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ようこそ、須江先生!! 仙台育英高監督が多賀少年野球クラブを訪問視察

2024.04.22インタビュー
ようこそ、須江先生!! 仙台育英高監督が多賀少年野球クラブを訪問視察

 現役の甲子園V監督が、学童野球の現場に自ら足を運ぶという、画期的な出来事が2月の末にあった。訪れたのは、2022年夏の甲子園で優勝した仙台育英高(宮城)の監督・須江航先生。迎えたのは、2018年から全日本学童大会で2連覇している多賀少年野球クラブ(滋賀)の辻正人監督。指導者のリーダー的な役目も期待されている両監督は、半年ほど前に対談企画で初対面。その昔は少年野球雑誌で同時期に連載もしており、当時から互いを認識していたという。両連載の編集担当でもあった筆者が、今回の訪問視察に帯同し、インタビュー動画と記事にまとめた。

(動画&写真&文=大久保克哉)

※訪問&インタビュー動画17min➡こちら

【収録内容】

❶First Impression

▶初訪問の率直な感想

▶学童野球の役割とは

▶唯一無二のバランス

▶息子のプレーを初めて見て

▶濃密な時間が流れている

▶非日常の経験が成長を促す

▶プレーヤーの息子に対して

 

❷Cross talk

――須江監督&辻監督

▶視察1日目を終えて(須江)

▶果たすべき役割と実践(辻)

▶高校の須江監督へエール(辻)

▶学童の辻監督へエール(須江)

 

❸Cross talk+

▶2日目の息子にも成長の兆し(須江)

▶まだ40歳の須江監督へ(辻)

▶人が幸福を感じるような(須江)

[仙台育英高/監督]

須江 航

すえ・わたる●1983年生まれ。埼玉県比企郡鳩山町出身。松栄小、鳩山中で遊撃手。宮城・仙台育英高、八戸大を卒業後、情報科の教諭として2006年に仙台育英学園へ。同時に秀光中等教育学校の軟式野球部監督となり、2010年から8年連続で計11回の全国出場。全国中学校軟式野球大会(全中)は2014年に初優勝、翌夏から準優勝、3位、3位と圧倒的な成績を残し、2018年から高校の硬式野球部監督に。甲子園に春夏計7回出場、2022年夏に東北勢初となる全国制覇を果たしている。翌23年夏は準優勝。一男一女の父

 

[多賀少年野球クラブ/監督]

辻 正人

つじ・まさと●1968年、滋賀県生まれ。近大卒。多賀中の軟式野球部、近江高の硬式野球部で三塁手。20歳で多賀少年野球クラブを結成して現在も監督。チームは2000年代から全国大会の常連となり、2016年に全国スポ少交流大会で初優勝。「卒・スポ根」を標ぼう後、全日本学童大会を2018年から2連覇。常識も覆す合理的な指導育成法を複数のメディアでも発信、「カリスマ監督」とも呼ばれる。夏の全国大会での采配は計19回で優勝3回、準優勝2回。JSPO公認軟式野球コーチ3

 

「野球界の未来は明るいなと思いました」

 学童球界を2000年代からリードする多賀少年野球クラブは、滋賀県の山間部に近い多賀町で活動している。宮城県の仙台育英高からやってきた須江航監督は1日半、現地でじっくりと視察した。また、野球歴1年の同監督の長男が、同じ3年生チームの体験生として練習や対外試合に加わった。

須江先生は時折り、息子のプレーや練習内容を撮影

 グラウンドでプレーする息子を見るのも「まったく初めて」と須江監督。時には父親の顔となり、モバイル端末で撮影するシーンもあった。ただし、主眼は親子の思い出づくりではない。初日の時点で、このように発言している。

「ただ単に、旅行に来ているわけじゃないので。久々に自分が外に出て、インプットしたいと思って来ましたから…」

どこまでも「先生」

 あらゆる意味で「電撃的」な訪問だった。いや、「歴史的」という表現のほうが適切かもしれない。

 あくまでも、須江親子のプライベートの一コマであり、視察先は大半の学童野球チームと同じく非営利。したがって、事前の告知もなければ、事後を含めて人やカネを集めるようなこともセールスめいた発信も、双方にまったくない。

 それでいて甚だ希少であり、また画期的。悩める日本の野球界に新たな光明! とまで言うとさすがにオーバーか。ともあれ、これからの時代にあるべき学生野球と指導者のエポックメイキングとして、今回の2日間が語り継がれていくことになるのかもしれない。

 甲子園で優勝している高校野球の現役監督が、2つも下のカテゴリー、学童野球に目を向ける。これ自体がおそらく史上初であり、自ら電車に揺られて足を運ぶという熱量や奥ゆかしさも、須江監督のパーソナリティーなのだ。

 2014年に全中優勝など、中学軟式野球部の監督としても輝かしい成績を残した同監督は、「先生」と呼ばれてきた。このカテゴリーは昨今の球界の中でもダメージが深刻だが、指導者の大半は教諭であり、野球人である以前に尊敬される人格者。フランクで勤勉で、学び心の豊かな「先生」は数知れない。

須江先生は2006年から教諭として仙台育英学園へ。創部間もない秀光中の軟式野球部をやがて全国区の強豪へと導き、2013年の全中は準々決勝敗退(上)、翌14年に西巻賢二(現・DeNA=下)らを擁して中学日本一に

 その象徴的な存在で、最先端を走っていたのが須江先生だった。生徒からも保護者からも他校の野球部顧問からも、親愛されるばかり。受け持つカテゴリーが1つ上がったからといって、人となりやスタンスが変わることなど、まずありえないことだろう。

「いやぁ、やっぱり須江監督は『先生』なんですね。あんなに謙虚で頭のいい人、なかなかいてないですよ。ふつうは高校野球の指導者というだけで、偉そうで上から目線ですからね」

 帰途に就く須江親子を見送った、多賀の辻正人監督は感慨深げだった。

 今では「学童野球」の枠を超えて認知されつつある同監督には、幅広い人脈と雑多な経験がある。それでも、「野球」の枠を超えて世に知られる須江先生との2日間の中で、感じた「初めて」が節々にあったようだ。

「唯一無二」のバランス感

「野球界の未来がすごく明るいなと思いましたね」

 訪問時の須江先生のインタビューは、この第一声で始まり、このように続いている。

「下のカテゴリーでこれだけ丁寧に、創意工夫をもってやってもらえる。こういうチームが世の中に増えれば、まだまだ野球が子どもたちにとって有益なものになるなと感じました。カテゴリーが小学校なので、中・高・大、社会人のようにはフューチャーされませんけど、もっともっと、その取り組みにフォーカスをあてて、皆さんに知っていただけたらとホントに思いましたね」

100人超の多賀を支えるスタッフ。中央は秋田壽美マネジャー、左はPR担当の吉川敬士氏。辻監督(右)の良き理解者だ

 多賀の取り組みと辻監督の指導については、「唯一無二」という言葉をたびたび使った。語られた理由も輪郭だけ、かいつまんでお届けしよう。

「技術の追求と、勝つことへの目のつけどころ。子どもたちが純粋に今やっている時間を楽しむということ。これらのバランスが素晴らしく、どちらにも偏らずにどちらの良さも吸い上げて、それを提供している」

 高校球児にとっても、投げる力の重要性を切に感じているという須江先生は、多賀の選手たちの「投力」の高さとその指導プログラムに感心しきり。体験2日目には、息子の投げ方にも明らかな変化が見て取れ、それが試合でのパフォーマンスアップにもつながっていた。「多賀さん、辻監督のおかげ。お友だちが応援してくれるので、そういう周りの力で投げさせてもらったり。ホントに良い環境だなと思いました」(須江先生)

「投力の平均値がこんなにも高いチームは見たことないですね」(須江先生)

 両監督には、ひと回り以上の年齢差がある。地元初の学童チームを20歳で立ち上げた辻監督は、斬新かつ合理的な取り組みでチームをやがて全国区に。かつて自身も受けたという、体罰も辞さない厳しさもあったが、どうしても日本一には届かない。そこで数年前、時代よりも早く「卒・スポ根」へ踏み切ることに。

 すると、全日本学童大会で初優勝し、翌年もまた戴冠。と同時に、学年9人に満たなかったチームが人と笑顔であふれるように。今では100人超の大所帯だが、上層の試合組だけを操っているのではない。幼児組から全員に、技術を授ける研究と努力が続く。それが結果、勝負所での勝利にも結びついているが、もっと大きな志もあるという。

「中学の先生、高校の先生が『ここまでは必ずやっておいてほしい!』と、いうところを感じながらやっている。そういうイメージです」(辻監督)

休刊中の雑誌『ヒットエンドラン』(ベースボール・マガジン社)にて、両監督は2015年11月からそろって連載していた

 一方の須江先生は、小6までは体格にも恵まれ、埼玉の地元の町では評判の「怪童」だったという。高校は東北の仙台育英へ。甲子園常連校では「井の中の蛙」だった自身を痛感してマネジャーに。3年春の甲子園準V時はスコアラーでベンチ入りしている。そして八戸大(現・八戸学院大)の学生コーチから指導畑へ。どんどんアップグレードされる取り組みは辻監督に共通するが、体罰を用いたことが一度もない、という点では決定的に異なる。

「おかげさまで、自分が(体罰を)受けたこともなかったので、そういう発想も感情も湧かないのだと思います」(須江監督)

人を育んだ先にあるもの

 学童球界では辻監督ほど、創造力と柔軟性に富む指導者には出会えていない。また須江先生ほど、ものごとの本質を見抜く鋭さとオープンなマインドを併せ持つ指導者は、高校球界でもそうはいないだろう。

 いわば“スペシャルなふたり”は、自ずと人心を引き寄せるという点でも共通している。彼らのイズムやスタンスに続こうという指導者が増えるほど、日本の野球界の未来は明るさを増すのではないだろうか。それこそ、須江先生が「感じた」と言う明るさ以上に。

 歴史的な視察は、同先生のこういう主旨のコメントで締めくくられた。

「全国の子どもたちや親たちの希望になるような素敵な野球をされているので、何とか高校で辻さんのその想いを継いで、将来は関わる人が幸福を感じるような、野球や仕事ができるように子どもたちを育てたいなと、あらためて思いました」

近年は野球の「普及」活動にも注力。両監督にリーダーシップを求める声も多い

 カテゴリーは違えども、両監督が目の前にする相手は次代を支えていくことになる若人だ。その教え子たちの未来に、それぞれ描いている人の像や生き方の絵までも、ほとんどが重なっているようだった。

 そういう人間が育つほど、世の中に幸せが増えて「野球」が広く見直されてくるのだろう。競技人口激減への特効薬ではないにしても、山積する問題解決への根本がここにある気がする。

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