第45回全日本学童大会マクドナルドトーナメントは、競技5日目の準決勝からはメイン会場のHARD OFF ECOスタジアム新潟が舞台に。関西勢対決となった準決勝の第1試合は、伊勢田ファイターズ(京都)が集中攻撃とエースのフル回転で、元王者の多賀少年野球クラブ(滋賀)を振り切った。短評に続いて、勝者の主将と指揮官の物語と、敗軍の尊きトライの物語をお届けしよう。
(写真=大久保克哉、福地和男)
(文=大久保克哉)
■準決勝/エコスタ新潟
◇8月17日▽第1試合
[滋賀]8大会連続18回目
多賀少年野球クラブ
000012=3
04010 X=5
伊勢田ファイターズ
[京都]2年ぶり2回目
【多】岸本、里見、岡本、高井-高井、大橋民
【伊】藤本、臼田、藤本、夏山、藤本-夏山、石川、夏山
本塁打/大橋民(多)
二塁打/臼田(伊)
【評】右翼手・佐藤駿の美技でスタートした伊勢田が、4回までに5対0とリード。そしてエース左腕の藤本理暉を要所で投入する継投で、多賀の追撃を振り切った。2回裏、二死無走者から試合は急に動く。伊勢田が下位打線で満塁とし、一番・松倉駿の右前打が敵失も誘って3点を先取。続く幸尚哉(5年)の中前打で4対0に。伊勢田は5回にも七番・臼田塁人の二塁打から佐藤の犠打、山本灯司(5年)の右前打と、下位打線で加点。一方、4番手の高井一輝が粘投する多賀は5回表、大橋民紀太のソロアーチから反撃へ。6回表にも岡本律希、大塚堅史主将の連打に暴投、途中出場の中浦奏の右前タイムリーと併殺崩れで2点差に迫る。だが、伊勢田の藤本が3度目の登板で後続を断ち、決勝進出を決めた。(了)
序盤は伊勢田が好守を連発。1回表は右翼手の佐藤が飛球をスライディング捕球(上)、2回表は左中間を抜けそうな打球を中堅手の松倉がダイレクト捕球(下)
2回裏、伊勢田は二死満塁から松倉の右前打(上)と敵失で3点、幸(5年)も中前タイムリーで続き4点目(下)
多賀は5回表、大橋民がソロ本塁打(上)。続く6回には3安打と併殺崩れで2得点(下)も、反撃はここまで
―Captain Inside Story―
殻を破った主将と、指揮官との夏物語
なつやま・じゅん
夏山 淳
[伊勢田6年/捕手兼投手]
「何でもいいので、塁に出ようと思いました」
夏山淳がそう振り返ったのは、5回裏の第3打席。5対0で迎えた表の守りで初めて失点し、その裏の攻撃は簡単に2アウトとなっていた。
相手のエース格に夏山も早々に追い込まれたが、3球目を強振(=上写真)。鋭い打球が一塁手のグラブを弾き、ライト線へ転がった。結局、そこから加点はできなかったが、相手に傾きかけた流れに「待った!」をかける、貴重な一打だった。
さすがは伊勢田ファイターズの背番号10。でもこの選手のトレードマークは何といっても、人を和ませるような笑顔だ。それも自然なもので、下級生のころから変わらない。5年時の昨年12月、「冬の神宮」ことポップアスリートカップ全国ファイナルを制したときもそう。巧打とスマイルのセットで優勝に寄与。このあたりは『2025注目戦士⑬』の記事で触れている(➡こちら)。
新チームは6年生7人。前年から唯一のレギュラー、夏山が主将となるのは半ば必然だった。身体のサイズや肩の強さは並でも、適役のいなかった捕手にも新たにトライ。
日々の懸命な努力によって、出色のエース左腕・藤本理暉のスピードボールも確実にミットに収め、バウンドしたボールは身体の前に止められるように。また打線では四番を張り、勝負強い打撃でチームを夏の全国舞台へと導いた。
前代未聞の珍事にて
大注目の怪物クラスではないが、取り組みも含めて非の打ちどころがない。幸智之監督も「よくやっている」と評してきた。でも実はどこか、もの足りなさも感じていたと語る。
「すごく良い子で、悪さする感じでもない。でも、変に大人になろうとしているというのか、主将としても捕手としても、殻を突き破れないというのか…。それが全国大会の新潟に来て、ひと皮むけたなと感じることが何度かありました」
準々決勝の3回表、無死二、三塁で後頭部に死球を受ける。看護師に首を支えられながら救護室へ
主将の進化を指揮官が最も感じたのは準々決勝だという。この試合で夏山は、前代未聞の珍事の主人公となる。3回の攻撃中に、2度も死球を受けたのだ。
状況的に痛かったのはマウンドの剛腕投手だったが、1個目の死球はヘルメットではなく、後頭部を直撃。臨時代走で試合は進み、夏山は医務室で大事をとっていたが、打線がつながってイニング中に2度目の打席がやってくる。
状況は二死一、二塁。それでも救護班からの「プレー許可」がなかなか下りず、給水タイムに。伊勢田の背番号10がバットを手に現れたのは、後頭部死球から約25分後だった。しかし、球審の「プレイ!」直後の1球目、今度は背中に白球がドスン!
「このヤロー、2個目だぞ!!」
悶絶していた夏山は、急に立ち上がるやヘルメットを飛ばし、半狂乱でマウンドへ歩を詰める。すぐさま球審に抱き止められ、幸監督も身を挺して止めに入ると、夏山は力なく卒倒。騒然とするなかで、コーチに背負われて救護室に逆戻りし、試合はしばらく中断した。
後頭部への死球から約25分後、ようやく「プレー許可」を得て打席へ(上)。だが、今度は初球が背中を直撃し、背負われてまた救護室へ(下)
当初は臨時代走で試合再開の運びとなるも、「臨時代走が認められるのは頭部への死球のみ」というルールが再確認され、夏山の回復を待つことに。その間にグラウンド整備(通常は3回終了後)も入り、2個目の死球から約15分後に試合は再開された。
結局、伊勢田はこの3回表に7得点。これが決め手となり、勝利している。
スイッチが深過ぎて
あの激昂と暴走も、頭部死球の影響だったのかもしれない。確かなのは、熱中症ではなかったこと。加えて、四番・捕手の夏山の穴を埋められる選手は不在で、対戦相手はV候補の筆頭と目される強豪チームであったこと。
幸監督は祈るような想いで、看護師からのゴーサインを待ちつつ、横になって興奮から覚めていく夏山を説き伏せたという。以下、指揮官の当時の回想だ。
「ナツ(夏山)には試合後も『あの行為は絶対にアカンぞ!』と厳しく伝えました。でも、アイツ自身が救護室でも『絶対に交代しない!』と強い意思を示し続けたので、皆さんが待ってくれたと思うんです。褒められる形ではなかったけど、感情をあんなに露にしたのも初めてで、スイッチが入ったというか。それはハッキリと感じましたね」
そんな夏山が、準決勝は最終6回表から4番手で登板。しかし、守る側とすれば不運な連続安打から、一死後にタイムリーを浴びて降板した。ベンチへ戻り、捕手用の防具を手にする夏山へ、指揮官は珍しく険しい表情で何かを言っていた(=上写真)。
以下も指揮官の当時の回想だ。
「今度は感情が入り過ぎてたんですよね。ベンチから言うことに対して、うんうん、とマウンドで頷くのに、やってることがぜんぜん違う(笑)。勝ちが目の前で、すべて飛んでしまったみたいに。なので『オレたちがこの大会で求めているのは、結果とちゃうやろ!全力はいいけど、落ち着け!後悔するぞ!』と。そんな話をしました」(幸監督)
最終的に、準決勝もチームは勝利。そして決勝もフル出場することになる夏山は、大一番でライトの特設フェンスの向こうへ完璧な一発も放つ(=上写真)。日本一にはなれなかったが、閉会式後はトレードマークの笑顔でこう語った。
「一生に残る、思い出の全国大会になりました。新潟に来て伊勢田のテーマは『全力』になって、その全力を全員が最後まで出せたと思います。1個1個の勝利を目指して、それを続けてきたので、ここまで来ることができました」
そんな背番号10を、指揮官はひと言でこう評している。
「もう十分、よくやってくれました」
―Team Inside Story―
“時短”で得た銅メダルは、過去の「金」にも及ぶが如し
第3位
たが
多賀少年野球クラブ
[滋賀]
【8大会連続出場中の成績】
2017年:1回戦敗退
2018年:優勝=初
2019年:優勝=2回目
2021年:ベスト8
2022年:2回戦敗退
2023年:2回戦(初戦)敗退
2024年:3回戦敗退
2025年:3位
※2020年はコロナ禍で非開催
【2025戦いの軌跡】
2回戦〇4対2新家(大阪)
3回戦〇6対1東16丁目(北海道)
準々決〇9対3大龍(鹿児島)
準決勝●3対5伊勢田(京都)
「相手の左ピッチャーの子、あっぱれでしたね。(球速)110㎞を想定して試合に入りましたけど、最後までとらえきれなかった」
多賀少年野球クラブの辻正人監督は、潔く敗北を認めた。
過去2回Vの名将が絶賛した「左の子」とは、準決勝で先発・中継ぎ・抑えとフル回転した伊勢田ファイターズのエース、藤本理暉のこと。前日の準々決勝で先頭打者本塁打を放っていた里見葵生は、第1打席でライトフライ(=上写真)に終わると、ベンチで仲間たちにこう伝えたという。
「110㎞の想定でも遅れる。思っているより球が伸びてくる」
3回から登板した高井(上)が流れを呼び込み、九番の三好(下)も2安打と気を吐いた
打線はその後も4回まで、散発2安打の無得点。
5回に飛び出した大橋民紀太の一発は、エース左腕が55球で降板した直後だった。続く三好想太朗も右前打を放ち、打線は3巡目に入ったが、再登板した左腕に反撃の火を消された。
岡本律希、大塚堅史主将、中浦奏の3安打(=下写真㊤から順)などで2点を奪った6回もまた同じく。再登板した藤本を前に3球(都合66球)で3アウトとなり、2025年の夏が終わった。
「時間ない」は言い訳
保持する大会連続出場記録を「8回」に更新している多賀だが、メダルの獲得は連覇を遂げた2019年以来6年ぶり。銅メダルはチームにとって3つ目となるが、過去のどの色のメダルにも負けない価値がある。あるいは、「快挙」と換言してもいいかもしれない。
何しろ、「時短活動」を推し進めながら全国の3位まで上ってきたのだ。遠征時を除けば、朝から夕方までの1日活動がない。そんなチームは、45回の全国大会史上でも唯一かもしれない。多賀の歴代のメダリストたちも、驚きをもって称えてくれることだろう。
長らくスパルタ指導をしてきた辻監督が、2018年に「脱・スポ根」を掲げて同年から全国2連覇。ついに“最上の成功体験”を得たはずなのに、それに固執することなく、より良い道を模索し続けている。このあたりも“カリスマ監督”と呼ばれる一因だろう。
選手と保護者をより幸せにする、最善の一手がチーム活動の「時短」。各家庭に時間と判断を委ねることだった。まずは平日2日間の練習を自由参加に。そして週末と祝祭日は、5・6年生でも午前か午後のいずれかに。コロナ禍を経て、選手たちへの指揮官のアプローチも180度に近いくらいに一変していた。
かつては6年生が2人、3人の年もざらという小所帯で「オレが勝たせたるから、任せとけ!」と有言実行してきた。それが今では、軽く100人を超えるマンモスチームとなり、「オマエら(各選手)が力をどこまで出せるかや!」というスタンスに終始。
大胆に舵を切ったきっかけは、独り善がりの監督目線をあえて降りてみたこと。そして、野球をする小学生とその保護者の側に寄り添うことで、世の親子が学童野球チームに「真に求めているもの」に気が付いたという。
「一番は勝つことではなかったんですね。野球がうまくなることを求めているんです。ですから、今は『打つ・捕る・投げる』能力を向上させることで、子どもにも大人にも満足を与えるというのが最優先のテーマです」(辻監督)
取り舵いっぱいで進むと、選手がどんどん増えて組織は肥大するばかり。当然、ポジションを巡る競争率も総体的なレベルも引き上がるが、指揮官の目が全学年の全選手に行き届いているあたりも見過ごせない。
活動拠点のグラウンドでは、週末は複数台の投球マシンなどが終日、稼働している。ただし、人はおよそ2時間でほぼ入れ代わる。未就学から4年生までは、そういうカリキュラムを採用。5・6年生も全体活動は半日のみで、もっとやりたい親子のためにスペースと用具類が提供されている。
「時間がないから」なんて言い訳は、このチームの誰からも聞かれない。また、ボールと人が常に動いている、超効率的な練習は伝統のひとつだ。総人数が増えても、時間と場所を区切りつつの並行活動で最低限の「量」を確保。さらに、マシンの増設や投げ方・走り方の専門家に指南を仰ぐなど、環境面の充実で「質」も高めている。
その結果として、「時短活動」の対極にありそうな「勝利」も手にすることができているのだ。
「試合数は圧倒的に減りました。1人あたりの試合経験という意味でも、昔に遠く及ばない。でも、ボールを打つ数、ノックを受ける数は逆に増えている。結果、みんなそこそこの能力があるチームになって、がっぷり四つで戦うようになってくる」(辻監督)
5・6年生はA・B・Cの3班に分け、AとBはそれぞれ試合をしながら、頻繁に入れ替える。そうして切磋琢磨しながら、底上げされたメンバーが全国出場を決め、25人(5年生2人、4年生1人)が8月の夢舞台へ。なお、Cチームについては辻監督がこう説明している。
「野球が大好きで、うまくなりたくて意欲的に練習するけど、試合は好きではない。人からとやかく言われるのはイヤや、という子が一定数おるんです。外部の野球経験者にはなかなか理解してもらえないけど、そういう子のためにあるのがCチーム。ヘタだからでは決してない」
物のせいにしない
さて今夏の全国大会。際立ったのは、選手層の厚さと、勝機を逃さない試合運びの巧みさだった。
1回戦から準決勝まで5試合のなかで、登録25選手のうち、実に22人までがフィールドでプレーした。開始オーダーは試合ごとに変動し、4年生からメンバー入りしている里見に、昨夏も全国を経験した高井一輝と岡本の3人も、打順やポジションが同一ではなかった。
前日の内容や当日のコンディション、対戦相手の特性などによって、指名打者を含むベストの9人が先発。試合中はまた展開や状況に応じて、次々とシフト変更や選手交代があった。
準々決勝の2回表、三番・DHの今井葵飛(下)が右前打を放つと、すぐさまベンチから大橋煌太が出てきて代走へ(上)。この試合では17人が出場することに
「ボールなんか何でもええ。どのメーカーだろうが、J球だろうがM球だろうが、テニスボールだろうが、手にして3回投げたらストライクが取れる。ウチの子らには調整力があるし、ボールもバットも自分主導で動かすので、できなかったことを物のせいになんかしない」
辻監督の言葉を裏付けるように、先発投手も5試合すべて異なり、四死球連発で自滅するような立ち上がりは1度もなかった。また、普段から2チームで並行してプレーしているからだろう、ベンチスタートの選手に「補欠」の認識は薄く、自分の武器や出番を心得ているから交代も実にスムーズ。そして9人の顔ぶれや配置がどんなに変わろうと、戦力が落ちないのも特長だった。
巧打にバント安打もある奥野悠太(上)は主にスタメンの二番。近藤楓(下)は途中出場から、ライトゴロもよく狙っていた
「ボクは守備を生かしていく選手」と話した三塁手の三好想太朗は、1、2回戦は途中から二塁守備へ。雨天下の3回戦でスタメンに名を連ねると、本職の三塁で好守を連発し、以降は打撃でも活躍したように、試合ごとに新たなヒーローが生まれた。
「時短活動ですから、体力と持久力はそこまで鍛えられない。熱中症の予防対策(2回と4回終了後に給水タイムなど)のおかげもあり、あの暑さでも3位まで勝ち進めたと思っています」(辻監督)
斬新なチャレンジは、必ずしも好結果を招いてきたわけではないし、「時短」効果もすべてプラスとは限らない。全国大会でも2022年は2回戦敗退、翌23年は初戦で姿を消している。迎えた今夏も、ある種の「歪み」のようなものも散見された。
代名詞である「ノーサイン野球」は踏襲され、指揮官のブロックサインはなかった。一方で、声による伝達の頻度とボリュームは、昨年と比べても明らかに増していた。またその内容も時に、かつての多賀ではあり得ないような初歩的なものも。例えば、内野手へ「(相手打者が)バントの構えをしているから、(守備位置は)前や!」など。
試合展開や流れを読んでの、ベンチからのタイムは絶妙だった
あるいは3回戦で、こんな攻撃も見られた。4回に先頭の九番・三好が中前打。「一死三塁」をつくるために、まずは二盗というのが多賀の攻め口で、打席の一番・里見は2球待ったが、一走はスタートせず。
「相手のけん制とクイックがうまくて、走れませんでした」と試合後の三好。でも、2球で追い込まれた里見は叩きつけての内野安打で好機を広げ、貴重な追加点につなげている。以下はその里見の弁。
「4回の打席は、二盗のために2球待った? はい、そうです。でも走れない感じやって、自分も追い込まれたので打ってつなごうと切り替えました」
準決勝で先発し、無失点で立ち上がった岸本來橙は5年生。「来年も全国に出て、ピッチャーのときは飛ばし過ぎないようにしてゼロ点をずっと続けたいと思います」
野球のゲーム性は不変であり、それを理解した上での多賀のノーサイン野球も変わらない。戦術を駆使するかつての面影は薄れているが、思い通りにいかない状況での対処とスキルも選手個々に織り込み済。そして指揮官がそれを声で導いたり、確認をしているのではないか――。
筆者の直球の指摘と質問に、辻監督もまたストレートに即答してくれた。
「今の選手たちも、いろんな戦術を知っていますよ。時短で教えきれなかったわけでもなくて、子どもらの力でどこまで戦えるかに、今は重きを置いているんです。昔のように、対戦相手を欺くようなことをしなくても十分に戦える。なぜなら、個々の『打つ・捕る・投げる』能力を高めているから」
多賀の取り組みと野球は、これからも進化していくのだろう。賢い“カリスマ”の視線は今や、チームの選手と保護者に留まらず、野球界と未来に向けられている。