フィールドフォースが運営する室内練習場「ボールパーク」。かつて本社のあった東京・足立区で営業するボールパーク1、2に始まり、現在、全国4都道県で営業している。かつて子どもたちが自由に野球に興じた空き地や、公園の代わりになるような存在に──と誕生したボールパーク。いまやフィールドフォースにとっては、単なる室内練習場というだけでなく、地域の営業拠点、情報収集拠点としても機能している。今後も全国各地に増やしていきたい考えだという。
きっかけは偶然!?
いま、小学校は夏休み。フィールドフォースの本社がある千葉県柏市のボールパーク柏の葉では、エースフォーの「夏休み特別強化練習」に参加中の小学生たちが、真剣な表情で練習に取り組んでいた。エースフォーは、2018年から、フィールドフォースが各ボールパークで運営している野球教室だ。
フィールドフォース本社の建物を見上げると、4階部分の外壁には、4枚の懸垂幕が掲げられている。そこには、それぞれ、「2016」「2019」「2021」「2022」の数字。ボールパーク足立、北海道、福岡、柏の葉ができた年だ。
「2016」──。足立が最初のボールパークとして誕生したのが、フィールドフォース創業10年目のこと。それ以前から、ボールパークの構想があったのかを尋ねると、社長の吉村尚記から返ってきた答えはノーであった。
「まったく考えていませんでしたね」
きっかけは偶然といえば、偶然だった。
「当時、足立で借りていた倉庫が手狭になり、物流の拠点を他の地域に移すことになったんです」
単に倉庫の賃貸契約を終わりにするか、それとも再利用の道があるか。
「以前から、公園でボールもバットも使えず、昔のような空き地もない、という、野球少年たちを取り巻く現代の環境に対して、何かできないかという気持ちはありました。そこで、この倉庫をリノベーションすれば、気兼ねなく野球に打ち込める空間を作れるかもしれない、と考えたんです」
2棟並んだ倉庫のうち、空けるのはいまのボールパーク1になる建屋。ボールパーク2になる方は、まだ倉庫として使用していた。
「後にボールパーク1になる方の倉庫は、内部にまったく柱がなくて、ガランとした作りなんです。これは野球の練習もできる空間だと。逆に、後に2になる方は、中二階があり、柱も多い。1と2の倉庫を空ける順番が逆だったら、ボールパークは誕生していなかったかもしれません」
ボールパークとスターウォーズ
そんな発想からスタートしたボールパーク事業。創業当時からフィールドフォースが掲げる掲げる「学童・少年野球選手のために」「プレーヤーの真の力に」というポリシーにブレはないが、確たる方針があっての船出というわけでもなかったようだ。
会長の大貫高志は、当時をこう振り返る。
「イメージは『スターウォーズ』だったんですよ」
……どういうことか。
「初期の映画スターウォーズのメイキングで、ミニチュアのセットで撮影する風景画像がありますよね。あんな感じで、商品撮影に使えるかな、と」
現在もボールパークは多くの商品撮影に使われている。当初から、商品撮影はボールパーク使用用途の柱のひとつではあったのだ。
「ちょうどその頃、スポーツ量販店の売り場でさっぱり売れなかった商品が、ネットで動画を流したら一気に売れた、なんていう成功体験もあって、これからは動画だと」
吉村も懐かしげに回想する。
「確かに、当時はグラウンドやスタジオを借りて商品撮影することも多かったんですよね。撮影に使える場所ができるのは、それだけでもありがたかったですね」
そして、続けた。
「それに加えて、ウチの商品を自由に試用してもらえる場所、という役割もありました。どれでも試してみてくださいと」
練習場としてはどうだったか。
「打撃練習を考えると『球数を打てる』というコストパフォーマンスもさることながら、それよりも、自分の納得のいく練習ができるスペース、というのを第一に考えていました。たとえば、バッティングセンターだと、コインを入れて決められた球数を打って、気づいたら次の人が待っていたりして。自分のペースで、ということが難しいですが、ボールパークならば、借りた時間内であれば、自分が納得できるペースで打ち続けることができます」
そして、さらに……。
「ボールパークの運営で利益を出そうという考えは、なかったんですよね。収支トントンであればいいかなと」
宣伝に奔走
現在、ボールパーク事業部の部長である成田雄馬は、ちょうどその頃に入社し、ボールパーク1の運営を任された。
「すべて1からで、手探りでした。コンビニやスーパーにポスターを貼らせてもらったり、ポスティングをしたり。当時、急速に普及していたインスタグラムでも発信しました。それでも、ぼんやりと、当分、そんなに人は来ないだろうなあ、なんて思ってましたね」
それでも、オープン当初から、会場を探していたという野球教室から定期利用の申し込みがあるなど、滑り出しとしては悪くなかった。
「ありがたかったですね。まだ、売り上げゼロなんていう日もあるときでしたから。それから、スクールや予約のついでにショップを覗いてくれたり、チーム同士の横のつながりで新規のお客さんも増えたり、徐々に予約の枠が埋まっていった感じです」
同じくボールパーク足立の立ち上げから運営にかかわっていた、ボールパーク事業部の小泉光弘は「とにかく、地元の学童野球チームの選手がよく使ってくれて、お父さんやお母さんが宣伝してくれた。ありがたかったですね」と振り返る。「あとは、練習場所に制約の多い、硬式のチームや選手の利用が多かったイメージはあります。あと、これは今もそうなんですが、雨の日は混み合う、とかですね」
試合の雨天中止が決定したタイミングで、ボールパークには予約が殺到するのだ。
成田は当時、こんな体験もしたという。
「当初は、すべての予約を電話で受けていたんですが、転送される携帯電話を自分が持っていて。ある雨の週末、朝、携帯を見ると着信がものすごいことになっていて。店舗に来たら、事務所の電話もいっぱいで。こりゃあこのままでは回らない、となって、電話予約から、ネット予約に切り替えたんですよね。この頃には、店舗対応が忙しすぎて、電話をとれない、なんてときもあったりしましたから」
撮影にも使われるように…
こうして、だんだんと形になってきたボールパーク。その知名度がさらに上がったのは、テレビ番組やYouTubeの撮影に使われ始めたのがきっかけだった。もともと自社商品の撮影用も想定していた施設だけに、他の撮影にとっても便利な存在だったというわけだ。気軽に予約が取れ、時間内は自由に使えるという、ボールパークのような室内練習場は当時、珍しかった。図らずも、オンリーワンだったわけである。
ボールパーク2が営業を始める頃になると、現・野球日本代表「侍ジャパン」監督の井端弘和さんをはじめ、ボールパークでの出会いから、新たなつながりや関係性が始まるケースも増えていた。いつの間にか、ボールパーク2のアンテナショップの壁は、多くの有名選手のサイン色紙で埋まるまでになっていた。
ユーザーと間近に接するメリット
「もちろん、それだけじゃないですよ」
吉村が続ける。
「日々、ボールパークを使ってくれるチームの方、個人の方との出会いも貴重です。われわれメーカーがユーザーの方と直接、知り合う機会ってほとんどないんです。通常のルートであれば、ほとんど、ショップに商品を卸して販売してもらうだけですからね」
ユーザーの反応を知り、直接、声を聴くことができるという事実も、現在ではボールパークの大きな存在意義となっている。
たとえば、フィールドフォースが販売する商品の中でも「大物」である中型アーム式ピッチングマシンFKAM-1501は、ボールパークでの稼働実績とフィードバックが大きく反映された商品である。
現在は自社サイトでのネット販売を通じて、ユーザーの声が届けられることも多くなった。SNSで寄せられるメッセージも増えた。それでも、フィールドフォースが常にユーザーと近い位置にいることができるのは、ボールパークという存在があればこそ。大げさにいえば、ボールパークは、野球人が集うコミュニティの役割も果たしているのだ。
ゆくゆくは47都道府県に!
その後は北海道(札幌・旭川)、福岡、そして柏の葉と、次々とオープン。どのボールパークも、その土地に根ざし、独自の路線を打ち出しながら、コミュニティとして機能している。遠からず、宮城県にもオープンの予定だ。
「ゆくゆくは、全国47都道府県すべてにボールパークを作りたいんです」
ボールパーク足立の開業時から、吉村はそう言い続けている。現在も、その思いは変わらない。が、そのニュアンスは少し、以前とは違う。
ボールパーク設計・施工のノウハウを生かし、フィールドフォースは現在、個人から会社まで、多くのクライアントからの注文を受け、全国各地に練習場を創り出している。
「それらもすべて、われわれと思いを同じくする、ボールパークだと思うんです」
子どもたちが、気兼ねなくバットを振り、ボールを投げられる場所を──。ボールパークと、志を同じくする野球人たちによる練習場。野球少年たちを取り巻く練習環境は、少しずつでも、良い方向に向かっているだろうか。
すべての都道府県にボールパークを。それは、何よりも、すべての野球少年たちの力になりたいという、フィールドフォースからのメッセージなのだ。