伝統の堅守とつなぐ攻撃が復活した今年は、過去2年とは異質の強さと安定感がある。3年連続12回目の全国出場を決めた際には、2人が泣いていた。1人は裏方や盛り上げ役に懸命だった生え抜きの6年生、そして背番号30番だ。指導キャリアは30年。2001年の全国デビュー以降はおそらく、大会や人前ではそうそう見せなかっただろう指揮官の涙の理由とは――。名将・吉田祐司監督の横顔と、全国に轟く強豪チームの真髄に迫ってみたい。
(写真&文=大久保克哉)
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名将の涙の深いワケ。“関東の雄”は原点回帰で一戦必勝
くきざき
茎崎ファイターズ
[茨城/1979年創立]
出場=3年連続12回目
初出場=2001年
最高成績=準優勝/2019年
【全国スポ少交流】
出場=2回
【県大会の軌跡】
1回戦〇5対1上辺見ファイターズ
2回戦〇7対0宗道ニューモンキーズ
3回戦〇10対1吾妻少年野球クラブ
準決勝〇5対0嘉田生野球スポーツ少年団
決 勝〇8対0楠クラブスポーツ少年団
「ユウジの『ユウ』の字は、のぎへんに右で間違いないですね?」
「はい、そうです」
3年連続12回目の全国出場を決めたばかりのベンチ内。失礼にもほどがある記者の不適切な愚問にも、吉田祐司監督は表情ひとつ変えず、どこまでも穏やかに丁寧に応じていた。
過去の栄光より目の前
これまでに手にした全国舞台でのメダルは4つ。2008年、11年、17年が銅で、2019年に銀メダル。これほどの実績を築きながら現存するチームは、関東では他にないことから、“関東の雄”と呼ばれて久しい。また、その大功労者でもある吉田監督は、指揮官となって四半世紀を超え、全国にも轟く名将だ。
ただし、同じ野球界の名将でも、高校野球と学童野球とでは、知名度も関心度も雲泥の差がある。国民に広く知られる人もチームも、学童球界には存在しないのは昔からだ。
それゆえ、大手のメディアは門外漢の記者も現場へ平気で送り込む。そして冒頭のような質問も、悪びれるでもなく堂々と。吉田監督は慣れもあるだろうが、冷静でいられるのはきっと、高校の名将にも劣らぬ器と人間性の持ち主だからだ。
吉田監督が大会会長を務める東日本交流大会は、茨城県を舞台に2003年に始まった。県内外のチームに交流が広がり、全国予選の試金石ともなっている。写真は今年4月6日、第21回大会の閉会式
忖度なしに、吉田監督の男気にも惚れる人はチーム外にも大勢いる。手柄をやたらに誇示したり、縄張りを築くようなヤカラでもない。チームは“県下無敵”が続いても、目の敵とされていないのは、それだけの努力も知られているから。県内のローカル大会やチームとの交流を疎かにしていないことも、理由のひとつだろう。
多様化の時代にあって、経験則にだけ固執していない。広い視野に客観的な視点と柔軟な頭もあることは、選手たちの豊かな表情やアクションからも見て取れる。守るべきは守りつつ、洗練された試合前のアップや試合後のミーティングなど、実務的な変化も随所に。今年のチームでは例えば、バットの握りだ。
学童球界では2025年から、一般用(大人用)の複合型バットが使用禁止に。茎崎はこれを受けて、堅守と小技とつなぎをベースとする一時代前までの野球へとシフト。その一方で、中軸の打者たちは目一杯に長く持ったバットから快音を発している。
県決勝の佐々木の先制3ラン(下)は指揮官のアドバイス(上)の直後だった。「監督に言われたことをやろうとした結果、ホームランになりました。全国では打ちまくって、(捕手として)刺しまくって、チームに貢献したいです」(佐々木)
昨年までの茎崎は、たとえサク越えの多い四番打者でも、バットはひと握り余して握るのが慣例だった。それは指導陣の不変の哲学にも思えたが、指揮官の目は過去の栄光や美学より、現実に向けられていた。
「今年は複合型の学童用バットを使っていますけど、大人用より確実に軽くて短いので、長く持ってもぜんぜん振り切れる。ただ、ちっちゃい子たちは、短く持ってコンパクトに振っていますけどね」(吉田監督)
二番を打つ山﨑修眞(=下写真)は、バットを余して握る1人。県決勝では左越えの二塁打を放っている。
「当たり前」の浸透
全国予選の茨城大会は5試合で2失点。「ウチらしい野球で進めることができたので、最高です」と指揮官は振り返っており、5回コールドで完封勝ちした決勝は100点満点に近い内容だった。
あえて減点対象を挙げるとすれば、7対0で迎えた4回裏、無死二塁のチャンスでのバント失敗(投飛)くらい。あとは攻守ともミスらしいミスもなく、意のままに粛々と試合を運んでいた。
鍛え抜かれた内野陣。宮下(写真㊤左)と石塚主将(同右)は打線もリードする役目。二塁手の野苅家(下)は小兵ながら、併殺を決める肩もある
守っては内野ゴロ併殺が2、継投した2投手は三塁を踏ませぬ好投。攻めては中軸にサク越えアーチが生まれ、バントと内野ゴロで得た1点があり、二死無走者から下位打線の3連打による2得点もあった。
そこまでは決勝戦の試合評でも触れたが、茎崎らしい“抜け目のなさ”は、もう一歩踏み込んだところに見え隠れしていた。例えば1回裏、五番・佐々木瑠星の先制3ランの後だ。
先制アーチで大いに盛り上がったが、攻撃は淡白にならずに続いた。六番・佐藤大翔が右翼線へ二塁打。一発パンチもある佐藤が、素直に逆方向へ打ち返したのもお見事だが、一塁ベースを蹴って二塁へ向かう際には、三塁コーチの森永結翔(5年)をしっかりと目視していた(=上写真)。
それも走塁の基本だが、押せ押せムードのなかで独断で欲張ったり、我も忘れて墓穴を掘ったりするのが小学生。茎崎の選手たちもテンションは上がる一方で、基本のレールを決して外れない。「当たり前」が深く浸透しているのだ。リズムに乗りやすく、流れを失うようなポカが生まれないのは、そのあたりも要因だろう。
以心伝心の馴染みの指導陣。左から吉田監督、佐々木コーチ、茂呂修児コーチ
「3月からの平日練習を、今年も佐々木(亘コーチ)を中心に、3人の大人たちでみてくれている。自分は仕事でほぼ行けてないんですけど、そういうのも大きいと思います」(吉田監督)
絶対的な練習量で、個々の守備も連係も鍛え抜かれている。球際にも強く、どういう状況でも大崩れしないのはやはり、「当たり前」の浸透が根底にあるからだ。
右方向への打球には、投げ終わりの投手が即座に反応して一塁へ(=上写真)。三塁側のスタンドに落ちた高い飛球も、左翼手の柿沼京佑、遊撃手の石塚匠主将、三塁手の宮下陽暉がギリギリまで追っていた(=下写真㊤)。5年生右腕の百村優貴は、本塁付近の小飛球に頭から飛び込んだ(=下写真㊦)。
それらがまた、明らかなワンサイドゲーム(県決勝)のなかで普通に見られたのも、茎崎ならではだろう。全国大会では緊迫の展開も多くあるはずだが、ボーンヘッドで主導権を相手に渡すような絵は浮かんでこない。
初心とスタートライン
「自分は(試合に)出ていないんですけど、仲間たちが全国を決めてくれてホントにありがたいです…」
県決勝を制した直後、そう言ってしくしくと泣いたのは、背番号12の筒井亮太だ。周囲も明るくする笑顔が、低学年のころはよく目についた。生え抜きで平日練習も休んでおらず、控えの二塁手という現状に満足しているはずがない。
だが、試合中は3アウトを奪うと真っ先にベンチを飛び出して仲間を迎え、得点すれば率先して盛り上げ役に。
「みんながやることをしっかりとやって、チームとしてまとまれたから勝てたんだと思います…」
筒井の言葉を裏付けていた1人が、四番を張る関凛太郎だ。昨秋の関東新人戦(ベスト4)では、千葉・豊上ジュニアーズの103㎞左腕から豪快にサク越えアーチ(=下写真)など、世代屈指の右の大砲だ。
この全国予選は本塁打1本に終わり、決勝は死球の後に2三振。それでも、一塁の守備では仲間たちへの頼もしい声が止むことはなかった。
「全国でも当たり前のことを当たり前にやって楽しみたいという気持ちもありますけど、一番は絶対に優勝したい! マジで練習もキツいし、それを乗り越えてきてるので県の優勝も喜んでいいと思うし、全国では一番注目されて、一番活躍できる選手になりたいです」(関)
全国出場を決めたのは3年連続。3年前の2023年は監督の胴上げがあった。昨年は監督の意向で胴上げを自粛。今年も歓喜の舞いはなかったが、珍しい光景があった。
名将の涙だ。10年以上前から取材してきた筆者が見たのは初めて。きっとチーム内でも、初見の人が多かったはず。満52歳。涙腺がゆるくなった面もあるのかもしれないが、涙の真相とは――。
「負けたら終わりの一発勝負で、負けちゃいけないというプレッシャーが正直、キツかったですね」(吉田監督)
絶対に落とせない。どうしても負けられない。過去2年分の募るものが沸点に達し、涙に変わったのだった。
「負けずにホッとした気持ちと、今年こそはというのが入り混じって…去年、一昨年と全国で不甲斐ない結果(初戦敗退)で、去年は正直、自分のなかでも手応えを感じてたんですけど、あんな結果に終わってしまって、その同じ舞台にまた立てるということで…」(吉田監督)
昨年はすべてが整い、満を持しての感が自他ともにあった。当メディアも優勝候補の本命に推した。しかし、1回戦で里庄町少年野球クラブ(岡山)に敗北。それも1対10という、屈辱的なスコアで。
ただならぬショックと失意。これを胸に、吉田監督は新チームの始動時から「原点回帰」を口にしてきた。先述の使用バットのルール変更だけが、理由ではなかった。
「去年も奢ったつもりはないですけど、みんな打てる子たちだったので、自分も含めて勘違いしていた面はあるかなと思います。今年はまず初戦突破。一戦必勝です」
石塚主将は2年前に全国デビューしており、佐々木と佐藤は昨年からレギュラーで1回戦の悪夢も体験した。当然、指揮官に重なる想いもある。攻守の要である石塚主将は、自身3度目で最後となる学童の夢舞台に向けて、胸の内をすっきりと語った。
「1年前がすごく悔しい一方的な負け方だったので、今年こそは! という思いでずっとやってきました。そのスタートラインには立てたので、あとはやるだけです」
【県大会登録メンバー】
※背番号、学年、名前
⑩6 石塚 匠
①6 山﨑 修眞
②6 佐々木瑠星
③6 関 凛太郎
④6 野苅家快成
⑤6 宮下 陽暉
⑥6 佐藤 大翔
⑦6 柿沼 京佑
⑧6 本田 大輝
⑨5 百村 優貴
⑪6 齋藤 琉衣
⑫6 筒井 亮太
⑬6 早川 幸義
⑭5 折原 優志
⑮5 菊地 凌牙
⑯5 藤城 悠翔
⑰5 森永 結翔
⑱5 金子 宙夢
⑲5 大鹿 颯人
⑳5 柿沼尚乃右
㉑5 石塚 福人