【2025注目の逸材】
さかい・まきと
酒井真季斗
[三重/6年]
スモールスポーツ少年団
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、遊撃手
【主な打順】三番
【投打】右投右打
【身長体重】150㎝42㎏
【好きなプロ野球選手】岡本和真(巨人)、大勢(同)
※2025年6月1日現在
“飛ぶバット”禁止の余波!?
「自分からキャプテンになって、みんなを優勝させたいと言うたのと違うのか? そんなんやったら、キャプテン降りろ!」
ふだんは温和な指揮官の逆鱗に触れたのは、2月の下旬。午前中の練習試合が終わり、ランチタイムを前にしたミーティング中のことだった。
矢面に立たされたのは、酒井真季斗。スモールスポーツ少年団で5年時からレギュラーを張り、新チームを攻守両面で引っ張ってきている看板選手だ。2025年を迎えて、立候補補者の中から選手たちの話し合いを経て、キャプテンナンバーの10番を背負っている。
第47期生の6年生を率いる平林監督はチームの第4期生。鈴鹿高時代の同期・豊田清氏(元西武ほか)とは現在も交流があり、名城大卒業後はカナダで少年野球のコーチ経験もある
ところが昨年末まで、1学年上の6年生たち(現中1)と大会に参加し、大人用ビヨンド(一般用の複合型バット)を使っていたことが響いたのかもしれない。同バットが禁じられた新年から、さっぱり快音が聞かれなくなり、三番だった打順も徐々に下がってきて六番や七番へ。
「バッティングはどん底まで行きました。自主練もやめずに続けていましたけど、試合でぜんぜん打てなくて…。新しいバットは打球が飛ばない分、力んで上半身で打っていたのかもしれません」
苦しんだ日々をそう振り返る酒井は、指揮官が業を煮やした理由も分かっていた。成績不振が直接の原因ではない。元々、感情が顔に出やすいタイプである上に、打てないストレスに主将の重圧なども重なり、無意識のうちに言動が自己中心的になっていたのだ。
人格者の平林徹監督は改めて、持論と当時をこう振り返っている。
「子どもがふれ腐れるのは、ある意味、自分を出せているとき。それが必ずしも悪いとは思いませんし、人間性が完璧な小学生なんておらん。ただ、野球はチームワークでやるものなので、自分のプレーができないからって、いちいちふて腐れていたら悪影響でしかないので、厳しく叱りました」
人も羨むような酒井の負けん気を、指揮官は高く評価している。ただし、一歩間違えば、暴走もしかねない。そこで主将就任時には、このようにクギを刺していたという。
「ええか、キャプテンは偉いんやないぞ!試合前のメンバー交換でじゃんけんしたり、大会で選手宣誓するだけが仕事やないからな」
十分に理解したはずの背番号10だったが、打撃不振の迷宮に入り込んで取り乱しがちに。そしてついに、指揮官から叱責されると、スコアラーを務める父からも厳しい説教が。すると、泣きながらその場を飛び出して、姿をくらませてしまった。
「でも、チームメートたちが昼ご飯も食べずに、ボクを探して迎えに来てくれました。それがすごくうれしくて。今年に入ってから一番の思い出です」(酒井)
仲間に救われた主将はその日から改心。すると不思議と、打撃の調子も上向きに。打順もまた上がり始めて、現在は元いた三番の鞘に収まっている。
「下半身を使ってスイングをすることと、リラックスした状態でバットヘッドを走らせて、インパクトでMAXになるように。そういう意識で練習してきた結果、ミート力が上がってヒットも多くなって。今はすごく調子がいいです」
5月下旬の公式戦では1試合2本塁打。6月14日開幕の全日本学童マクドナルド・トーナメント三重県大会では、一番クジを引いての選手宣誓も決まっている。
「去年はミズノドリームカップの全国大会に出られたんですけど、チームとして高円宮(全日本学童)の全国出場はまだないので、自分たちが決めたい。守れるチームなので、打線がつながるように引っ張っていきたいです」
全力&ダイナミック
「モロ野球小僧で、努力をできる才能がある。正義感もすごく強くて、昭和チックな子」
これは指揮官の酒井評だが、言い得て妙。丸刈り頭に、勝ち気を描いたような眼光といい、打席で発する気合いの声といい、どこか懐かしさすら感じさせる。
酒井の父・真二さんは元高校球児。幼き日の長男が「サッカーをしたい」と言い出した際には、即座に「やめとけ!」と突っぱねたというほど野球命の人だ。息子へのスパルタ指導はもはや、指揮官もよく知るところだが「そこに愛があって、息子も言い返せる関係にある。だからあの子は、自分の意見を誰にでもきちんと言えるんだと思います」(平林監督)
毎週水曜日は高学年のナイター練習があり、それ以外の平日は自主練習を欠かさない。現在は指揮官がチームに提供する屋内練習場があり、酒井父子はそこへもよく顔を出す。父は時間さえあれば練習に付き合うが、一方通行のゴリ押しの指導はしてこなかったという。以下は父・真二さんの弁。
「ボクの野球経験と力だけでは限界がありますし、今は携帯端末でプロの動作とか有効な練習方法とか、何でも見ることができますからね。息子ともそういうのをたくさん見ながら、投げ方も打ち方も本人が思うようにマネしてみたり、いろいろやってきました」
フィールドで何より際立つのは、ダイナミックな動き。腕も脚も長くて足が大きい分、余計にそう映るのかもしれないが、一度見たら忘れないほどパンチが効いているのは、独特の投球フォームだ。
打者にお尻を向けるかのように左足を深く大きく引き上げつつ、ボールを持つ右手は大地を指し示すかのように腕が一直線に。テイクバックのこの一コマは、故・村田兆治氏の代名詞“マサカリ投法”を彷彿とさせる。50歳以上のオールドファンなら、思わずニンマリとしてしまうかもしれない。
ただし、当の酒井のほうは、昭和を代表する往年の大投手のこともその投法も「知りませんでした」とポツリ。現役の小学生や保護者世代の多くも、おそらく同様だから補足をしておこう。
村田氏は1970年代にロッテのエースとして活躍し、2度の日本一にも貢献。その後は右肘の手術を経て、80年代の後半に復活して『サンデー兆治』の愛称でも親しまれ、通算215勝で名球会入りを果たしている。
“マサカリ投法”の「鉞(まさかり)」とは、古代から木材の伐採などに使われてきた、大型の斧のこと。村田氏の力強いオーバースローが、その鉞を振り下ろすときに似ていることから、そういう呼称になったようだ。
一方、酒井の右腕の振りとリリースはというと、やはり力強いが、真上から振り下ろす感じではない。そこは元祖“マサカリ投法”とは異なるが、でも誰かに似ているような――。そのヒントは、彼が練習時にはめていたオレンジ色のリストバントと「15」の刻印にあった。そう、巨人のセットアッパーで、2022年にセ・リーグ新人王にも輝いた大勢投手だ。これには酒井の反応も早かった。
「大勢選手は大好きです。打者は岡本和真選手が好きです。将来はドラフト1位で巨人に入って、大勢選手みたいな投手になりたい」
Gの憧れと10の憧れ
小学生の姿態を記すのに、トッププロを引き合いに出すナンセンスも筆者は自覚している。とにかく、酒井の投法は著しく個性的なのだ。そしてきっと、多くの打者が打ちにくさを感じる。またあのテイクバックも、股関節の可動域や強さにバランス感覚もあればこそ、身についたものに他なるまい。
「去年はコントロールが悪くて、試合で荒れることも多かったんですけど、股関節の運動とかを教えてもらってずっとやってきているので、コントロールがついてきて今は自信を持って投げられています」(酒井)
最速は106㎞。これをマークしたのは4月下旬とのことだから、8月の夢舞台に登場してきた場合には、110㎞台を連発しているかもしれない。また、ピッチングにおいては指揮官の信頼もすこぶる厚い。
「あの子(酒井)は、いくつも修羅場をくぐっていて安定感が違うんです。5年生のときからココ一番のときには投げさせることが多かったんですけど、かなりキツい経験もしていますから」(平林監督)
酒井本人も忘れられないと語るのは、昨年7月の立て続けの痛恨。第1回年中夢球杯の三重県大会決勝でサヨナラ弾を浴び、1週間後のミズノドリームカップ全国大会のブロック代表決定戦で、またもサヨナラ打を浴びた。
「ミズノの大会で負けたときは辛かったです。6年生は最後の全国大会だったので。負けてみんな泣いていたんですけど、キャプテンがすぐにボクの所に来てくれて『しょうがない、あそこで投げられるのはオマエしかおらんかった』と。それでボクも涙が止まらなくて…」
前主将(現中1)の名は、平川夏輝。酒井はこの先輩への憧れとリスペクトに加え、大舞台での無念を晴らしたいとの一心から主将を志願したという。
「平川さんはホントにカッコ良くて、優しいキャプテンでした。自分もそうなりたいと思って立候補してキャプテンになったんですけど、やってみるとチームはまとまらんで難しいし、自分も打撃がダメで、メンタル的にきつくて…」
結果、先述のように指揮官に咎められ、仲間たちに救われて心を入れ替えたのだった。
今年は6年生が9人で5年生は5人。自他ともに認める仲の良さとチームワークがある。全日本学童の予選は、2022年から2年連続で県準優勝し、昨年は県4強。夢舞台にリーチをかけ続けているが、OBでもある就任9年目の平林監督に気負った様子はない。
「もちろん、私もマクドの全国(全日本学童)に出たいと思っています。でも、勝った負けたは子どもらが頑張った結果なので。この3年もそれを受けて止めてきましたし、全国へ出るために私からハッパをかけるとか、どうこうというのは特にありません」
遊撃手の酒井夏己、捕手の服部貴仁ら経験豊富な6年生が酒井主将をサポート。また妹の季梨奈(5年)も投手で台頭してきている
“マサカリ投法”か“大勢二世”か。そういうことはきっと、酒井の眼中にはない。1球1球、みんなのあらゆる思いを背負って右腕を振り抜く決意だろう。言うまでもないが、この主将は守っても打っても走っても、すべてに全力で抜かりがない。
今回の取材に際して、父・真二さんがしみじみとこのように語ったのが印象的だった。
「楽して良い選手にはなれないし、やればやるほどうまくなる。それを親のボクのほうが、息子に教えられた気がしているんです」
勝負の全国最終予選まで、あと10日あまり。酒井は変わることなく、今日も「牙」ならぬ「鉞の刃」を研いでいることだろう。
(動画&写真&文=大久保克哉)