『振り向けば奴がいる』というトレンディードラマが大ヒットしたのは、1993年。「トレンディ」の響きも懐かしいですが、あれからもう30年近くになるのですね。
この3月末に最終回を迎えたNHKの『朝ドラ』こと連続テレビ小説は、史上最低の視聴率だったそうです。阪神淡路大震災の被災地・兵庫県の神戸市を舞台に、現代の家族像が描かれ、終盤には「コロナ禍」の時代もありました。
この手の『連ドラ』を欠かさずに見るような趣味は私にはなく、善し悪しや感想を述べるつもりもありません。このコラムを書くために、少し調べてみただけのこと。
きっかけは、とある出張先での朝食でした。宿泊先のレストランで、たまたまついていたテレビの『朝ドラ』で、街から人が消えた緊急事態宣言下の寒々しい世界がリアルに再現されていました。それがやけに懐かしく感じられて、気づけば箸を止めて見入っている自分がいました。
「東京に緊急事態宣言が出ました!」
社員からそう言われて、パソコンでニュースをチェックした日が、もう5年も前とは――。2020年4月7日。当時のフィールドフォースの本社は、東京都足立区のボールパークに隣接しており、私はデスクワークをしているところでした。
東京都など人口が多い7都府県に、政府から同宣言が発令され、不要不急の外出や県境をまたぐ移動が原則として全面禁止に。これを受けて、私はすぐにボールパーク足立の責任者に「営業停止」を伝えたことを覚えています。
私が正式に代表取締役社長となったのは、その年の11月でしたが正直、目の前が真っ暗になりました。年間でおよそ1億円はあった、ボールパーク足立の収入が、明日から0円になるのです。またその10日後には、緊急事態宣言が北海道にも及び、札幌と旭川にそれぞれ構えるボールパークも同じく停止に追い込まれました。
緊急事態はいつまで続くのか、毎日のように情報を探っても答えに行き着かない。一寸先は闇でありながら、新型コロナウイルスの感染者は都市部から地方へと確実に広まり、増え続けるばかり。連日、こういう報道の繰り返しの中で、私は肩にずしりとくるものとプレッシャーを感じずにはいられませんでした。創業者の一人でもある私は、全社員とその家族の生活も守る責任があるのです。
そうした心の内も、事後となった今だからこそ明かせますが、現在進行形の当時は己の中だけに留めました。会社の身の振り方や収入減少の打開策などを、第三者と話し合った記憶もありません。ひたすらに平然と、通常通りに業務をこなしていました。いや、自ずと没頭していた、というのが的確かもしれません。そして間もなく、社の定例会議を通じて、全社員に向けてメッセージを発しました。
「会社として、やることは今までと変わりません。野球の大会もチームの活動もできない状況にあるけど、家にいる子どもたちは身体を動かしたいはずで、ウチの商品を親御さんたちにも広く知ってもらう良い機会でもある。それぞれ、自分にできることをやっていきましょう!」
一言一句を暗記しているわけではありませんが、おおよそ上記のようなことを私は話しました。すると、どうでしょう。社員たちはそれぞれに頭も働かせながら、どんどん主体的に動いてくれたのです。
ボールパークの大規模なメンテナンスは、ボールの1個1個から備品類にまで及んだ
非営業のボールパークでは、再開後の使い勝手も見越してレイアウトを大胆に変更。2016年オープンの1号店・足立では、大掛かりな清掃から着手していました。人工芝の上に撒いてあるゴムチップも、掃除機ですべて吸い取ってから洗浄してまた戻に。結果、ピカピカの屋内練習場に蘇りました。
そしてそこでは、商品の使い方や賢い点などを動画で撮影・編集し、『平日練習やろうゼ!』のキャッチフレーズとともにSNSで発信していく。
相談こそありましたが、私の命令や指示で始まったものはありませんでした。また、平日練習用の新たなアイテムを生み出すための企画開発会議も、熱と本気度が明らかに高まっていきました。
ゴムチップ洗浄後のボールパーク内。下は修正したマウンド
『プレーヤーの真の力になる』とは、創業時からの社訓。ですが掲げた私のほうが、社員というプレーヤーたちから見えないパワーをどれだけもらったことでしょう。そういう彼ら彼女らが、今でも私の大切な誇りであり、社の財産です。
さて、結果から言いましょう。
おかげさまで、コロナ禍においてもフィールドフォースは右肩上がりの成長を続けました。商品の売り上げと利益は、ボールパーク3店舗の未収入分も十分に補填できるほど。「緊急事態宣言」も何度目かわからなくなるほど繰り返されていた最中の2021年には、九州の福岡県にもボールパークをオープン。コロナ禍の間に、社を去った者もいませんでした。
コロナ禍で建設も進め(上)、2021年11月にオープンした4号店のボールパーク福岡
頼もしいプレーヤーは、海の向こうにも。われわれの商品の9割以上を生産している、中国の協力工場です。
創業時からのパートナーである彼らは、フィールドフォースの社員と同じく、開発意欲とチャレンジ精神が旺盛。コロナ禍でも、どんどん売り上げを伸ばして需要が高まる中で、およそ20ある協力工場は商品の生産を止めることなく、日本のわれわれの元へと供給を続けてくれました。
今や世界の経済大国である中国の発展は、目覚ましいものです。われわれが創業した2006年当時の平均年収は約800元。それが2024年は約13万5000元、ざっと20年で150倍以上です。当然、協力工場の賃金も上がっているはずですが、われわれからの発注増がそれを下支えしており、信頼関係もさらに強固に。この関係性は「元受けと下請け」というものを超えて、もはや「運命共同体」です。
コロナ禍では中国の協力工場から、大量のマスクを送っていただいた
一難去ってまた一難。コロナ禍の次にやってきたのは急激な円安でした。原油など原材料の世界的な高騰から、日本の物価も軒並み上昇。2020年4月は「1ドル=107円」だったのが、2024年の4月には「1ドル=160円」に。4年間で円が66%も安くなってしまうなんて、輸入を柱とする企業には死活問題です。中国で生産した商品を輸入している形のわれわれ、フィールドフォースの利益も泡のごとく消えていきました。
こうした状況に陥ると、下請けや生産元を叩いて叩いてコストを削ったり、さらに低賃金の国や企業へ生産拠点を移していく。それでも埒が明かなければ、マイナス部門をそっくり閉じて人員を整理したり、役員報酬から一律でカットしていったり。大手の企業になるほど、そういう路線で自社の利益確保に走るものかもしれません。
われわれのようなベンチャーや中小企業でも、東南アジア圏の生産拠点を安価な国へと移す流れが身近にありました。結果論ですが、そういう金策に走った企業は私の知る限り、今も相当な苦戦をしています。
とある統計データによると、ベンチャー企業の生存率は5年で約15%、10年で約6.3%、20年になると約0.3~0.5%だそうです。フィールドフォースは、今年の11月で創業20年。仮に1000社あったとしたら、3~5社しか生き残れない、狭き門の中に入れたということになります。
コロナ禍でピッチングマシンの受注が急増。現在もこの流れにある
確かに「運」もありました。野球用具の中でも、自主練習用のマニアックな独自商品を主力とするフィールドフォースには、ライバル不在という大きな強みがあります。創業から約10年は、下請け企業の悲哀や苦汁を嫌というほど味わい、今日に続く「脱OEM」の大転換が功を奏することに。
コロナ禍においては、野球用品でもユニフォームやソックスなどのアパレル関係や、スパイクやバットなど対外試合に必要な用具類がほとんど売れず在庫を抱えることに。一方、われわれの主力商品は飛ぶように売れていきました。お抱えの税理士からは、当初よりそういう先読みと「心配することはない」という話を聞いてはいました。
現にその通りとなったわけですが、私は一方で腹を決めていました。いざとなったら、私財も投入して会社を守る、社員の生活を守るぞ、と。そして空前の円安へと大振れしても、新商品の開発と既存商品の仕様変更に勤しんできました。結果、コロナ禍当初の5年前と同じ品番の商品は、今はひとつもありません。そして売り上げは伸び続けています。
コロナ禍では量販店での販売ブースも拡張されていった(写真はイメージ)
懐かしいコロナ禍の時代も含め、この20年はあっという間だったと感じます。中長期のプランを描いてそれに則るよりも、目の前のやるべきことに誠心誠意を尽くすのが私のスタイルであり、経営哲学。時代の変化が激しくて読みにくい現代に、それがマッチした面もあるかもしれません。
この昨今。米国大統領の「劇場」とも言える大胆かつ変幻の言動によって、世界経済がまた揺れています。円安の傾向に歯止めがかかり、1ドル換算の円がこの3カ月あまりで約15円も上昇し、143円あたりで推移。対米の関税率についても、まだまだ変遷があることでしょう。
先がさっぱり読めない状況は、コロナ禍と同じです。しかし、今の私は何も心配していません。むしろ、怖いものなしの安心感と、先々への期待しかありません。
その根拠は、コロナ化や円安などの難局を確実に乗り越えてきたことにあります。ベンチャーならではの独自性と、社員や協力工場などファミリーでの成功体験に強固な絆。これらをもってすれば、どんな外的な要因にも妨げられることなく、歩を進めていけることでしょう。冒頭のドラマのタイトルではありませんが『振り向けば、彼ら彼女らがいる』ということです。
東京で4度目となった緊急事態宣言が2022年9月30日で解除。営業を再開したボールパークにも人が戻ってきた
あえて心配を挙げるなら、この15年で4割減という学童野球チームの激減傾向。われわれの商品のメインユーザーでもある野球少年・少女たちがこのまま減り続ければ、売り上げもやがて頭打ちになるかもしれません。ただし、これにも布石は打っています。
オープン3年目を迎えた、こちらの『学童野球メディア』です。学童野球界の歴史や全体像や記録などもしっかりと抑えた上で、選手や保護者の目線にも立っての熱い報道。模範たる指導者やチームについての具体的な報道。これらにおいてもライバル不在で、明るい未来を照らし続けている。私はそのように自負しています。
(吉村尚記)