【2025注目の逸材】
よしの・かいと
吉野海音
[愛知/新6年]
こっつ
木津ブライト
※プレー動画➡こちら
【ポジション】遊撃手、投手
【主な打順】一番、三番
【投打】右投右打
【身長体重】148㎝42㎏
【好きなプロ野球選手】大谷翔平(ドジャース)、岡林勇希(中日)
※2025年1月20日現在
「速いなぁ~!!」
プレー動画のラストにも観戦者の感嘆が入り込んでいる。
初見ではきっと多くの人が、ため息や声を漏らすのだろう。筆者も一発でその健脚にクギ付けとなり、以降は夢中でカメラのファインダー越しに追ったが、画角に収め続けるにも難義するほど速かった。
聞けば、5年生の春に学校で計測した50m走は「7秒6」。暮らしている岐阜県岐阜市での記録会では、小学5年生1万6383人(2024年度の公立校)の中で2位のタイムだったという。
吉野海音はその反則級のスピードも生かしたリードオフマンとして、昨秋の新人戦で愛知大会優勝に貢献した。
「二塁打とか三塁打とか、バッティングでも活躍できて自信になりました」
木津ブライトは全日本学童マクドナルド・トーナメントに1回、全国スポーツ少年団軟式野球交流大会に2回の出場実績がある。昨年末には、お伊勢さん杯で全国優勝など、安定している全国区の強豪だ。
新チームはタレントが豊富で、総じてハイレベル。11月の県大会(新人戦)は、1回戦から決勝まで4試合すべてで相手を完封した。遊撃手と投手を兼務する吉野が登板するまでもない、勝ちっぷりだった。
「県大会でも吉野の足は武器になりました。頼もしい切り込み隊長ですけど、6年生になると大会も増えてきますし、ピッチャーもやってもらうことになると思います」
こう語る竹村和久監督は、指導歴20年。新年度は5年生たちと持ち上がり、初めてトップチームを率いることになっている。試合中はじっと戦況を追いつつ、確かめるように選手の目を見ながらサインやアドバイスを送る姿が印象的。ヘッドコーチとして全国舞台も経験している新指揮官には、こんな哲学やモットーがあるという。
全国2大大会に3回導いた名将・玉置幸哉監督の下で、参謀役も務めてきた竹村監督。指導歴21年目で初めて、トップチームを率いることになり、玉置前監督はコーチでベンチ入りする予定
「派手な野球じゃなくてもいいし、最終的に相手より1点多ければ勝てる。子どもたちに対しては、各々が本番でいかに落ち着いて力を発揮できるか、それを最優先に考えたり、心掛けるようにしています」
そんな指揮官が現5年生たちを受け持ったのが昨年の2月あたり。やはり、ピカイチの吉野の足には衝撃に近いものがあったという。
「もうゴロさえ打てば、ヒットになるという感じでしたからね」
DNAも確かにあるが
身長と足の速さは、遺伝的な要素が少なくとも半分以上を占める、と言われている。それを示す統計データや専門家の見解は、ネット上にもあふれている。吉野もまた、DNAの恩恵を受けているようだ。
父の誠さんは愛知県一宮市の出身の元野球少年で、小5の市陸上大会50mで2位。小6と中1では同3位だったという。
「カイト(海音)は2人兄弟の弟で、野球も5つ上の兄にくっつくようにして、幼児のころから喜んでやってました。2人目なので親にもノウハウがありますし、あまり苦労せずにうまくなったのかな。なかなかスイッチが入らない感じもありましたけど、去年の夏あたりから、いろいろと刺激も受けて自分からやるようになってきましたね」(誠さん)
竹村監督によると、吉野の父は野球には熱血で息子に厳しいタイプだという。週末は県境を超えて犬山市のチームの拠点まで約30分、車で送迎もしている。
次男坊はその父を満足させるまでには至っていないようだが、親からの遺伝子に甘えているだけではない。
「家の前に20mの急坂があって、そこでほぼ毎日、ダッシュをしています。あとは平日は素振りですね」(吉野)
4年生からは自らの意志で野球塾へ。月曜と水曜の夜に、専門家のレッスンを受けて技術を磨いている。
投球フォームは美しく、見るからに肩甲骨周りも柔らかい。持ち前の下半身のバネで増幅されたパワーを腕振りに転換できている。身長とともに球速も伸びていくだろうし、ショートストップとしても、その足と肩は大きな武器となっている。
「野球はみんなと一緒に戦うところがいいなと思います。声を掛け合ったり、みんなでカバーし合いながら、勝っていくのが楽しい。走塁は自信がありますけど、一番好きなのはバッティングです」
内野安打を量産するために、ゴロ打ちを意識したり、その特訓をしたことはないという。打線では一番以外に、三番を任されてきたほどの腕前だ。それでも、長らくの課題がトップハンド(右腕)の使い方だった。
「どうしても右手をかぶせてしまう癖があって、スイングが波を打つ感じになりやすいところがありました」(竹村監督)。野球塾でも同様の指摘を受けて、自主練習でも改善に取り組んできたという。
その成果がようやく見えてきたのが、昨秋の新人戦だった。それまでは右打席から放つ打球の大半が三塁方向やレフト線だったのが、センターや右中間方向へも鋭く打ち返せるようになり、打率も上昇。一番バッターとして指揮官からも及第点を得ている。
「バッティングもかなり良くなりました。自己表現が得意なほうの子ではないんですけど、殻に閉じこもらず、人の目なども気にせず自由に、どんどんやってほしいなと思っています」(竹村監督)
深い想いが通じているのか、新年を迎えた吉野は発言からも強い意志が感じられる。
「チームの今年の目標は全国大会で優勝すること。その中心選手になって、チームに貢献できるようにがんばりたいです」
2009年、全日本学童に初出場したときの背番号29は竹村監督だった。当時は息子も6年生でプレーしており、主将が猛烈なスピードの持ち主だったという。
「私の知る限り、吉野ほどの足の速さは全国に出たときのキャプテン以来ですね。私自身としても、2009年以来となるマックの全国大会へ行くという目標をもっています」(竹村監督)
チームにとっては16年ぶりのスピードスターが、新指揮官とも重なる目標を果たすべく、フィールドをわがままに疾走する。
(動画&写真&文=大久保克哉)