【2023注目の逸材】
原 悠翔
はら・ゆうと
※投球・打撃の動画→こちら
【所属】東京・船橋フェニックス
【学年】6年
【ポジション】投手、中堅手、三塁手、遊撃手
【主な打順】三番
【投打】両投両打
【身長体重】160㎝52㎏
【好きなプロ野球選手】大谷翔平(エンゼルス)
※2023年6月17日現在
四刀流か、五刀流か。いや、器用さとマルチなプレーもここまでくると「阿修羅(あしゅら)」と表現したほうがいいのかもしれない。腕が6本ある戦いの神、阿修羅像のイメージを地でいく小学6年生が東京にいる。
今夏の全日本学童大会に初出場を決めている船橋フェニックスの背番号1、原悠翔だ。同大会の東京予選3位決定戦(※リポート→こちら)では、最速118㎞/hをマークしたエース右腕。三番打者として左打席から4打数3安打5打点、2盗塁、第4打席では中越えのサク越え3ランを放っている。この投打だけでも十分に全国クラスにあるが、実は左投げと右打ちもできるという。要するに「両投両打」の金の卵なのだ。
「右打ちはまだ練習試合でやり始めたくらいですけど、投手の左投げは公式戦でもいけると思います。自分でも(両投両打の)四刀流いけるんじゃね? というか、これからも挑戦してみたい気持ちが強いです」
左ヒザを抱き込むようにしながらのヒールアップから投じる速球は最速120km/h超(自宅で計測)。全国予選の都大会3位決定戦では118km/hをマーク
この6月半ば、一家でボールパーク柏の葉(千葉県)へ練習に訪れていた際に、左投げの投球も見せてもらった(動作参照)。即興のフォームや素人投げでないのは明らかで、同施設のスピードガンはコンスタントに100km/h以上を表示。
左投げを始めたのは4年生で、右ヒジを痛めたことによる2カ月のノースロー期間がきっかけだという。「もともと左でも投げられる感じがあったんです。1年生のときのソフトボール投げで、右が25m、左で15m。意外と投げられるなというのがそのころから…」
父との特訓後。屋内練習場の人工芝に座って原が話し始めると、それまではネット越しに見学していた妹や弟たちが入ってきて戯れだした。ドッグランに開放されて、はしゃぎまくる利口な犬のように、われ先にと逆立ち歩きで行ったり来たりしながらカラカラと笑っている。この曲芸団のような一家は何なんだ? 両投げの長男(原)も激レアだが、妹たちの奔放な身のこなしとバランス感覚といったら…。
「原クンもあんな逆立ち歩きできるの? はい、余裕でできますけど、弟たちのほうがレベルが上ですね」
言葉を失いかける取材者に、補足で説明してくれたのが笑顔のやさしい母だった。「ウチの子たちは幼児体育を採り入れている保育園に通っているんです。園児たちは全員、逆立ちはできると思います」。
セットポジションやクイック投法でも腕の振りが変わらず、コントロールが安定している
原が野球を始めたのは年長のときの、父とのプロ野球観戦がきっかけ。「日本ハムの大谷翔平(現エンゼルス)のホームランを見て、やりたくなりました。(すでに当時)跳び箱を15段とか跳んでいた僕に、お父さんはサッカーをやらせたかったらしいんですけど、5分観戦して(約束の)ジュースをもらって帰りました(笑)」
自宅内外での平日練習から熱心にサポートしてくれる父は元サッカー少年で、高校は野球部でプレーしたという。
「何でもできる」
地区大会クラスのチームなら、現状の左投げでもエースになれるだろう。球威、球速、制球、いずれも上回る右投げの投球は、完成度の高さと幅の広さに目を見張るものがある。
先の3位決定戦は4イニングを投げて6失点(自責点4)ながら、与四球は1。状況や相手打者に応じて緩急を駆使したり、しなかったり。投法も多彩だ。頭上まで腕を振りかぶるワインドアップモーション、胸の前に置くノーワインドアップ、セットポジション、クイックモーション。これらを自在に使い分けても一人相撲とならず、打者を早々に追い込んでいく。
「去年、5年生で110㎞/hは出ていたんですけど、ストレートだけじゃ1個上の学年は打ち取れなかったので、それからスローボールとか投げ方も教えてもらって、練習するようになりました」
得点差や走者の有無などで打ち方も変化。3年生までに33本塁打、通算42本目は全国予選の最終打席で豪快に3ラン(写真は内野安打)
右投げで中堅、三塁、遊撃の守りも無難にこなす。また左打席での打ち方も機に応じていて幅がある。一死三塁の先制機では、ノーステップから高めのボールを逆方向に転がしての健脚で安打と打点を稼いだかと思えば、二死二、三塁の好機では軸足に体重を乗せ切る一本足から豪快にサク越えのアーチ。形があってないようなものだから、可能性がどこまでも広がる。
「何でもできるところと全力プレーがアピールポイントです。高校で甲子園に出場して、プロに入って活躍して日本一になったら、メジャーリーグに行って大谷選手と戦って世界一になりたい」
月曜日は体操教室、火曜日は初動負荷トレーニングから野球塾へ。水曜日はジャイアンツアカデミーに通い、木曜日はマッサージなど体のケアからスポーツ科学トレーニング塾へ。そして金曜日はプールで泳ぐ。野球の道を自ら選んだように、これだけの過密スケジュールも親の指示ではなく、自分で望んで消化しているという。
打っても投げても、走っても絵になる6年生。またそれだけの努力も自ら重ねている
チームを率いる齋藤洋美監督は、原の図抜けた能力を十分に認めつつ、真っ先に「努力することの天才」と表現した。
「黙々と練習することができる、努力することの天才ですね、ユウトは。まったくテングにもならないし、非常にマジメでお父さんと二人三脚で練習してきて、辛いこともあったと思うんですけど、のびのびとプレーしている。全国大会(全日本学童)と高野山旗と夏に2つの大会に出られますので、どこかで彼が左右投げの二刀流であることも示してあげて、彼の将来に向けて何かプラスになればいいなと思っています」
驚愕のポテンシャルも大きな夢も、超越した努力の上に成り立っている。球界全体でこういう“異端球児”も温かく見守ることができたら、数年先の甲子園では「大谷ルール」ならぬ、両投げ投手のための新球数制限「原ルール」が採用されることになるかもしれない。
(写真・動画・文=大久保克哉)