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【学童監督リレートーク】“あるべき今と未来へ”vol.25

2025.11.05監督リレー
【学童監督リレートーク】“あるべき今と未来へ”vol.25

「ガチで厳しい」――。良くも悪くも、そういう評判を立てられながら、昨秋の新人戦では最高位となる関東大会で準優勝。迎えた今年は、22年ぶりとなる夏の全国出場の夢は早々に断たれるも、「6年生のサヨナラ大会」とも位置付けられる栃木県の夏季大会で、参加128チームの頂点に。さらには「冬の神宮」こと12月のポップアスリートカップ全国ファイナルの、関東代表決定戦まで進出した。県下に轟く名門チームを、再び黄金時代に誘わんとするOB監督が、リレートークの25番目に登場です。

(取材・構成=大久保克哉)

こばやし・ゆうき●1985年、栃木県高根沢町生まれ。阿久津スポーツで、4年生から野球を始めて捕手一筋。後に千葉ロッテほかでプレーする岡田幸文らと夏の県大会で準優勝。阿久津中から作新学院高へ進み、2年秋から正捕手に。2年秋に県準優勝、3年春は県優勝、夏は県4回戦で敗退した。東京経済大へ進み、4年春まで首都大学リーグでプレー。4年生で阿久津スポーツに入部した長男が卒団後、2021年に監督となる。2024年秋の県新人戦で22年ぶり3回目の優勝を果たし、続く関東大会で準優勝。さらに128チーム参加の今夏の県大会で24年ぶり2回目の優勝と、名門復活を印象づける躍進が続く

[栃木・阿久津スポーツ]

小林勇輝

 ⇩ ⇩

霜鳥 昇

[新潟・BN野球クラブ]

しもとり・のぼる●1985年、新潟県新潟市生まれ。10歳上、6歳上の兄の影響もあり、万代小4年から新潟中央リトルで野球を始める。宮浦中時代は新潟シニアに所属。新潟明訓高に進み、3年夏にベンチ入りして県ベスト4。東京経済大では4年春に試合メンバーに入り、主に外野と一塁を守って首都大学リーグでプレーした。卒業後は社会人軟式の新潟信用金庫でプレーし、33歳で同野球部の監督となって天皇杯、中部日本都市対抗などに出場した。2021年、小2の長男とともにBN野球クラブに入部し、翌年からコーチ。2024年から監督を務める。軟式野球連盟の大会のほか、「登録選手全員出場」「EDH(9人以外に打撃だけで出場する特別指名打者)制」などの独自ルールを採用する「新潟信濃川リーグ」にも参加している

かけがえなき成功体験

 6年生たちは、負ければ終わり(卒団)。この9月以降は、そういう状況でポップアスリートカップ(ポップ杯)の予選を勝ち進んで栃木県の代表となり、11月3日の関東クライマクックス(代表2枠を決する最終予選)まで行きました。

 そこでも1勝して迎えた代表決定戦は、夏の全国大会にも出場されて、NPBジュニアの選手が2人もいるという相手(埼玉・西埼玉少年野球)に1対2で惜敗。個々の力は明らかに上の相手に対して、狙いどおりに接戦に持ち込めたのは評価できますし、6年生たちは最後の最後まで後輩たちの良き手本となってくれたと思います。

ポップ杯の関東最終予選。1回戦は金森アームズ(東京)に2対1で勝利(上)。続く西埼玉少年野球(埼玉)との代表決定戦は1対2で惜敗も、4回表二死一、三塁から九番・髙橋伸のバント安打で同点に(下)。関東新人戦準Vの底力に十八番の小技も見せつけた

 夏以降は活動のメインが新チームに移っている中で、6年生は練習の手伝いにも来てくれていました。これからも中学のチームに行くまでは、きっと。歴代の卒団生たちもそうでしたが、そういう行動もチームやスタッフや保護者への感謝があればこそ、ではないかなと思っています。

『学童野球は習うより慣れよ!』

 これは阿久津スポーツの礎を築かれた監督で、私の恩師でもある綱川治彦代表の教えのひとつ。平日も月曜日以外は練習をしていますが、今の時代、そういうチームが少数派になっていることは承知しています。それでも、綱川代表は80歳を超えた現在も、平日練習を一手に引き受けてくれています。

綱川代表(上)は2003年、監督として全日本学童大会に初めて導いた。22年後の今日もフィールドで選手を指導している(下)

 少なくとも、私がプレーしていた30年近く前から変わらない日常。代表は練習を休むのが嫌いで、とにかく毎日、ちょっとでもいいからボールを投げたり、バットを振ったりしたほうがいい、という考え方。生活に野球を取り入れるくらいのほうが上達する、という信念を持たれています。

 監督を私が引き継いでからも、そういう考えが根本にはあります。その上で、集中してやるべきことをやる。週末は早朝から日没までダラダラやるようなことはなく、夏場は昼を挟んで1、2時間でパッと切り上げたり。個々の成長や大会でのパフォーマンスアップにつながる近道を求めつつ、あえてコツコツと場数を踏ませることもあります。

大学までプレーした小林監督は、打撃練習で120㎞近いボールを投げるなど、自ら実技の手本も示している

 そういう積み重ねがあったからこそ、昨年秋の関東大会準優勝や、8月の県大会優勝、ポップ杯の関東出場につながったのだと自負しています。一生懸命にやれば、結果は残る。努力は報われる――。選手たちがそういう成功体験を得たことが、チームにとっては何よりも大きい。

 阿久津スポーツには、中・高・大と野球を続ける卒団生の多くが、節目で報告に来る慣習があります。みんな綱川代表に会いにくるんですね。そしてその中の少なからずが、指導者となって後進をサポートしている。私もその一人ですし、きっと今の5・6年生たちも将来は誰かが、ここで子どもたちを指導しているはずです。

親子そろって有終の美

 6月の全日本学童大会予選(県大会)は1回戦で敗退。大目標としてきた、22年ぶりの全国出場は叶いませんでした。でも、私も選手たちも切れることなく、当たり前に練習を続けられました。これも、チームに根付いている伝統かもしれません。

 学校の友だちが携帯でゲームをしたり、遊んでいるような時間にも、ウチの選手たちは仲間同士で支え合いながら、懸命に白球を追っていました。そんな彼らを何とか、夏の県大会では勝たせてやりたい。私はそんな思いから、基本を再確認しつつ、戦術面の精度アップに努めました。全国予選は完全に打ち負けたので、1点を取る術をチームと個々に授けていきました。

選手の父親たちが練習をサポート。その数の多さと真剣味も特筆すべきところ

 栃木県で「夏県」と呼ばれる、8月の夏季県大会は、ほぼ全チームが参加する巨大トーナメント戦。またほとんどのチームの6年生が、この舞台で引退していきます。

 実は私も6年生の最後に、この大会で決勝戦まで行きました。後に千葉ロッテでプレーする金澤岳(現二軍コーチ)を擁する、佐久山クラブに負けて有終の美は飾れませんでしたが、やり切ったという良い思い出があります。

 また私の4学年下の後輩となる、栗林拓也コーチ(=下写真)が、6年生のとき(2001年)にエースの四番として、夏の県大会で初優勝。今年の優勝はそれ以来でしたが、エースの栗林海斗は栗林コーチの息子なんです。つまり、親子そろって学童野球の最後に県のチャンピオンに輝いたことになる。これも何かの運命かなと思いましたし、平日練習を綱川代表と一緒にみてくれているOBのピッチングコーチ、須藤貴信さんにも頭が下がるばかりです。

栗林家の父と子は、ともに阿久津スポーツのエースとして6年夏の栃木王者に。写真下はチーム提供

尊敬に値するもう一人

 今年の夏県は128チーム参加。その頂点に立つまでの7試合は正直、長くてキツいものでした。全国大会や他の上部大会の出場で、非エントリーの強豪チームが複数あったことも大きいですが、それでも7試合を勝ち抜くのが、こんなにたいへんだとは思いませんでした。

 勝因はいくつもありますが、先述したように場数と努力が大きい。それが、どの試合でも安定した守備となって表れてくれたと思います。また4回戦で対戦したのが、私をこのコーナーに紹介してくれた安形弘志監督が率いる栃木ボーイズでした。

 結果はウチがコールド(5回終了、14対4)で勝たせていただきました。その後、安形監督からは石塚丈雄コーチを通じて、お褒めの言葉をいただきました。またその後、監督リレートークの誌面を通じて『このまま優勝してください!』という温かいメッセージもいただきましたので、優勝後には直接、電話でご報告しました。

夏の全国出場は逃すも、その後も変わらぬ努力で夏の栃木県を制覇(写真提供/阿久津スポーツ)

 安形監督はウチの綱川代表にも通じる長いキャリアの持ち主。今の栃木ボーイズの前、国府南小で監督をされていた時代に、私は選手として何度か対戦しています。もう30年も前のことで、当時は何の違和感もありませんでしたが、綱川代表にも劣らぬ厳しさがあったように記憶しています。

 そんな安形監督が、今では子ども一人ひとりに寄り添い、しっかりと野球を教えられている。身体の大きい子たちがいるわけでもないのに、常に落ち着いて勝負ができている印象。また楽しくやる中でも、道具を大切にするとか、礼儀作法なども教育されていることが随所にうかがえました。

 そして私のような若輩者に対しても、マウントをとる感じではなく、フレンドリーに丁寧に接してくださる。綱川代表とはまた違った意味で、尊敬に値する学童野球の大先輩だと思っています。今後の大会でも、またお会いして真剣勝負ができることを願い、楽しみにしています。

 多くの方々が経験ありだと思いますが、野球出身者は、後からどこかでつながることが多いものです。私が安形監督と面識を持てたように、時代やチームの垣根も超えて、共通の知人がいたことで初対面でも簡単に打ち解けられたり、共通の話題で意気投合したり。またチームメートとは、何十年というブランクがあっても、会えば昔のままの関係で気兼ねなく付き合える。

 特に私たちの現役時代のように、厳格な縦社会やスパルタ指導、理不尽にも耐えてきた仲間同士の絆は強固で、一生の宝と言えるかもしれません。私から紹介する監督も、そういう“球友”の一人。東京経済大時代のチームメートで、新潟県でBN野球クラブを率いている霜鳥昇監督にバトンをつなぎたいと思います。

かつての宴会部長と

 大学時代の霜鳥監督のニックネームは「シモ」で、私は今でもそう呼んでいます。彼は一塁手か外野手、私は捕手だったのでポジションは違いましたが、ともに4年生の春までプレーしました。

2024年秋、栃木新人戦で22年ぶり優勝(写真上/リポート➡こちら)。続く関東大会はファイナリストに(写真下/リポート➡こちら)

 20歳を過ぎてからは部員同士でお酒を飲むようになりましたが、彼はそういう場に欠かせない「宴会部長」。一番の盛り上げ役で、お笑いの志村けんさんが生前によくやっていた『白鳥の湖』の芸マネが得意で、自前の白いタイツの衣装まで持っていました。

 あの衣装はまだ自宅にあるそうです(笑)。盃を交わしながら、そんな昔話にも花を咲かせたのは今年の2月。BN野球クラブが1泊2日で、私たちの栃木にまで遠征試合に来てくれた日の夜でした。それが大学卒業以来の再会だったので、20年ぶりくらいでしょうか。昔と変わらず、懐かしくも楽しい宴会に。やはり、野球のつながりは一生ものだなと実感しました。

昨秋から不動の二番打者。小柄だが広角打法に小技と足もある5年生、平山皓哉が新チームを主将として引っ張っている

 大学の野球部の同期たちとはLINEグループでつながっていますが、霜鳥監督から直接に連絡をもらったのは去年の秋。『阿久津スポーツが関東大会準優勝』という記事をどこかで目にしたとのことで、一報をくれたのです。

 そして久々に話をしてみると、彼も息子がいる学童野球チームで監督をしているとのこと。「それなら試合をしよう!」という運びに。2月は彼らの新潟は銀世界。久々に土の上で野球をしたということで、ガチンコでやった2試合とも、ウチが勝たせてもらいました。

 オフシーズンということもあるのか、霜鳥監督は選手たちにそこまで厳しいことも言わず、ソフトに接していました。まだまだこれから強くなっていく、という段階だったのかもしれません。とにかく、子どもたちに野球を楽しくやらせてあげよう、楽しませよう、というところに腐心している様子でした。

 新潟と栃木は近いように思われるかもしれませんが、頻繁に行き来できる距離ではありません。離れていても刺激し合い、互いにチームを高め合いながら、機会が来たらまた対戦しましょう! あらためてのメッセージとなると恥ずかしい感じもしますが、霜鳥監督にはそう伝えたいです。

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