全日本学童大会マクドナルド・トーナメントは、全52試合。これを6日間のうちに7会場で消化する。学童野球メディアは今夏、30試合を現地で取材した。そのリポートは、1回戦の明るいトピックから始めたい。6年生が2人という南の島のチームの“深イイ話”。20年ぶり3回目の出場で挙げた全国初白星は、島人の絆を深めるとともに、亡き先代監督に捧げるメモリアルとなった。
(写真&文=大久保克哉)
■1回戦
◇8月8日◇新居浜市営球場
▽第2試合
[沖縄]20年ぶり3回目
浦添タイガース
100200=3
000101=2
山野ガッツ
[埼玉]2年ぶり2回目
【浦】宮城、金城、宮城-前元
【山】茂原、渕川-吉岡
二塁打/遠矢(山)
【評】浦添は六番・投手の宮城佑生主将と、七番・左翼の上原斗心のほかは5年生。1回表、金城長虎の左前打と2死球で一死満塁とし、五番・宜野座悠登の三ゴロで1点を先取した。先発の宮城主将が、この1点を3回まで守ると、4回表には四番・前元夢斗の右前打を足掛かりに敵失などでリードを3点に。一方、毎回のヒットが得点につながらない山野は4回裏、二死二、三塁から九番・中村翔の左前打でついに1点。だが、浦添の本塁送球で二走はタッチアウトに。6回裏、山野は八番・遠矢雄志の左越え適時二塁打で1点差に迫るも、再登板していた浦添の宮城主将が後続を断ち、チームとして初の全国1勝を挙げた。
〇浦添タイガース・与那嶺幸善監督「苦しい試合でしたけど、ちっちゃい子たちが一つにまとまって、それが勝ちにつながったかなと思います」
●山野ガッツ・瀬端哲也監督「打てずにウチの野球ができませんでした。2ストまでは速球一本に絞るという指示をしてましたが、ファウルで追い込まれて抜き球で…」
―On-the-stadium report―
沖縄の名門、三度目の正直で
全員で片ヒザを上げるポーズや踊りは、どういう意味やルーツなのか。次の試合までの限られた取材時間のなかで、そこまでは聞けなかったが、「感謝の意」が込められているのは明らかだった。
沖縄代表、浦添タイガースの全国初出場は34年前の1992年(1回戦敗退)。2回目は2006年で、優勝することになる門真ブルーメッツ(大阪)に、初戦の2回戦で敗れている(2対5)。

以来、20年ぶりの出場となった今夏、ついに全国で勝ち名乗りを上げた。6年生は2人で、10人いる5年生にも怪物クラスは見当たらない。総じて小柄の、極めて若いチームであることからすれば「快挙」である。
対戦相手の山野ガッツ(埼玉)は、登録16人がオール6年生。その強力打線に対し、4回2/3を投げて2点に抑えた宮城佑生主将(=㊦写真)は勝因をこう語った。
「全国大会に来る前まで、監督やコーチが厳しく教えてくれたから。6年生は2人しかいないけど、5年生がみんなまとまって、助けてくれるから勝てたと思います」

左翼を守るもう1人の6年生、上原斗心も奮闘した。背後の飛球や三塁線のライナー、三遊間を破る痛烈なゴロを適切に処理。打席では4回一死三塁の好機に、高く弾む投ゴロを打ってゴロ・ゴーを成功させ(=㊤写真)、これが決勝点に。

あとの7人は5年生だが、外野陣(=㊤写真)はテキサス安打や長打コースの当たりを次々とアウトにして、士気をより高めた。内野陣も堅実で、バッテリーミスもなし。
一番・遊撃の知花春空(=㊦写真)は攻守走がそろった逸材で、4回裏の守りではビッグプレーで相手の気勢を削ぐことに。


それは二死二、三塁のピンチで起こった。浅いフライがレフト方向に上がり、左翼手の上原は飛び込むも一歩及ばず、1点を失う(=㊤写真)。だが、背走で同じく打球を追ってきていた知花が、跳ねたボールを右手でつかむや即座の本塁好返球で、二走の生還までは許さなかった(=㊦写真)。

「守備は『一歩目を大切にしてよ』って話をよくしてるけど、今日はそれができたかな。キャプテン(宮城)もストライク先行で、気持ちを入れて投げてくれた。最近は調子を落としていたけど『良い時ばかりではないよ。悪い時もそれなりのピッチングをしようね』と…」
一語ずつ確かめるように語る与那嶺幸善監督(=㊦写真)にとっては、「ものすごくうれしい、特別な1勝」だった。
というのも、11年前に指揮官に就任後、わずか1カ月で前任の上原靖三監督が闘病の果てに他界。その前監督は、45年前にチームを立ち上げた創始者でもあり、悲願のひとつが全国1勝だった。
「今、背番号29の上原(幸治)コーチは、先代の監督の息子。それなのに、上原さんは私に『監督を継いでほしい』と。浦添タイガースは伝統のあるチームで、沖縄ではよく知られてるものですから、責任も重い。でも、私の経験を次の世代に託していけ、ということなんだなと感じて引き受けました」

与那嶺監督はかつて、社会人軟式のエレドック沖縄の投手として天皇杯にも出場。オール沖縄の一員で国体でもプレーした。また、昨夏の甲子園を制した沖縄尚学高の比嘉大登(駒大1年)や、昨春の甲子園に出場したエナジックスポーツ高の砂川誠吾主将(軟式・上間ガス産業)は、教え子にあたる。

5回表、一死一塁からエンドランで二番・金城長虎が三ゴロ㊤、5-3-5の送球間に一走の知花が三塁へ㊦

「上原監督と20年前に全国出場したときの選手が今、父兄にいるんです。沖縄ではたくさんの応援してくれる方々もいるので、感謝の気持ちを持って2回戦に進みたいと思います」(与那嶺監督)
浦添は4年生2人を入れても14人しかいないが、一塁側の応援席には、濃紺のキャップ帽にTシャツ姿の子どもが多数。実は同時期に、隣の徳島県で開催されていた、阿波おどりカップ2026に出場していた北ブルーウェーブ(沖縄・宮古市)の一行だった。

スタンドの最前部に陣取った彼らは、青いメガホンを用いての手慣れた応援をMAXで展開して勝利を後押し(=㊤写真)。以下は、率いる砂川幸乃助監督の弁。
「浦添タイガースとはいろいろご縁がありまして、宮古島から転校した子もいたり、5月に本島に遠征した際にも試合や親睦会を…。ボクらは昨日、阿波おどりの2回戦で兵庫代表(小野東スポーツ少年団=優勝)に負けたので、同じ沖縄を応援しに愛媛へ行こう、ということになって」

勝利した浦添ナインは応援席への挨拶時も、スタジアムの外で北ブルーのバスを見送る際にも、笑顔で片足を上げるポーズを披露。それは、徹頭徹尾のガチ応援をしてくれた、島人の友への“感謝の舞い”にも見えた。

ひと足先に帰途のバスへ乗り込む直前、砂川監督が話した内容も印象的だった。
「沖縄県大会であたれば、もちろんライバルになるんですけど、ボクらもちっちゃいながら大舞台を目指して頑張っていて、今年は6年生が3人と似ている部分も。それであんなに本気の応援を最後まで? はい、それもありますし、ボクらは強いチームより、良いチームを目指しています」

果たして1年後、再び愛媛で開催される夢舞台にやってくるのは、浦添か北ブルーか。はたまた、それ以外のチームか。いずれにしても、島人たちの真っすぐな絆が揺らぐことはないだろう。
―Good Loser―
劣勢を止めた、小さな大エース

「先制されて負けてたので、自分が流れを変えて絶対に逆転する!と思って投げていました」
死球やミスも絡んでいきなり失点した山野ガッツだが、流れをイーブンに戻したのは2回から登板した背番号1、淵川拓馬だった。

驚くような球速はないものの、全身を使ったフォームは美しい。2本の指をボールの縫い目にしっかりと掛けたフォーシームを主体に、立て続けに6つのアウトを奪ってみせた。
4回には先頭に安打を許した後、自らのボークやバックの送球ミスも絡んで2点を失うも、制球は乱れず。以降は無失点の粘投で味方の反撃を待った。

4回裏には六番・野﨑海斗の中前打㊤など3安打で1点。5回の守りでは富田真平がライトゴロを決めた㊦が…

最終回の反撃も、あと1点及ばずに惜敗。激しく泣いた右腕だが、2026年に入って背番号1を託した瀬端哲也監督は、最大級の賛辞をおくった。「彼は小さいですけど、ウチのエースですから。さすがのナイスピッチでした」

山野は2年前の2024年に、全国初出場で1回戦を突破。当時も率いていた瀬端監督は来年度、新4年生チームを率いての3年計画で「3度目の全国」を目指す予定だという。