われわれフィールドフォースの創業は、2006年の11月。それから毎年11月を1年の区切りとしており、現在は第18期にあたります。
おかげさまで、去る17期までにマイナスの収支は一度もありません。国際情勢の不安に加えて、円安に物価高と厳しい外的要因もあり、楽観はできませんが、第18期も黒字が見えてきています。
私は創業者であると同時に、全社員とその家族を守る責務もある社長というポジションにいます。黒字の継続は胸を張れることのひとつですが、生来は心配性でマイナス思考に陥りやすいタイプです。
それでも今があるのは、やたらにリスクを気にして「守り」に入ってきたからではありません。むしろ、「攻め」の一手で突っ走ってきました。
数えきれないほどの失敗もありますが、教訓が必ず残ります。また、「可能思考」というものに出会ったことも、大きな推進力になりました(コラム第10回➡こちら)。近年はさらに、「意図した公言」が物事の進捗を早め、成果を上げています。
2022年12月オープンの「ボールパーク柏の葉」(千葉県柏市)に、本社機能も東京・足立区から移転
この『学童野球メディア』は、第17期の目玉として社内で1年も前に公表。そしてオープンから1年を経過し、軌道に乗ってきていることは、前回のコラムで書いたところです。
続くこの第18期は、『外商部』という新しいセクションが動き出しています。これもまた事前の公表に始まり、予想を超えるペースと勢いで広がりをみせています。
平日練習の市場を開拓したフィールドフォース。商品のユーザーは、大半が学童野球の選手たちです。一方、外商部のターゲットは、原則として高校野球以上のカテゴリーで、主目的は生きた情報の収集と新商品の開発(既存品の改良を含む)。具体的には、チームが活動する現場に足を運び、指導者や選手たちの生の声を聞くことから始まります。
カテゴリーも使途も違うので、既存の売れ筋商品を持ち込むだけでは意味がありません。チームや複数人での硬式野球の練習、屋内練習場での大人の特訓に役立ちそうな商品を厳選。さらにはカタログにない商品も併せて、訪問先でどんどん試用してもらいながら、感想や意見を拾っていく。
ボールパーク柏の葉4Fの本社オフィス。部署も役職も関係なく、どのデスクもフリーで使用している
そんな外商部の実働開始は今年の2月でした。これに先立って、社で積極的に取り組んだのがSNSを介した発信。「意図した公言」で退路を断つと、やる気スイッチが自ずと入ります。私はまた、学生野球の時代から付き合いのある仲間たちに、自分の口から「外商」という従来にないアプローチを仕掛けることを伝えていきました。
するとどうでしょう。訪問先を紹介したいという声が多数、届きました。そして初めて訪問した先で、また新たな訪問先を紹介されるケースも多々。チームからチームへ、人から人へと、枝分かれもしながら世界が広がるばかりで、人の手が追いつかないほどに忙しくなってきています。
ほんの一例ですが、東都大学リーグの名門・東洋大。ここは外商部の主力社員、田中悠太が4年間を懸命に過ごしてプレーした母校です。この彼の古巣からは系列の私学高校だけではなく、OBが在籍・指導する中・高・社会人チームへと、つながりが広がっています。
外商部の田中社員の母校・東洋大へ。まずは持ち込んだ商品をどんどん試してもらった
あるいは社会人野球の名門・JR東日本。こちらは私の高校時代(千葉・二松学舎沼南)のチームメイトにして、社会人・NTT東日本や日本代表でもプレーした飯塚智広さんの紹介でした。
同社の硬式野球部は千葉県の柏市が拠点。またフィールドフォースも、2022年12月に同市へ本社も移転したことから、飯塚さんが間を取り持ってくれたのです。訪ねてみると、田中仁マネジャーは息子が学童野球をしており、石川修平コーチは自身も認める“トレーニング・オタク”とあって、すぐに意気統合。新たに別の社会人チームなども、ご紹介をいただきました。
小学生の平日練習用の商品は、フィールドフォースのサイトを介した通販がメイン。顔と顔を見合わせての対面販売はごく稀です。一方、外商は現場の指導者や選手と直接に対話ができる、という大きなメリットがあります。結果、各訪問先での意見やニーズを反映した商品の開発と受注が、ともに増えてきています。
既存商品の「落下ティー」は、セルフ式で地面のネットに落ちたボールの跳ね上がりを打つ(上)。東洋大では「上から落ちてくるボールを打ちたい」との要望があり、サイズアップした改良版が完成(写真下右)
もちろん、ご紹介者の顔に泥を塗るようなマネは絶対に許されません。もしも、訪問先へ非礼や無礼があったり、それに気付くこともできない体質なら、外商部どころか社もやがて立ち行かなくなることでしょう。
とにかく、赴く前の準備から田中も私も懸命です。そして現場では、持ち込んだ商品のそれぞれ何が優れているのかを丁寧に簡潔に説明し、使ってもらう。そして求められればフォローも速やかに、またどんな些細にでも耳を傾ける。当たり前のことを、当たり前にしています。
公言をすると、実行力と持続力が自ずと生まれる。また、支援者が必ず現れてモチベーションを引き上げてくれる。そして、有益な情報も集まってくる。私はこの4つのメリットを身近に感じながら、第19期の新たなトライを模索する今日この頃です。
つながりは複数のNPB球団へ。埼玉西武ライオンズでは、試用(上)から購入された「移動式の壁(カタログ非売品)」がブルペンの後方などで活躍中(下)
人から応援や期待をされると、後には引けなくなる。最大の誠意と情熱をもって事にあたらずにはいられなくなる。どうやらこれも、私の性分のようです。
その始まりは何なのだろうと記憶を遡っていったところ、「二十歳の1月15日」で思い出のページをめくる手が止まりました。
大人の門出を祝う成人の日は、1999年までは「1月15日」と決まっていました。自分たちの番だったその年、私は一人、海外の中国(中華人民共和国)にいました。留学先の大学で、中国人の学生と同じく、中国語で授業を受ける本科生に。でも、年末年始や成人の日だからと、一時帰国ができるほどの金銭はありませんでした。
携帯電話もインターネットもない。北京の国際空港には、戦闘機も並んでいた時代のことです。日本の地元の友人たち20人くらいが、異国で成人の日を迎えた私一人のために、バカにならない料金を支払って、電話を掛けてきてくれたのです。みんなお酒に酔っている感じでしたが、受話器の向こうから代わる代わる「がんばれよ!」と。
もしも、私にそういう仲間がいなかったら。送別会を開いてもらうこともなく、ひっそりと大陸に渡っていたとしたら――本科生になるどころか、1カ月としないうちに帰国していたかもしれません。過去のコラムでも少し触れましたが、中国では冒頭から、それくらいに心をヘシ折られていたのです。
19歳から中国へ留学。写真は1996年当時の天安門広場
物事の難しいほうを選択し、それを公言したら、あとは誠心誠意を尽くし抜く。フィールドフォースの社長だからというよりも一人の大人として、これからもそう生きていきたい、と心をまた新たにしています。
(吉村尚記)