【2025注目の逸材】
そとかわ・おうすけ
外川旺亮
[青森/6年]
ひらかわ
平川Jr.ベースボールクラブ
※プレー動画➡こちら 【ポジション】捕手、投手
【主な打順】一番
【投打】右投右打
【身長体重】156㎝50㎏
【好きなプロ野球選手】マイク・ピアザ(元ドジャースほか)、鈴木誠也(カブス)
※2025年6月15日現在
冬の神宮で夏の王者に対峙
「バッティングもピッチングも、夏から一気に化けまして。野球が大好きな子なので、非常に意識が高くて、普段の練習や態度もしっかりしてますね」
平川Jr.ベースボールクラブの水木宏之監督から、高い評価を聞いたのは昨年12月。東京の神宮球場で開催された、ポップアスリートカップ全国ファイナルくら寿司トーナメントで、1回戦を突破した後だった。
指揮官が称えたのは、当時5年生だった正捕手の外川旺亮。チームは沖縄代表のパークタウンに5対0と快勝した。打線の三番に入った外川は左前打、良い当たりの中飛、そして第3打席は右中間へ三塁打を放ち、ダメ押しの起点となった。
ポップ杯全国ファイナル「冬の神宮」では8強進出。当時5年の外川は1回戦で2安打(2024年12月21日、神宮球場)
スタメンのうち4人が下級生で、彼らは“飛ぶバット(一般用の複合型バット)”が使用禁止となる2025年を見越して、そのバットを使わずに参戦。それでいて、外川は右打席から鋭い当たりを連発した。足の裏から大地に根が生えているかのように下半身がブレず、逆方向へも強く弾き返していた(※プレー動画参照)。
続く準々決勝では、前年王者で「夏の神宮」(全日本学童大会マクドナルド・トーナメント)の覇者でもある新家スターズ(大阪)の軍門に下る(0対3)も、外川は第1打席でライトへ大飛球を放っている。
「6年生と一緒に神宮で野球ができて、楽しめました。でも新家に対しても、もっとやれたと思います。もの足りない? はい」
「冬の神宮」準々決勝は、大阪・新家スターズとメインのA面でナイターに
虚勢や負け惜しみではない。「冬の神宮」の東北出場枠2のうち、一方をかけた第20回東北選抜学童記念大会で、彼らは初優勝。「BIG WEST CUP」と冠されるこの大会は、予選リーグに始まり、約30チームによる決勝トーナメントまでの長丁場で、予選リーグから9連勝でその頂点に輝いたのだ。
また、5年生(当時)を主体とする新チームは、秋の青森県大会を制し、新人戦の最高峰となる東北大会で準優勝。こうした快進撃の中で、外川は指揮官も認める進化を遂げながら、「一番・捕手」兼抑え投手の副将として、新チームを引っ張ってきた。
さらに過去へ遡(さかのぼ)ると、平川Jr.は昨年8月の「夏の神宮」にも初出場し、初戦を突破している(※関連記事➡こちら)。外川は1回戦は六番・捕手で出場し、第2打席で四球を選ぶと二盗、三盗を決めた。2回戦は千葉の強豪・豊上ジュニアーズに1対8で敗れたものの、4回までは1点差の勝負を展開。八番に打順を下げた外川は右前打を放ち、救援でマウンドにも立っていた(※2試合とも駒沢公園硬式野球場)。
2024年に「夏の神宮」初出場で初戦突破。スタメンマスクの外川は、終盤は三塁を守った(写真下、左から2番目)
要するに、平川Jr.ナインは夏も冬も神宮を経験。これだけでも至難だが、新チームは東北準Vとさらなる躍進の勢い。新年を前に、外川はこのように話していた。
「来年も全国大会に行って、活躍できるようになりたいです」
プロの夢に近づくため
「マイク・ピアザが好きです。昔の映像をお父さんが見つけてくれてボクも見ました。肩が強くて打てるキャッチャー」
日本人メジャーリーガーのパイオニア、野茂英雄氏が1995年に渡米・入団したドジャースで、正捕手だったのがピアザ氏。2023年のWBCではイタリア代表を率いて侍ジャパンとも戦ったが、オールドファンの多くは外川と同じ印象のほうが濃いはず。青森県下で高校まで野球に打ち込んだという、外川の父・尚親さんもその一人なのだろう。
外川家の子どもは2人兄弟。弟の大晴(4年)も平川Jr.でプレーしており、父は父母会長を務めている。水木監督は、長男の外川が人間性も備わっているのは、父の教育が大きいのではないかと話していた。そのあたりを当の父に問うと「正直、厳しいところは厳しくしてきました」と言って、こう続けた。
「野球は1人では勝てないので仲間意識が大切です。野球のプレーをすればいいわけでもなく、中学、高校、社会人と生きていく上では挨拶や礼儀、身の回りを自分でやることなども身につけておかないと」
平日の火・木曜はチームでナイター練習。それ以外の日は父子でティー打撃をしたり、バッティングセンターへ。弟を伴うときもあるが、そこは本人次第。外川自身も父に強制されるだけの受け身ではなく、自らの意思で努力を重ねているという。
「野球は全部が楽しいので大好きです。将来の夢はプロ選手になること。そのためには厳しい練習とか、人間性のほうもしっかりしていかないと。まだまだ行動のほうも、そこまでなれていないので」
父は176㎝の高身長。食育も受けているという外川は、すでに155㎝を超えてきている。憧れのピアザ氏と同じ190㎝にまで、達することができるだろうか。
「旺亮は小さいころから常々、『プロになりたい!』と。正直、ほんのひと握りの世界だと思いますけど、そこに少しでも近づけるように努力して、中学以降も野球が好きでいてくれて、野球を通して立派な大人になってほしいなと思っています」(尚親さん)
よもやの地区予選敗退
さて、勝負の2025年。8月の全日本学童大会は「神宮」など東京開催が昨年度で終了し、今年は新潟県が舞台となる。
実績も経験値も文句なしの平川Jr.は、青森代表の筆頭候補だったが、その座を勝ち取ることができず。しかも5月半ばの平川市大会でよもやの敗退。相手は合同チームで、試合は特別延長までもつれた末に1対2で敗れ、ナインは大号泣したという。父母会長の外川の父は、当時の心境をこう回想する。
「子どもたちは一生懸命にがんばっていましたし、すごく感動した良い試合で、みんなカッコよかった。でもまさか負けるとは。えっ、夢じゃないよね、と…」
悔しさのあまり、敗北が決まると応援席にもいられず。だがフィールドでは、指揮官の胸を打つ一幕があったという。6年生9人がそっくりレギュラーだが、1人が骨折で欠場していた。特別延長の表の守りで、代役の下級生が外野フライを落球し、直後にスクイズで決勝点を奪われてしまった。
涙に暮れた6年生だが、出場した下級生には口々に「オマエのせいじゃない」と声を掛けた。水木監督は「ベストを尽くした結果。私の責任です」と言い訳をしなかったが、最上級生たちの心の成長に感銘を受けたという。抑えのエースでもある外川は、下級生が守る外野に打たせてしまった自分を責めていた。
「バットに当てさせてしまった、(投手の)自分が悪い。あっちの方向(下級生が守る外野)には絶対に打たせない気持ちで投げたんですけど…。ケガしちゃった子にも『県大会に連れていけなくてゴメン』と言いました」
大きな夢は早々に破れた。ひとしきり激しく泣いて落ち込んだナインは、新たな目標に向けてリスタートしている。全日本学童大会と並ぶ、夏の伝統の全国舞台・全国スポーツ少年団軟式野球交流大会(今年度から「エンジョイ!軟式野球フェスティバル」に改称)だ。
あす6月21日からはその予選となる県大会があり、これを制すると7月の東北大会に進む。
「チームのムードも、プレーの確実性も上がっています。ボクは一番バッターなので塁に出て、みんなを盛り上げることを意識して挑みたいと思います。あとは、冬のくら寿司トーナメントも目指します」(外川)
水木監督は就任4年目。指導キャリアは前身のチームから23年となる
平川Jr.は結成4年目。前身の平川ベースボールクラブの時代に、全国スポ少交流に3回出場している。初出場が2005年で、あとは2007年から2年連続出場。19歳で市のスポーツ少年団で指導者となっていた水木監督も、その3大会をコーチとして経験している。またNPBジュニアには、過去4人の教え子たちを送り出しているという。
「ある球団(ジュニア)から、旺亮にもセレクションのお誘いが来てますし、可能性はあると思います。体もどんどん大きくなってきて、先日の練習試合では110㎞を投げました。それでも勘違いした言動はないし、いつも堂々としていて周りにも声を掛けながら、キャプテンを支えてくれる。頼もしい副キャプテンです」(水木監督)
勝負事は勝つに越したことはないが、勝利だけがすべてではないし、すべてが水泡に帰すような敗北は学童野球にはきっとない。痛恨の1敗から立ち直らんとする、平川Jr.と外川の歩みからも目が離せそうにない。
(動画&写真&文=大久保克哉)