こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。
ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。
第4回は中学時代のお話、「今の私の、野球の原点」です。
初めてぶつかった男女の壁、考える野球との出会い、そして支えてくれる人たちへの感謝…。気持ちが揺れたときもありましたが、だからこそ、自分の野球に対する思いを強く自覚したのがこの頃でした。
野球、やめます…
勝ってうれしい、負けて悔しいを学んだ学童野球。
さぁ、中学でも野球部に!というところで、私は一度、野球をやめる決断をしました。
きっかけは友達の一言でした。
「安祐美ちゃんは私が野球部の○○君のこと好きなのを知っていて、どうして○○君と仲良くするの?」
思春期に差しかかった彼女の言葉から友達との距離ができ、気づけば私は、クラスで独りぼっちになってしまったのです。クラスを離れれば男女関係なく、変わらず付き合える友達はいましたが、クラスでの孤立感が、当時の私にとってはつらくて…。
「なんでこうなっちゃったんだろう?」
考えた私は、なぜか、短絡的にも野球のせいにしちゃったんです。
「女の子の私が、男の子に交じって野球をやってるからだ」。さらに、「中学では女の子の部活に入って、普通の女の子の生活をすれば、またみんな仲良くしてくれるはず!」。
そんなある日、父が私を近所のスポーツ店へ連れ出します。
「安祐美、小学校野球よく頑張りました。お父さんとの約束も守ったし、レギュラーも取った。どれでもいい、好きなグローブ選びなさい。値段は気にするな」
ずっと知り合いのおさがりのグローブを使っていた私に、新しいグローブを買おうと連れ出してくれたのです。ですが、私は…。
「お父さん、グローブはいりません、中学では野球部に入りません、野球やめます」
本当に言っちゃった。泣きながら、震える声で。
「もういいと言うなら、いつでもやめていいぞ」と父。それでも、私の様子に「なぜ泣きながら言う? 泣くということは安祐美、野球が好きなんだろう? 好きな野球をどうしてやめる必要がある?」と尋ねます。
それでも泣き止まない私に、父は「外で泣くなんて恥ずかしい、帰るぞ!」と怒り、私を連れ帰ったのでした。そして、「もう野球をやめる人間はグラウンドに来るな、中学でも頑張ろうとしている選手たちの邪魔だ」と、私がグラウンドに行くことを禁じたのです。
初めて野球から離れた4日間、気づいた自分の思い
熱が出ようが何があろうが、それまで毎日野球をしていた私が、初めて野球から離れました。
しかし、そのガマンが続いたのも、わずか4日間でした。普通に生活していたつもりでしたが、言葉がきつくなったり、妹にあたってしまったり。そんな姿を見かねた母が言ったのです。
「安祐美、なんかイライラしてるね? 毎日野球ばかりだった子が家にこもっていたら、ストレスもたまるでしょう。気分転換に片岡塾に行って、体動かしてきたら?お父さんに追い返されてもいいじゃない」
野球はやらなくても、何かしら部活には入りたい。体動かしに行くか…。私は久しぶりにグラウンドへ行きました。母が父に電話してくれていたのか、父は私の姿を見るなり「早くアップして入れ」と声を掛けてくれたのでした。
いざ練習に参加してみると、「あれ? 意外と打てるじゃん! 捕れるじゃん! 投げられるじゃん!!」。野球が楽しくて仕方ありません。練習を終え、元気いっぱいに「ただいまー!」と自宅に帰ると、母は私の顔を見て一言。
「あら~安祐美、あんた顔が生き生きしてるわ。あんたには野球しかないのかもね!」
この数日、心にあったモヤモヤはいつの間にか晴れ、なんだかすっきりしてる…。
「私、やっぱり野球が好きなんだ!」
母の一言で、自分の思いに気づかされたのです。問題は解決していないけど、野球は悪くない。悪いのは自分だ。
中学でも野球を続ける!! そう気持ちを固め、帰ってきた父に「お父さん! グローブ買いにつれてって!」。数日前に大号泣したスポーツ店に連れて行ってもらい、一番高いグローブを買ってもらったのでした。
短くも、私にとっては長かった4日間。かつて野球をやることに大反対していた母の一言で自分の気持ちに気づき、私は野球をやめることを、やめました。
それからは中学野球に向けての練習がスタートしたのです。学童のC球より少し大きくなった、B球ボール。初めて履いた金属刃のスパイク、ザクッと土に刃が入るあの感じ、今でも覚えています。
あ、野球部の男の子が好きだった友達とは、別々の中学校に行ったこともあって、やがて、自然と仲直りできたのでした。
いざ、中学野球部へ

小学校の部活のときとは違い、中学の野球部へは比較的すんなりと入部できました。一人のコーチが時折、小学生時代の私のプレーを見に来てくれていたそうで、「これくらいできるなら中学でも大丈夫!」と学校側に掛け合ってくれていたのです。
みんな坊主頭の野球部。私も!と思っていましたが、入学直後に生徒指導の先生から呼び出され、「片岡は坊主禁止! 短すぎるのもだめ!」と言われ、ショートカットで入部しました。
部活動は火曜から日曜でしたが、練習のない月曜もミーティング。休みなしでした。
1年生が悪さをすると、先生から3年生が、3年生から2年生が、2年生から1年生が怒られます。あいさつははっきりと大きな声で、誰でも聞きとれるように。試合中は声ではなく、言葉を話しなさい──。
内容悪く負けたときは、試合後2時間ダッシュ!なんてしょっちゅうでした。
元気がなければ、「わっはっはー!」と大声で笑いながら走らされたり、今の気持ちを大声で叫びながら走らされたり。紛れて「鬼―!悪魔──!!」と言いながら走ったこともありました。笑
毎年、母の日には、母を学校へ招待し「お母さんありがとう」の手紙を読む。お盆には、卒業生たちを招いてOB会と称し、世代を超えて野球をする…。
そんな日々を過ごしていました。
初めての挫折と、そこからの気づき
初めて野球の厳しさに直面し、挫折ともいえる経験をしたのも、この頃のことです。
先輩、後輩の上下関係、小学生時代とは違う圧倒的な練習量、そして男子選手とのパワーの差…。小学生の頃、私より小さかった男子選手がどんどん大きくなり、体つきも変わってきたのです。足の速さも打球の飛距離も、全然違う。
「ここでやっていけるのかな…」
そんな私にヒントをくれたのが、中学時代の恩師でした。小学生時代の私を偵察に来てくれていた、あのコーチです。今も私の根底にある「考える野球」の原点を示してくれた恩人なのです。「ヒットやホームランだけが野球じゃない」。彼からそれを教わった私は、野球の猛勉強を始めました。
イニングとアウトカウントの表を作成し、状況によってどんな攻撃が考えられるかを埋めていく。ホームランを打てなくても、出されたサインをきっちりと決められる選手になろう。ピッチャーの投げる球種とバッターの特徴でポジショニングを変え、足りない守備範囲をカバーしよう…。
毎日疲れ果てて、食事しながら寝てしまうというような日々でしたが、充実していました。
キャッチボールの相手がいない…

野球部内でキャッチボールする相手がいなくなったこともありました。
「一生懸命にやるのはカッコ悪い」「女子と喋るのってカッコ悪い」──。
思春期に突入した男の子たちに対して、私は変わらず、何の配慮もなく接していたのですが、気づけば…。
「あれ? キャッチボールする相手がいない。私いつも最後に残ってる…?」
なぜこうなった? なんでみんな一生懸命に練習しない? もう中体連の大会まで、すぐだよ?
「あー、私ウザいのかな。だったら一生懸命にやるのやめればいい? みんなと同じように、適当にやってればいいか」
またまた私は、野球のせいにしてしまったのです。
それからは、結果も出せず、チームも勝てない。何より、野球が面白くない。
ある日、父が「部活どうだ? あまり結果出てないみたいだけど大丈夫か?」と聞いてきました。「まぁねー。みんな一生懸命にやらないから勝てるはずないよねー」と答える私を見て、父が問います。
「で? お前はどうなんだ? 一生懸命やってるのか?」
何も言い返せませんでした。
「そうか。お前にとって野球はそんなものだったのか。だったら辞めてしまえ。みんな受験勉強始める時だ、野球辞めて勉強しろ」と父は言いました。
「どうしたらいいか分からない」と私。そんな私に、父がピシャリと言ったのでした。
「お前はこれまでいろんな人に、お前の野球を伝えてきた。いろんな人に考えを変えさせて、認めてもらってきただろう。同じように、チームメイトにもしてごらん。やるだけやってダメなら、移籍すればいい。チームは探してやる。他人に流されるような人間に育てた覚えはない」
面と向かってはあまり褒めてくれない父ですが、この言葉に「お父さんはちゃんと私を見てくれているんだ」と感じたことを覚えています。
気持ちを入れ替え、ウザがられてもいいから自分からいこう、と勇気を出してグラウンドへ。チームメートに「キャッチボールしよう」と声を掛け、練習中は大声を出し、お弁当食べるときに少しずつ距離を縮め…。そんなことを続けているうちに、「キャッチボールやろう」と声かけてくれる選手が一人、二人と出てきて、一緒に練習してくれるように。
少しずつチームは変わり、中体連大会の前には、みんなで切磋琢磨しながら練習ができるようになっていました。
私もようやく、仲間として受け入れてもらえたような気がしたのです。
「ベースボール」と「野球」
私が中学3年生だった2001年といえば、イチローさんがMLBでデビューした年です。
シアトル・マリナーズのルーキーとして登場するや、規格外の体格のメジャーリーガーと対等に、むしろそれ以上の活躍をされていて、スポーツニュースのトップはイチローさん一色。振り子打法はみんながモノマネをしていました。
「ホームランを打とうと思えば、いつでも打てる」
そんな記事を目にしたこともありましたが、私が憧れたのは、イチローさんがセーフティーバントや内野安打、野手のいない場所に打つバットコントロール、出塁率や安打数で世界中を魅了する姿でした。
海の向こうの「ベースボール」の世界を「野球」で席巻するイチローさんの姿を、力強い男子が競い合う中学野球に、私なりの「野球」で挑もうという自分に重ね、勝手に勇気をもらっていたのです。
家にはイチローさんの等身大のポスターを飾り、チームに必要不可欠な選手になる!と自分に言い聞かせ、野球に明け暮れる毎日…。
山あり谷ありの3年間も、終わりに近づいていました。
中学最後の大会では、満足のいく結果は残せなかったけど、試合後のミーティングでは、父に「ありがとうございました」と泣きながら抱きついたことを覚えています。
父は私を抱きしめることもなく、目をつむって空を見上げていたそうです。
厳しさ、つらさ、しんどい野球、そして感謝する気持ちの大切さ。そんなことを学んだ中学校野球でした。