悲願の全国初出場へ、2ケタ得点の圧勝を続ける強力打線に対するは、過去2回の全国経験がある試合巧者。第44回全日本学童マクドナルド・トーナメントの埼玉県大会、準決勝の第2試合は見所も見応えもある好ゲームとなった。試合評とともに、特筆すべき勝者のリーダーと、敗軍の横顔もお届けしよう。
(写真&文=大久保克哉)
※記録は編集部、本塁打はすべてランニング
※※決勝のリポートは追って掲載します
第3位
吉川ウイングス(吉川市)
■準決勝2
◇6月8日 ◇おふろcaféハレニワスタジアム熊谷
吉川ウ 02210=5
山 野 20151x=9
※5回時間切れ
【吉】湊、藤田、湊、大浦-大浦、鹿島
【山】高松、三木、伊藤、高松-樋口
本塁打/中井、増田、遠山(山)
吉川は先発の湊が、いつもの整ったフォームから丁寧に投げ続けた(上)。1回で2失点も、誰も慌てていなかった(下)
6年生15人で26点、15点、23点、14点。各支部代表による県大会ながら、1回戦から圧倒的な得点力で勝ち上がってきたのは山野ガッツだ。
対する吉川ウイングスは6年生8人。昨秋の茨城大会優勝も経験しているエース左腕・湊陽翔(保護者の転勤に伴い、移籍)を、先発のマウンドに送り出した。
「打たれてもいいので、バックを信じて投げました」。こう振り返った湊にもチームにとっても、いきなりの失点は十分に想定内だったようだ。
1回裏、山野はテキサス安打で一気に三進した一番・中井が、二番・樋口の右中間二塁打(上)で先制のホームイン(下)
1回裏、山野は一番・中井悠翔のテキサス安打と、二番・樋口芳輝の右中間二塁打であっという間に先制する。さらに五番・伊藤大晴が右へきれいに流し打って、2対0となった。
しかし、吉川は老獪な攻め口ですぐさま追いついてみせる。四番・黒田彪斗が敵失(悪送球)で出てそのまま三進、続く鹿島琉は四球と二盗で無死二、三塁に。そして六番・大浦大知(5年)のライトゴロで、まずは黒田が生還した。
「内野ゴロでもいいから、ここはとりあえず1点を返そう、という思いで打席に立ちました」(大浦)
2回表、吉川は5年生2人が各1打点。大浦の右ゴロ(上)に続き、大塚のスクイズバント(中)で、三走・鹿島がかえり2対2に(下)
山野の右翼手・三木大輔の好守により、大浦の技ありの一打はヒットにはならなかった。しかし、一死三塁となって大塚淳斗(5年)が同点スクイズを決めると、主導権は吉川に傾く。エース左腕が2回裏を0点に抑えると、3回表は四球と盗塁に敵失絡みで、無安打ながら4対2と勝ち越してみせた。
「この試合は接戦に持ち込まないと勝てないと思っていました。中盤までは作戦通りでしたね」(吉川・岡崎真二監督)
対する山野は、伊藤のスクイズで1点差に詰めるも、4回表には吉川の六番・七番の5年生コンビに連打を浴びて再び2点差の3対5に。前半を終えてのビハインドは今大会初めて。2回に同点とされた時点で、ベンチの瀬端哲也監督はエースの温存策を捨てたという。
3回裏、山野は一死一、三塁から五番・伊藤のスクイズバント(上)で三走・樋口が生還(下)
先発した山野の背番号1、高松咲太朗は初回を3者凡退で立ち上がる。失点した2回と3回は失策絡みで、自責点も被安打も0だった。
「2試合(決勝も)を想定して、高松をもう少し早く降ろして次の試合にいかせたかったんですけど、エラー、エラーで失点してそうも言ってられなくなって。途中からは、まずこの試合を取ろう! と後先は考えませんでした」(瀬端監督)
3回までゲームをつくり、5回のピンチに救援して抑えたエース右腕・高松。試合後は「指に掛かり過ぎて、ちょっとボール球が多くなってしまいました」と反省の弁も
そんな指揮官の期待に、自慢の打線が応えたのは3巡目からだった。
4回裏、吉川二番手の5年生右腕に襲いかかる。一番・中井が左越えの同点2ラン、二番・樋口が左翼線安打から二盗、三番・三浦歩斗は左打席から右中間へ三塁打で6対5と逆転。吉川はここでエース左腕をマウンドに戻したが、山野打線はもう止まらない。
4回裏、山野は一番・中井と四番・増田(上)の2ランなど4連続長短打で8対5と大逆転。5回裏には八番・遠山がランニング本塁打で締めた(下)
四番・増田慎太朗主将が左中間へ2ラン。さらに5回裏、試合時間が規定の90分に達するあたりで、八番の遠山がレフトオーバーを放ち、ダイヤモンドを駆けて本塁を踏むと同時に、ゲームセットとなった。
●吉川ウイングス・岡崎真二監督「ここまで2ケタ得点で勝ち上がってきた相手チームを、少しは焦らせることはできたかなと思います」
―Pickup Hero―
痩せても頼りになる、背番号10の大砲
ますだ・しんたろう増田慎太朗
[山野6年/一塁手]
そのシルエットは、PL学園高(大阪)時代の清原和博氏(元西武ほか)を思わせる。選手たちの親の世代でも多くは記憶に遠いだろうが、80年代の甲子園が生んだ大ヒーロー『KKコンビ』の、あの右の大砲だ。
166㎝63㎏の不動の四番。増田慎太郎は山野ガッツの超強力打線の看板とも言える、右のロングヒッターだ。どっしりと体軸が安定したまま、前でボールをさばけるタイプ。それほどのフルスイングには見えないのに、バットで弾かれた軟式J号球はピンポン球のように軽々と遠くへ、あるいは猛スピードで飛んでいく。
この準決勝では、3対5から8対5と一気に逆転した4回裏に、ダメ押しとばかりにランニングの2ラン。地を這うような打球は遊撃手の横を抜けると、追ってきた中堅手と左翼手の間を割ってフェンスへと転がっていった。
それでも昨秋までなら、ダイヤモンド一周はできなかったかもしれない。県新人戦(準優勝)の最終日、準決勝の第2打席では右中間へ特大の一打を放ったが、二塁までしか走れなかった。群を抜く体格とパンチ力が際立つ分、走る際の足のもたつき感も目に余っていた。
昨秋の県新人戦決勝。左前タイムリーを放った際の一枚(2023年9月17日、東松山市営球場)
それが2024年になると、別人のようにスマートな体型になっていた。筆者も、それが増田であることに気付くのに少々の時間を要した。
「インフルエンザにかかって、体重がすごい減っちゃって。でもそのおかげで足も速くなったし、動きのキレも出てきたと思います」
その前にも後にも、無理なダイエットはしていないという。まだまだ身体も大きくなる小学生だから当然。実はもうひとつ、新年になってから増田の身に変化があった。背番号が22から10へ。つまり新キャプテンに就任したのだ。
4年生からは、3人の監督が3年周期のローテーションで担当するのが山野ガッツのシステム。2年前から現チームを率いる瀬端哲也監督は、主将を固定せず、複数の選手に経験させながらラストイヤーで背番号10を改めて指名するという。その打診に対して「任せてください!」と即答した増田については、こう評している。
「気持ちも優しい子で一生懸命。最後は誰をキャプテンにしようかと、今までのいろんなものも見てきた中で、彼(増田)が向いているんじゃないかな、と。実際、チームをよくまとめてくれてますね」
どこまでも謙虚で、ひた向きな姿勢。それは主将になる以前からだ。昨秋は確かに鈍い足も目についたが、力を抜いてのことではなく、懸命に腕を振る姿も印象的だった。
たとえ凡打でも全力走は、背番号10になってからも変わらない。さらには自らベースコーチに立ったり、相手打者の前打席を覚えていて、守る一塁から左翼手にまで「さっき行ってるよ!」と準備を促したり。投げミスをした仲間には叱責ではなく、即座に切り替えを促す声も聞かれた(=上写真)。
「キャプテンだから偉いとかじゃなくて、自分が打ててもチームが勝たないとダメなので、まずは勝利を最優先にして声掛けとかしています」
そんな主将の前任、5年時に背番号10をつけた中堅手・三浦歩斗の声もまた、フィールドによく響いていた。この準決勝は中盤でビハインドの苦しい展開の中で、2人の存在と声が頼もしかった。
「チームが静まり返ることって、あると思うんですけど、そういう場面でも去年の経験を生かして、今のキャプテンの増田さんを支えられれば。キャプテンじゃなくても、そのつもりでみんなと勝ち進んでいきたい」(三浦)
勝者にもふさわしいリーダーは、山野には1人だけではなかった。
―Pickup Team―
涙の完全燃焼。「夢をみさせてもらいました」と全国区の智将
よしかわ吉川ウイングス
[吉川市]
吉川ウイングスにとっては、3年ぶり3回目の全日本学童出場。その夢が破れ、6年生たちは激しく泣いた。
「ここまで(ベスト4)来てますから、余計に負けて悔しいんだと思いますけど、そんなチームではないですから。彼らからしたら、上出来だと思います」
2021年に全国へ導いている岡崎真二監督は、すべてが終わるまで決して口にしなかったが、今年はそこまでの力はなかったことをクールに打ち明けた。
昨秋の新人戦は最初の市内大会で敗退。しかし、誰一人として夢を諦めてはいなかった。だからこそ、県4強にまでのし上がれたのだろう。
「チームの総合力は、この3月4月で随分と上がりました。私も夢をみさせてもらいましたから。湊(陽翔)クンの加入はもちろん大きかったけど、彼一人じゃここまで来れていないし、6年生たちがグンと急成長してくれましたね」(同監督)
昨秋の茨城県大会を制したオール東海ジュニアの左腕・湊が、一家の転居に伴い、春休みから新たに加わって6年生が8人に。そして4月の吉川市近隣大会で3年ぶりに優勝。それも劇的なサヨナラVだった(リポート記事➡こちら)。
新天地でもエースとなった湊は、この準決勝は先発して3回3失点。バックのミスの後は得点を許さなかった。4回の途中から再登板で2ランを許すなど、強力打線につかまったが、四死球連発で試合を壊すようなことはなかった。
「悔いはないです。今日は打たれてもいいと思って、バックを信じて投げました。攻撃もみんなでつないでいくだけ。思い切りプレーできました。ウイングスに来て、良かったです」(湊)
チームは満身創痍だった。昨年から肘を痛めて長期欠場していた新田幸大主将は、ようやくバットスイングもできるようになったが、守りは本職の三塁ではなく、辛うじて二塁から投げられる程度。さらに今大会前の練習試合で、不動の四番・黒田彪斗が走者と交錯して骨折してしまう。
「チームを全国に導けるような打撃をしていきたい!」と春の時点で話していた黒田は、驚異的な回復力に本人と両親の意志をもって、この準決勝で復帰してきた(=上写真)。
三番の新田主将も、四番の黒田も、バットから快音は響かなかった。だが、全力疾走が敵失も誘発し、それぞれ塁に出てから本塁まで踏んでいる。
3回に敵失で出た新田主将は二盗。送球がそれて外野も抜ける間に長駆、生還した
全力プレーは2人に限らず、試合に出る選手の大前提。3回までノーヒットながらも4点を奪い、試合をリードできたのは、打撃とともに磨いてきた足技と犠打に判断力もあればこそだった。指揮官は試合中、選手たちに何度もこう伝えていたという。
「これが野球! これがオレたちの戦い方だから!」
4回表にチーム初安打を放った大浦大知(内野安打)、続いて適時二塁打の大塚淳斗はともに5年生。同じく5年生の藤田陽斗は4回に登板して逆転を許したものの、直後の5回表の攻撃では右にクリーンヒットを放ってみせた。
そして5回裏、4番手の大浦がソロ本塁打を浴びたところでタイムアップに。だが、被弾した5年生右腕の全力投球は人の心に訴えるものがあり、「いいよ!」「ナイスボール!」とあちこちから声も挙がった。
「もう時間がない(90分終了間近)のは分かっていたし、追い込んだのでデッドボールでもいいというくらいに強気で勝負にいきました。(勝負球はボールの判定だったが)アレは自信がありました。この悔しさをバネにして、来年はもう意地でも埼玉チャンピオンになって全国に行きます!」(大浦)
5回裏に登板した大浦は強打者を2球で追い込むと、こん身のストレートで勝負。球審の手は挙がらずも、「魂がこもった球、良かったですね。あれが彼(大浦)の持ち味」(岡崎監督)
新田主将は涙ながらにチームと自身の悔いを語りつつ、後輩たちへのエールも忘れなかった。
「5年生たちは悔いのないように、来年のこの大会でリベンジしてもらえたらボクたちもうれしい。がんばってくれればと思っています」(新田主将)
大きな夢は幻と消えた。だが、6年生の卒団までには、まだまだ時間も大会もある。「これからも、みんなと笑顔で全力でやっていきたいです」と、黒田はきりっと前を向いた。
大人のエゴだの、勝利至上主義の温床だのと、存在そのものが槍玉に挙あがることもある全国大会。だが、本気でその高みを目指して努力してきたからこその、本物の涙がそこにあった。
小学生とはいえ、大人の先導や洗脳でそこまで激しく泣けるものではない。また人生においても、そういう瞬間は実はさほど多くはないのだということを、彼らも人の子の親になるころには悟っているはず。そして時には、この6月の涙も思い返すことがあるのかもしれない。