり、考えられるようになってきたかなと感じています。そのあたりは、無我夢中だった監督の1期目とは決定的に異なる点です。

 また世の中も野球界も、この10年あまりで相当に変わってきたと思います。1年生になった長男とともに、私が学童野球の世界に飛び込んだのが2012年。良い意味で、当時はすごく熱い大人が多かった。今ではありえませんけど、手が出るようなチームも珍しくなかったと記憶しています。そう言う私も、体育会系を歩んできた人間ですから、監督の1期目(2015年から3年間)は疑うこともなく、子どもたちに熱血指導をしていました。

活動拠点の小山市立間々田東小は学年3、4クラスと生徒が多く、校庭の広さは市内随一だという

 その後、私は長男と学童野球を卒業して、中学硬式野球へ。選手と保護者の距離がぐんと遠くなった中で、学びや気付きもありました。4年後、今度は4年生の長女をサポートするために学童野球に戻ってきたときに、できるだけ尊重しようと決めたのは、お父さんお母さんたちの熱量や思い入れです。

 賛否両論あるでしょうが、父親監督や父親コーチは学童野球の醍醐味だと私は思っています。息子や娘と、同じグラウンドで近い距離で野球ができるのは、我が子が小学生のうちだけ。その希少性や尊さは、学童野球を離れてみて初めて分かるものかもしれません。とにかく、学童野球のうちに親子でも密接な思い出をたくさんつくってほしいというのが願いです。

「1球でも多く、打たせて取らせて投げさせてあげたい」。指揮官の思いは父親たちのサポートで実現。基礎練習は複数個所で一斉に行われ、ムダな待ち時間がほとんどない

 具体的な施策として始めたことのひとつが、新年のチーム始動日にやる個人目標の発表です。選手たちには直筆で紙に記した目標を持参してもらいます。目標はチームのことでも個人のことでもいいし、長さも体裁も自由。習字でも、マジックペンや色を使ってもいい。とにかく、「親子で一緒に考えて自分で書いてきてください!」というお願いを、年末に各家庭にしています。

 その題目があることで、お正月には親子で話したり、考えたりする機会が必然的に増えるはず。実際、始動日には思い思いの個性的な目標が集まります。今年はその紙を100円ショップの額縁に入れて、チームの活動中は誰でも見えるところに掲げるようにしました(=下写真)。

チーム活動中はネット裏に掲げられる各選手の手書きの目標。子どもらしさや個性もいかに尊重されているかがうかがえる

 保管も運搬も楽ではありませんが、選手たちは自分の目標をいつも念頭に置いて練習や試合に臨める。見に来た保護者も、我が子の目標を思い出せる。また監督の私にとっても、選手個々をより理解し、コミュニケーションをとるための有効なツールになっています。

 自分で立てた目標という観点から、各選手と現在地を確認したり、やるべきことを明確にしたり。時にはそれが全体ミーティングの題材にもなり、大人の話を延々と聞かされるだけではないので、子どもの食いつき方も違います。

練習中は真剣な眼差しの選手たち。休憩や捕食タイムでは表情豊かでリアクションもそれぞれ

無安打でコールド勝ち!?

 子どもたちには、少なくとも高校までは野球を続けて甲子園を目指してほしい。私自身もそこまでを経験して、得るものがたくさんあったからこその願いです。それを叶えるには、学童のうちに基礎をしっかりと身につけること。やたらにケガをさせないことも重要だと考えています。

 そういう理由から、ウチでは大人用の重いバットの使用を禁じています。今年から“飛ぶバット(一般用の複合型バット)”が禁止されましたが、ウチはもともと使ってきていません。体格や筋肉量と不釣り合いな重いバットをぶんぶん振った結果、腰を痛めたという話を多数聞いているからです。

 ここ何年か、ウチのチームは小さい子たちばかり。一方で去年までは“飛ぶバット”を使ってのパワー野球が猛威を振るっていました。そういう中で、私は子どもたちによく、このような話をしてきました。

「あのドジャースの大谷翔平選手だって、良くても打率は4割。10回打席に立って、10回ヒットを打てる選手なんて世界に1人もいない。でも、走塁はきちんと判断さえできれば、10回走って10回セーフになることができる」

 その「走塁の判断」とは例えば、相手投手の投球の軌道からワンバウンドするだろう(=捕手は捕球にいかず体で止める)と予測すること。これが確実にできれば、足が速くない子でも進塁できるんです。

 私は中学時代に、名将の板倉茂樹先生からそういう野球を学びました。当時の板倉先生は鬼でしたが、3年夏は県大会で優勝して関東大会3位。全中(全国中学校軟式野球大会)に出場してベスト8と、一番・中堅で尊い経験をさせていただきました。

中3夏に全中ベスト8(上)。一番・中堅で活躍した小森選手は最前列の左から4番目。顧問の板倉先生(下)は中学軟式球界では全国に名の通る名将だった

 その後も大学までプレーした私の持論は「野球は確率のスポーツである」というもの。先述の走塁の判断もそうですが、守備もまた10割を目指して確率を上げていくことができる。そういう理由から、守備と走塁に重点を置いたチームづくりを志しています。子どもたちには分かりやすいように、究極の理想をこのように提示することも。

「ノーヒットでもコールド勝ちできるチームって、強くない!?」

若くて謙虚で熱心で賢い

 実戦練習と効率的な反復練習を重ねた結果、走者を得てから1点を奪う確率が上がり、手堅いチームになってきた。3年前のちょうどそういう時期に出会ったのが、私をこのコーナーに紹介してくれた羽川学童野球部の酒巻さん(祐樹監督)でした。

 彼が記事でも書かれていたように、確かに初対戦ではウチの手堅い野球が機能し、勝たせていただきました。そして試合後には、バントや走塁についての話を彼が聞きに来てくれました。

練習は原則、全学年で同一のメニュー行う。基礎練習のグループ分けは、上級生の中に下級生を振り分ける。「すぐ目の前にお手本がいたほうが低学年は覚えが早いです」(小森監督)

 

 若くて非常に熱心な勉強家。酒巻さんのイメージはその初対面のときから変わりません。彼がすごいのは、選手時代に相当な実績がありながら、指導者になってからは「教えてください」と、謙虚な姿勢で外部の人たちともコミュニケーションが取れるところだと思います。

 あとは分析能力と学習能力の高さ。対戦相手の戦術やパターン、選手のクセなど、細部までを見抜くのが早くて、それに応じた策を講じてくる。またその一方で、選手たちの背中を押してやる声掛けをされている。「大丈夫、大丈夫!」「ドンマイ、次だよ!」というフレーズがよく聞かれます。

 そういう監督だからでしょう、出会った当初は深刻な選手不足で悩まれていたのに、今ではもう30人規模に。羽川学童という名門チームを見事に立て直されましたね。これまでに、低学年を含めて何度となく練習試合もさせていただいてますが、チームをより良くしていこうという意識が、他のスタッフや保護者の方々からも感じられます。

バント練習(上)も複数個所で一斉に。ケースノックには走者を入れて、守備と走塁両面の判断力も養う(下)

 おっ、あの子がこんなこともできるようになっている! 酒巻さんのチームと定期的に試合をしていることで、喜びに近いそういう驚きがあります。羽川学童の選手たちも身内のように思えてくる。

 同じ小山市のチームなので、大会でぶつかる可能性も高く、酒巻さんからは『いつかは倒す』と頼もしい宣戦布告をいただきましたが、私も負けていられません。間東キッズの野球を突き詰めていく所存です。

尊敬する組織のトップ

 監督1期目の私には、酒巻さんのような謙虚さや学ぶ姿勢が欠けていました。今から思えば、現役時代のいらぬプライドが邪魔をしていたのだと思います。そのため、他チームの有効な方法を参考にしたり、同じ指導者間でヒントをもらえるようなこともなく、悩みでも何でも一人で抱え込んで苦しんだ思い出と、後悔が強くあります。

今年は選手の人数も多く、市内大会には2チームでエントリー。練習ではそのまま紅白戦も

 そこで2期目は、意識的にアクティブに。自分からコンタクトを取り、交流させていただくチームも増えました。中でも、このコーナーでご紹介したいのが、栃木ボーイズの安形弘志監督です。

 栃木ボーイズは中学硬式のチームとして長らく活動されていて、私の息子や教え子たちも中学硬式に進んだことから、その存在は昔から知っていました。実力の高い中学生が多くて、いつも賑やかにやっている印象。そういうチームに、新たに学童部ができると聞いて、私はすぐに「練習試合をお願いします」と申し込みました。

紅白戦の攻撃のサインは、状況に応じて選手同士で(上)。低学年もそれを見てサインも覚えていく(下)

 栃木ボーイズで窓口も担当されている石塚丈雄コーチとは、共通の先輩を介して知り合いました。中学時代には同じ板倉先生の教え子であったということから、すぐに打ち解けることができました。

 その石塚さんを介して初めて練習試合が実現したのが3年ほど前。中身のある良い勝負をさせていただきました。どちらのチームも大きい子がそろっているわけではないけど、バントも走塁もできる細やかさなど共通点も複数。

紅白戦は監督が仕切ることはない。巡回しながら、全体や個人へ適宜アドバイス

 でも何より感心したのは、監督の安形さんの温かさでした。試合中はいつもニコニコされていて、子どもに対しても物腰が穏やか。選手一人ひとりに向ける言葉は短くて前向きで、プレー後には1対1でよく話をされていました。

 そして試合後、私への第一声が「走塁が上手ですね」と、お褒めの言葉をしかも敬語で。安形さんが私よりもずっとご年配であることは、誰でも一目瞭然。でも、安形さんはそれ以降も変わらずに、いつもご丁寧な言葉で私を励まし、チームやプレーの良いところを素直に認めてくださる。それも裏腹な感じがまるでありません。

 野球人としてだけではなく、大人として尊敬するばかり。安形さんは中学部と学童部を兼ねた代表も務められているとのことですが、こういう人間性の方がトップにいるからこそ、組織が廃れることもなく、大きくなってきているのだと思います。

 栃木ボーイズの拠点は栃木市なので、公式戦で対戦するとなれば県大会になります。私の率いるチームが大会で対戦したことはありませんが、いつでも気持ちよく全力勝負できる相手だと思っています。夏の県大会は栃木市にも小山市にも複数の出場枠があるので、酒巻さんの羽川学童も含めて3チームとも県大会へ駒を進めて、その先のどこかでガチンコの勝負ができれば。それを願い、楽しみにしながら夏へ向かいたいと思っています。

なお、今の6年生の中に、我が家の末っ子(次男)もいます。また来年の6年生(現5年生)のお父さんの中に、監督志願者がすでにいますので、私は気持ちよく今年度限りで道を譲ります。学童野球が大好きな気持ちは変わりませんが、「監督」という身分や肩書きには大きなこだわりはありません。

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