7年ぶり3回目の日本一はならずも、指揮官は胸を張った。「最高に値打ちのある準優勝。果てしなく1位に近い銀メダルですよ」。選手の一部には涙も見られたが、敗北や悔恨のせいではなかった。今の時代にあって150人規模の大組織と潤沢な環境は、一般的な学童チームにはあまりにも遠い。しかし、全学年で10数人という時代からの変遷と取り組みには、ヒントも詰まっているはず。それらが読み取れる大会と決勝戦でもあった。
(写真=福地和男、大久保克哉/文=大久保克哉)
―Team Inside Story―
時短継続に健在の“辻マジック”で前年3位超え

準優勝
【9大会連続出場中の成績】
2017年:1回戦敗退
2018年:優勝=初
2019年:優勝=2回目
2021年:ベスト8
2022年:2回戦敗退
2023年:2回戦(初戦)敗退
2024年:3回戦敗退
2025年:3位
2026年:準優勝
※2020年はコロナ禍で非開催
【2026戦いの軌跡】
1回戦〇11対2前沢(岩手)
2回戦〇6対3本庄(佐賀)
3回戦〇14対7レッド(東京)
準々決〇5対4木屋瀬(福岡)
準決勝〇2対1南瀬谷(神奈川)
決 勝●2対3長曽根(大阪)
綱引きならば、ミシミシときしむ縄が微動だにしない状態。大相撲でいえば、横綱同士のがっぷり四つだ。相手の息づかいも探りつつ、仕掛けるタイミングや返し技をシミュレート。時間が止まっているようでいて、見えない火花が散っている――。
今夏の「小学生の甲子園」決勝は終始、そういう緊迫感があった。詳しくは戦評(➡こちら)に譲るが、ともに得意とする足技をついに繰り出さず。学童野球では多用され、全国大会でも得点につながりやすい「盗塁」が、この一戦に限っては互いに企図すらなかった。
また、犠牲フライは1つあったが、送りバントは双方ゼロ。一死までに走者を三塁に置いても、スクイズやエンドランを仕掛けず。結果、投手と打者の対決がベースとなり、わずかの守備力が明暗を分けた。

完投したエースの岸本㊤は、けん制のタイミングや鋭さも秀逸。マスクをかぶる生川㊦は驚くほどの強肩ではないが、送球動作がコンパクトで速かった

最終スコアは3対2の1点差。敗軍の将は「そうですね」と素気なかったが、よし、内野ゴロ併殺!という場面での悪送球が響いたのは否めない。ここで1つでもアウトを奪えていれば、そのイニングでの失点はなかった(2失点も、投手の自責点は0)。
ともに相手の力量も知るベンチだからこそ、動きたくても動けない。スコアは初回と中盤戦で動いたというのに、試合の流れは冒頭のような互角の綱引き、高い次元で等しく釣り合った状態が6イニング。見ている誰もが、最後のアウトまで固唾をのんだであろう、名勝負だった。

らしからぬ走塁死も
「動いたら負ける」――。
前代未聞のトリックプレーを含め、アウトを増やす術をとことん追求していた時代の多賀少年野球クラブは、全国区の名将たちからそのように言われていた。
当時の多賀の守備は鉄壁な上に、いくつもの仕掛けがあった。相手をよく観察し、エサをまいて罠にはめることにも長けていた。それを知らずに、いつものように機動力や小技を絡めて攻めようものなら、いたずらにアウトを重ねて主導権も勝利もさらわれる。そうしたことから、「ヘタに動かない!」のが多賀打倒の上策とされていた。
攻防のからくりや戦術を独自に研究し、選手たちに厳しく教え込んでいた辻正人監督は、当時から“カリスマ”だった。その狡猾な野球は「辻マジック」とも言われ、指揮官本人も「(相手が)腹立つ野球」と自虐ネタにして笑いを誘っていた。
そして全日本学童マクドナルド・トーナメントでは銀メダルが2つ、銅メダルが3つ。しかし、黄金のメダルだけは、どうしても手に入らなかった。
2016年8月8日、第38回全国スポーツ少年団軟式野球交流大会(現「エンジョイ!野球フェスティバル」)で初優勝。決勝の5回には二盗を阻止㊤。0対0の特別延長8回表に2点を奪い、逃げ切った㊦

以上は9年前、2017年までの話。その時代の多賀からは考えられないが、今夏の全国大会では攻撃中の走塁死が散見された。決勝でも2対2に追いつかれた直後に、四球と単打で出た走者が続けざまに、けん制死。かつての逆をやられてチャンスをつぶし、直後の守りで決勝点を献上している。

三塁、遊撃、一塁、捕手㊤とマルチにこなした西堀太晴主将。決勝の4回表にレフトへクリーンヒット㊦も、けん制でアウトに


投打走がハイスキルの大野萌々は準々決勝の5回裏に、右飛でタッチアップして二塁から三塁へ㊤。準決勝では1回裏に右前打で一、三塁とするも、塁間に誘い出されてタッチアウトに㊦

でも辻監督は、刺された走者たちを咎めることもなく、敗因にも挙げなかった。またV逸という結果についても、否定的どころか好意的にとらえていた。
「細かいことは教えきれていないままの全国大会やったんです。だからバントもたぶん、この大会で一番ヘタやったと思う。ただその分、個々の基礎(スキル)を最後まで高めてきての準優勝。細かいプレーができないのは仕方ないし、逆に基礎だけ鍛えてもここまで勝ち上がれた、ということですね」
高圧的な言動は日常的で、時には手も出た、かつての面影はすっかりない。この決勝戦当日、インターネットで生配信される直前の動画インタビューでは、よく通る声でこう答えて子どもたちを笑わせた。
「はい、準優勝くらいが、ちょうどいいと思いま~す!」

いい塩梅のリラックスムードが、1回表の2点先取につながった側面もあるかもしれない。大会中の多賀の選手たちは、日を追うごとに笑顔や活気を増していった印象がある。勝ち続ける喜びに加えて、遠い四国の地での生活に新たな出会い、そして真剣勝負を満喫しているように見えた。

「仲間ともっと野球がしたかったです。楽しくて、もっとやりたかった…」
閉会式後に声が震えたのは、決勝で完投負けしたエースの岸本來橙だった。実は前日の準決勝で足を負傷しており、テーピングで応急処置を施して先発し、最後まで一人で投げ切った。
結果、勝てなかった悔しさよりも、夢舞台が終わってしまった淋しさが募る。これは他の選手たちも同様で、「悔しい」が理由の涙は取材した限り、ほぼなし。第一声は大半が「楽しかった!」だった。

岸本と2人だけ、1回戦から全6試合でフル出場した生川友翔はまず、「自分もみんなも、楽しく終われた全国大会でした」と話した。自らの好投とサヨナラ打もあった準々決勝が最高の思い出で、エースの球を受け続けた決勝は、ぞくぞくしながら頭もフル回転させたという。
「長曽根(ストロングス/大阪)は良いバッターばっかりで、どう打ち取るかをずっと考えてました。スイングの仕方とか、ファウルの飛んだ方向とか、前の打席の結果とかを頭に入れて配球。大変だった? いえ、楽しかったです!」

三番・四番を打ってきた生川㊤は、決勝は2安打1死球で全出塁。決勝後に唯一、「悔しさもあります」と泣いた安達琉斗だが、1回に先制の2点二塁打を放っていた㊦
ベンチから1球ずつサインを出さずとも、自らそこまでやれる捕手が、1人ならず複数いるのが今の多賀。また小賢しい計略を用いずとも、個々の捕球投球スキルを目一杯に高めることで、相手チームの足技を抑止できることも全国決勝で証明された。
決勝で痛恨の投げミスをしてしまったのは、5年生の西邑叶惟。この遊撃手も右腕のテーピングが目立ち、万全ではなかったのかもしれないが、大会を通じて攻守での貢献度は計りしれない。来たる2027年の中心となるだろう逸材は、前向きなコメントで締めている。
「楽しかったです。ヒジとか相手のこととか気にせず、いつも強い送球を意識して守っていました。来年は自分たちもチャレンジして全国優勝したいです」

コンスタントに攻守で渋く働いた西邑㊤と、大会中盤戦で適時打など存在感を示した近藤修二㊦。この5年生2人が新チームの中心となりそう

激変の10年にて
この10年あまり、世界情勢とともに日本の世相は激変している。スポーツ界や学校生活も然りで、各家庭の多様化も進む。多賀の指揮官の育成方針や選手へのアプローチも、180度近く変わった。きっかけのひとつは、今どきの保護者がチームに求めるのは「勝利」が一番でないことを知ったことだという。
掲げる野球は、戦術ありきのガチガチの管理野球から、個の育成と選手主導のノーサイン野球へ。そして2018年からの全国2連覇を契機に子どもが集まりだして、今や150人規模となっている。

「現状維持は衰退」が持論のカリスマは、日本一になっても、その成功体験だけに固執しない。各家庭の幸せを最優先に考えた結果、「勝利」への近道とは逆方向かもしれない「時短活動」へと舵を切っている。
本当ならば、3個目の金メダルを胸にして発信したかったのだろうが、今大会の閉幕後にはこう話した。「今は週末の半日、4時間から5時間くらいしか練習してないんですよ。平日練習は自由参加で、やりたい子に場所と道具を解放するだけ。これをやり出した当初は、全国大会は序盤で負けてたんですけど、去年は3位、今年は2位と一歩一歩、上がってこれたのは胸を張っていいと思う。『1日やらなアカン!』とか『休んだら勝てん!』とか、そう思っている日本中の野球指導者に言いたいですね。『週末の半日練習だけでも、全国準優勝できますよ』って」

3回戦で初めて打線の一番に入った松下慶㊤は、ソロアーチなど3打数3安打。三番に抜擢された4年生・関沢勇吾㊦もヒットを1本

開幕前には、サッカーのW杯でよく使われた『ジョーカー(切り札)』というワードを用いて、「ウチは全員がジョーカーかも」と話していた。登録25選手の全員が、途中出場からでも試合の流れを変え得る能力がある、ということだ。
そして実際、6連戦で23人までがフィールドでプレーした。ベンチ入りの内訳は6年生16人、5年生8人、4年生1人。最終日の決勝だけは「6年生を多めに」との配慮もあったが、それまでの選手起用に学年は考慮しなかった。

福田賢多郎㊤と村井大翔㊦は3回戦からスタメンに定着し、攻守で不可欠な存在に

「疲労度とか、その日の朝練の状態も見てから」(辻監督)決まるスタメンは、顔ぶれも打順も布陣も毎日異なり、ジョーカーたちが輝くことも。また準決勝では代打の5年生・宮下朝陽が逆転決勝打など、大会終盤は相手チームの分析も踏まえての先発起用や、守備を含む交代がズバリとよく当たった。
選手が150人規模になろうとも、一人ひとりに目をかけて熟知するからこその登録25人であり、ジョーカーに違いない。10年前までと中身はまるで異なるが、“辻マジック”は令和の今もなお、健在である。
