巨大トーナメント序盤戦の壮絶なバトル。ここを順当に勝ち抜き、ベスト4にもほぼ手を掛けながら、一気に奈落の底へ落ちていったチームがある。でも、その1敗と引き換えに、彼らは永遠の誇りを手にしたのかもしれない。インサイド・ルポ❷の続編をお届けしよう。
(写真・文=大久保克哉)
※前編のインサイド・ルポ❷→こちら
―2011JSC Champion ―
6年生9人の精鋭と名将
メダルにも劣らぬ「誇り」
[長崎]6年ぶり4回目
はさみこうのす波佐見鴻ノ巣少年野球クラブ
【戦いの軌跡】
2回戦〇13対3横堀(秋田)
3回戦〇8対2越前(福井)
準々決●1対2八日市場(千葉)
マナーとモラルの問題
攻撃も守備も関係ないし、敵も味方もない。マウンドの投手がセットに入ると、ベンチ上のスタンドが一斉に静まる。鳴り物も手拍子も声も、ストップする応援席があった。
「ウチが攻撃のときは選手が打席に入るまでは急いで一生懸命に応援して、あとはプレーに集中してもらおう、ということです」
意図を説明してくれたのは長崎から6年ぶりに出場してきた波佐見鴻ノ巣少年野球クラブの父母会、宮﨑正和会長だ。今年は千葉県予選でもそういう取り組みが徹底されたが、九州の長崎県でも同様の応援マナーが推奨され、広まっているという。
今夏の全国大会はどうだったか。応援に関する規制や注意は、特に見聞きしなかった。そうした中で、攻撃の応援というよりは守る相手チームの小学生を威嚇するかのように、大の男たちがダミ声やドラ声を次々と発する応援席も散見された。だからといって、波佐見の父母会はやり返したり、応援スタイルを変えることはなかった。
自軍の攻撃中も打者がバットを構えるあたりから、一切の音を発しなかった波佐見の応援席。「プレーに集中してもらおう、と」(宮﨑父母会長)
「結局はマナーとかモラルの問題ですよね。県大会だからやらない、全国大会は禁止されてないからやる、とかそういうことではなくて。賛否もあると思いますけど、ウチはとにかく、ピッチャーとバッターに目の前の勝負に集中してほしい、ということです」
私見をクールに語ったのは、波佐見の村川和法監督だ。現在の応援スタイルはこの初夏からで、試合中に審判団から「投手がモーションに入ったら、もう少し静かにしてください」と注意されたのがきっかけだという。
「練習をがんばってきた子どもたちが懸命に戦っているのに、そんなこと(応援)で注意されたり、試合が止まるなんてイヤですもんね。応援マナーについては、父母会のみなさんに厳しく言っています」
焼き物と野球の町から
6年間の父親コーチなどを経て2010年に指揮官に就任した村川監督は、2年目の11年に全国スポーツ少年団軟式野球交流大会(JSC)で初優勝。もうひとつの全国舞台、全日本学童大会も過去3回出場の名将だが、どんなに実績を増しても人格者であり続けている。自らの手柄を執拗にアピールしたり、審判団や他チームに圧力をかけるような勘違いもない。
今夏の全国大会中には、不勉強な記者から失礼な質問も相次いだが、ピクリとも表情を変えず、落ち着いた口ぶりで答える姿も印象的だった。以下は父母会長の監督評だ。
「カリスマ性があって、一言一言が重たいんですね。誰の前だろうが、言うべきことはスバリと指摘されるし、みんな平等に接してもらっているので安心感があります。子どもたちへの指導も、われわれ保護者への指示もしっかりされる中でも、軽い冗談とかで場が和むこともよくあるんです」
3人の息子を育て上げ、職場を定年退職後も新たに勤めているという村川監督。子どもの手本にもなるジェントルマンだ
そんな指揮官が「やっと夢が叶ったという感じで…」と言葉に詰まり、うっすらと涙を浮かべたのは今大会の初戦(2回戦)、サク越え弾3発など12安打13得点で大勝した後だった。
実は全日本学童大会は過去3回とも未勝利に終わっていた。初戦敗退を繰り返しても、選手やミスを非難するような発言は聞かれなかったが、心中では悔しさを募らせてきたのだろう。
「もう、ずっと負けてばかりでしたからね…。きょうは打ち過ぎですけど、今年は6年生9人の長打力で勝ってきているチームです」
初戦で1試合2本塁打を放った下園蒼治朗が、158㎝50㎏。6年生の多くが同様に恵まれた体をしているのは、たまたまだという。
「今の6年生たちはコロナ禍の前、3年生になったくらいには9人がそろっていまして、全国出場というのもかなり早い段階から意識していました」(宮﨑父母会長)
チームの拠点、波佐見町は長崎県のほぼ中央に位置しながら、一部は佐賀県との境に面している。陶器の「波佐見焼」は、隣接する佐賀県有田市の「有田焼」にも負けない伝統がある。
人口は1万5000人ほどで野球が盛ん。2014年夏には、11年スポ少Vの正捕手だった村川監督の三男・大介さんらが波佐見中の軟式野球部で全国優勝し、Vメンバーの多くは17年夏、波佐見高で甲子園に出場した。県立の波佐見高は1996年夏に甲子園初出場、これまでに春夏4回、聖地の土を踏んでいる。
再度の奇跡ならず、も
駒沢公園野球場での3回戦第1試合。波佐見は前日の2回戦後半から当たり出した打線が、いきなり爆発した。1回表、一番・下園の左中間へのエンタイトル二塁打から一死二、三塁と好機を広げると、四番・山口陽大がレフトへサク越えの先制3ラン。
下園は2回にもエンタイトルの適時二塁打。6対1で迎えた6回には三塁打で出ると、三番・杉本結良がレフトへダメ押しの2ラン本塁打を放った。
3回戦では1回表に先制3ランを放った四番・山口(上)。三番・杉山(下)はダメ押しの2ラン※写真は準々決勝
「打って先制点を取って、優位に試合を進めていくのがウチの勝ちパターン。相手は大人も子どももサングラスをしていたり、打線も迫力があるのは見て知っていましたけど、『相手がどうこうより、自分たちのやるべきことをやればどうにかなるやろ!』と選手には話していました」(村川監督)
【3回戦】駒沢球場第1試合
波佐見 310022=8
越 前 001001=2
一方の越前ニューヒーローズ(福井)は、すっかりお株を奪われてしまうことに。1回戦は奇跡的な大同点劇からのサヨナラ勝ちで、2回戦は前年王者に守り勝った。それが3回戦の1回裏は三者凡退。打者が一巡した段階で安打は四番・米澤翔夢のシングルヒットのみで、3回に一番・山本颯真主将の犠飛でようやく1点を返した。
「確かに2試合勝ってきて、その勢いはあったと思いますけど、相手に先制されるという経験がほとんどなかったのもあって、ペースをつかめませんでしたね」
こう振り返った越前・田中智行監督が、絶賛したのが波佐見の先発右腕・下園の投球だった。「緩急もあるし、内外へのコントロールもいい。捉えどころ、崩しどころがなかったですよね」
結局、下園は5回を投げて4安打1失点。村川監督も「よく粘ってコースコースに投げてくれました」と称えた。4回裏の守りでは、右中間に長打されて中継に入った二塁手・渡辺仁が本塁へダイレクトの好返球で走者を憤死させるなど、バックも盛り立てた。
併殺に中継プレーに、守備での貢献が光った二塁手の渡辺(上)。辻稜生(下)の三塁守備も大会を通じて安定していた
最終の6回裏が始まったときのスコアは、8対2で波佐見がリード。1回戦の最終回に8点差を追いついている越前が諦めるはずもなく、しかも左大砲の三番・中橋開地からの好打順だ。
その中橋はテキサス安打も、二塁を狙いかけて刺されてしまう。イヤなムードは四番・米澤が、右打席からのひと振りで打ち払った。初球ストライクを左中間フェンスの向こうへ運ぶ、豪快なソロアーチ。
すると、右翼守備で美技も披露していた4年生の島碧生が、4回の二塁打に続く2安打目の左前打を放つ。しかし、反撃もついにそこまで。波佐見の2番手・山口が、最後は三振で試合を終わらせた。
越前は3年生の納谷悠聖もスタメン出場で平然と安打(上)。レギュラー2年目の4年生・島碧(下)も鋭いスイングに右翼守備も光った
1回戦は3時間超の大激戦で、2回戦は実力も実績も申し分ない強敵と接戦を演じた。越前はもしかすると、この2連戦で一時的なバーンアウトに陥っていたのかもしれない。だが、指揮官は真っ向から否定した。
「ふつうに完敗ですよ! 力負けです。相手が上やったですね。ピッチャーもバッティングも、今までやってきた中で一番素晴らしかった」と脱帽した田中監督に9月の半ば、その後の選手たちの様子を聞いた。
「最後までやり切れたということを子どもらも実感して、負けて悔しかったと思います。6年生はほとんど1年生から始めていて、野球が大好きで野球主体でやれた子たちでした。ボクも負けて喜びはないけど、最後に彼らが悔しがってくれたことは良かったなと思います。去年(途中棄権)はそういう思いもできませんでしたので」
現在はケガ人も複数いてベストメンバーではないものの、6年生たちは9月23日開幕の、ろうきん杯(県大会)までプレーするという。
―2023 Best 4 ―
[千葉]初出場
ようかいちばちゅうおう八日市場中央スポーツ少年団
※チームルポ→こちら
完封まで残り一死も…
野球人生で初めての本塁打が、全国大会初戦のサク越えアーチ。それまでは、ランニングホームランもなかったという。信じられないが、本人も監督も間違いないと言った。
波佐見の背番号1。一番・投手の下園が投打二刀流の図抜けた活躍で、さらに注目を集め始めていた。迎えた準々決勝は、それまで以上の快投だった。5回を終えて散発2安打、失点も四死球もなし。
下園は小さなテイクバックから速球、遅球を内外に巧みに投げ分けた
対する八日市場中央スポーツ少年団(千葉)は、スタメン4人が下級生の若いチーム。耐えてワンチャンスをものにするスタイルとはいえ、3回まで打線はパーフェクトに抑えられていた。
2巡目に入った4回裏、一番・宇井貴浩が左前打で完全試合を免れたものの、二番・富永孝太郎の遊ゴロは打球の強さも災いして6-4-3併殺に。5回裏には5年生の五番・椎名大和が中前打、続く4年生の天野翔太が送りバントを決めて二死二塁としたが、あと1本が出ない。
波佐見は5回裏、二死二塁のピンチで右翼手の宮﨑裕也主将が飛球をランニングキャッチ
一方の波佐見打線もまた、前日までの長打がほぼ鳴りを潜めていた。1回表に、下園の内野安打と続く庄崎愛大の右前打などで一死二、三塁とし、四番・山口の二ゴロで先制はした。しかし、それで試合を優位に進められたわけではない。ほぼ、イーブンペースの投手戦だった。
八日市場の先発、大型右腕の富永の球速は大半が105㎞から110㎞。角度のある速球で押し込み、4回には二死三塁のピンチも一直で切り抜け、2番手の石井へバトンタッチした。
スコアはスミイチの1対0のまま、迎えた最終6回裏、八日市場の攻撃。マウンド上の下園は三振で1アウトを奪うも、ラストバッターの5年生に右中間を破られてしまう。次打者は捕邪飛に打ち取るも、ファウルで3球粘らたこともあって投球数が規定最多の70を超えてしまう。自動的に投手交代となり、2回戦、3回戦同様に中堅手の山口が救援した。
逃げずに真っ向勝負
二死二塁。一打同点の好機で、八日市場は前日2本塁打の富永が右打席へ。続く三番の石井も、県予選決勝で決勝犠飛など勝負強い。とはいえ、失点の可能性と守りやすさを加味すれば、富永を歩かせて二死一、二塁にする選択も波佐見にはあっただろう。
以下は試合直後の村川監督の談話だ。
「申告敬遠も考えはしましたけど、勝負! と…ここまで(全国大会準々決勝)きて逃げるというのはちょっと。まだ先もある子どもたちですから…下園は球数的にも3人で終われる予定が、1人出した(二塁打)時点で狂ってきて、悪いほうに流れが…。(結果以前に、逃げずに勝負したことに悔いはないのでは?)そうですね、そのことに悔いはありません」
果たして、カウント1-1からの3球目。山口が投じた真ん中やや外寄りのボールは、八日市場の二番打者・富永のバットによって左翼特設フェンスの向こうへと運ばれていった。まさしく起死回生の、逆転サヨナラ2ラン。
波佐見は残りあと1アウト、ストライク2球というところから、勝利が一発で逃げていった。感情をあまり表にしない村川監督ですら、直後は目もうつろだった。被弾して号泣の右腕は放心状態。先発した下園がかばうように報道陣の質問に答えた。
「今日は調子が良かったですけど、最後まで投げられなくて悔しかったです。攻撃へのリズムもあるので、どんどんペース良く投げて守りを終わらせようと思って投げました。低学年のころからみんなで全国を目指して、ここまで来られて、とても楽しかったです。でも全国はやっぱり、そんな甘くないですね。中学ではこういう悔しい思いをしないように、これからも努力して実力を上げられるようにしたいです」
長崎王者のプライド
当事者には悪夢のような出来事も、外からは賛同を集めることもある。逆転サヨナラ弾で敗れた波佐見に寄せられた声の多くは、単なる同情ではない。目の前の1勝が確実にほしいがために、「逃げる」(申告敬遠)という決断に走らなかった指揮官と、真っ向勝負をした選手たちへのリスペクトや共感だった。むろん、見事にうっちゃった、勝者への称賛も等しく多かった。
壮絶なバトル、マンガのような幕引きから約1カ月。波佐見ナイン、特に山口のその後が気掛かりで村川監督にコンタクトをとると、調子抜けするほど明るい声だった。
「まさかね、ホームランを打たれるというのは頭になかったですね。勝負を決断したときに、同点までは仕方ないと覚悟はしていたんですけど」
最後の場面をあらためて回想してくれた指揮官。波佐見町に帰郷してからは、選手たちにこう話したという。
準々決勝の6回裏、二死二塁で投手交代を告げる村川監督。強打者を迎えて申告敬遠もよぎったというが…
「キミたちががんばってくれたおかげで、最高の負け方ができたと思う。1球の怖さを知ることができた。野球を長いことしていても、めったに出会えないようなことに直面できた。結果としてそれで負けたけど、この経験は必ずキミたちにも後で生きてくるはず」
ベスト8では手に残るメダルも何もない。が、最後まで逃げずに勝負した、という事実と自負は永遠に残る。「九州男児の誉れ」と表現したら、今の時代にはそぐわないのかもしれないが、堅持した長崎王者のプライドは、6年生9人の今後の特上の成長剤となることだろう。
全国大会以降、波佐見は3つの大会で優勝。実は今の世代になって試合で負けたのは2回だけだという。練習試合で県内の強豪に1敗。そしてもう1敗が、全国の準々決勝だ。
「やっぱり、あそこで打てる(逆転サヨナラ2ラン)相手がすごいですよ。私自身もあらためて振り返って、感動しました。全国大会でみんなで5泊できたせいか、チームワークも高まって落ち着いてプレーができるようになっていますね」
6年生は12月初旬の大会まで、ともに戦うという。指揮官の声が、いつも以上に弾んでいた。