【2025注目の逸材】
さとう・ゆういちろう
佐藤優一郎
[東京/新6年]
ふなばし
船橋フェニックス
※プレー動画➡こちら
【ポジション】捕手、三塁手
【主な打順】一番
【投打】右投右打
【身長体重】137㎝39㎏
【好きなプロ野球選手】周東佑京(ソフトバンク)、森下暢仁(広島)、秋山翔吾(同)、坂本勇人(巨人)
※2025年1月30日現在
全国で唯一、1000チーム以上が加盟する東京都。5年生以下の新チームのチャンピオンを決める秋の新人戦は、ここ2年連続で同一のカードとなっている。
相対したのは世田谷区の船橋フェニックスと、品川区の旗の台クラブ。2年前は船橋が、昨秋は旗の台がそれぞれ制している(リポート➡こちら)。どちらも内容を伴う好勝負で、2年続けてセンセーションを巻き起こしたのが船橋だった。
先輩に続くセンセーション
2年前の現6年生(卒団済)たちは、体格と投力とパワーが抜きん出ていた。その彼らの試合中に、一塁側の応援エリアで身を乗り出すようにして声を張り上げていた4年生(当時=下写真)が、1年後の同じ舞台で戦列なインパクトを残した。
それが新6年生の背番号10、佐藤優一郎だった。決勝当日は11月の誕生日前でまだ10歳、身長135㎝にも満たぬ小兵にして、2本のランニングホームランを放ってみせた(※プレー動画参照)。それも1本は先頭打者弾で、2本目は逆転された直後の一時勝ち越し弾。
「打ち方はスクールとかお父さんに教えてもらっているんですけど、構えはそのスイングに入りやすいように自分で考えてやっています」
右打席に入ると、上体を低くしたクラウチングの体勢で投手を一度見据える。そして、余して握るバットから放つ打球の、何と鋭かったことか。また身体を左へ倒しつつ、ベースを蹴ってダイヤモンドを駆けていく姿の、何としなやかだったことか――。
3打数3安打2打点と、トップバッターとして文句なしの成績。しかも右中間、中前、左中間と、素直に全方向へ打ち返した。最終的に再逆転されて敗北も、船橋の背番号10の輝きは抜きん出ていた。
サイズ頼みの早熟型ではない。かといって、粗くて拙い晩成型とも違う。マスクを被っても、鋭敏で小回りも利くミニサイズ。それでいて予想や先入観も遥かに超える、打撃のスキルと出力のマキシマムは実に痛快だった。
「夢は大谷選手(翔平=ドジャース)越えの大リーガーです」
さすがに50㎝以上の身長差は埋まらないかもしれない。それでも、ゆくゆくは本家とは違うスタイルで世の野球ファンをあっと言わせ、人々に愛されるスターに、もしかすると――。
時期尚早は百も承知だが、知るほどになお肩入れしたくなる。そんな11歳と2カ月の少年だ。
サッカーで落ちこぼれ
「愛嬌があって、とにかく前向き。目をキラキラさせながら人の話を聞いて、すぐに吸収する子でしたね。これからも、あの印象的な笑顔を忘れずに、野球を楽しんでいけば結果はついてくると思います」
佐藤にコメントを寄せてくれたのは、2023年の全日本学童マクドナルド・トーナメント初出場時の指揮官(同年度で息子と卒団)だった、齋藤洋美さん(=下写真)。佐藤が4年生に上がるまでは低学年チームを率いており、野球のイロハを授けた恩師だ。
佐藤の父・陽一さんは、野球どころの福島県いわき市の出身で、中学まで白球を追った。磐城高から早大へ進み、卒業後は大手の総合商社に勤務している。長女の誕生から5年後、長男の佐藤が生まれる直前に中国へ単身赴任。帰国してまた一家で暮らせるようになったのは、5年後のことだったという。
「一緒に住み始めたときに優一郎(佐藤)はもう5歳でしたけど、最初は私を『パパ』という名のオジサンと思っていたみたいです。出張へ出るときに『パパ、またユウ君の家に遊びに来てね!』と言ってましたから(笑)。彼は幼稚園から1年生の途中までサッカーをやっていて、私はこの競技はトンチンカンなのでボーッと眺めている感じでした」(陽一さん)
打球への即座の反応や動き出しにも見て取れる、運動能力の絶対値はサッカーで引き上げられたのだろう。本人もそれを認めつつ、意外な事実を打ち明ける。
「ちっちゃいときから外で走り回るのが大好きで、いろんな遊具で遊んでいました。サッカーは周りのみんながやっていたので始めたんですけど、ぜんぜん活躍できませんでした。紅白戦でもゴールも決められないし、つまらなくなって…」
そんな折に、近所の母親同士のつながりで紹介されたのが、野球の船橋フェニックス。そしてその1年坊を待ち受けていたのが、前出の齋藤監督(当時)だった。入門時の佐藤を恩師はこう回想する。
「今では信じられないかもしれないですけど、チームはぜんぜん人がいなくて。とにかく、子どもに楽しませる仕掛けをいくつも考えて体験会も頻繁に。そこへ入ってきたのが優一郎でした。小さい子で、走れるけど、特別に何かすごかったというわけではないですね。ただ、どうしても目をかけたくなるというか、みんなに愛される子でした」
佐藤はすぐに野球にのめり込んだという。サッカーで貯金もあった分、理解力も再現力も高かった。上達を大人たちに褒められて、さらに夢中になるという好循環が自ずと生まれた。
「チームメートもみんな面白くて、行くたびに笑ったりして、もうやめられなくなりました」
父との間にも『野球』という共通項ができたことで、離れて暮らした分のブランクと距離感も一気に埋まった。佐藤の4年時には学年監督も務めた父は、1年でチームの事務局へ転身し、自宅ではサポート役に徹しているという。
「娘の学校の受験では、私が勝手にレールを敷いてしまったような反省がありまして。息子には本人がやりたいことの背中を押してやる、というスタンスに切り替えました。出張が多い仕事なんですけど、家にいるときは近所の公園で練習の手伝いをしています」(陽一さん)
現在は平日の水曜と金曜がチーム練習。あとは守備メイン、フィジカルメインなど複数の野球塾へ通っており、受けたレッスンの内容を自分のものとするべく、父を相手に数をこなすという
本気になったワケ
今では1年365日、野球に染まっている。体調不良時を除けば、白球やバットを手にしない日はないというほど。
そこまで本気になったのは、3年生からだった。後からチームに入ってきた、前西凌太朗と中司慧太が上の学年に引っ張られてプレーするようになったのがきっかけ。要するに、仲間に追い越されてしまって尻に火がついたのだ。
「すごく悔しくて、練習をがんばろう!と。野球は楽しいし、チームも好きだけど、ライバル関係って結構キツいなと思いました」
その後、佐藤も上の学年のチームに呼ばれるようになった。ポジションはレフトからセカンド、そしてピッチャーにサードにキャッチャーと幅を広げてきた。
それでもまだ、先を行く仲間たちに劣る部分も少なくない。「佐藤はすべてが平均点より上だと思います。ただ、走力も肩も長打力も、チームNo.1ではないんです」と指摘するのは、彼らを率いて1年になる森重浩之監督だ。
「とはいえ、試合で一番結果を出しているのは間違いなく佐藤。野球脳が発達していて、何でもしっかりと考えて事前準備ができる。どん欲でよく勉強するし、何でも自分から吸収しようとするあたりは、ちょっと他の子とは比べられないレベルですね」(同監督)
雨天時の座学に限らず、野球ノートを携帯して指導者の教えや言葉も書きとめている(上)。「食べてるし大きくなりたいけど、『ふつうに手足もあるし、背がちっちゃいとかは言い訳にならない』とお父さんから。自分でも今の身体でもがんばりたいです」
背番号は選手たちの好きに任せ、ポジションや打順は、それまでの経験や父親コーチらの意見も当初は参考にしていた。そんな指揮官が唯一、独断で即決したのがキャプテンだったという。
「佐藤しかありえない。人一倍練習するし、声も出るし発言もするし、背中でも引っ張れる。今年に限らず、そんな子はなかなかいませんからね」(森重監督)
扇の要に専念するようになったのは、昨年の夏ごろ。チーム事情と本人の希望によるが、卓越した身のこなしをさらに生かせる内野のポジションを、という考えも指揮官には根強い。そして何度もこう尋ねてきたという。
「オマエ、ほんとにキャッチャーでいいのか?」
「はい!やりたいです!」と即答してきた佐藤は、やりがいをこのように語る。
「自分で言うのもちょっと嫌なんですけど、ボクは結構考えられるほうなので、場面場面で頭を使って配球したりするのが面白いし、好きです。やることも多くて、たいへんですけど見せ場もいっぱい」
熱い覚悟と熱いエール
チームは2年連続で「小学生の甲子園」全日本学童大会に出場中。新人戦の東京3連覇は逃したものの、準優勝した佐藤たちも当然、そこを狙えるレベルと位置にある。
昨夏の夢舞台は、ベンチの佐藤に出番はなかった。それでも全国のハイレベルを間近に感じ、そこで戦う先輩たちからも学んだものがあるという。
「先輩たちはスピードもパワーもぜんぜんすごいのに、スキマ時間にもずっと野球のことを喋っていたり、意識の高さも感じました。ボクは去年は野球でも結果を出し切れていないし、練習で道具の準備が遅かったり、ふざけちゃったりすることもあって、キャプテンとしてもぜんぜん。今年はチームメートからしっかりと信頼されて、何でも任せてもらえるような人間になって、全国大会にこのチームを導きたいと思います」
旺盛な学習力と健気な努力で能力を高めながら、本番で存分にパフォーマンスを発揮してきて今がある。ハイレベルな東京の、ハイレベルなチームの中で、これからも揉まれながら成長していくことだろう。
昨年は20本近く本塁打をマークしたが、狙ってきたのは「ライナー性の強い当たり」だった。大人用レガシーなど“飛ぶバット”も禁じられた今年は、自ら捨て石になる覚悟もあるという。
「自分はバットに絶対にボールを当てるという自信はあるから、基本はライナーを打つことですけど、場面によってはゴロを打つとか、チームを助けるみたいなバッティングもしたいと思います」
ヒーローは必ずしも自分でなくていい。その分、仲間たちと大きな達成感と喜びを享受したい。そんな主将に勇気を与えるような、先輩からのエールを最後にお届けしよう。
メッセージの主は神田咲太郎(6年)。NPBジュニアを6人も輩出したタレント軍でレギュラーにはなれずも、裏方もこなしながら食らいついてレベルアップし、全国大会の開会式では始球式(打者役)も務めた。そして卒団するまで、佐藤ら5年生たちに混じって練習をしていた不屈のメガネくん。
「優一郎はプレーでも声でも、誰よりも全部が輝いている。それは誰よりも上手いということだから自信を持って、今後もチームを引っ張って、ボクらができなかった全国制覇をしてほしい。チームにも勝敗にも何事にも負けずに、がんばってほしいと思います」
(動画&写真&文=大久保克哉)