【2025注目の逸材】
たなか・りく
田中璃空
[東京/6年]
ふどう
不動パイレーツ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】遊撃手、投手
【主な打順】一番
【投打】右投左打
【身長体重】147㎝38㎏
【好きなプロ野球選手】大谷翔平(ドジャース)
※2025年7月1日現在
怖いもの知らずの神秘
末恐ろしい5年生だった。目を閉じても、鮮やかに絵が浮かんでくる。1000チーム超の東京のチャンピオンを決める一戦でも、夏の全国舞台での球史に残るような名勝負においても、強烈なインパクトと存在感を放った。
まずは昨年、2024年6月15日の全日本学童東京大会の決勝だ。不動パイレーツの七番・中堅でスタメンに抜擢されると、2回の第1打席で一死無走者から右越えの三塁打(※プレー動画の冒頭参照)。そして次打者の三塁ゴロで、5-3-2とボールが渡る間に快足を飛ばして先制のホームを陥れた。
なんだコイツ!? 対戦相手だった、船橋フェニックスの屈強のタレントたちも、下級生にしてやられて面食らったような雰囲気があった。彼らはこの大一番も逆転で制して「東京三冠」に輝くことになるが、5年生に機先を制されたのはエース格の松本一(2024注目戦士⑪➡こちら)。三塁手の木村心大(2024注目戦士㉕➡こちら)も、一塁手の濱谷隆太も、文句なしの強肩だった。
続いて2024年8月19日。東京第2代表として出場した全日本学童大会、北名古屋ドリームス(愛知)との3回戦だ。ともに準優勝の実績がある同士の戦いは、日をまたいでの特別継続試合の延長9回で決着した(名勝負数え唄❹➡こちら)。
試合は4回まで北名古屋のペースで2対0とリードも、5回表に不動が3対2と一気に逆転する。その反撃の狼煙となったのが、イニングの先頭で代打起用され、1ストライクから右へエンタイトル二塁打を放った彼だった(=下連続写真)。
田中璃空。身につけたイエローの打撃用手袋もスポーツメガネも、神宮球場のカクテル光線の下で神秘的に輝いて見えた。恐れを知らぬ下級生ゆえの、不気味さのようなものまで醸し出していた。
「去年は先輩たちのチームでは代打で出してもらうことが多くて、しっかりつなげるんだという意識で打席に立っていました。試合前はとても緊張していたけど、先輩たちのおかげで試合中はそれもほぐれて、打つことができたんだと思います。全国はものすごく楽しい舞台でした」
昨夏の不動は、その全国大会でベスト4まで進出(=下写真※準決勝敗退直後)。田中のスタメン出場はなく、5試合中4試合で途中出場し、放ったヒットは結局、二塁打1本のみだった。それでも、学童ラストイヤーに期待を抱かせるにも十分なポテンシャルを示していた。
4年間無休の早朝特訓
学童野球といえども、運や勢いだけで活躍が続くものではない。田中でなくても、小学生に「世代No.1」の称号など、いかにも時期尚早。でも、これまでの努力にかけては、世代でも3本の指に入るのではないだろうか。
毎朝5時からの特訓。田中はこれを2年生の終盤から、1日たりとも欠かさずに続けているという。それを手伝っている父は、チームの学年監督を務めて息子たちと繰り上がってきた田中和彦監督だ(=下写真)。
現役時代はサウスポーの投手として鳴らし、神奈川県の強豪私学高でもプレーした父。そんな熱き野球人は、3つ上の娘に続いて誕生した長男の璃空に、早い段階から野球の才覚を見出していた。
「物心もつかないうちから、狭い家の中でボンボンと物を投げたりしてたんですよ。これは、彼の人生に生かしてあげたいなというところで野球に導きました」(田中監督)
学童野球は、楽しくやって基礎が身についてくれればいい。父はその程度に思っていたところ、近所の不動パイレーツに入った息子はめきめきと頭角を現し、2年生で新チームに切り替わるタイミングから、1つ上の学年に呼ばれてプレーするように。当初は保護者として帯同していた田中監督は、名門チームの歩みや立ち位置、組織に根付いている勝利への本気度も知ることとなり、じっとしていられなくなったという。
チーム活動中の田中親子は、あくまでも監督と選手(主将)の関係。2人だけとなるのは試合前のメンバー表交換時くらい(下=東日本交流大会決勝)。指揮官は好プレーがあれば、それが息子でも他選手と同様にハイタッチで迎える(上)
「息子は上の学年でピッチャーもやらせてもらっていたので、四死球を連発しないでストライクをとれる程度にはならないと、先輩たちに迷惑をかけてしまう…」(同監督)
そんな思いからある日、息子にあらためて問い掛けたという。
「どうするの? うまくなりたい?」
すると息子は、2年後のジュニアマック(4年生以下の東京No.1決定戦)決勝のマウンドに、エースとして立ちたいという願望を吐露。そして「そこを目指すには、今のままじゃダメだよね?」という父の言葉に促されて、早朝練習をスタートすることに。とはいえ、年端もいかぬ低学年生だ。自我も確立していないし、自主性もたかが知れている。そこは父が、時には鬼にもなってリードしてきたという。
以下、田中監督の回想。
「ホントに泣いて嫌がる日もありましたし、苦しい思いもケガもありました。でも、それを耐えて毎日続けてきたおかげで、5年生のときに全国大会でも良い経験をさせてもらえたと思います」
田中家の自宅マンション。中二階の一室はネットを張った特訓部屋となっており、隣接するリビングまで解放すると20畳ほどのスペースになる。田中が低学年のうちは、そこでゴロ捕球、ネットスロー、ティー打撃、14mの投球などを行ってきたが、打ち損じや投げ損じによる穴が、壁にはいくつか。高学年になると屋外練習がメインになったが、雨の日は独占契約しているマンションの地下駐車場が特訓場に。そこでは正規の16mで投球練習もできるという。
「朝練が嫌で泣いたことも? う~ん…覚えてはいますけど、そこまで嫌ではなかったかな。家の中で打ったり投げたりは楽しかったので。どんなお父さん? 練習のときは厳しいけど、日ごろはすごく優しい」
どうも本人の歯切れはイマイチながら、とにかく続けてきているのだから、見上げた根気である。また一家の主でもある父の、時間も労も財も惜しまぬ熱量もハンパではない。賛否も多少あろうが、ここまでできる親子が果たして、ほかにどれだけいるというのか。
当初目指したジュニアマック決勝の舞台には立てなかったものの、目黒区予選を制して本大会でベスト8入り。もちろん、エースは田中だった。そして父子の密な野球生活はおそらく最終年となるだろう今年、4年ぶりに東京王者に輝いて、夏の全国出場を決めている(チームとしては3年連続6回目=下写真)。
「去年の先輩たちと一緒に全国に出たので、今年の全国予選は緊張しなかった。とにかく全国制覇をしたいです。そのためにケガなく、練習を続けて、全国では打って走ってチームの勝利に貢献したい」
重圧と金言、突出した武器
細身ながら速球に振り負けず、バットに乗せて遠くへ運ぶことができる。その能力を昨年から見せつけてきたが、6年生の現在は70m超えを打つのも難しいことではなくなっているという。
ただし、重要な公式戦では、昨年のような迷いのないスイングや痛快な一撃はなかなか見られなかった。ここぞ、というチャンスでは、打つよりもセーフティバントが多かった。その理由はひとつではないようだ。
父でもある指揮官は、こう振り返る。
「長打も内野の間を抜くヒットも、バントで生きることも、全部できる一番打者にさせたつもりです。末っ子ならではの甘えん坊で、去年は先輩たちのチームでわがままを発揮して、代打で何も考えずに、ただ気持ちよく打っていた。そこから自分の代でキャプテンにもなって、プレーの重みも責任もぜんぜん違うなかで、苦しんだところはかなりあるのかなと思います」
田中本人も、新チーム始動から一気に増した重圧を否定しない。リーダーとしての悩みもよくよく膨らんだころ、面識のあった藤森一生(東京・駿台学園中2年)にSNSを介して打ち明けたという。
2学年上の藤森は、小6夏にレッドサンズ(文京区)のエースとして全国4強の原動力となり、その大舞台で124㎞を投じた‶ミライモンスター″。学童野球メディアでも2023年に『初代MVP』(➡こちら)となっている。そんな偉大な先輩からの、こんな助言(返信)で、田中は開き直れたという。
『練習のときは自分が一番ヘタだと思って取り組め! 試合のときは自分が一番うまいと思って仲間を励ませ!』
他方、田中の打撃は不振というよりは、意図して逆方向を狙って合わせるようなスイングが目立っていた。剛速球にフルスイングで応じる昨年を見てきた部外者の大人には、いかにも消化不良に映ったが、彼には彼の確固たる考えもあったようだ。
「一番バッターなので、まず塁に出て走ってから、後ろのバッターに打ってもらうことが大事。ボクが塁に出ると謎に点が取れるけど、出ないと3人で攻撃が終わることが多いし」
己がヒーローになるよりも、チームの勝利を優先。これを粛々と行動に移してきたのだという。そんな役回りの主将にはまた、身の助けにもなる突出した武器がもうひとつ。
50mを6秒9で走るスピードだ。だから、たとえ二死三塁でも、セーフティバントで打点を稼ぐ確率が高い。そして何と、父も現役時の50m走ベストが5秒9と聞いて、腑に落ちた。
人並み以上の努力に加えて、親から授かった体のバネが、彼の打球をもうひと押し、ふた押ししているのだ。それがまた、遊撃守備でも存分に生きている。記録上は単なる遊ゴロや遊飛でも、田中だからこそ奪えただろうというアウトも少なくない。筆者も本物を知らないが、その様はさながら「忍者(NINJA)」といったところか。
同じく、身体能力が高くてエネルギッシュな茂庭大地との二遊間(=上写真)は、全国でもトップクラスの守備範囲と堅さだろう。
守りの要であることに加え、昨年は野手投げで通してきたこともあり、6年生になってからの田中はあまり登板していない。それでも投球フォームはきれいで、とりわけ肩関節の柔らかさと股関節の強さが目を引く。
全国大会は勝ち続ければ最多6連戦となる。田中はマウンドでも、新たに度肝を抜いてくれるかもしれない。そしてその夢舞台の先々には、どのような夢や目標を描いているのだろうか。
「う~ん、まずはNPBジュニアに選ばれたい。中学は? 全国大会に出たい。高校では? 甲子園に出たい。親を喜ばせたい? はい、それもすごく!お父さんは毎日ずっと、練習に付き合ってくれてるし、お母さんも仕事しながら弁当をつくってくれたり、大事な試合のときは仕事を休んで応援にきてくれたり…」
野球父子の熱血の日々に、終わりはまったく見えていない。ちなみに息子の視力は裸眼で0.6、野球以外ではメガネをせずに暮らしているという。
(動画&写真&文=大久保克哉)