プロジェクト
![[vol.15] サービスのつもりが、いまや柱のひとつに……練習場施工](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/6a30c7aa229ef8359a1a37b6049485f3_76c2ae10-d893-4ce6-80b0-3ed58c572ed2.jpg?v=1756993261&width=533)
[vol.15] サービスのつもりが、いま...
営業活動を全くしていないにもかかわらず、フィールドフォースの売り上げの大きな柱となっている部門がある。野球練習場の施工だ。手がける物件の規模は、個人宅の庭から体育館、倉庫のリノベーションまで、大小さまざま。だが、根底にある思いは同じだ。野球に打ち込める場所が増えてほしい──。これは各地で運営するボールパーク事業ともつながる、野球普及への願いなのだ。 「プレーヤーの真の力になる」ために 「最初に手がけた物件……。どこだったかなぁ、今となっては記憶が……」 思い出せないほど多くの件数を手がけたからなのか、並行して何件も抱えていたからなのか、フィールドフォース社長・吉村尚記は、初めて手がけた物件に関する記憶が定かではないのだと振り返る。 ただ、練習場施工の手伝いをしたいと思った動機は、鮮明に覚えているという。「2016年、東京・足立区のボールパーク1を作ったときのことです」 以前にも取り上げたが(⇒こちら)、ボールパーク1は倉庫をリノベートし、野球練習場として生まれ変わらせたものだ。この施工にあたっての一連の作業が、煩雑を極めたのだという。「土木的工事に始まり、人工芝や防球ネット、照明、電気関係……。すべてについて、いくつかの会社に相見積もりを取り、どこにお願いするかを決め、発注する。値段ももちろんですが、品質や工期、近い、遠いといった地理的な条件なども含め、検討事項も多くて、とにかく大変だったんです」 そうした課題を一つひとつ、クリアして完成したのがボールパーク1だったのだが、そこで終わらないのが、フィールドフォースのフィールドフォースたるところ。全てのノウハウを、経験として蓄積したのだ。 「とにかく苦労して、ボールパークを完成し、立ち上げた。その経験を、次に練習場を作ろう、という人たちに役立ててもらえたら」 商売としての発想というよりは、使命感だった。吉村は言う。「フィールドフォースの経営理念は『プレーヤーの真の力になる』。ウチがやらなきゃいけないことだ、と思ったんです」 それにより、フィールドフォースは野球用品メーカーだけでなく、建設業者としての顔を持つことになったのだった。 「餅は餅屋」 野球練習場として最適な、人工芝やネットの組み合わせは? そのために必要な補強工事は? 当初は手探りの部分も多かったが、いくつもの物件を手掛ける中で、この規模で、この天井の高さで、この柱数で、この梁で、この床材なら……といった具合に、条件によって、必要な部材や、それぞれに合った最適な発注先まで、引き出しはどんどん、増えていった。「たとえばですが、ボールパーク1と、翌年にできたボールパーク2に使われている人工芝は、違うものなんです」 吉村が説明する。「ボールパーク1で使われているのは、実際の野球場で多く使われているタイプの、芝丈が長く、ゴムチップなどが敷き詰められたものですが、2の方は芝丈が短めで、密度が濃いもの。下地のクッション性も違います」 ボールパーク1の営業を続ける中で、室内練習場により適した芝を求め、たどり着いた選択肢だった。「そうして、ボールパーク1での経験も踏まえてつくったボールパーク2ですが、まだ足りないところもありました。中2階の手投げエリアの床にボールが当たると、かなり大きな音が響きます。防音性まで、考えてなかったんですよね」 最近の施工例では、ショッピングモールのテナントのひとつとして、などといったケースもあり、練習場の周囲の環境なども考えると、防音性が重要になることは少なくない。そんな場合には、あらためて条件に応じた素材選びが必要になる。これも多くの練習場施工をする中で、経験を積みながら増えていった知識のひとつだ。 餅は餅屋。餅屋がないのなら、自分が餅屋になればいい──。すべては「プレーヤーの真の力になる」ために。 巷では、野球を禁止する公園や広場も多い中、野球をしたい人が気兼ねなく、野球を楽しめる場所が増えてくれれば。すべての練習場は、ボールパークと同じ思いで作られた、兄弟施設、姉妹施設なのだ。 そうした思いを持って「餅屋」になった吉村だからこそ、企業秘密は何ひとつない。「依頼主の方にとって理想の施設になればベストなわけで、隠すことは何ひとつありません。全てを提示して説明し、必要ならばアドバイスすることで、安心してもらえれば、あとはそれぞれ、専門の業者さんに任せるだけ。ウチの仕事は終わったようなものです」 フィールドフォースとしての理想はただひとつ、野球をしたい人が野球を楽しめる空間が少しでも増えること、なのだ。 ニーズを商品開発に生かす! では、練習場の施工がまったく商売っ気抜きなのかといえば、そういうわけでもない。「適正な料金はいただきますし、練習場を作れば、当然、マシンやネット、備品の類の需要が出てきます。そこでウチの商品を使ってもらうことができますから」 そこで納入する商品は当然、通常の流通経路を経ることもなく、個別の送料も発生しないので、市場価格よりは安価に設定できる、フィールドフォースにとっても、依頼主にとってもメリットのある商品購入形態だ。 ただ、ここでも、単に既存の商品を売って終わり、ではない。 9年前、ボールパークを作るにあたり、吉村は多くの施設を観察して回ったという。「それによって、気づいたことがあったんです」 吉村が続ける。「たとえば、防球ネット。グラウンドで使うのと同じ感覚で、不必要と思えるほどに頑丈なフレームを使い、強度のあるネットをフレームにがっちり結び付けている。でも、フレームは必要十分な強度があればいいし、ネットは2枚を張り付けるような形の袋状にして、フレームの上からかぶせるような形にすれば、結びつけるような手間をかけずに済みます」 そのあたりの知識も情報も少ないときにつくった、ボールパーク1に設置されているマシンやネット、その他の備品は、すべて既存品ではなく、ボールパークのためだけに製作された、ワンオフの製品である。「それではやはり、高くつきますよね。であれば、ウチはその用途に合ったものを商品化し、それを使うようにすればいい。お客様の側でも、より安価に練習場をつくることができる。まさしくwin-winです」 フィールドフォース製品のコストパフォーマンスを考えれば、練習場自体も、かなり価格を抑えることができる、というわけだ。「こちらにしてみても、ピッチングマシンはもちろんですし、ネットにしても、あるいはバット・ヘルメットスタンドなんかの備品も、ボールパークや練習場での使用実績が生かされている商品は数多くあるんですよ」 そう、フィールドフォースの商品ラインアップの中には、ボールパークでのニーズにより開発、改良されているものも少なくないのだ。この先も、各地につくった練習場での要望から、新たな商品が誕生することがあるかもしれない。 空間プロデュースか、駆け込み寺か もうひとつの利点が、依頼主のほとんどが、すでにフィールドフォースを知っている状況で依頼をしてくれることだ。「そうなんです。依頼をいただくほとんどの方が、ウチの様々なギアを使ってくれているんです」 つまり、自分たちが普段、使っている商品を通して、フィールドフォースという会社に、ある程度の信頼を寄せてくれているというわけだ。「口コミもあると思いますし、普段から商品を通して知っていていただいていることもあるのでしょう。安心して、お任せいただけるんですよね」 すべてはつながっているのだ。 空間プロデュースなのか、コンサルタントなのか、それとも駆け込み寺なのか。ユーザーのためという一心で始めたサービスが、社業の中における一業態というだけでなく、結果的に、いまでは会社の評価の一端を担っているのだから、不思議なものだ。「とにかく、『プレーヤーの真の力になる』。これに尽きるんでしょうね」 現在も大小合わせ、10件以上の依頼を抱えているという。「それによって、子どもたちが野球できる空間が増えていくのであれば、願ったりかなったり、です」 吉村はそう言って、笑顔を見せるのだった。
[vol.15] サービスのつもりが、いま...
![[vol.14]「ものつくり大国日本再生計画」のその後](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/SSG_7705_fb051e20-b8ca-4ef4-a191-9f1375f23de9.jpg?v=1756453985&width=533)
[vol.14]「ものつくり大国日本再生計...
フィールドフォースの社長・吉村尚記がインスタグラムで突然、「ものつくり大国日本再生計画」なる発言をしたのが6月。なんという大風呂敷! という周囲の動揺をよそに、プロジェクトは着々と進んでいるようなのだ。そんなプロジェクトの現在地を取材すると…。 日本のものづくり力を発信したい! これまで多くの野球用品や、練習ギアを開発し、世に送り出してきたフィールドフォース。それらの製品は主に、国内で企画・開発し、中国の工場で製造する、という流れで商品化されてきた。「外部の方からも、それがフィールドフォースのものづくりだと思われてきたんじゃないかと思うんです。実際、創業当時からのスタイルではありますし、いま現在も、その形での商品開発と製作がほとんどではあります。ただ、それが決まった形というわけではないんです」 吉村が説明する。「たとえば、おかげさまで好調な売れ行きが続いている、学童野球用のキャッチャー用レガース、プロテクターなんかは、日本国内の工場にお願いして、製作してもらっていますしね(⇒こちら)。『ものづくり大国』といわれるわが国には、これまでに培われてきた、驚くほどのポテンシャルを持った会社がありますし、技術力が高く、面白い取り組みをしている町工場だって多い。そうしたところとコラボさせてもらうことで、これまでにない商品づくりができるんじゃないかと思っているんです」 多くの会社を知り、人と出会う中で、吉村はそんな考えを抱くようになっていたのだという。つまり、「再建計画」とは、まだ見ぬパートナーと組むことで、これまでにない、新しい「何か」を創り出していこうという取り組みなのだ。 国外製造の比率が高いフィールドフォースにとっては、折からの円安の影響も大きく、これも吉村の思いを後押しする要因となった。「3年前に始まった円安には、大きな影響を受けましたからね。為替や外的要因に左右されない、会社の基盤を作りたいというのもあります」 吉村が続ける。「これはフィールドフォースだけの話ではないとも思うんです。日本の“ものづくり力”のすごさを形にして、打ち出してゆくことが、地盤強化につながると思うんですよね」 思いを持った人たちとの出会いを大切に 反応は予想以上だった。 吉村の呼びかけに対して、早速、何通かのメールが届いた。もともとスポーツ関連分野の製品も手がける関西の素材メーカーもあれば、異業種ともいえる、特徴ある技術を持った北陸の建材メーカーも。「ありがたいですね。こうした、『思い』を持った人たちとの出会いは、何よりも大切にしたいと思うんです」 と吉村。即座に折り返して連絡し、現地に飛んだり、来京の際に本社に招くなどして、次々と実際に顔合わせをした。「インスタで見たとおりの人ですね!」 そんなあいさつも早々に、自己紹介代わりに、互いの会社の商品をプレゼンし合う、というやり取りが始まるのだった。 事前のメールによるやり取りは主に、自社の持つ製品や技術を生かして、こんな野球用品が作れないだろうか? というもの。実際に会うときには、すでにその製品が試作されていたり、使用テストが行われているケースまであり、熱量の高さは予想以上だ。それだけに、まずは持ち帰って……などという運びになることはなく、ほとんど即決のような形で、製品化に向けての具体的な相談が始まることになる。 それだけに限らない。互いの既存製品について説明を受けると、次々と「こんなこともできるのでは?」と新たなアイデアが提示され、事前に申し出を受けていた、ひとつの商品開発の話題に限らない、言ってみれば“建設的な脱線”が始まるのも常なのだ。 それぞれの会社とフィールドフォース、互いの得意分野や技術を持ちよることで生まれる、あるいは形にすることができそうな商品アイデアを自由闊達に、ひと通り提示し合い、一旦解散。以降も滞ることなく(早ければ翌日にも!)、社内プロジェクトの進捗状況報告といったやり取りが続くのだった。 こちらからも連絡させていただきます! これらのケースと逆に、吉村からコンタクトをとることで、関係性が始まった会社もある。 そのひとつが、フィールドフォース本社ともほど近い、千葉県白井市に本社を置く田中工業。側溝の蓋として用いられる「グレーチング」の製作実績が著名な、溶接を中心に金属加工を行う会社だが、NTT東日本野球部の室内練習場に設置されていた、同社製作による金属製土台のピッチングマウンドに、吉村が一目ぼれしたのだった。 営業課長の田中さん、設計担当の田村さんが野球経験者ということで、「Tuf Cage」のブランド名で、バッティングケージやネットなども多く手掛けている同社。フィールドフォースの存在を知っているだけではなく、商品ラインアップにも詳しく、さらに、吉村とは共通の知り合いや、製品利用者が多いことも判明したのだった。 学童野球選手をターゲットにした、アイデア満載のギアを製品化するところからスタートしたフィールドフォースに対し、田中工業は高校野球部や社会人野球の顧客に向け、頑丈さと耐久性を前面に押し出したラインアップを展開する。 製品クオリティの高い田中工業製の金属部品と、フィールドフォースが手がける非金属材料を組み合わせることで、これまでとは違う、新たな路線の商品が誕生する日も近そうなのだ。 すでに試作段階にある製品もいくつか。これまでの商品とはまた違う、しかしフィールドフォースらしく、「ほかに似たものがない、唯一の」商品がラインアップに加わることになるはずだ。 「1+1」が「2」以上に こうして始まった、大きなプロジェクト。近しい分野の企業との、新たなタイアップの形もあれば、これまで野球とは無関係の会社で、熱い思いを持った社員が、フィールドフォースとの出会いをきっかけに、すでに新たなプロジェクトを立ち上げてしまったというケースもある。 どのケースでもいえるのは、すでに「さまざまなアイデアを形にする」フィールドフォースという会社の存在を認知してくれていること。「おそらく、ウチのこれまでの商品や取り組みを見ていてくれて、『フィールドフォースなら形にしてくれる』『フィールドフォースなら何かやってくれる』と期待してくれていると思うんです。本当にありがたいことです」 そしてもうひとつ、これまでとは違う一面もある。 これまでは、フィールドフォースの社内で出たアイデアを形にすることで、いくつもの商品を創り出してきたが、新たなパートナーと出会うことで、これまでは生まれることがなかったであろう、新機軸の商品が生まれる可能性もあるのだ。「中国とのやり取りではどうしても、こちらが指示、あるいはお願いをして、それを向こうが形にしてくれるという関係性になります。それはそれで、ありがたくはあるのですが、中国には日本のようには『野球』という文化がないから、こちらがお願いした以上のものは出てきませんよね」 吉村が言う。「日本国内のパートナーだと、そこが違ってきます。それぞれの技術、それぞれの思いを持ち寄り、さらに深堀りして、話し合うことができるんです。それによって、1+1が2以上になることだって可能だと思うんですよね」 おそらくは、これこそがこのプロジェクトの本質なのだろう。 これからどんな商品が登場するのだろうか。これまでのフィールドフォースとは、ひと味違うものが出来上がることを楽しみに、もう少し待ちたい。
[vol.14]「ものつくり大国日本再生計...
![[vol.12] ことしで9年。フィールドフォースが都知事杯学童を協賛する理由](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/FF0868CA-50B0-49E4-9A09-F35_52b33c6d-d779-4b56-aabf-098e3fd14db9.jpg?v=1755185170&width=533)
[vol.12] ことしで9年。フィールド...
ことしも、夏の東京ナンバーワンを決める東京都知事杯第48回東京都学童軟式野球大会フィールドフォース・トーナメントが6月21日から7月27日の日程で行われた。毎年、名勝負が繰り広げられる伝統の大会は、学童野球選手を応援するフィールドフォースが大切にしている大舞台でもある。 全国大会よりも長い伝統と、大会独自の楽しみ方 「小学生の甲子園」といえば、現在、新潟県で行われている高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメント。ことし45回目を迎えた同大会よりも、長い歴史を持つのが都知事杯だ。ここでは毎年、1か月ほど前に開催される全日本学童東京都予選ともひと味違う、白熱の好勝負が繰り広げられる。 ことしの第48回大会を制したのは、全日本学童予選でも優勝した不動パイレーツ(目黒)。全国大会でも好成績を残している、押しも押されもせぬ強豪が今季、都大会無敗のまま、都知事杯も勝ち抜いた。その一方で、決勝で不動と緊迫の接戦を演じた準優勝のフェニックス(台東)、3位の本村クラブ(港)、グレートベアー(武蔵村山)の3チームは、いずれも都大会で初のメダル獲得と、上位入賞はフレッシュな顔ぶれとなった。 全日本学童予選からわずか1か月。しかし、この短い期間で、学童野球チームは見違えるほどに成長する。それを目の当たりにできるのも、都知事杯の面白さだ。準優勝したフェニックスの大石剛士監督は「1試合ごとに強くなった。大会前とは別のチームのよう」と、戦いながらどんどんたくましくなる選手たちに、驚きの表情すら浮かべていた。 4月中に支部予選が終わってしまう全日本学童予選には「チームづくりが間に合わなかった」という“隠れた強豪”は結構な数、あるのだ。そんな急成長中のチームや、それまで目立たなかった好投手やスラッガーを見つける楽しみも、都知事杯ならではといえるだろうか。 すべては東京都軟式野球連盟との出会いから… この伝統の大会を、フィールドフォースが冠協賛社として応援して、ことしで9年。学童球児を全力で応援する企業としての姿勢を象徴する大会でもある。 フィールドフォースは、派手な宣伝・広告をしない会社だ。社長の吉村尚記が説明する。「たとえばプロ選手と専属契約をしたり、派手な広告を展開したりすると、最終的には、その費用が商品代金に乗ってくることになります。フィールドフォースは、それよりも、少しでもリーズナブルな価格で商品を提供することで、学童野球選手を応援したいと思うんです」 しかし、大会協賛については、通常の宣伝活動とは違う側面もある。この都知事杯を「フィールドフォース・トーナメント」として開催することになった経緯も、そんなところにあるのだ。 吉村が当時、東京都軟式野球連盟の専務理事をしていた、故・牧野勝行さんと出会ったのは2016年のこと。フィールドフォースのユニークな商品群とともに、子どもたちと向き合う企業姿勢にも共感した牧野さんから、吉村に大会協賛の依頼があったのは、最初に会ってから、ひと月と経たない頃のことだった。 野球界の底辺を支えるために いわく、学童野球大会は、野球人口の底辺を支えるための活動。力を貸してくれないだろうか。そして、学童野球を一緒に盛り上げてくれないだろうか──。単なる企業の宣伝ではなく、一緒に子どもたちを応援してほしい、そんな提案だったのだ。「一も二もありませんでした。二つ返事でOKさせてもらったんです」 吉村が回想する。 フィールドフォースが東京・足立区でボールパーク1を始めたばかりの頃の話だ。会社の知名度も、現在よりはずっと低かった。実をいえば、連盟内では大会スポンサーとしてふさわしい会社なのか、という議論もあったと聞く。そうした意見を押し切ったのは、牧野さんの情熱と決断だったという。「自分も学童野球チームに携わっていますから、以前から当然知っていた、伝統ある大会です」と吉村。「もとより、学童野球選手を応援し、野球界の底辺を支えることは、フィールドフォースの目標でもあり、使命でもある。そして、牧野さんの思いにも応えたいと思ったんです」 そうして、伝統の大会に全面的に関わることが決まったのだった。 「冠スポンサーとして大会を支えることはもちろん、参加チーム、参加選手にとっても、この大会に出場することが名誉であってほしい。選手たちのモチベーションアップにつながってくれればと、上位チームや大会MVP選手への商品だけでなく、毎年、全チームに届くよう、オリジナルの参加賞をお配りするなど、フィールドフォースならではの取り組みを考え、形にしています」 バトンを引き継ぎ、伝統を積み重ねる 大会協賛を始めてから9年の間には、協賛の話を持ち掛けてくれた恩人の牧野さんが亡くなるなど、悲しいニュースも。一方のフィールドフォースは拠点が増えるなど、多少なりともは知名度は上がった(と思われる)。それにはもちろん、都知事杯を協賛したことによる効果もあったに違いない。「都知事杯」の呼称と同程度には、「フィールドフォース・トーナメント」と呼ばれるのを耳にするようになった。フィールドフォースを冠した大会名も徐々に、浸透してきたのだ。 吉村は言う。「伝統ある大きな大会を、これからもしっかりと盛り上げていきたいと思っています。そして、選手たちが出てよかったと思える大会にするお手伝いを続けたい」 もちろん、宣伝・広告効果もある大会協賛だが、子どもたちを応援するフィールドフォースにとっては、それ以上に大きな意味もあるのだ。
[vol.12] ことしで9年。フィールド...
![[vol.10] 野球しようぜ!ボールパークは現代の空き地](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/BP1_4affe3c2-199f-4c3b-adfe-a80328a1cbb5.jpg?v=1753954146&width=533)
[vol.10] 野球しようぜ!ボールパー...
フィールドフォースが運営する室内練習場「ボールパーク」。かつて本社のあった東京・足立区で営業するボールパーク1、2に始まり、現在、全国4都道県で営業している。かつて子どもたちが自由に野球に興じた空き地や、公園の代わりになるような存在に──と誕生したボールパーク。いまやフィールドフォースにとっては、単なる室内練習場というだけでなく、地域の営業拠点、情報収集拠点としても機能している。今後も全国各地に増やしていきたい考えだという。 きっかけは偶然!? いま、小学校は夏休み。フィールドフォースの本社がある千葉県柏市のボールパーク柏の葉では、エースフォーの「夏休み特別強化練習」に参加中の小学生たちが、真剣な表情で練習に取り組んでいた。エースフォーは、2018年から、フィールドフォースが各ボールパークで運営している野球教室だ。 フィールドフォース本社の建物を見上げると、4階部分の外壁には、4枚の懸垂幕が掲げられている。そこには、それぞれ、「2016」「2019」「2021」「2022」の数字。ボールパーク足立、北海道、福岡、柏の葉ができた年だ。 「2016」──。足立が最初のボールパークとして誕生したのが、フィールドフォース創業10年目のこと。それ以前から、ボールパークの構想があったのかを尋ねると、社長の吉村尚記から返ってきた答えはノーであった。「まったく考えていませんでしたね」 きっかけは偶然といえば、偶然だった。「当時、足立で借りていた倉庫が手狭になり、物流の拠点を他の地域に移すことになったんです」 単に倉庫の賃貸契約を終わりにするか、それとも再利用の道があるか。「以前から、公園でボールもバットも使えず、昔のような空き地もない、という、野球少年たちを取り巻く現代の環境に対して、何かできないかという気持ちはありました。そこで、この倉庫をリノベーションすれば、気兼ねなく野球に打ち込める空間を作れるかもしれない、と考えたんです」 2棟並んだ倉庫のうち、空けるのはいまのボールパーク1になる建屋。ボールパーク2になる方は、まだ倉庫として使用していた。「後にボールパーク1になる方の倉庫は、内部にまったく柱がなくて、ガランとした作りなんです。これは野球の練習もできる空間だと。逆に、後に2になる方は、中二階があり、柱も多い。1と2の倉庫を空ける順番が逆だったら、ボールパークは誕生していなかったかもしれません」 ボールパークとスターウォーズ そんな発想からスタートしたボールパーク事業。創業当時からフィールドフォースが掲げる掲げる「学童・少年野球選手のために」「プレーヤーの真の力に」というポリシーにブレはないが、確たる方針があっての船出というわけでもなかったようだ。 会長の大貫高志は、当時をこう振り返る。「イメージは『スターウォーズ』だったんですよ」 ……どういうことか。「初期の映画スターウォーズのメイキングで、ミニチュアのセットで撮影する風景画像がありますよね。あんな感じで、商品撮影に使えるかな、と」 現在もボールパークは多くの商品撮影に使われている。当初から、商品撮影はボールパーク使用用途の柱のひとつではあったのだ。「ちょうどその頃、スポーツ量販店の売り場でさっぱり売れなかった商品が、ネットで動画を流したら一気に売れた、なんていう成功体験もあって、これからは動画だと」 吉村も懐かしげに回想する。「確かに、当時はグラウンドやスタジオを借りて商品撮影することも多かったんですよね。撮影に使える場所ができるのは、それだけでもありがたかったですね」 そして、続けた。「それに加えて、ウチの商品を自由に試用してもらえる場所、という役割もありました。どれでも試してみてくださいと」 練習場としてはどうだったか。「打撃練習を考えると『球数を打てる』というコストパフォーマンスもさることながら、それよりも、自分の納得のいく練習ができるスペース、というのを第一に考えていました。たとえば、バッティングセンターだと、コインを入れて決められた球数を打って、気づいたら次の人が待っていたりして。自分のペースで、ということが難しいですが、ボールパークならば、借りた時間内であれば、自分が納得できるペースで打ち続けることができます」 そして、さらに……。「ボールパークの運営で利益を出そうという考えは、なかったんですよね。収支トントンであればいいかなと」 宣伝に奔走 現在、ボールパーク事業部の部長である成田雄馬は、ちょうどその頃に入社し、ボールパーク1の運営を任された。「すべて1からで、手探りでした。コンビニやスーパーにポスターを貼らせてもらったり、ポスティングをしたり。当時、急速に普及していたインスタグラムでも発信しました。それでも、ぼんやりと、当分、そんなに人は来ないだろうなあ、なんて思ってましたね」 それでも、オープン当初から、会場を探していたという野球教室から定期利用の申し込みがあるなど、滑り出しとしては悪くなかった。「ありがたかったですね。まだ、売り上げゼロなんていう日もあるときでしたから。それから、スクールや予約のついでにショップを覗いてくれたり、チーム同士の横のつながりで新規のお客さんも増えたり、徐々に予約の枠が埋まっていった感じです」 同じくボールパーク足立の立ち上げから運営にかかわっていた、ボールパーク事業部の小泉光弘は「とにかく、地元の学童野球チームの選手がよく使ってくれて、お父さんやお母さんが宣伝してくれた。ありがたかったですね」と振り返る。「あとは、練習場所に制約の多い、硬式のチームや選手の利用が多かったイメージはあります。あと、これは今もそうなんですが、雨の日は混み合う、とかですね」 試合の雨天中止が決定したタイミングで、ボールパークには予約が殺到するのだ。 成田は当時、こんな体験もしたという。「当初は、すべての予約を電話で受けていたんですが、転送される携帯電話を自分が持っていて。ある雨の週末、朝、携帯を見ると着信がものすごいことになっていて。店舗に来たら、事務所の電話もいっぱいで。こりゃあこのままでは回らない、となって、電話予約から、ネット予約に切り替えたんですよね。この頃には、店舗対応が忙しすぎて、電話をとれない、なんてときもあったりしましたから」 撮影にも使われるように… こうして、だんだんと形になってきたボールパーク。その知名度がさらに上がったのは、テレビ番組やYouTubeの撮影に使われ始めたのがきっかけだった。もともと自社商品の撮影用も想定していた施設だけに、他の撮影にとっても便利な存在だったというわけだ。気軽に予約が取れ、時間内は自由に使えるという、ボールパークのような室内練習場は当時、珍しかった。図らずも、オンリーワンだったわけである。 ボールパーク2が営業を始める頃になると、現・野球日本代表「侍ジャパン」監督の井端弘和さんをはじめ、ボールパークでの出会いから、新たなつながりや関係性が始まるケースも増えていた。いつの間にか、ボールパーク2のアンテナショップの壁は、多くの有名選手のサイン色紙で埋まるまでになっていた。 ユーザーと間近に接するメリット 「もちろん、それだけじゃないですよ」 吉村が続ける。「日々、ボールパークを使ってくれるチームの方、個人の方との出会いも貴重です。われわれメーカーがユーザーの方と直接、知り合う機会ってほとんどないんです。通常のルートであれば、ほとんど、ショップに商品を卸して販売してもらうだけですからね」 ユーザーの反応を知り、直接、声を聴くことができるという事実も、現在ではボールパークの大きな存在意義となっている。 たとえば、フィールドフォースが販売する商品の中でも「大物」である中型アーム式ピッチングマシンFKAM-1501は、ボールパークでの稼働実績とフィードバックが大きく反映された商品である。 現在は自社サイトでのネット販売を通じて、ユーザーの声が届けられることも多くなった。SNSで寄せられるメッセージも増えた。それでも、フィールドフォースが常にユーザーと近い位置にいることができるのは、ボールパークという存在があればこそ。大げさにいえば、ボールパークは、野球人が集うコミュニティの役割も果たしているのだ。 ゆくゆくは47都道府県に! その後は北海道(札幌・旭川)、福岡、そして柏の葉と、次々とオープン。どのボールパークも、その土地に根ざし、独自の路線を打ち出しながら、コミュニティとして機能している。遠からず、宮城県にもオープンの予定だ。 「ゆくゆくは、全国47都道府県すべてにボールパークを作りたいんです」 ボールパーク足立の開業時から、吉村はそう言い続けている。現在も、その思いは変わらない。が、そのニュアンスは少し、以前とは違う。 ボールパーク設計・施工のノウハウを生かし、フィールドフォースは現在、個人から会社まで、多くのクライアントからの注文を受け、全国各地に練習場を創り出している。「それらもすべて、われわれと思いを同じくする、ボールパークだと思うんです」 子どもたちが、気兼ねなくバットを振り、ボールを投げられる場所を──。ボールパークと、志を同じくする野球人たちによる練習場。野球少年たちを取り巻く練習環境は、少しずつでも、良い方向に向かっているだろうか。 すべての都道府県にボールパークを。それは、何よりも、すべての野球少年たちの力になりたいという、フィールドフォースからのメッセージなのだ。
[vol.10] 野球しようぜ!ボールパー...
![[vol.9] 女子野球選手を全力応援! WOMEN'S FORCEの活動とは](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/WF__1_163ecfc4-cbdc-4d66-8ce6-a5ff4674e5e4.jpg?v=1753344560&width=533)
[vol.9] 女子野球選手を全力応援! ...
FIELDFORCEが女子野球選手を応援するために立ち上げた、女子野球人のためのブランド「WOMEN'S FORCE」。2018年にスタートし、直近では、「グラブ工房」の回でも紹介したとおり、女子選手用のグラブをより進化させた形で刷新するなど、精力的、継続的に活動を続けている。現在、担当しているのはFIELDFORCEの4人の女性社員。女子選手や指導者、その家族など、女子野球に携わる人々の力になるべく、幅広く活動する、WOMEN'S FORCEとは──。 野球の原点!? 「女子学童野球って、野球の原点だと思うんです」 以前、そう話してくれたのは、10年以上にわたり東京都日野市の女子学童野球選抜チーム「日野ドリームズ」を率いる、塚本哲也監督だ(⇒チーム紹介記事)。 野球の原点とはすなわち、「楽しむこと」だろう。良いプレーをたたえ、ミスを励ましあう。そして得点、勝利に歓喜する。選手も、指導者も、それを見守る選手の親たちも笑顔だ。そんな野球の原風景的世界が、女子学童野球にはある。 野球の原点である学童選手たちを支えながら、中学、高校など、次なる舞台へと進む女子選手たちの手助けもしていきたい──。WOMEN'S FORCEはそんなコンセプトのもと、女子選手のための用具・用品を企画・開発するほか、野球教室を行ったり、ネットで情報発信も行う。まさに全方位。が、実際には、大げさな感じはない。それはおそらく、担当する社員が業務自体を、いい意味で楽しんでいるからだろう。 女子野球を盛り上げたい! 「とにかく女子野球を盛り上げていこう、応援していこう、というのが最初にありました」と、ブランド立ち上げ当時を回想するのは、WOMEN'S FORCEのコンセプトづくりや、活動内容の決定に携わってきた小林夏希だ。「でも、当時から、仕事の義務感というよりは、知り合う女子選手や、指導者の皆さんと良い関係を持つことができて、自分も楽しんでいるようなところがあったんですけどね」 フィールドフォースとして協賛する女子野球大会の会場には、WOMEN'S FORCEのバナーがはためく。そして、グラウンドの内外で、あらゆるチームの指導者や選手たちと、常に談笑している小林の姿がある。 選手としてのプレー期間が長く、元日本代表という経歴も持ちながら、「実は私、プロ野球とかにはまったく、興味がないんです」と笑い、「自分でする野球も、もうやり切った感っていうのか、そういうのがあって、いまも誘われることはあるんですが、ほとんどやってないんですよ」と話す小林。彼女には「野球好き」というよりは、「野球“人”好き」という言葉が似合っているかもしれない。小林は「確かに。『人間中毒』って言われたことがあります」と笑う。 現場でも、協賛社の社員というよりは、もはや選手や指導者側の人。それも、すべての選手のチームメートのような存在感なのだ。こんな関係が成り立っているのは、彼女が担当だからなのか、“野球の原点”たる女子野球の現場だからなのか。いずれにせよ、適任であることは間違いない。 野球教室を開催 野球教室など、女子選手向けのイベント開催も、WOMEN'S FORCEの活動を始めた頃からの柱のひとつ。しかし、小林は「実は私、人に教えるのはあまり得意じゃないんです」という。「自分が選手を引退するときに、指導者の話もいくつか来ていたんですけど、全部断ったくらいで」。フィールドフォース入社前には、野球教室のインストラクターをやっていた時期もあるというが、「動きを言葉にして、分かりやすく伝える。いろんな知識を、自分でもアップデートする。自分には向いてなかったですね……」。 そんな小林が頼るのは、同じくブランド立ち上げ時からの担当で、プライベートでもボーイズリーグのチームでコーチを続けているという小平美波だ。 ソフトボールの選手経験が長く、8年前の入社当時は、フィールドフォースが運営する野球教室「エースフォー」でもコーチも務めていた小平。「普段、ボーイズリーグでは中学生を教えているので、小学生が対象だと、指導の仕方も変わってきて、また面白かったですね」と、学童選手の指導もまったく問題ない様子だ。指導が苦手な小林とは対照的だが、それが良いコンビネーションを生み出しているのかもしれない。WOMEN'S FORCEの野球教室でも、「メニューなんかは、私が考えたりしてますね」。 昨年も柏の葉と足立のボールパークで、夏休みにそれぞれ、一日だけの教室を開催した。いずれも10人以上の選手が集まったが、「私と小林さんのふたりで回す感じなので、大変は大変でしたね」と小平。それでも、「女子だけのスクールって、ほかにはあまりないんですよ。女子選手が集まることで選手同士の交流も生まれるし、参加する選手は、すごく楽しんでくれます。それに、教える私たちも、いつもいい刺激をもらうんです」。 これもまた、ほかの野球教室とは一線を画す、オンリーワンの存在だ。「定期的に、というのは難しいかもしれませんが、続けていきたいですね」。小平はそう言って、笑顔を見せるのだった。 HPやSNSで発信 小林と小平のほかに、WOMEN'S FORCEには、もうふたりの担当社員がいる。 岩上艶と田中真未は野球未経験。このふたりを主人公に、WOMEN'S FORCEのインスタグラムでは「0から始める野球教室」と題し、「野球未経験の大人が~したら」というシリーズ動画を公開している。FIELDFORCEのホームページ上はもちろんのこと、SNSでの情報発信も、WOMEN'S FORCEの任務のひとつ。ふたりにアドバイスを送るのは小林と小平、ときに野球経験のある、他の社員だ。...
[vol.9] 女子野球選手を全力応援! ...
![[vol.6]発進!「Baseball Samurais」](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/samurais_15106a7f-8cd3-48c4-a331-d00ea0d14734.jpg?v=1750928358&width=533)
[vol.6]発進!「Baseball S...
「満を持して」、というわけではない。まずはスタートを切った。そして、そこに大きな意味があることは間違いないのだ。 フィールドフォースがアメリカ向けに立ち上げたECサイト「Baseball Samurais」。運用開始から半年弱が経過したが、反応は上々だという。その狙いと現状、そして今後の展望は。FIELD VOICEでは、Baseball Samuraisの奮闘の軌跡をリアルタイムで追いかけ、不定期連載で報じてゆく──。 瞬く間に売り上げUP! 「TRAININGS」、「GLOVE」、「LEARN」……。羽織袴を身に着け、バットを振り下ろす「侍」と、紅と白のグラブのメインビジュアルの上にメニューが並ぶ、Baseball Samuraisのトップページ。白、黒、赤を基調に、商品写真も文字のフォントも統一され、フィールドフォースの日本向けサイトに比べても、スタイリッシュな印象だ。 https://baseballsamurais.com/「ビジュアルもそうですし、日本らしさみたいなところで、全体のコンセプトやブランドイメージといった部分は、しっかりと固めてから出したいな、という思いはありました。日本の(フィールドフォースの)サイトは学童野球選手向けの商品が情報量多く並ぶ、楽しいページになっているんですが、それとはまた違った方向性で、写真をメインに、情報もシンプルにして、見やすいインターフェイスで、商品一つひとつをしっかり訴求していきたいなと」 EC事業部門を統括する営業企画部長・鎌田侑樹が説明する。 「実は(ページがシンプルなのは)まだ全体が完成しているわけではなく、日本で売っている、すべての商品を載せられていない、というのもあります。全商品、日本で売っているものはすべて載せたいのですが、一つひとつの商品のページをしっかりと作りこんでいきたいという思いもあって。でも、形にはなってきたのかなと思います。あとは中身を充実させてゆく、というところですね」 アメリカ向けECサイト立ち上げの構想は、2年ほど前から話題としては上がっていたという。具体的に話が進んだのは、この1年くらい。それでも、鎌田にとっては唐突に感じられたようだ。「まあ考えてみれば、以前からあった話ですし、円安が進んだタイミングで、当然といえば当然の話なんですが……」 海外に向けたEC事業展開のサポート実績が充実している会社を探し出し、コンサルティングなど支援を依頼するところから始め、サイトの構築、一つひとつの商品ページの作成と、徐々に、しかし急ピッチで形にしていった。鎌田の手腕が光るスピード感だ。 SNSでの広告展開により、まずは集客。「広告を出すと、きっちり人が来てくれるんですよね」 これがSNSのターゲティング広告の力なのだろう。もちろん、ページに来てくれたからといって即、すべてが売り上げにつながるわけではないのだが、Baseball Samuraisはまだ開始から半年ほどでありながら、目に見えるほどに、その売り上げを伸ばしている。「協力会社の方も驚いているくらいです。その方は、当社の商品力が要因なのだろうとおっしゃってくれてますが……」 まだ半年ほどだが、毎月、売り上げが数倍に伸びる勢いなのだという。「ただ、ずっとこの調子で伸び続けることはないでしょうから、これからどう、さらに幅広いお客様に来ていただくための施策が必要になってくるでしょうね。リピーターも増やしていくことができれば、なお良いですよね」 現在はサイトのすべてのオペレーションを鎌田ひとりでこなしている。「もう少し、受注から発送まで、決まった形で対応できる仕組みを作ることができれば、ほかの人にも手伝ってもらえるようになるので、それまでは頑張ります」 鎌田は表情を引き締め、そう言った。 人とつながり、躊躇せず一歩を踏み出す 社長・吉村尚記のフィールドフォース米国進出に懸ける思いのほどは、昨秋の訪米や、それに至る経緯をつづった、このあたりの社長コラムに詳しい。 https://www.fieldforce-ec.jp/blogs/president_column/president_22 まだ先の話かもしれないが、吉村が将来的な展望として考えているのは、Baseball Samuraisの展開にとどまることなく、ゆくゆくはアメリカ国内にも拠点を置いての事業展開。とはいえ、そのためにも、Baseball Samuraisでどれほどアメリカのマーケットを開拓できるのか、というのは大きな指標となるはずである。 「アメリカ進出自体は、以前から考えていましたが、去年、実際にアメリカに行って、野球の施設や練習風景を見て回ることができたことで、より具体化されたというか。大きなモチベーションにはなっています」 吉村が昨年の渡米当時を振り返る。「それまでは、フィールドフォースの既存商品も、そのままではなく、アメリカ仕様に作り直して売り出す必要があるだろうか、などという考えも持っていました。漠然とではありますが。しかし、実際に現地で選手たちに使ってもらったときの反応がすごく良くて、『とくに仕様を変えなくとも、商品はこのままで行けるではないか』との思いを強くしたんです」 そして、それを裏づけてくれているのが、立ち上げ以来、国内と同じ仕様の商品ラインアップで売り上げを着実に伸ばしている、Baseball Samuraisの存在だ。「私が考えていた以上に、我々が提示してきた野球の練習法が普遍的なものだということなのか、あるいは、思っていた以上に、本場アメリカでも、日本野球に対する注目度が高まっているのか……」 これらの事象以上に、吉村が強調するのは、人と出会い、信頼関係を築いていくことの重要性だ。「実は、アメリカ訪問自体も、個人宅での練習場施工をきっかけに知り合った方との関係性の中で実現したんです。僕にとっては、すべて人との出会いや、お付き合いさせていただく中での信頼関係から始まっていること。すべてご縁です。こういうつながりは、常に大切にしたいですよね」 日々の仕事に全力で取り組むことで、新たな出会いが生まれ、それが新たな展開を生み出すきっかけとなる。フィールドフォースを創業して以来、吉村はそんな経験を数多く重ねてきたのだ。「それが大きなヒントや、次の展開につながるきっかけになる。アナログな世界ではありますが、改めてそんなことも思うんです」 常にアイデアあふれる新商品を作り続けること。必要な時には、勇気を持って踏み出す一歩に躊躇をしないこと。人とのつながりを大切にすること。そして、初心を忘れないこと。吉村にとっては、すべてが必然であって、すべてが同じ直線の延長線上にあるということなのだろう。 メイド・イン・ジャパンのグラブを世界に フィールドフォース創業前には、アメリカをはじめ海外での仕事経験も多い、会長の大貫高志。想定以上に早い段階から活気づいているBaseball Samuraisの展開には注目しているが、中でも、グラブに対する思い入れは強い。 かつては海外でグラブ製造の現場を飛び回り、ときには営業との間に入って、米国用品メーカーのバイヤーと交渉を行うこともあったという。グラブ市場の変遷にも詳しい大貫が目指すのは、「Made in Japan」グラブの復活である。 かつて、アメリカで使われたグラブの多くが日本製だった時代があった。「奈良県あたりが、革製品の生産地として有名だったんです。品質も高かった」 当時、安価で高品質な日本製の革製品は評判が良く、世界に名をはせていたのだ。その後、時代を追って、とにかく生産量が求められる中で、革製品は工賃の安い台湾、フィリピン、そして中国へと、主たる生産国が変わっていった。 しかし、大量生産、大量消費の時代を経て、現在では、こだわりのオリジナル商品やオーダーグラブにも光が当たるようになっている。「安い製品を大量に作って売り、大量に消費する。日本も一時、その流れにのまれてしまったことがありました。日本が誇るべき文化でもあった“ものづくり”が、海外との経済競争の中で、その価値を落としてしまったんです」 だからこそ今、すべて日本製の革、芯材、糸といった材料を使い、フィールドフォースが誇るグラブ工房で加工し、仕上げる商品を世に送り出したいのだ、という。「完全にメイド・イン・ジャパンのグラブです。グラブももちろんなんですけど、大げさに言えば、日本の野球自体を、ひとつの文化として、その意義を発信できたらいいと思うんです。いまでは多くの日本人選手がメジャーリーグで活躍している。日本で野球が育つ土壌であり、環境であり、そうしたすべてを」 究極の目標はまだ先にあり、そして壮大だ。 ゴールは未定。今後の進化に注目 鎌田と吉村と大貫、Baseball...