野球界が少しでも盛り上がるのならば、悩んでいる指導者に少しでも救いやヒントになるのなら。そういう思いから、メディアに求められれば取材や出演に応じるが、自分のやり方こそが唯一の大正解で、学童球界を自分の色に染めよう、などという稚拙な考えや野望は微塵もないという。指導者もメディアも、まだまだ「不毛」とさえ言えるカテゴリーに現れた、不世出のカリスマ監督。インタビュー後編は、これまで明かされなかった至難の1年間にも踏み込んでいる。
(動画&写真&文=大久保克哉)
※インタビュー動画《後編》28min➡こちら
【後編の項目】
❶指導30年目の激変
《前編からのづづき》
▶罵声を利用していた目的
▶「変わる!」決意
▶保護者の望む通りに
▶2018年明けの宣言
▶「裸の王様」に気づく
▶感情を露わにできない
▶打撃不振から全国制覇
❷日本一からの悟り
▶初めて否定できたこと
▶初めて気づいたこと
❸現在進行形の今
▶選手、保護者との関係
▶本番で力を発揮する
▶「楽しい」の勘違いは?
▶6年生が手本や憧れ?
➍濃密だった1年間
▶「どういうこと!?」
▶最愛の妻の入院
▶球児の2人の息子へ
▶退院した妻から
❺新たな付加価値
▶「立派な社会人に」
▶勝利欲に加えて
《おわり》
唯一無二のスーパー
10年に一人の逸材――。怪物クラスの高校球児になると、この手のフレーズが使われることがある。
筆者はメディアの人間として、野球界に初めて携わってから四半世紀になる。小・中の硬式と社会人と女子を除く、全カテゴリーで公式戦を現場で取材。話を聞いた指導者や選手の数は想像もつかないほど膨大で、学童の軟式野球だけでも10年余の現場取材を重ねている。
それでも多賀少年野球クラブ(滋賀)の辻正人監督ほど、スペシャルな指導者には出会えていない。言うなれば「15年超に一人の逸材」。いや、20年しても30年経っても、こういう野球人には出会えないのだろうと最近は思い始めている。
「第二の辻正人」を期待しながら現場に足を運び続けているが正直、同監督の唯一無二を痛感させられるばかりなのだ。
2012年取材当時。罵声もあり、ピリついたムードもあったが、投球マシンは1台のみ。少人数の選手たちを育成指導するノウハウは奇想天外で驚きと納得の連続だった
辻監督の何がスーパーなのか。それは人の受け売りではなく、凡人には思いすら及ばぬ発想と機転があること。トライする勇気と、変化を恐れぬ勇気を持っていること。この人は1分たりともムダに生きていない、とすら思えてくる。
たとえば、未経験の野球素人の入門者の子どもに対して。辻監督ほど系統立って有効な育成ノウハウを有する指導者を他に知らない。そのノウハウは潤沢な環境になくても可能であり、見るほど聞くほど納得で突っ込みどころがない。
また野球という競技の本質やゲーム性について、辻監督ほど自ら突き詰めて考えたり、研究してきた野球人を他に知らない。その好奇と疑いの目は、経験者の大半が信じて疑わない野球の常識やセオリーといったものにも向けられ、見事に覆されたり、暴かれた真理もある。
オマケに独特のユーモアがあって、人を笑わせることにも長けている。それらはまた野球に限ったことではないから、メディアも放置しておかない。筆者は2011年秋、初めてチームに同監督を訪ねて、驚きと感心の連続だった取材を終えた際にこのようにお願いしたことを覚えている。
「10年後、20年後、有名人になってテレビに出るようになっても、ボクの取材は受けてくださいね」
昨今、テレビメディアへの出演も増えてきているが何ら変わらず、取材に応じてもらっている。指導スタイルも、言っていることもやっていることも、どんどん進化をしていくゆえ、結果として以前と真逆になっているケースも多々ある。
そのせいか、「有名税」とも言える誹謗中傷の中には、過去を知る人物からの一方的な口撃もあるようだ。しかし、辻監督はいちいち呼応したり、第三者まで巻き込むような愚をおかさない。リード文にもあるように、野球にも人にも多様性を認めているのだ。
そういう人としての強さ、度量を間近に感じたのは2013年。少年野球雑誌で連載コラムの編集を担当していた筆者は、同監督の最愛の夫人が悪性リンパ腫(癌)という恐ろしい病魔と闘っていることを、それとなく知らされた。以降も定期的に会っていたが、いつも何も変わることなく饒舌で笑いが絶えなかった。目まぐるしい日々を送りつつ、急な取材キャンセルや変更はゼロ。弱音や泣き言も聞いたことがなかった。
インタビュー後編では、知られざるその1年間についても振り返ってもらった。学童野球の指導者という括りを取っ払っても、「15年に一人の逸材」と呼びたくなる人もいることだろう。