今や日本で最も有名な、学童野球の監督だろう。密着のドキュメント番組が、公共放送で全国の茶の間に届けられてから日も浅い。この55歳の指揮官が「カリスマ」と称され、メディアからも引く手が絶えないのは、なぜなのか――。2011年からコンスタントに取材をしている当メディアの編集長が、長時間のインタビューを経て計60分の動画にまとめた。
(取材&文&動画=大久保克哉)
※インタビュー動画《前編》31min➡こちら
【前編の項目】
❶メディアと自分
▶TVでは本質が伝わらない
▶現実は報道の先を行っている
▶ついて回る誹謗中傷について
▶批判にも免疫ができてきた?
▶学童野球メディアに望むこと
❷独自の研究とトライ
▶子どもには映像から入る
▶常識もセオリーも疑っていた
▶野手7人の守る位置もテスト
▶定位置の有効性を知ってから
▶6年生2人で全国準優勝
▶スローボール流行の発端に
▶大胆な守備シフトも元祖?
▶長距離砲の二番で全国3位
▶三番、四番打者のタイプ
▶2015年全国のトリックプレー
▶トリックプレーは今でも?
▶トリッキーな一発けん制は?
▶安定して力がついてきた?
▶マシン導入で個の能力UP
▶勝敗とは異なる価値観が
▶個の育成で全国2連覇?
▶勝つための手段と順番
❸果てしない苦悩
▶手詰まり感に苛まれ
▶100の力も全国では70に
▶スポ少V翌年は初戦敗退
▶保護者の反乱を察して
《以降、後編へつづく》
辻 正人
多賀少年野球クラブ監督
つじ・まさと●1968年、滋賀県生まれ。近大卒。多賀中の軟式野球部、近江高の硬式野球部で三塁手。20歳で多賀少年野球クラブを結成して現在も監督。チームは2000年代から全国大会の常連となり、16年に全国スポ少交流を初制覇。「卒スポ根」を標ぼう後、全日本学童を18年から2連覇。常識も覆す合理的な指導育成法を複数のメディアでも発信、「カリスマ監督」とも呼ばれる。夏の全国大会での采配は計19回で優勝3回、準優勝2回。JSPO公認軟式野球コーチ3
「楽しい」の背景や本質を!
学童野球チームの監督を生業としている人が、日本にいるのだろうか。おそらく皆無だろうし、100%が無報酬のボランディアだと思われる。
今や「時の人」ともなってきた多賀少年野球クラブ(滋賀)の辻正人監督も例外ではない。本業は公務員で、私腹を肥やすためにメディアに出ているわけでは決してない。今回のインタビューに際しても、事前にこう釘を刺されている。
「私はこれまでも、自分から『メディアに出たい』と言ったことはないんです。ただ、メディアから求められたことには『NOは言わない』と決めているんです」
微力も承知の上で、野球界の一助になればと本気で思っているという。今の時代における日本のスポーツ界、日本のスポーツ界における野球界、野球界における学童野球界、学童野球界における自分というものを俯瞰して捉えることができる。そういう賢さに視野と人脈の広さもまた、大きな魅力である。
世の人にとって、妬みや嫉みも生きるパワーになり得る。それゆえ、メディアに露出するほど、心のない誹謗中傷や勝手な憶測や噂が一定の割合でついて回る。辻監督が、大会報道以外でメディアに登場するようになったのはもう10年以上も前のこと。だが、昨今はより多くの人の目に届く、テレビメディアの露出が増えており、それに伴う「有名税」のような批判の類いに、当初は面食らったという。
またその批判の発端も、数分程度のニュース番組を見て誤解をされているケースも少なくないようだ。確かに、現在は選手が100人規模で、10台に迫る投球マシンなど、一般的な学童チームにはありえないハード面の充実ぶり。しかし、だから3回の日本一になれたわけではない。
2000年代に入って全国大会の常連となったが、少なくとも2015年までは6年生が9人に満たないような小所帯だった。それでも創部から30年、現状に満足せず、変化も恐れずに研鑽を積んできた。失敗と教訓も数知れず。苦悩した時間も果てしない。だからこその、2018年からの全日本学童大会2連覇であり、今日があるのだ。辻監督も、ニュース番組では上辺しか伝わらないと指摘している。
「本質的な部分、なぜそれをしているのかという理由や目的などは、テレビではまったく伝わっていないですね」
そこで! 学童野球メディアが同監督をあらためて直撃。そもそもの「カリスマ」たるゆえんである独創性やその歩み、行き詰まりの日々や「人生最大の落ち込み」をたっぷりと語ってもらった。
「ただ単に『楽しい野球』を子どもたちに提供しているだけではないです」
この発言の真意も、余すことなく動画に収めている。インタビュー時間は休憩もはさんで3時間弱。同監督の発言をそのまま生かすために、質問を割愛して前後半の計60分に編集している。
メディアや人がなぜ、この指揮官を求めるのか。その答えは、「監督」という肩書きや「野球」という垣根も超えた、人となりにあるのではないか――。単独インタビューを終えて、あらためて実感したのがそれだった。