こんにちは、新入社員の片岡安祐美です。
ここでは「安祐美's Eye」として、私、片岡が気になること、知りたいこと、感じたこと、そして、たま~に「片岡安祐美」のこと?などを、お話しさせていただければと思います。
第5回は自己紹介の続きで、中学卒業までのお話、「夢と現実、安祐美の選ぶ道」です。
父から渡された、A4用紙の分厚い束
中学野球部最後の大会も終わり、さぁ、いよいよ高校野球だ、甲子園だ!
気合満々の私に、父が「これ読んでおきなさい」と、束になったA4の用紙を渡しました。
表紙に書いてあったのは、「高校野球連盟規則」。
「あ!お父さん優しいじゃん! 高校球児になるし、これ読んで勉強しておけってことね!!」とニコニコで読み進めてゆくと、ある一文が目に留まりました。
「試合に出場できるものはその学校に在籍する男子生徒のみに限る」
え…? なにこれ…?
「お父さん、これどういうこと?」
私が聞くと、父は「書いてある通りだ、お前は女の子。甲子園には出られない。もう15歳になる。自分の人生、自分で考えなさい」と。
待て待て待て、どうしよう…。
甲子園に出たくてこれまで野球やってきたのに、女の子ってだけでダメなの?
これまでテレビで見てきた甲子園に女子選手がいないのは、甲子園に出場しているチームにたまたま女子部員がいないだけで、全国にはたくさんいるはずだ…。そう思っていた私は、頭が真っ白になりました。
そうして、何も手につかずにいる私を見かねたのでしょう。父はその後、私の進路の選択肢を増やすためにと、他のスポーツも見学に連れて行ってくれましたが、私の中で野球を超えられるものはありませんでした。
中学卒業旅行は、父と初めての甲子園球場

中学の野球部に入部する際、私は父に、ひとつのお願いをしていました。
「中学校でも野球頑張る。レギュラー獲るし、途中で投げ出さない。だから、引退したときに卒業旅行として甲子園に連れて行ってほしい」と。
父と娘、1泊2日の卒業旅行です。
初めての甲子園。朝一の便で伊丹空港へと飛び、スーツケースを持ったまま、甲子園球場に向かいました。
2001年の第83回全国高等学校野球選手権大会。東洋大姫路高校には、ベトナム国籍で話題になったアン投手、日南学園高校には、後にプロ野球選手となる寺原隼人投手がいました。日大三高が夏の選手権で初優勝した大会です。
到着して、まずは甲子園球場の周辺をぐるりと一周。「わぁ、甲子園って本当に蔦で覆われているんだ!!」。そして、いざスタンドへ。階段を下りて、上った先に広がった太陽の日差し、地割れしそうなくらいの大歓声、そしてキラキラと輝く選手たち。あの瞬間の光景を、今もはっきりと覚えています。
小さな白球の動きを、選手たちはもちろん、スタンドが一体となって追いかける姿。敵味方関係なく、ワンプレーワンプレーに魅了され、拍手を送り、たたえあう姿。なにもかも、すべてが輝いて見えました。
名物そばめしを食べ、かちわり氷の袋は記念として持ち帰って部屋に飾ってたな。
その日はきっちり第4試合まで観戦し、翌日も第1試合から、飛行機の時間ギリギリまで甲子園球場にいました。
空港でもテレビにくぎ付け、空港、ホテル、甲子園球場。ほかはどこにも行かなかったな…。

小学3年生の夏休み、私は自由研究で甲子園の新聞記事をスクラップし、1冊のノートにまとめて学校に提出したことがあります。担任の先生に掛けられた言葉は、「あゆみさん、毎日、新聞を読むことは素晴らしいです。でもね、自由研究は理科なので、理科の研究をしてください」。
翌年からはちゃんと、理科の研究しましたよ! それでも、その後も毎年、私は夏の甲子園の記事を1冊のノートにまとめ続けたのです。私にとっては、甲子園こそが野球のすべてだったのです。
甲子園やっぱりかっこいい、ここに立ちたい。このフェンスをよじ登って中に入り、セカンドを守りたい、打席に立ちたい! 甲子園への思いがより一層、強くなった卒業旅行でした。
実はこの話には続きがありまして。2001年の第83回選手権大会に青森県代表として出場していた光星学院高校(現八戸学院光星高校)のメンバーの一人が、大学・社会人を経て、ゴールデンゴールズに入団したんです。彼は選手として活躍後、現在は男子チームの指揮を執ってくれています。これも何かのご縁なのかな、と勝手にうれしく思っています。

そして…決意表明!!
卒業旅行から帰り、私は父にひとつのお願いと、宣言をしました。
「お父さん、甲子園に連れて行ってくれてありがとう。やっぱりかっこよかった。ここに立ちたいって気持ちが強くなった。だから、お願いがあります」
もはや、私の甲子園への思いは止まらず、あふれ出るばかりだったのです。
「私を高校球児として受け入れてくれる学校を探してください。試合に出られないのは、男だから女だからではなくて、自分の力が足りないから。男子生徒に限る、というルールを変えてやる。それくらいの覚悟をもってやります。監督に、大事なところで片岡を使いたいと思ってもらえる選手になる! だから、お願いします!」
そうやって自分の覚悟を父に伝え、私を部員として受け入れてくれる高校を探してほしいとお願いしたのです。
父には何度も念を押されましたが、私の気持ちが変わることはありませんでした。
父は私に、ひとつの条件を出しました。
「もし、熊本で1番頭のいい学校しか、お前のことを高校球児として受け入れてくれなかった場合、どうする? 成績が足りないからといって、お前は甲子園を諦められるのか?」
そうです。父は私に、遠回しに「勉強しなさい」といったのです。笑
熊本で1番頭の良い学校って、毎年東大生何人も出してる、あの学校よ。偏差値いくらいるのよ!? と自問自答です。笑
でも、甲子園への道がそれしかないのであれば、それは乗り越えなきゃならん!! 私は自分自身にそう言い聞かせ、奮い立たせたのです。「わかりました、勉強します。だから塾に通わせてください!!」
ここから、安祐美の塾通いが始まりました。
結果から言うと、熊本で1番頭の良い学校までは届きませんでしたが、2番目に頭の良い学校には手が届くかな?というところまではいけました。
期間的には短くも濃く詰まった、私にとっては長い中学校最後の半年間。
ここからも、まぁいろいろと。女子野球との出会があり、そして何より、私は高校球児になれるのか…。
次回も、楽しみにしていてくださいね!