コラム

【Episode 7】フィールドフォース・トーナメントで始球式!

【Episode 7】フィールドフォース・...

2026.07.14

 こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。 ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。 第7回は、これまでの流れから少し離れ(「次は高校時代」といっておきながらすみません!)、先日始球式を務めさせていただいた、学童野球大会「東京都知事杯フィールドフォーストーナメント」について感じたことを書きたいと思います。 めちゃくちゃ緊張しました!   「片岡さん、お願い!」  東京都知事杯フィールドフォース・トーナメントとは、東京都軟式野球連盟さんが主催し、今年49回目を迎えた、伝統ある「東京都学童軟式野球大会」のことです。 毎年、都内の各支部を勝ち抜いた強豪チームが一堂に会し、小学生の「東京No.1」の座を懸けて熱戦を繰り広げる、夏の風物詩。フィールドフォースが特別協賛させていただいて、10年目になります。 この大会の開会式では例年、吉村尚記社長が始球式を行っているのですが、今回はまさかの「片岡さん、お願い!」。この一言で、八王子市のスリーボンドスタジアム八王子で行われる開会式での始球式を片岡が務めさせていただくことに。 ですが、実は私、軟式での始球式にいい思い出はありません…。大暴投したり、ワンバン投げたり…。笑   ファーストピッチの思い出といえば…  これまで、いろんなところで始球式をさせていただきました。NPBの試合、女子プロ野球の試合、独立リーグの試合、軟式野球、少年野球、学童野球などなど。 始球式といえば、守備側の選手たちがポジションにつき、プレーボール直前に投げるものがほとんどですが、最近では、いわゆるファーストピッチ(セレモニアルピッチ)というのも多くなってきています。 試合開始の数十分前に、守備には就かず、キャッチャーのみ、ときにバッターありで投げる、エンターテインメントのひとつとしての始球式です。 このファーストピッチ、私には忘れられない経験があります。 2009年7月、アメリカ・シアトルのセーフコ・フィールドでのことです。当時、イチロー選手と城島健司選手が所属していたシアトル・マリナーズ対ボルチモア・オリオールズ戦でした。  マリナーズでは毎年7月、「ジャパンナイト」と呼ばれる、日本文化を紹介するイベントを行っており、その中でのファーストピッチをさせていただいたのです。 MLBのボールって、NPBのボールとは革の質、縫い目の高さが違うんです。だから、練習ではすっぽ抜けてばかり。 こりゃいかん!! 焦った私は、先に手渡されていた始球式用のボールに、ペットボトルの水をかけ、革を湿らせる作戦に出ました。今だから言えるお話かな…。笑 茨城ゴールデンゴールズのユニフォームを着て、マウンドへ。キャッチャーはまさかの城島選手!! スタジアムのお客さんたちは、「小さな娘が来たなぁ」という感じだったと思います。正直、みな無関心! 一方、マウンド上の私はといえば、吐き気がするほどに緊張していました。周りに誰もいない、マウンドにぽつり、自分ひとりだけ。私は開き直り、みんな私のことなんて見てない!とばかり、思い切って城島さんのミットだけを見て投げました。すると、ど真ん中ストライク!! その瞬間でした、無関心だと思っていたお客さんたちが一斉に立ち上がり、スタンディングオベーション! ぶわーっと、一気に鳥肌が立ちました、みんな見てくれていたんだ! 城島さんはボールにサインをし、渡してくれました。そして、「これイチローさんから!あとでお礼言うんだよ」って、ポケットからイチロー選手と城島さんのバッティンググローブを取り出したのです。 私は口あんぐり! その景色は一生忘れることはありません、今でもはっきりと覚えています。   いざ!プレーボール!!  閑話休題、です。 フィールドフォース・トーナメントの開会式が行われた6月13日は、江戸川区であったゴールデンゴールズ女子チームのリーグ戦終わりで八王子へ向かいました。 学童野球の開会式を見るのは、自分が学童野球をやっていた頃以来なので、30年近くぶりです。立派なグラウンドで、スタンドからは各チームの保護者や関係者の方々からの大歓声と拍手。そんな中、野球少年、野球少女たちが堂々と行進する姿、元気いっぱいの選手宣誓を見て、昔の自分を思い出しました。 学童野球時代の私はチームの副キャプテンをしていたため、団旗やプラカードを持って行進していたなぁと、懐かしくなりました。 また、会場には息子も連れて行ったのですが、彼が一生懸命にお兄さんお姉さんたちの姿を見ている姿を目にし、いつか私も、スタンドから拍手を送る日が来るのかなぁと…。  開会式も終盤を迎え、62チームの選手たちを背に、いよいよ始球式。まぁまぁのどっ緊張でした! キャッチャーをしてくれた選手とベンチ内でキャッチボールして遊んで、いざマウンドへ。 投げる前に一言、選手たちに向かいごあいさつをさせていただいたのですが、久しぶりに見る人の数に、声が震えていたんじゃないかと…。正直、自分でも何を話したかは覚えていません。笑 球審の「プレーボール!」の声で投げたボールはちゃんとキャッチャーミットに収まり、ストライク!! 選手たちから「おぉぉ~!!!」の声、スタンドからも拍手をいただき、ホッとしたことは覚えています。 キャッチャーも飛びながらマウンドへ駆け寄ってくれたので、まるで優勝バッテリーのようにハイタッチをさせていただきました。ふ~、良かった!   大会は進み…残すは決勝戦!  この日は開会式のみでしたが、翌日から熱戦が繰り広げられ、大会はすでに準決勝までを終えています。勝ち上がったのは船橋フェニックスと用賀ベアーズ。どちらも世田谷区の強豪です。 残すは7月19日、スリーボンドスタジアム八王子で行われる決勝戦。62チームの頂点に立つのはどっちのチームでしょう!? 勝負の世界である以上、どちらかが勝ち、どちらかは負ける。勝てばうれしい、負ければ悔しい。仲間と支えあい、励ましあい、信じあう力。私は学童野球から、たくさんのことを学びました。 62チームのうち2チームにしか与えられない、決勝の舞台。 緊張してOK! それだけ、ここにかける思いが強い証!! 全力で思いっきり、プレーしてほしいです! 彼ら、彼女たちの姿は、いつも感動と勇気を与えてくれます。 今回、開会式での経験を通して、自分自身、もっともっと頑張るぞ!と気持ちを新たにさせてもらいました。貴重な経験をありがとうございました!!  

【Episode 6】片岡安祐美、女子野球と出会う

【Episode 6】片岡安祐美、女子野球...

2026.06.09

 こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。 ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。 第6回は自己紹介の続き、「女子野球との出会い」です。   女子硬式日本代表のセレクションにエントリー!  高校球児になる!と決意表明した私は、私を受け入れてもらえる高校を父に探してもらいつつ、勉強に、野球にと、残り少なくなった中学生生活を過ごしていました。 そんなある日のことです。またしても、父が1枚の紙を持ってきました。そこにあったのは、「女子硬式野球日本代表セレクション」の文字。 父が言います。「安祐美、これを受けてみないか? お前の伸び切った鼻をへし折ってもらえ」 日本代表? なにそれ? という感じです。そもそも、自分の鼻が伸びていたとは思っていませんでしたし…。笑 それでも、興味をひかれたのは「全国の野球をやっている女の子たちと会えるんだ! 一緒に野球できるんだ!」というところでした。「受けたい!」と父に告げ、中学3年の12月、東京・駒沢大学のグラウンドで行われる女子野球日本代表のセレクションにエントリーしたのです。  勢いよく「受けたい!」と宣言したものの、それまで学校の部活がすべてだった私にとって、野球は「軟式」。セレクションの受験が決まってから、硬式球に慣れるための「一夜漬け」ともいえる練習が始まりました。 ノックを受けたとき、ボールが跳ねないことに驚きました。ボールは跳ねない、グラブは上からいかない、下から下から…。 そんなことを自分に言い聞かせながら、ノック受けていた時のことです。 イレギュラーバウンドへの反応が遅れ、そのボールは私の左鎖骨へコツン! 見る見るうちに、鎖骨あたりがポッコリと腫れていきます。 ですが、当時から、私の中で野球をする上でのルールがあって。 恐怖心は持ちたくない。持たないためにも、顔であろうがどこであろうが、ボールが当たった時は治療の前に必ず、もう一球受ける!でした。なので痛かったけど、もう一球ノック打ってもらい、恐怖心を持たないようにしたことを覚えています。 鎖骨のほかにも、顔に当たったこともあったし、口を切ったこともあったし、いろんなところでボール捕ったなぁ…笑   元気いっぱいが片岡安祐美の野球なのです  セレクションには、全国から約140人の選手が集まっていました。年齢層もバラバラな、野球やソフトボールをやっている女子選手たちです。もうそれだけで、私はうれしくてたまりません。 中学校で学んだ元気のある野球のおかげで、もはや私に恥ずかしさなどありません。目立ってなんぼ!です。知らない選手ばかりだけど、ひとり大きな声でグラウンドにあいさつして入り、ひとり大声を出してアップしていました。 すると、そんな私の様子を面白いと思ってくれたのか、初対面の選手が私の真似をして一緒にアップしてくれたり、キャッチボールしよう!と声をかけてくれたり。 ノック中も大きな声を出し、バッティングでは小学生からのルーティンどおり、ピッチャーに対して「さぁ来い!」と叫び、気合を入れて打席に入ります。 私の中ではテストというよりも、ただひたすら、たくさんの女子選手と野球ができる!うれしい!楽しい!という思いだったのです。  テストが終わると、父がなんだか慌ただしくしていました。関係者の方に呼ばれたり、電話で話したり…。 どうしたんだろう?と思いつつ合格発表を待つと…まさかの合格です! 当時、女子硬式野球日本代表の監督をされていた、元日本ハムの広瀬哲朗さんの目に留まったようです。「この子は元気が良い!」と。現役時代の広瀬さんも、ヘッドスライディングや元気いっぱいのハッスルプレーでファンを魅了されていた方でしたから、そこを気に入ってもらえたのでしょう。 なんにせよ「合格」です。 私はただただ、「世界中の女子野球選手たちと野球ができるんだ!うれしい!楽しみ!」と、喜んでいるばかりでした。   女子野球の世界へ、第一歩  合格発表後、14人の合格者は控室に集められ、今後の説明を受けました。 アメリカで世界選手権が行われること、大会までのスケジュール、代表としての心得など…。私はこれからどんな世界が待っているかもわからず、ただワクワクした気持ちで、話を聞いていたことを覚えています。 そして、父を見て思っていたのです。お父さんは何をそんなに慌てているんだろう、こんなにうれしいことなのに…。 今思えば、父はそのとき、私のこれからについて、連盟の方々に話を聞いてもらっていたのだと思います。 娘は高校に入り、男子選手に交じって甲子園を目指したいと言っていますが、可能でしょうか? まして、日本代表と二足のわらじで野球を続けることができるのでしょうか? そんなことを聞いていたのでしょう。 何事も頭ごなしにダメとは言わず、娘の本気度を確かめ、可能な方法を探してくれていた父。そして、そっと背中を押してくれていた母。両親には感謝しかありません。 が、当時の私は、そんな両親の気持ちはどこ吹く風…。「親の心子知らず」とは、こういうことをいうのでしょう。 今は自分もひとりの親として、両親のようでありたい、そうなりたいと思っていますが、はたして自分にできるのか…。   あとは卒業後の進路、なのですが…  熊本に帰って学校に報告し、日本代表としてもプレーすることが決まった、中3の12月。あとは進路だけです。 どの高校に入学して野球を続けるか、いや、どこに入れば続けさせてもらえるのか。 学校、部活、塾の日々です。 父は、いくつかの学校と話をさせてもらっていたようです。高校野球の経験がある父だからこそ、「安祐美はちゃんと野球をさせてもらえるのか、ちゃんと選手として見てもらえるのか」を最優先に考えてくれていたそうです。 そんな時でした。のちに私の母校となる熊本県立熊本商業高校の野球部の監督さんとお会いし、お話を聞いてもらえることになったのです。  …今回はここまで。次回、ようやく高校球児・片岡の誕生です!!

【Episode 5】迫る中学卒業… 片岡安祐美の覚悟と決意

【Episode 5】迫る中学卒業… 片岡...

2026.05.12

 こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。 ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。 第5回は自己紹介の続きで、中学卒業までのお話、「夢と現実、安祐美の選ぶ道」です。 父から渡された、A4用紙の分厚い束  中学野球部最後の大会も終わり、さぁ、いよいよ高校野球だ、甲子園だ! 気合満々の私に、父が「これ読んでおきなさい」と、束になったA4の用紙を渡しました。 表紙に書いてあったのは、「高校野球連盟規則」。「あ!お父さん優しいじゃん! 高校球児になるし、これ読んで勉強しておけってことね!!」とニコニコで読み進めてゆくと、ある一文が目に留まりました。「試合に出場できるものはその学校に在籍する男子生徒のみに限る」 え…? なにこれ…?「お父さん、これどういうこと?」 私が聞くと、父は「書いてある通りだ、お前は女の子。甲子園には出られない。もう15歳になる。自分の人生、自分で考えなさい」と。 待て待て待て、どうしよう…。 甲子園に出たくてこれまで野球やってきたのに、女の子ってだけでダメなの? これまでテレビで見てきた甲子園に女子選手がいないのは、甲子園に出場しているチームにたまたま女子部員がいないだけで、全国にはたくさんいるはずだ…。そう思っていた私は、頭が真っ白になりました。   そうして、何も手につかずにいる私を見かねたのでしょう。父はその後、私の進路の選択肢を増やすためにと、他のスポーツも見学に連れて行ってくれましたが、私の中で野球を超えられるものはありませんでした。   中学卒業旅行は、父と初めての甲子園球場  中学の野球部に入部する際、私は父に、ひとつのお願いをしていました。「中学校でも野球頑張る。レギュラー獲るし、途中で投げ出さない。だから、引退したときに卒業旅行として甲子園に連れて行ってほしい」と。 父と娘、1泊2日の卒業旅行です。 初めての甲子園。朝一の便で伊丹空港へと飛び、スーツケースを持ったまま、甲子園球場に向かいました。  2001年の第83回全国高等学校野球選手権大会。東洋大姫路高校には、ベトナム国籍で話題になったアン投手、日南学園高校には、後にプロ野球選手となる寺原隼人投手がいました。日大三高が夏の選手権で初優勝した大会です。 到着して、まずは甲子園球場の周辺をぐるりと一周。「わぁ、甲子園って本当に蔦で覆われているんだ!!」。そして、いざスタンドへ。階段を下りて、上った先に広がった太陽の日差し、地割れしそうなくらいの大歓声、そしてキラキラと輝く選手たち。あの瞬間の光景を、今もはっきりと覚えています。 小さな白球の動きを、選手たちはもちろん、スタンドが一体となって追いかける姿。敵味方関係なく、ワンプレーワンプレーに魅了され、拍手を送り、たたえあう姿。なにもかも、すべてが輝いて見えました。 名物そばめしを食べ、かちわり氷の袋は記念として持ち帰って部屋に飾ってたな。 その日はきっちり第4試合まで観戦し、翌日も第1試合から、飛行機の時間ギリギリまで甲子園球場にいました。 空港でもテレビにくぎ付け、空港、ホテル、甲子園球場。ほかはどこにも行かなかったな…。  小学3年生の夏休み、私は自由研究で甲子園の新聞記事をスクラップし、1冊のノートにまとめて学校に提出したことがあります。担任の先生に掛けられた言葉は、「あゆみさん、毎日、新聞を読むことは素晴らしいです。でもね、自由研究は理科なので、理科の研究をしてください」。 翌年からはちゃんと、理科の研究しましたよ! それでも、その後も毎年、私は夏の甲子園の記事を1冊のノートにまとめ続けたのです。私にとっては、甲子園こそが野球のすべてだったのです。 甲子園やっぱりかっこいい、ここに立ちたい。このフェンスをよじ登って中に入り、セカンドを守りたい、打席に立ちたい! 甲子園への思いがより一層、強くなった卒業旅行でした。 実はこの話には続きがありまして。2001年の第83回選手権大会に青森県代表として出場していた光星学院高校(現八戸学院光星高校)のメンバーの一人が、大学・社会人を経て、ゴールデンゴールズに入団したんです。彼は選手として活躍後、現在は男子チームの指揮を執ってくれています。これも何かのご縁なのかな、と勝手にうれしく思っています。   そして…決意表明!!  卒業旅行から帰り、私は父にひとつのお願いと、宣言をしました。「お父さん、甲子園に連れて行ってくれてありがとう。やっぱりかっこよかった。ここに立ちたいって気持ちが強くなった。だから、お願いがあります」 もはや、私の甲子園への思いは止まらず、あふれ出るばかりだったのです。「私を高校球児として受け入れてくれる学校を探してください。試合に出られないのは、男だから女だからではなくて、自分の力が足りないから。男子生徒に限る、というルールを変えてやる。それくらいの覚悟をもってやります。監督に、大事なところで片岡を使いたいと思ってもらえる選手になる! だから、お願いします!」 そうやって自分の覚悟を父に伝え、私を部員として受け入れてくれる高校を探してほしいとお願いしたのです。 父には何度も念を押されましたが、私の気持ちが変わることはありませんでした。 父は私に、ひとつの条件を出しました。「もし、熊本で1番頭のいい学校しか、お前のことを高校球児として受け入れてくれなかった場合、どうする? 成績が足りないからといって、お前は甲子園を諦められるのか?」 そうです。父は私に、遠回しに「勉強しなさい」といったのです。笑 熊本で1番頭の良い学校って、毎年東大生何人も出してる、あの学校よ。偏差値いくらいるのよ!? と自問自答です。笑 でも、甲子園への道がそれしかないのであれば、それは乗り越えなきゃならん!! 私は自分自身にそう言い聞かせ、奮い立たせたのです。「わかりました、勉強します。だから塾に通わせてください!!」 ここから、安祐美の塾通いが始まりました。 結果から言うと、熊本で1番頭の良い学校までは届きませんでしたが、2番目に頭の良い学校には手が届くかな?というところまではいけました。  期間的には短くも濃く詰まった、私にとっては長い中学校最後の半年間。 ここからも、まぁいろいろと。女子野球との出会があり、そして何より、私は高校球児になれるのか…。 次回も、楽しみにしていてくださいね!

【Episode 4】初めて「壁」にぶつかった、片岡安祐美の原点

【Episode 4】初めて「壁」にぶつか...

2026.04.22

 こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。 ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。 第4回は中学時代のお話、「今の私の、野球の原点」です。 初めてぶつかった男女の壁、考える野球との出会い、そして支えてくれる人たちへの感謝…。気持ちが揺れたときもありましたが、だからこそ、自分の野球に対する思いを強く自覚したのがこの頃でした。   野球、やめます…  勝ってうれしい、負けて悔しいを学んだ学童野球。 さぁ、中学でも野球部に!というところで、私は一度、野球をやめる決断をしました。 きっかけは友達の一言でした。「安祐美ちゃんは私が野球部の○○君のこと好きなのを知っていて、どうして○○君と仲良くするの?」 思春期に差しかかった彼女の言葉から友達との距離ができ、気づけば私は、クラスで独りぼっちになってしまったのです。クラスを離れれば男女関係なく、変わらず付き合える友達はいましたが、クラスでの孤立感が、当時の私にとってはつらくて…。「なんでこうなっちゃったんだろう?」 考えた私は、なぜか、短絡的にも野球のせいにしちゃったんです。「女の子の私が、男の子に交じって野球をやってるからだ」。さらに、「中学では女の子の部活に入って、普通の女の子の生活をすれば、またみんな仲良くしてくれるはず!」。  そんなある日、父が私を近所のスポーツ店へ連れ出します。「安祐美、小学校野球よく頑張りました。お父さんとの約束も守ったし、レギュラーも取った。どれでもいい、好きなグローブ選びなさい。値段は気にするな」 ずっと知り合いのおさがりのグローブを使っていた私に、新しいグローブを買おうと連れ出してくれたのです。ですが、私は…。「お父さん、グローブはいりません、中学では野球部に入りません、野球やめます」 本当に言っちゃった。泣きながら、震える声で。「もういいと言うなら、いつでもやめていいぞ」と父。それでも、私の様子に「なぜ泣きながら言う? 泣くということは安祐美、野球が好きなんだろう? 好きな野球をどうしてやめる必要がある?」と尋ねます。 それでも泣き止まない私に、父は「外で泣くなんて恥ずかしい、帰るぞ!」と怒り、私を連れ帰ったのでした。そして、「もう野球をやめる人間はグラウンドに来るな、中学でも頑張ろうとしている選手たちの邪魔だ」と、私がグラウンドに行くことを禁じたのです。   初めて野球から離れた4日間、気づいた自分の思い  熱が出ようが何があろうが、それまで毎日野球をしていた私が、初めて野球から離れました。 しかし、そのガマンが続いたのも、わずか4日間でした。普通に生活していたつもりでしたが、言葉がきつくなったり、妹にあたってしまったり。そんな姿を見かねた母が言ったのです。「安祐美、なんかイライラしてるね? 毎日野球ばかりだった子が家にこもっていたら、ストレスもたまるでしょう。気分転換に片岡塾に行って、体動かしてきたら?お父さんに追い返されてもいいじゃない」 野球はやらなくても、何かしら部活には入りたい。体動かしに行くか…。私は久しぶりにグラウンドへ行きました。母が父に電話してくれていたのか、父は私の姿を見るなり「早くアップして入れ」と声を掛けてくれたのでした。 いざ練習に参加してみると、「あれ? 意外と打てるじゃん! 捕れるじゃん! 投げられるじゃん!!」。野球が楽しくて仕方ありません。練習を終え、元気いっぱいに「ただいまー!」と自宅に帰ると、母は私の顔を見て一言。「あら~安祐美、あんた顔が生き生きしてるわ。あんたには野球しかないのかもね!」 この数日、心にあったモヤモヤはいつの間にか晴れ、なんだかすっきりしてる…。「私、やっぱり野球が好きなんだ!」 母の一言で、自分の思いに気づかされたのです。問題は解決していないけど、野球は悪くない。悪いのは自分だ。 中学でも野球を続ける!! そう気持ちを固め、帰ってきた父に「お父さん! グローブ買いにつれてって!」。数日前に大号泣したスポーツ店に連れて行ってもらい、一番高いグローブを買ってもらったのでした。 短くも、私にとっては長かった4日間。かつて野球をやることに大反対していた母の一言で自分の気持ちに気づき、私は野球をやめることを、やめました。 それからは中学野球に向けての練習がスタートしたのです。学童のC球より少し大きくなった、B球ボール。初めて履いた金属刃のスパイク、ザクッと土に刃が入るあの感じ、今でも覚えています。 あ、野球部の男の子が好きだった友達とは、別々の中学校に行ったこともあって、やがて、自然と仲直りできたのでした。   いざ、中学野球部へ  小学校の部活のときとは違い、中学の野球部へは比較的すんなりと入部できました。一人のコーチが時折、小学生時代の私のプレーを見に来てくれていたそうで、「これくらいできるなら中学でも大丈夫!」と学校側に掛け合ってくれていたのです。 みんな坊主頭の野球部。私も!と思っていましたが、入学直後に生徒指導の先生から呼び出され、「片岡は坊主禁止! 短すぎるのもだめ!」と言われ、ショートカットで入部しました。  部活動は火曜から日曜でしたが、練習のない月曜もミーティング。休みなしでした。 1年生が悪さをすると、先生から3年生が、3年生から2年生が、2年生から1年生が怒られます。あいさつははっきりと大きな声で、誰でも聞きとれるように。試合中は声ではなく、言葉を話しなさい──。 内容悪く負けたときは、試合後2時間ダッシュ!なんてしょっちゅうでした。 元気がなければ、「わっはっはー!」と大声で笑いながら走らされたり、今の気持ちを大声で叫びながら走らされたり。紛れて「鬼―!悪魔──!!」と言いながら走ったこともありました。笑 毎年、母の日には、母を学校へ招待し「お母さんありがとう」の手紙を読む。お盆には、卒業生たちを招いてOB会と称し、世代を超えて野球をする…。 そんな日々を過ごしていました。   初めての挫折と、そこからの気づき  初めて野球の厳しさに直面し、挫折ともいえる経験をしたのも、この頃のことです。 先輩、後輩の上下関係、小学生時代とは違う圧倒的な練習量、そして男子選手とのパワーの差…。小学生の頃、私より小さかった男子選手がどんどん大きくなり、体つきも変わってきたのです。足の速さも打球の飛距離も、全然違う。「ここでやっていけるのかな…」 そんな私にヒントをくれたのが、中学時代の恩師でした。小学生時代の私を偵察に来てくれていた、あのコーチです。今も私の根底にある「考える野球」の原点を示してくれた恩人なのです。「ヒットやホームランだけが野球じゃない」。彼からそれを教わった私は、野球の猛勉強を始めました。  イニングとアウトカウントの表を作成し、状況によってどんな攻撃が考えられるかを埋めていく。ホームランを打てなくても、出されたサインをきっちりと決められる選手になろう。ピッチャーの投げる球種とバッターの特徴でポジショニングを変え、足りない守備範囲をカバーしよう…。 毎日疲れ果てて、食事しながら寝てしまうというような日々でしたが、充実していました。...

【Episode 3】野球人生のはじまりは…

【Episode 3】野球人生のはじまりは…

2026.04.07

 こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。 ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。 第3回は自己紹介の続き、私、片岡の「野球人生スタート」のお話です。 野球を始めてもう30年! 自分でも驚きです。野球中心、野球に育ててもらった私の人生でした。   野球部に入りたい! そのために始めたのは… 「野球部に入りたい!」 私がそう両親に告げたのは小学校3年生の時。 故郷の熊本では当時、学校単位で野球部があり、私の通っていた小学校も4年生から入部することができました。 テレビで見た高校野球に憧れ、甲子園でプレーすることが夢になった私は、野球部に入る気満々! 担任の先生から「4年生から部活動が始まります、何部に入りたいか考えておいてくださいね!」と配られたプリントを手に帰宅し、自分の思いを両親に伝えました。 喜んでくれるかなと思っていた父は「野球はそんな甘いもんじゃない」 と反対。 母なんて「男の子を産んだ覚えはありません!」 と大反対。 ですが、幼少期より負けず嫌いに育てられていた私は、一度言ったらきかない性格に。諦める、ではなく、どうやって両親を説得しようかな? と考えました。  毎日、学校から帰ると近所をランニング。 父が仕事から帰ってきそうなタイミングで、玄関にあった父のバットで素振り。 嫌いだったプロ野球を父と一緒に見て、ルールを覚えるために質問攻め。 そんな日々を過ごしているうちに、父は「安祐美、本気なのか? 野球は男の世界だぞ? 厳しいぞ?」 と私に言いました。「甲子園に行きたい、そのためには今から野球しなきゃいけないことはわかってる。だから野球部に入りたい」 と私。それを聞いた父は「女の子だからと特別扱いはしない。甘えないこと」「途中で投げ出さない」「やるからにはレギュラーをとる」 という3つを条件に、野球をやることを認めてくれました。 口もきいてくれないくらい大反対していた母も、「娘が本気でやりたいと言ってることを応援してあげるのが親の務めじゃないのかな」 という父の説得により、しぶしぶ許可してくれました。   今もあこがれの、地元の先輩!  片岡家での許可は下りたものの、野球部への入部はすんなりとはいきません。当時、私の通っていた小学校では、女子選手の前例がなかったのです。それでも、学校の先生方、教育委員会、PTAの方々、地域の方々のご理解により、「前代未聞ではありますが、野球部への入部を許可します」 とおっしゃっていただき、私の野球人生はスタートしました。 余談になりますが、熊本市では当時、2つの小学校で女子選手がいました。そのうちの1人が、今もとてもお世話になっている憧れの先輩、元プロゴルファーの古閑美保さんです。当時、お会いしたことはありませんでしたが、存在はもちろん知っていましたし、ゴールデンゴールズに入ってから、テレビのお仕事でご一緒させていただく機会があり、勇気を出してごあいさつし、思いのたけをぶつけたのでした。笑   いつの間にか「片岡塾」に  話を戻し、そこからは父と2人の練習が始まりました。父が仕事休みの時は小学校のグラウンドに行き、走り込みから始まり、投げ方、ボールの捕り方、打ち方と、朝7時から午後1時頃まで、徹底的に基本を叩き込まれました。自宅の庭には照明が取り付けられ、平日の夜は、その下で素振りです。その様子を、父と愛犬のゴールデンリトリバーが並んで座りじっと見ている、それが片岡家の日常でした。 野球に関して、父はとても厳しかったと思います。野球以外で怒られた記憶はあまりありませんが、野球で怒られたことは数えきれないほどです。 ただ、そんな厳しい父に対して、嫌だと思ったことはなく、「父の言うことを聞いていれば、うまくなれる」 と信じていました。その頃には、「レギュラーを取る!」...

【Episode 2】片岡安祐美が野球を始めるまでのお話です!

【Episode 2】片岡安祐美が野球を始...

2026.03.25

 こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。 ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。 第2回は自己紹介の続き、「私が野球を始めるまで」のお話です。   やるからには1番に! 「安祐美、やるからには1番になりなさい。人は1番になるために努力する、そして1番になった後も、そこを守るために努力を続ける」  私をスポーツ選手に育てたかった父は、私が物心つく前からずっと、この言葉を口癖のように繰り返していたのだそうです。ほかにも「大きくなぁれ、足速くなぁれ」とアキレス腱のマッサージをしたり、両足を持って宙づりにして、私に起き上がり腹筋をさせたり、まだ泳げないのに海に放り投げたり…笑 今だったら“幼児虐待”なんて言われちゃうかも…。当時、周りの人たちがどう思っていたかは分かりませんが、私自身は父と遊んでいる感覚だったようで、とても楽しそうだったよ、と後年、母が教えてくれました。 そんな風に遊びながら、父は私に負けず嫌いな性格を植えつけたかったそうです。   Wink、トシちゃん、ガンプラ、ドラゴンボール、そしてスイミング…  幼少期の私は、とにかく活発だったと聞いています。 3、4歳の頃から、電車で小一時間はかかる祖母の家に、一人で泊まりに行ったり、ステージを見つけると上がって、Winkさんの「淋しい熱帯魚」や、田原俊彦さんの「抱きしめてTONIGHT」などを踊っていたんだとか。 髪は長く、パーマをかけ、写真に撮られるときは腰に手を当て、足をクロス、首をかしげてポーズ。なんとまぁ、おませさんだこと。笑 でも、遊ぶおもちゃはチョロQやガンダムのプラモデル、ドラゴンボールのカード集めだったそうです。祖母の家に行く電車では、野球部のお兄さんたちと仲良くなり、遊んでもらっていたこともあったそうで…。  スイミングスクールに通い始めたのも、3歳のときのことです。よく遊んでくれていた近所のお姉ちゃんの泳ぐ姿を見て、「習いたい」と言い出したのです。 ところが当時、私はお風呂で髪の毛を洗うのときに、お湯を頭からかけられることを嫌がり、いつも両手で顔を覆っていたのです。「そんな人はスイミングスクールに通えません!」と母。私はそれから、お風呂では毎日、手で顔を隠さずにお湯を頭からかぶる練習をしていたそうです。 やがて「できるようになったから通わせて!」と母に訴え、スクールに通わせてもらえることに。その頃にはもう、十分に負けず嫌いだったみたいです…。  幼稚園選びも独特で。このときの光景、鮮明に覚えています。 いくつかの幼稚園のパンフレットを床に並べ、母は子どもにもわかるように、それぞれの園の特徴を教えてくれて、「さぁ、安祐美はどこに行きたい?」 と、自分で決めさせてくれたのです。 思い返してみると、私は小さな頃から、自分の考えで物事を進めることが多かったように思います。 父からはいつも、「人から言われてやったことは続かない、自分から始めたものは続けるはずだ」と言われていました。実際、自分の意志で始めた水泳は9年間続きましたが、親に言われて始めた書道は1年、友達に勧められたピアノは1日で辞めてしまいました…。 一方、母に日頃から言われていたのは、「やりたいことよりも先に、やらなきゃいけないことをしなさい」ということです。「勉強しなさい」と言われた記憶は、あまりありません。「やることはやったの?」とは、いつも言われてましたが。 お父さん、走れー!  父はバカがつくほどの野球好きです。自分も高校野球の経験者で、片岡家のテレビには夏の間、昼は甲子園、夜はプロ野球が当たり前のように映っていました。 ですが、当時の私は正直なところ、プロ野球はあまり好きではなく…笑 父は巨人ファンなので、巨人が負けると機嫌悪くなるし、テレビ中継は時間が長くて、見たい番組が見れないし…。 Mステとかマジカルバナナとか、見たかったなー…。 でも、昼間にテレビで見た甲子園は違いました。選手たちはとてもキラキラしていて、カッコよくて。「自分もこうなりたいな、ここでプレーしたいな」 と思ったのは、後に野球を始める大きなきっかけにもなりました。  父は会社の草野球チームに入っていたため、試合会場について行くこともありました。といっても、私は応援というよりも、遊びに行くだけ。小学校に入学した後も、野球場へは遊びに行っていて、その日も公園の遊具で遊んでいました。 すると、野球場の方から大きな歓声が。振り返ってみると、ダイヤモンドを全力疾走する父の姿が。「お父さん、走れーーー!」 思わずそう叫んでいた私は、それから父の野球を少しずつ見るようになりました。 そして、ある日のことです。見よう見まねでバット振ってみると、父のチームメイトたちが褒めてくれるのです。その様子を見ている父もなんだか嬉しそう。私もその瞬間がとても嬉しかったこと、覚えています。  そんな私が「野球をやりたい!」 と言いだすのは、もうすぐの話。 今回はここまで、です。

【Episode 1】はじめまして、片岡安祐美です! - フィールドフォース

【Episode 1】はじめまして、片岡安...

2026.03.16

 はじめまして、新入社員の片岡安祐美です。 この「安祐美's Eye」では、フィールドフォース社員として、そして茨城ゴールデンゴールズ監督として、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと。そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。 お付き合いいただけたら、嬉しいです。どうぞ、よろしくお願いいたします。   「はじめて」がたくさん 「チャレンジですよ! 片岡さん、一緒にチャレンジしましょう!!」 吉村社長のその一言で、フィールドフォースへの入社が決定したのは、1月末のことでした。  熊本県生まれ、熊本県育ち。 高校を卒業し茨城ゴールデンゴールズに入団するために地元を離れて以来、これまで約20年お世話になっていた芸能事務所を退所することになり、今後どうしていこうかと、自分の人生を振り返り考えたとき、やはり1番最初に頭に浮かぶのは野球のことでした。 マネジメント業務終了という形で退所することになりましたが、前事務所には本当にお世話になりました。野球しかやってこなかった私にいろいろなことを教えてくれて、たくさん守ってくれました。さぁ、もう守ってくれるところはないぞ、安祐美、何がしたい? そう自分に問い、マネジャーさんとも話し合い、たどり着いたのは「やはり野球の近くにいたい」でした。 あぁ、私の人生すべて野球中心で回ってきたな、ここまで野球に携わることができたのも、野球をやりたいといった私を理解し受け入れてくれた家族はもちろん、指導者の方々、仲間、友達、たくさんの方のおかげだなと。  茨城ゴールデンゴールズの前監督である、欽ちゃんこと萩本欽一さんは、私に背番号1をつけてくださいました。その背番号は「1」ではない、「はじめて」と読むんだと。 今まで誰もやったことのないことをやろうとしている、たくさん失敗しなさい、と。 もちろんゴールデンゴールズの監督をしているので、引き続き野球には携わってはいるのですが、野球の未来を担う子どもたちの近くで何かしたい、子どもたちが思いっきり野球できる環境を! と、そう思いました。そのときにこれまでチームとして室内練習場を利用させてもらったり、撮影でお世話になっていたフィールドフォースが思い浮かんだのです。  ですが、私にはこれまでやってきた芸能のお仕事と、ゴールデンゴールズの運営という仕事もあります。どれも辞めたくないし、辞めるわけにはいかない。やりたいこととやらなきゃいけないこと。 うまくやる方法はあるのか、考えても自分一人では解決できません。 とりあえず自分の思いを聞いてもらうことはできないかと思い、フィールドフォースで働く小林夏希さんに連絡をしました。小林さんとは彼女が中学生、私が高校生のころからの付き合いで一緒に野球をやった仲間です。 すぐに吉村社長にアポを取ってくれ、フィールドフォース本社へ向かいました。  芸能のお仕事のこと、ゴールデンゴールズのこと、その他色々とお話をさせていただきました。 すると、吉村社長は「僕はね、片岡さんのことチャレンジャーだと思っているのよ。一緒にどんどんチャレンジしよう! 僕はファミリーとして受け入れたいと思ってる!」と。「芸能の仕事もこれまで通り続けてください、監督も続けてください。それは片岡さんがこれまで頑張ってきた印だから。やってみていい方法を見つけていきましょう!」と。 とてもうれしいお言葉で、吉村社長のパワフルなエネルギーと人としての温かさを感じました。 それからは、トントントンと。2月中旬の入社が決まりました。  ファミリーとして受け入れてもらい、もうすぐ1か月が経とうとしています。 少しずついろんなことが動き始めていますが、まだまだできないことばかり。 初日には声が大きいと小林さんに怒られましたw あとは最近、朝礼であててもらえるようになりました! 毎日が秒で過ぎていくような日々ですが、とっても楽しいです。充実しています。  今、「はじめて」がたくさんです。 欽ちゃんのありがたい言葉を胸に、吉村社長とフィールドフォースでチャレンジしていきたいです。 ≪プレーヤーの真の力になる≫ 自分にできることを、1つずつ丁寧に、取り組んでいきたいと思います。 これから、どうぞよろしくお願いいたします。