人が集まらない、平日練習をしていない、ボランティアだから…。勝てない指導者の常套句も、このチームを前にすると言い訳にしか聞こえなくなる。岡秀信監督の組織大改革で存亡の危機を脱し、全国大会の常連となっている北名古屋ドリームスだ。週末だけの健全な活動で、2021年には全日本学童大会準V。平均で学年10人の組織からは毎年、中日ドラゴンズJr.も生まれている。非の打ちどころがないメソッドの数々は、永続的な活動や組織の繁栄を望むチーム・指導者のバイブルにもなるだろう。
(動画・写真・文=大久保克哉)
健全ムードの週末野球。人の模範たる指導陣の本気スイッチで、廃部危機を脱して全国大会の常連に
【参考ポイント】
▶大人たちの当たり前の模範
▶平均で学年10人が安定の目安
▶週末・祝日の活動で全国準V
▶幼児野球の楽しみ方
▶体系的な練習プログラム
▶意欲を喚起させるムード
▶人を集めるための必須要素
↓キッズ=幼児~2年生『とことん親子で楽しむ半日』6min
↓ジュニア=3・4年生『系統的かつ合理的な練習』15min
↓トップ=5・6年生『自ずと意欲的になる練習』15min
建設的な侃々諤々
かの織田信長公も生んだ尾張地方が、学童野球チームの「スタンダード発祥の地」になっていくのかもしれない。当人たちにそのような野望はなくとも、納得尽くめのメソッドが自ずと波及し、やがて天下を統一。大げさかもしれないが、理不尽の欠片すら見当たらない世界は、時代が欲するひとつのユートピアだろう。
愛知県名古屋市の真上にあるベッドタウン。西春町と師勝町との統合で北名古屋市となった2006年、北名古屋ドリームスも近隣3チームの合併によって誕生した。
母親とフィールドに立てるのは人生においても希少。2年生までは母子でティーボールをしながら、野球のルールや基礎も自然に覚えていく
この10年あまりは『清州会議』ならぬ“北名古屋会議”が月イチである。代表以下、トップチーム(5・6年生)、ジュニアチーム(3・4年生)、キッズチーム(幼児~2年生)の各カテゴリーの監督、コーチ、マネジャーが顔をそろえて侃々諤々(かんかんがくがく)と議論するという。主なテーマは、チームの未来を踏まえた現状改善策。ジュニアの小林正明監督が語る。
「会社の会議よりしっかりやっている感じですね。例えば、体験会に10人参加で入団が1人だったとすると、あとの9人はなぜ、入らなかったの? 体験生以前に在団生が魅力を感じる内容なの? 今の運営で組織が10年続くの? こういう視点での話し合い。何でもトップダウンではなく、下の意見も吸い上げてくれますし、安定した運営には欠かせないと思います」
飲み物は選手も指導者も各自で用意。「当たり前ですよ、そんなの!」(トップ・岡監督)
会合の終わりから無礼講となる食事会は、コロナ禍が明けて最近、ようやく復活。トップチームの岡秀信監督はアルコールを嗜まず、良い気分のスタッフたちを車でそれぞれ自宅へ送るのが慣例だという。
「岡監督は人間味があって、ついていきたくなる人。時には大人の私も厳しく指導を受けますけど、そこに愛がある。この人に教えてもらったら、こういう選手が育って、こんなに楽しそうに野球がやれるんだ、と。そのお役に立てるなら、一緒にやらせていただこうという想いで、(父親コーチだった)私はチームに残りました」(小林監督)
脱?ボランティア
岡監督が自らトップチームの指揮官に定着し、組織の大改革に乗り出したのが2013年。チーム内で当時を知るのは小林監督のほかに梶川猛代表(キッズ監督)、杉本憲彦副代表と池田号コーチ。この4人からも一様にリスペクトされる岡監督には、子どもを預かるチームの、組織を動かす長として貫く方針がある。
「結果としてはボランディアでも、チームの運営は自分の生業だと思うようにしています。宣伝も人の募集も育成も、対戦相手のリサーチも…それが自分の本職ならどうするか、というスタンスで本気で考える。すると、ちゃんとした答えが出てくるんですよね。それを『ボランディア』の言葉に甘えて、片手間とか軽い気持ちでやろうとすると、ろくなことにならない」
未就学児にも門戸を開いた数年前から、組織も結果も明らかに安定した。選手は学年で平均10人。2学年ずつ3つのカテゴリーは個別に活動するが、例の会議もあって指導陣の意思疎通が図られており、段階的な育成システムが着実に成果をあげている。
東海地区屈指の進学校から社会人軟式でもプレーした岡監督。賢い人格者は内外から広く尊敬を集める
2017年以降で夏の全国出場を逸したのは、昨年のみ(コロナ禍の中止除く)。2021年には全日本学童大会で準優勝。そして今年も愛知県大会を制し、夏の同大会出場を決めている(2年ぶり5回目)。また、2大メジャー大会のもうひとつ、全国スポーツ少年団交流大会は2009年と12年に出場。上位には進めずも、2回とも「ベストマナー賞」に輝いている。組織を改編する以前から、そういう素性はあったのだ。
チームとして都合6回の全国出場。そのすべてで指揮を執っているのが岡監督で、2012年夏の2度目の出場後、夢舞台での貴重な経験や出会い、そこまでのノウハウなどをチームに還元したい、との思いが大改革に乗り出した理由だった。それまでのチームには3人の監督がいて、選手と一緒に繰り上がる3年周期のシステムだった(詳しくは「監督リレートーク」で→こちら)。
改革元年に複数の指導者と選手がチームを離れ、良からぬ噂も立って選手は一時、全学年で15人にまで減少。存続も危ぶまれた状況で、岡監督は腹を括ったという。
『打って、打って、打ちまくれ!』
まずは4人の同志たちと、今にも続くスローガンを掲げた。そしてその実現のために身銭を切り、打撃用マシンを一気に4台も購入した。
「投資がないと本気にならないし、本気でないと人には伝わらないものだと悟りましたね。学童野球の指導者はみんなボランティアなので、簡単に辞めちゃうんですよね。辞めても誰も困らないし。ただ、私は改革の張本人ですから、辞めるわけにはいかなくて」
自腹で打撃マシン(左)を4台購入。ここから岡監督の組織改革に本腰が入ったという。卒団生から寄贈の球速測定器も活躍(右)
投資に続いて人材も本気で集めて、前例になかった幼児野球も開始。そして2021年夏の夢舞台で派手に打ちまくった。6試合で打率4割超の59得点、サク越えアーチは決勝での2者連続を含む7本をマークした。
その驚異的な打線の中心にいたのは、「幼児野球」の第一期生でもある6年生たちだった。翌年からもその流れは続いている。「キッズ(2年生以下)から入ってきた子たちが、トップで生意気にみんなを引っ張っていく姿とか、またそれが勝利に結びつくというのは、私としては一番の喜びですね」とキッズの梶川監督。2018年には中学部(軟式)も発足させ、出口まで整備したが卒団生の進路に縛りは一切ない。
夢の黄金週間
夏の全国大会は、ジュニアの小林監督がコーチとしてベンチに入る。「6年生のトップレベルを見ることは、中学年の指導にもプラス」というのが岡監督の考え。そして実際のベンチでは、小林監督の涙が恒例だという。
「4年生まで教えてきた子たちが、あまりにも成長しているのでグッとくるらしいです(笑)。トップの監督の私がジュニアの試合を見に行ったり、練習に口出しをすることはないです。ただ、下のカテゴリーの指導者やお父さんコーチたちは、最終形のトップの試合をよく見に来ますね」(岡監督)
組織改革の当初は選手が15人まで激減。岡監督と冬の時代も経験しているジュニア・小林監督(中央)の夢は「岡さんを日本一の監督にすること」
6年生のあまりのハイレベルに、焦ったり、気後れするキッズの保護者も少なくないという。そこは、経験豊富な梶川代表(兼キッズ監督)の出番となる。例えば、不安げな母親へ。
「お母さん、信用してもらえないかもしれないけど、あの子(6年生)はキッズのときに泣いてばかりだったんですよ。コツコツやった子がうまくなる。一番大事なのは、続けることです」
今年のゴールデンウィークも、北名古屋の6年生には最上の黄金タイムとなったことだろう。県大会を制して全日本学童出場を決めたのが、5月4日の木曜日。そして翌5日からの3日間はフリー(休み)に。もし、愛知大会で負けていれば、もうひとつの全国(スポ少交流)予選に向けて練習するが、全日本学童出場を決めた年は、以降を「完全オフ」にするのが大型連休中の通例だという。
夏の夢舞台出場を決めた上に、また夢のような長期のフリータイム。6年生の家族にとっても同じく、夢の時間であったことだろう。何かに拘束されることがなく、何をどうしようか、何もしまいか。意思決定はすべて自分。こういう休日も経験できる野球少年は、今の時代でも意外と少ないのではないだろうか。逆に良くも悪くも、「学生時代は野球の思い出しかない」と語る大人の何と多いことか。
ともあれ、全国を決めた子どもたちにご褒美のフリータイムを与えられるということは、決定権者自身に「日本一」や「全国制覇」などの野心がないことの裏付けでもある。むろん、選手たちの目標がそこにセットされていれば、違う決断もあるだろう。今年のトップチームの目標は『一戦必勝、決勝戦まで戦い抜く』だという。境翔太主将(6年)が語る。
「目標は自分たちで話し合って決めました。全国大会でも1試合ずつ勝利を積み重ねて、決勝という大舞台で戦えるまで行きたいです」
ムードメーカーの冨永奏希(6年)。4年秋の時点で「ありえないほどヘタクソだった」(杉本副代表)というが、今や愛知No.1の左翼手だ
ジュニアの小林監督は、10年来の付き合いになる岡監督の口から「全国制覇」などの言葉を一度も聞いたことがないという。だが、小林監督は心に誓っていることがある。
「岡監督を日本一にしたい! というか、日本一になった姿を見てみたいんです、ホントに。だから、あの人が日本一の監督になれるようなチームにするべく、私もひとつの役割を担って、これからも強い気持ちを持ってブレずにやり続けたいと思います」
「ウチは緩いから」
選手と保護者のフィールド外の生活や未来。指導陣の思いが、そこにも及んでいることは練習からも読み取れる。
紅白戦を除けば、どの練習メニューも30分を超えることがなく、負荷に応じて適宜の休憩が必ず入る。活動は週末と祝日のみで、2年生以下のキッズは半日で解散。ジュニアとトップは、朝8時半から夕方5時(※場所や季節で変動あり)の定刻が、きっちりと守られる。取材日もそうだったが、たとえ全国大会の前でも、決められた時間を超えて練習をすることはないという。
「それも社会常識だと思うんですよ。勝ちたいから、とかでルールを無視してやったら、いくらでもやりようがあるわけで。限られた時間と限られたメンバーの中で、どう戦うかというのを競うのがスポーツですから」(岡監督)
北名古屋の指導陣はまず、人として小学生の模範となっている。自ら率先して、社会常識やルールを当たり前に守っているのだ。だから選手に対しての厳命にも説得力がある。
「ルールは守らないとダメだ!」
トップチームは捕手3人を育成。オーバーユースの回避も狙いで、投手の球数が制限に達して捕手と入れ替え、という選手交代はまずありえない
2学年ごと3チームの指導育成がいかにリンクしていて、またどれだけ理に叶った練習なのか。このあたりは現場の解説も入った、3本の動画でご覧をいただきたい。
非の打ちどころがないのは、岡監督の理論と実践だ。トップチームの年間スケジュールには山場がいくつかあって、育成計画と練習内容はそれに則りつつ、季節性も加味されている。たとえば、守備練習の内容と優先度についての見解はこういうものだ。
「実戦のエラーの7割は送球なんですよね(統計もあり)。またそのエラーも、捕球からの握り替えでやるのが圧倒的に多い。そういう意味からすると、送球までしっかりとやる練習も絶対的に必要です。もちろん、冬場など4カ所5カ所で捕球だけのノックで徹底的に数をやることはあります。でも今の時期(5月6月)は、6年生の専門的なポジションも決まってきているし、暑くもなってくる。そういう中で、送球をカット(割愛)して捕る数だけを追う練習が選手にとって良いか、というとたぶん、その段階ではないと思います」
一事が万事、この調子で整然と答えが返ってくる。お見事なのはその考えが目の前の練習に反映されていることで、いわゆるキレイごとばかりの机上の空論ではないのだ。
「ウチは緩いから」
取材中、岡監督は自嘲的に何度もそう口にした。しかし、その意図した「緩さ」こそは、今日のベストな塩梅、あるべき適正ではないだろうか。緩いというよりは、健全なムード。その中で白球を追う人々は一様に幸せそうだった。子どもも、大人たちも。
【野球レベル】全国大会上位クラス
【活動日】土日と祝祭日
【規模】全学年で60人程度
【組織構成】2年生以下、3・4年生、5・6年生の3カテゴリー。有資格の指導者6人、マネジャー4人。審判部、広報担当。父母の当番制なし
【創立】2006(平成18)年※鴨田リバース、栗島チャンピオンズ、白木ウィングスの合併による
【活動拠点】愛知県北名古屋市、名古屋市西区・北区、一宮市、清須市、小牧市
【役員】代表兼キッズ監督=梶川猛/副代表兼事務局=杉本憲彦/監督=岡秀信(トップ)、小林正明(ジュニア)/マネジャー=篠田進太郎(トップ)、伊藤善洋(トップB)、伊藤純貴(ジュニア)、杉戸尚人(キッズ)/団員募集責任者=桑山雅也/審判部長=中西功/広報担当=篠田進太郎
【選手構成】計66人/6年生10人/5年生11人/4年生9人/3年生16人/2年生7人/1年生8人/未就学5人※2023年5月現在
【コーチ】トップ=池田号/ジュニア=田島雄/キッズ=水野順
【全日本学童大会出場4回】準優勝=2021年/3回戦=18年、19年/1回戦=17年
【全国スポ少交流大会出場2回】ベスト8=2009年/1回戦=12年