チーム紹介
![【Team file 05】常磐軟式野球スポーツ少年団[福島]](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/000_DSC_7411.jpg?v=1690248281&width=533)
【Team file 05】常磐軟式野球ス...
創立41年目の今夏、35回目の全国出場を決めている。このとんでもない「オバケ記録」を更新し続ける理由は何か――。学童球界きってのレジェンドチームは、必ずしも最先端の育成指導法を追っていなかった。努力はやはり、ハンパないが、大人の独りよがりとも違う。残るべくして続く伝統と、変わるべくしての新たな取り組みとが、見事なまでに調和。この令和の時代とまた次の元号でも、まず途絶えることはないだろうものを40年でしかと遺してきていた。 (動画・写真・文=大久保克哉) 41年で35回目の全国出場。オバケ記録を更新し続ける“永遠の横綱”のレガシー 【参考ポイント】 ▶組織で維持する「常勝」 ▶低学年と高学年の区分と活動 ▶伝統の継承と本質を見る目 ▶子どもを上達させる手段 ▶リズムトレーニングの目的 ▶低学年生への個別アプローチ ⇩年中~3年生の練習『未来へ捧ぐ今』 ⇩4~6年生の個を磨く平日練習『自ずと王道』 枯れぬ湯とともに 無色無臭で、肌にさわる感覚も取り立ててない。それでいて、源泉は60℃に迫るという湯は、体の深層までじっくりと確実に温めてくれる。 そんな地球の恵みを活用した、東日本最大級の温泉レジャー施設といえば「スパリゾートハワイアンズ」。福島県いわき市のいわき湯本温泉にあって、前身は1960年代開業の「常磐ハワイアンセンター」だ。 そして同温泉の旅館組合や青年会など、磐南地区の複数の団体が手を携えて、1984年に誕生させた域内初の学童野球チームが「常磐軟式野球スポーツ少年団」である。昭和の時代から、これほどコンスタントに実績を残し続けているチームはほかにない。 由緒のある夏の全国2大大会のひとつ、全日本学童軟式野球大会は今夏で2年連続23回目の出場となり、2010年には優勝している。その出場回数はぶっちぎりの最多記録で、2位は17回、3位は16回。もうひとつの全国スポーツ少年団軟式野球交流大会は、過去12回の出場で3回の優勝がある。 2020年は県予選制覇も、全国大会はコロナ禍で中止。5年ぶり22回目となった昨夏の全日本学童は、コロナ感染もあってベスト布陣で戦えず1回戦敗退 41年の歴史で4度の日本一。そして「35回目の全国出場」という、途方もないオバケ記録を更新し続ける。いわば、3元号をまたにかける「不滅の横綱」を、創成期から支え続ける大平清美団長はキッパリとこう言った。 「常磐を強くしたいというのは今もありますよ。でも、『オレが日本一の監督になりたい!』なんて、思ったことはまったくないですね、ただの一度も」 初代監督を16年務めて創設3年目には全国初出場(全国スポ少交流)。そして同8年目の1991年には同大会優勝で初の日本一に。残る王座は全日本学童だったが、これを獲る(2010年)よりもずっと以前に、50歳の若さで指揮官の座を教え子に譲ったのは、こういう理由からだという。 「おこがましいけど、チームを強くするのは簡単。でも、そういうチームを続けるのは難しいことなんですよ」 初代監督にして常勝組織を築いた大平団長(左端)は、創設41年目の今日もグラウンドで指導にあたる...
【Team file 05】常磐軟式野球ス...
![【Team file 04】北名古屋ドリームス[愛知]](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/000_DSC_4718.jpg?v=1687633917&width=533)
【Team file 04】北名古屋ドリー...
人が集まらない、平日練習をしていない、ボランティアだから…。勝てない指導者の常套句も、このチームを前にすると言い訳にしか聞こえなくなる。岡秀信監督の組織大改革で存亡の危機を脱し、全国大会の常連となっている北名古屋ドリームスだ。週末だけの健全な活動で、2021年には全日本学童大会準V。平均で学年10人の組織からは毎年、中日ドラゴンズJr.も生まれている。非の打ちどころがないメソッドの数々は、永続的な活動や組織の繁栄を望むチーム・指導者のバイブルにもなるだろう。 (動画・写真・文=大久保克哉) 健全ムードの週末野球。人の模範たる指導陣の本気スイッチで、廃部危機を脱して全国大会の常連に 【参考ポイント】 ▶大人たちの当たり前の模範 ▶平均で学年10人が安定の目安 ▶週末・祝日の活動で全国準V ▶幼児野球の楽しみ方 ▶体系的な練習プログラム ▶意欲を喚起させるムード ▶人を集めるための必須要素 ↓キッズ=幼児~2年生『とことん親子で楽しむ半日』6min ↓ジュニア=3・4年生『系統的かつ合理的な練習』15min ↓トップ=5・6年生『自ずと意欲的になる練習』15min 建設的な侃々諤々 かの織田信長公も生んだ尾張地方が、学童野球チームの「スタンダード発祥の地」になっていくのかもしれない。当人たちにそのような野望はなくとも、納得尽くめのメソッドが自ずと波及し、やがて天下を統一。大げさかもしれないが、理不尽の欠片すら見当たらない世界は、時代が欲するひとつのユートピアだろう。 愛知県名古屋市の真上にあるベッドタウン。西春町と師勝町との統合で北名古屋市となった2006年、北名古屋ドリームスも近隣3チームの合併によって誕生した。 母親とフィールドに立てるのは人生においても希少。2年生までは母子でティーボールをしながら、野球のルールや基礎も自然に覚えていく この10年あまりは『清州会議』ならぬ“北名古屋会議”が月イチである。代表以下、トップチーム(5・6年生)、ジュニアチーム(3・4年生)、キッズチーム(幼児~2年生)の各カテゴリーの監督、コーチ、マネジャーが顔をそろえて侃々諤々(かんかんがくがく)と議論するという。主なテーマは、チームの未来を踏まえた現状改善策。ジュニアの小林正明監督が語る。 「会社の会議よりしっかりやっている感じですね。例えば、体験会に10人参加で入団が1人だったとすると、あとの9人はなぜ、入らなかったの? 体験生以前に在団生が魅力を感じる内容なの? 今の運営で組織が10年続くの? こういう視点での話し合い。何でもトップダウンではなく、下の意見も吸い上げてくれますし、安定した運営には欠かせないと思います」 飲み物は選手も指導者も各自で用意。「当たり前ですよ、そんなの!」(トップ・岡監督) 会合の終わりから無礼講となる食事会は、コロナ禍が明けて最近、ようやく復活。トップチームの岡秀信監督はアルコールを嗜まず、良い気分のスタッフたちを車でそれぞれ自宅へ送るのが慣例だという。 「岡監督は人間味があって、ついていきたくなる人。時には大人の私も厳しく指導を受けますけど、そこに愛がある。この人に教えてもらったら、こういう選手が育って、こんなに楽しそうに野球がやれるんだ、と。そのお役に立てるなら、一緒にやらせていただこうという想いで、(父親コーチだった)私はチームに残りました」(小林監督) 脱?ボランティア 岡監督が自らトップチームの指揮官に定着し、組織の大改革に乗り出したのが2013年。チーム内で当時を知るのは小林監督のほかに梶川猛代表(キッズ監督)、杉本憲彦副代表と池田号コーチ。この4人からも一様にリスペクトされる岡監督には、子どもを預かるチームの、組織を動かす長として貫く方針がある。...
【Team file 04】北名古屋ドリー...

【全日本学童大会/福井県代表】 越前ニュー...
コロナ感染で涙の棄権をした夏の全国舞台に、越前ニューヒーローズが戻ってくる。6月4日、小浜市総合運動場で行われた第43回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメント福井県予選の準決勝と決勝を制し、2年連続2回目の優勝を飾った。昨年は6年生が2人で、3年生と4年生もスタメン出場しながら全国8強入り(準々決勝を辞退)した"ミラクル軍団”が、今夏も東京で大暴れ!? 若くて青くない精鋭たち。コロナに消された“ミラクル”再び! 昨夏は6年生2人で全国出場も、コロナ感染により準々決勝を前に棄権。同月にチームを訪ねると、下級生たちが「6年生2人の分も、絶対に来年も神宮に行きます!」と宣言していた 新たな目標と誓い 昨年8月は東京で涙。それはしかし、敗北によるものではなかった。ファイトせずして戦地に背を向けざるをえなかった、ショックと無念からの突き上げだった。 「小学生の甲子園」とも言われる全国大会に初めてやってくるや、2つ勝って8強入り。準々決勝に向かう朝、チーム内での新型コロナウイルス感染が明らかとなり、「棄権」という結論が保護者の全体LINEを通じて選手個々に伝わったという。 その夏休みの終わりの夕刻にチームを訪ねると、選手も指導陣もすでに気持ちが切り替わっていた様子で明るかった。日本海を見下ろす高台の小学校で、低学年は効率的な基礎練習。高学年は中橋大地コーチの指導を受けながら、持ち前の打撃にそれぞれ磨きをかけていた。 正捕手の山本颯真主将は県大会2本塁打。抜群の身体能力で昨夏の全国では小フライを好捕する美技も 「コロナ感染は誰のせいでもないので仕方ない。ただ、全国まで来て最後の勝ち負けまでを子供らに味わわせてあげられんかったのが、悔しいですね」 田中智行監督が最も気に掛けたのは、学童野球最後の夏だった2人の6年生(当時)のこと。それでも、若いチームをけん引してきた最上級生2人は「僕たちはまだ公式戦で負けてないので、ろうきん杯(秋の県大会)で優勝してこのまま全勝で引退したい」と殊勝に語った。 新たな目標は準決勝、春江ドリームボーイ(優勝)に惜敗してクリアはならず。「6年生2人の分まで、自分たちも神宮(全国大会)に行って優勝したい!」と新たに誓い合ったという中橋開地(※選手紹介→こちら)ら新6年生たちが、まずはその出場権を手に入れた。 県大会で3試合に先発登板した中橋開地。昨夏は全国8強入りを決める逆転3ランも放っている 地区代表決定戦から県大会まで、予選6試合を勝ち抜いて前年に続く福井大会連覇。決勝は8対1の5回コールドという完勝だった。中学野球に進んでいる卒団生2人の保護者たちも、会場へ応援に来てくれていたという。 少ない人数ゆえに 「率直に言って、ホッとしました」と打ち明けたのは田中監督だ。「去年の6年生が卒団して新チームになったときから、『神宮(全国大会)を目指す!』と目標を立ててチーム内で公言してきましたから」。 その本気度は、これまでの県外遠征からも読み取れる。昨年の日本一・中条ブルーインパルス(石川)をはじめ、多賀少年野球クラブ(滋賀)、北名古屋ドリームス(愛知)と、同じく今夏の全国大会に出場する強豪と手合わせを重ねてきた。 「保護者の皆さんにもたいへんご協力をいだだいたおかげで、子供らはめちゃくちゃ成長しましたね。予想以上に伸びています」(同監督) 右大砲の米澤斗夢は県大会3本塁打。昨夏の全国では満塁アーチも放っている(写真) 全国区の強豪とは勝ったり負けたりをする中で、異口同音に称賛されたのが背番号10の正捕手・山本颯真主将だという。昨夏から不動の一番打者で、全国2試合で6打数4安打4打点で三塁打が2本、三盗も決めている。「体は大きくないけど、肩も足もあって何でもできるタイプ」と評する指揮官は、勝ちゲームを締めるためにマウンドへも送る。 苦戦も予想された県大会のポイントとなる試合で、すべて先発した右腕・中橋は「100点以上のピッチングをしてくれました」と田中監督が最大級の評価。昨年から注目されている左の大砲だが、今年に入ってマウンドでも才覚を発揮。「カイジ(中橋)が投げているときは四死球の心配もないし、きっちりゲームをつくってくれる。総合力の高い投手です」(同監督) 中橋と肩を並べる大砲、右打ちの米澤斗夢は県大会でチーム最多の3本塁打。巨体にして器用で、守備では投手と捕手に内外野を確実にこなせるユーティリティーだ。「去年から中心の山本(颯)、カイジ、米澤はそれぞれ順調に伸びてきています」(同監督) 昨夏は3年生ながら全国でも九番・左翼で安打も放った島碧生。今年は「頼れる4年生」だ 今年も全学年で15人、うち6年生は5人と潤沢な戦力ではないものの、昨年は3年生にして平然とプレーしていた島碧生のように、下級生が萎縮していない。上級生が複数のポジションを守れるのも強みで、県大会では最終日を含めダブルヘッターを勝ち抜いてきた自信もある。手堅く守って、ストライクをどんどん打っていくスタイルは、伝統となりつつあるようだ。 若いのに青くないチームが、昨夏に続く「ミラクル」を全国で演じるか。そしてどのようなフィナーレを迎えるのか。田中監督の意気込みはこうだ。 「去年はベスト8で出場を辞退する形になってしまいましたので、その分まで今年は最後までやり切って、去年を超えたいと思います」 (大久保克哉)...
【全日本学童大会/福井県代表】 越前ニュー...
![【Team file 03】長曽根ストロングス[大阪]](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/1684626246861.jpg?v=1684740177&width=533)
【Team file 03】長曽根ストロン...
比肩するチームの見当たらない、圧倒的な実績もさることながら、長曽根ストロングス(大阪)から強く感じるのは、その揺るぎない存在感だ。全日本学童大会を7度にわたって制してきた、“常勝軍団”の現在地とは──。 全日本学童7度V。常勝軍団の存在感と現在地 OBとの練習試合で選手たちに声を掛ける熊田耐樹総監督 7、8年前のことだ。長曽根は第35回と第36回の全日本学童を連覇した。その時のことをいまも、よく覚えている。 そのいずれも、準決勝と決勝の舞台は東京都大田区の大田スタジアムだった。大田スタジアムで特徴的なことのひとつに、すぐ隣にある、軟式野球場が何面もある「大井ふ頭中央海浜公園」の存在が挙げられる。 本番当日の早朝から練習 長曽根はまだ夜も明けきらないような早朝から、その公園の一面を使い、練習をしていた。全国大会が始まる何カ月も前から、当然のように、決勝の日まで、その面を押さえた上で、である。 始発電車で公園に向かい、着いたときには、もう練習の真っ最中だった。試合開始は午前9時。数時間後の試合に向けて、長曽根の選手たちが行っていたのは、試合前のウオーミングアップなどというものではなかった。ピッチングマシンを何台も持ち込んで、ひたすら打ち込み、ボールを追いかけていた。普段と変わらない、通常の練習風景である。 その様子を見守る熊田耐樹監督(現総監督)とも、辻本茂樹ヘッドコーチ(現監督)とも、何を話した記憶はない。「いよいよですね」「そやね」。その程度だったろうか。選手たちに向かっても、ひと言、ふた言のアドバイス以外は、それほど多く声を掛けるわけでなく、プレーする選手たちの息遣いが聞こえるような、ピリリとした空気の中での練習。 4月の取材日は中1のOBも集まり、”仮想新家スターズ”として後輩たちの練習相手になった やがて、熊田監督と辻本ヘッドが話し、「そろそろ行こか」と大田スタジアムに移動すると、そのまま試合に入り、きっちりと勝利を挙げてみせたのだった。第36回大会は、3回戦以降をすべて完封勝ちし、決勝で齊藤海聖投手が完全試合を達成するという、圧倒的な内容だった。 毎時1人200球を打つ 全日本学童での長曽根ストロングスといえば、石橋良太(現楽天)を擁しての第22、23回大会の連覇、西川愛也(現西武)が活躍した第31回大会の優勝劇など、ハイライトはいくつもあるが、一番、記憶に残っているのは、この大井ふ頭中央公園での早朝練習における、何ともいえない空気感なのだ。 そんな光景を鮮烈に思い出したのは、この4月の木曜日、長曽根の練習を訪ねたときのことだ。 長曽根が平日練習を行っているのは毎週、火曜と木曜。高学年と低学年とで場所は分かれるが、4~6年生の練習は、とにかくよく打ち、そしてよく守る。 OBチームの投手は仮想の相手エースにあわせ、スピードを落とす。1球ごとにネット裏で計測している 高学年が練習する大阪・松原市民運動広場は、野球ならきっちり2面がとれる広いグラウンドだ。その1面分には、6~7台のピッチングマシンがずらりと並び、これらがフル稼働する。マシンのセッティングから補助、ボール集めに至るまで、選手の父母も総出だ。およそ3人に1台の割合でマシンがあり、選手たちが順番で打ち続ける。6年生選手が打撃練習を終えると、4、5年生の選手が入れ替わりで入る。そして、再び6年生。練習開始から終了まで、マシンの電源を落とす瞬間はない。 「1時間で、軽くひとり200球は打ってるんちゃうかな」。熊田総監督は涼しい顔だが、メーカー担当者に「高校の野球部でも、これほど早くは消耗しない」とお墨付き? をもらうほどの、マシンの酷使ぶりだ。 会心の一打!(上)。厳しいあたりもガッチリとキャッチ(下) 隣の面はきっちりとラインを引いてベースを置き、移動式のバックネットも設置、野球の面が作られる。ここで繰り広げられるのは、ノックの嵐だ。 全日本学童の府大会真っ最中だったこの日(取材日)は、ことし卒業したOBたちが駆けつけての練習試合も組まれる変則スケジュールだったが、いつもは最初に辻本監督がノックを打ち続け、打撃練習を挟み、ナイターの時間になると、かつての高校球児も多い、腕に覚えのある現役選手の父親コーチ陣がノックを打ち続ける。打球のスピードも、コースも、まったく手加減なし。大人の力強い打球が、守備範囲ギリギリに飛ぶ。それに飛び付く選手たち。そんなノックが延々と続く。上着を脱ぎ、汗びっしょりになりながら打ち続けるコーチの方が心配になってしまうほど、休みなく、パワフルなノックだ。 練習試合のプレーひとつにも気迫がこもる(上)。日が落ちた頃に練習試合が終了。練習はまだまだ続く(下) その合間に、4、5年生は全員が並んでのピッチング練習を行う。ネットの後ろでは、コーチがスピードガンを構え、1球ごとに球速を読み上げる。辻本監督が解説する。「(スピードガンが)あるのとないのとでは、かなり練習の質が変わりますね。自分の調子を計るバロメータにもなりますし、常に『きのうよりも速く』『いまよりも速く』というモチベーションにもなります。コーチがそれほど声を掛けるわけではありませんが、自分には嘘をつけないですからね」 やがて、日が暮れる。市民運動広場は、ナイター設備もある競技場だが、「値段が高いので」とあまり使わない。その代わりに、あらかじめ持ち込まれた、工事現場にあるようなLEDの投光器がずらりと並ぶ。ナイター設備に比べれば光量は圧倒的に足りていないが、ボールは見える、という明るさだ。選手らの激しい動きを幻影的に映し出す薄明かりの中で、さらに1~2時間ほど練習が続く。 日が落ちた後には容赦ないノックが始まる(上)。ノッカーはお父さんコーチ、補助と球拾いはお母さんたち。全員総出で練習が続く(下) 一つひとつの練習メニューを取り出してみれば、何も特別なことはしていない。だが、実際に目にすると、即座に理解できる。すべてが特別だ。一つひとつの練習が、どれも学童野球のレベルを軽々と超越している。...
【Team file 03】長曽根ストロン...
![【Team file 02】吉川ウイングス[埼玉]](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/000_DSC_7057.jpg?v=1681863096&width=533)
【Team file 02】吉川ウイングス...
全国に1万近くの学童野球チームがありますが、地元の少年サッカーチームと交流したり、SDGsに重なる活動をしているのは唯一かもしれません。コロナ禍でNPO法人となり、2021年には全日本学童大会に2度目の出場も果たした吉川ウイングス(埼玉)です。創立から46年の伝統を重んじつつ、斬新な取り組みで時代の先端を走るチームであることは、練習内容からも読み取ることができました。 ※「プロローグ」縦向き動画→こちら 斬新な活動、なるほど!の練習で全国出場。学童界の先端をゆくNPO法人 【参考ポイント】 ▶練習効率と効果の高め方 ▶できる指導者たちの共通点 ▶真の共感と尊敬を呼ぶ指揮官 ▶コロナ禍を逆手にした努力 ▶全国大会出場に必要な要素 ▶法人化のメリットと責任 ⇧低学年の練習❿の極意 ⇩高学年ハイパー練習 音楽に乗せて その人がどの地域で、どういう経路で野球をしてきたのか。チームや指導者の名前を聞いただけで、ある程度の野球観や実力などの察しがつく。そういうカテゴライズも容易なほど、日本の野球界には独特の風習や縦横の関係が存在する。良く言えば伝統、悪く言えば旧態依然やシガラミ、だろうか。 ともあれ、対子供の指導に選手時代の実績はさして重要ではない。何より大切なのは柔軟に学べる向上心と、適切に味付けができる理解と発想力。そしてそれらを具現、改良し続ける行動力なのだ。 吉川ウイングスの週末の活動に1日密着し、合理的で効率性を伴う練習を目の当たりにして一番に感じたのはそういうことだった。大人の怒号がないのに活気に満ちていて、ボールと人が常に動いている。どんどんトライする選手たちから読み取れるのは、うまくなりたい! という一心だった。 低学年のアップを兼ねた基礎練習では無数のマーカーが移動や動作の基準に。このひと手間が選手の習得をより促す 高学年に打撃マシンを開放していたライチタイムと、投手・捕手・内外野に分かれてのパーツ練習では、フィールドに今どきの音楽が流れていた。スマートフォンからスピーカーに飛ばすだけの仕掛けだが、前向きな歌詞やメロディが選手と指導者の意欲を助長しているように見受けられた。 「音楽の導入は今年からです。反復練習とか、黙々とやるマシン打撃とかノックは、リズムに乗ったほうがいいんじゃないか、と。こうして新しいものはどんどん採り入れて良ければ継続、もし悪ければやめる。その繰り返しかなと思っています」 こう語る岡崎真二監督は、向上心の塊のような賢い指導者だ。選手経験はさほどないが、8年前にコーチの依頼を引き受けてからは、書物や人に多くを学び、名将や強豪チームのノウハウを自らの指導や練習にアレンジをしてきたという。 現在は5年生以上の高学年チームを率いるが、低学年チームの安保大地監督は「練習は岡崎さんがコーチの時代にやっていたことを元にして、アレンジしています」と語る。要するに、コーチ陣も目上や従来の手法を根こそぎコピーするだけのロボットではなく、本質や根本を理解してリメイクする「岡崎イズム」が根付いているのだ。 6カ所同時の打撃練習は次の番を待つ選手(素振り)を含め、棒立ちの姿がどこにもない 1977年に「吉川ホエールズ」として発足したチームは、84年に改称。初代の竹内昭彦監督(現・理事長兼総監督)から、OBでもある樋髙敏之監督(現・理事兼GM)にバトンタッチして、2004年に全国初出場(全日本学童大会)を果たした当時から、合理的で効率性を重視した練習を実践していた。 「合理的」や「効率性」とは、場所と時間と道具と人の頭数を最大限有効に使っていること。実戦に結びつくプレーに優先順位をつけて実践したり、徐々に難易度を上げていくこと。あるいは、子供自身が実戦(同じ景色)を自ずと描ける内容であること。...
【Team file 02】吉川ウイングス...
![【Team file 01】岡山庭瀬シャークス[岡山]](http://www.fieldforce-ec.jp/cdn/shop/articles/001_DSC_7460.jpg?v=1677135257&width=533)
【Team file 01】岡山庭瀬シャー...
学童野球チームは、全国にざっと1万強。置かれた環境はそれぞれですが、存在意義や目指すゴールを明確にしつつ、創意工夫や改善改良を重ねて健全に活動するチームをじっくりと紹介していきます。第1回は、2022年末にポップアスリートカップ初優勝を遂げた岡山庭瀬シャークス(岡山)。かつての廃部の危機も乗り越えた、全国区の強豪です。 選手主体で最後に笑った2022年。 “野球好き”を生み続ける大組織 【参考ポイント】 ▶親も子もいつも幸せ ▶やられてもやり返せる土壌 ▶共感と人を呼ぶ指揮官 ▶消滅の危機を脱した協力 ▶大所帯を安定させるルール ▶自ずと集中する練習と工夫 最初で最後のタイトル 各地区の代表と前年V枠の計13チームで、王者を決する全国ファイナルトーナメント。1回戦シードのシャークスは、準々決勝で逆転勝ちを収めると、翌日の準決勝は完封勝ちで6年ぶり2度目の決勝へ。迎えた大一番は、全日本学童7度Vの長曽根ストロングス(大阪)の強打につかまっていきなり5点を失う。だが、直後の1回裏二死から怒涛の6連打などで7対5と大逆転すると、リードを守り切って初優勝。全国の参加約1350チームの頂点に輝いた。 年末のこのトーナメントは、6年生の最後の公式戦になることが多い。シャークスの12人(スタメン1人は5年生)もそうだったが、緊張や気負いの色はなく、一挙手一投足に当人の意思がしかと宿っているように見えた。就任32年目で最大の勲章を手に入れた中西隆志監督は、こう振り返る。 「あの子たち(2022年度の6年生)は、どの大会も必ず最後の日まで試合をしとるのに、全部(優勝を)逃してきとる。その悔しさがいっぱいあるから、『思い切りすればいい!』と。だから僕はじ~っと黙ったままでね…」 ベンチでは静かに戦況を見守る中西監督だが、要所では攻守のアドバイスも。写真は2022年12月のポップアスリートカップ全国ファイナル準々決勝(神宮球場) 指揮官は冷静そのもので、一喜一憂しない。打者は無走者ならベンチをいちいち見ないし、バッテリーは苦境でも配球を乞うたりしない。シャークスのこうした試合風景は、夏の全国大会でもおなじみだ。 むろん、個々がその域まで成熟するには、対外試合を含む練習の過程で教え込むことも多いという。だがそれも、指揮官の『選手を石にさせてもうたら、あかん』という哲学の上でこそ、よりよく浸透するのだろう。 「公式戦は、選手にもう任せとるんやからね。ベンチでゴタゴタ言うても萎縮させるだけでしょ。僕の一言で選手が固~くなってしもうたら、面白い野球ができなんやないですか」(中西監督) 「野球を楽しむ」土壌...