シガラミも忖度もなく、前例にもない――。『学童野球メディア』は本年3月の開設に先駆けて、2022年末のポップアスリートカップから取材をスタート。新春からはローカル大会や低学年の大会、夏の全国大会とその予選、秋の新人戦など、できる限り現場に足を運んできました。そこで取材をした相当数の選手の中から、年間最優秀選手『2023年MVP』を選出しました。表彰も副賞もありませんが、記事と動画は残ります。学童野球と、その専門メディアがここにある限り――。
(選出=編集部/写真&文=大久保克哉)
※巨人ジュニアの写真は藤森家提供
【2023年最優秀選手】
ふじもり・かずき藤森一生
[東京・レッドサンズ/読売ジャイアンツジュニア]
6年/投手/左投左打/165㎝51㎏
【主な成績と掲載記事】
「2023注目戦士①」➡こちら
全日本学童都大会★優勝➡こちら
東京都知事杯★優勝➡こちら
全日本学童大会★3位➡こちら
※チームルポ➡こちら東京23区スワローズカップ★優勝
NPB12球団ジュニアトーナメント★準優勝
夏の「小学生の甲子園」で最速124㎞の衝撃。年末の「夢の祭典」では125㎞を計時した。どちらの舞台でもサク越えアーチも放つなど“主役”と呼べるほどの活躍と進化を示してきた投打二刀流。2023年のMVPは「藤森一生の一択」で、異論はないだろう。
全国3冠に輝いた新家スターズ(大阪)を率いて13年の千代松剛史監督も、事あるごとに藤森の名前やハイパフォーマンスを口にした。
「ホンマにあんなにすごい子、めったにおらんて。過去にも見たことない!」
木製バットで右へ一発
ではまず、直近のNPB12球団ジュニアトーナメントのリポートから。藤森が背番号18をつけた巨人ジュニアは、2年連続の準優勝。9年ぶり4回目の優勝を期した決勝は、DeNAジュニアに2対3で惜敗した。藤森はMVPに次ぐ「優秀選手賞」に選ばれている。
「8月20日に結団式があって9月18日の初練習から3カ月間、みんなで優勝を目指してきました。最後は敗れはしましたけど、最高の監督、コーチ、スタッフ、仲間たちと出会うことができました」
ジュニアトーナメントは全4試合フル出場。不動の一番打者で、登板時以外は左翼、右翼、一塁を守った
各球団、地元を中心に選りすぐりの16戦士による夢の祭典は、3日間で全15試合。予選敗退なら2試合しかない中で、藤森は全4試合にフル出場し、3試合で先発登板している(成績詳細は別表参照)。
二刀流で圧倒的な存在感を示したのは予選2回戦(対日本ハム)だ。投げては5回一死まで、被安打2の無失点。許したクリーンヒットは、三遊間をゴロで破られた1本のみだった。また自らのバットで3回裏に先制ソロ。追い込まれてからの低め109㎞を、ライトの特設フェンスの向こうへ。
大会では昨年から「レガシー」などの複合型バット(打球部に弾性体)が禁じられた中、藤森は大会を通じて730g程度の木製バットを使用した。
「10月から木製を使い始めました。金属バットは芯でとらえてもボールがつぶれて飛ばないことがあるけど、木製はしなりも効かせて飛ばすことができるので」
12球団トーナメント優勝のDeNAジュニアは全員が木製バットを使用。「練習試合でそれを見て参考にしました」(藤森)
投球のハイライトは大会3日目の決勝トーナメント準決勝(対ソフトバンク)だ。第1球目で122㎞、9球目には最速125㎞と、従来以上に開始からフルスロットルの投球。被安打ゼロで迎えた4回表に、単打5本で3点を失うも最後まで無四球でマウンドも譲らず、今大会唯一となる完投を果たした。
「大会最終日で、決勝はもう投げられない(準決勝と決勝の連投禁止)ということと、決勝に1人でも投手を多く残しておきたいというのもあって、1イニングでも多く投げようと」
最高峰舞台でも一本槍
学童野球はステージが上がるほど、スローボールを交えた緩急を駆使する投手が多くなる。個のレベルは間違いなく最高峰となるこの夢舞台でも、藤森はいつもの「速球一本槍」を貫いた。意図して投げたスローボールは1球もないという。集中打された準決勝の4回も、打たれたのは119㎞、118km、120㎞、121㎞とすべて全力の速球だった。
「自分の持ち味は真っすぐですし、スローボールを打たれてから『真っすぐを投げておけば』という後悔だけはしたくないので」
たとえ120超の剛速球でも、ハイレベルな打線は2巡目から対応してくる。藤森は6月の都大会決勝でも同様の経験をしていたが、以降も「速球一本槍」のスタイルは変わらなかった。中学生からは変化球が解禁されるが、あくまでも速球を磨いていきたいと語る。
「これからも真っすぐの質を高めたい、というのが一番です。スピードがあっても打たれたら意味がないので、バットに当たらないボールを投げられるように。巨人ジュニアに入ってから、下半身を使うことを教えてもらってボールも打球も変わってきましたし、体もより大きくなってきました」
「ポスト大谷」!?
かつては広陵高(広島)のエースとして春の甲子園を制し、巨人ではセーブ王にも輝いた右腕。普段は通年スクール「ジャイアンツアカデミー」のコーチとして地域を巡回し、巨人ジュニアを率いて4年になる西村健太朗監督が、藤森についてこういうコメントを残している。
「大げさに言うと、小学生の大谷クンみたい」
その「大谷クン」とは世界のスーパースター、大谷翔平選手(ドジャース)に他ならない。小学生のレベルや能力も知り抜くプロOBから、そこまで評価されての先の起用だった。これに応えた藤森はやはり、まぎれもないスーパー未来モンスターだ。
それほど突出した二刀流でありながら、勘違いした言動がなくて人に愛されるあたりもまた、大谷選手に共通する。ジュニアトーナメントでも印象的なワンシーンがあった。3アウトを奪ってマウンドから歩いて戻る途中に、転がっていた相手チームの打ち終わりのバットをさりげなく拾って手渡した。
「対戦相手でも同じ仲間といいますか、同じ土俵でやってくれる相手もいるから自分もプレーすることができると思っています」(藤森)
思春期もまだ終えていないが、やたらに気負わず、敵をつくらない。そういう一面は、東京大会で雌雄を決した原悠翔(船橋フェニックス)との絡み(※関連記事➡こちら)からも察することができた。
両投両打の原はその後、同じくジャイアンツジュニアに選ばれ、祭典の準決勝6回裏には、スーパープレーを披露。左翼のファウルフライを捕ってからの本塁捕殺で、藤森の74球完投(最後の打者で既定の70球以上に)を強力にアシストした。
「原クンとも非常に仲良くなれました。ジャイアンツジュニアのメンバーはみんな最高の仲間で、中学はバラバラになりますけど『高校では同じチームでやりたいね』と話しました」(藤森)
夏の全国舞台では連日、異なる報道記者からの同じ質問にも笑みを絶やさず答える横顔も印象的だった。そんな藤森は男4兄弟の末っ子。父・仁さんは「昭和の指導」を次男で卒業しているが、人間教育については4番目に限らず厳しいという。
むろん、小6にして完璧な野球選手、非の打ちどころがない人間がいるわけがない。大きな夢などは口にしない藤森だが、学童野球で経験した大舞台は夏も冬も涙で終わっている。結果としてそれも、今後の糧になるのだろう。
来たる2024年も前年同様、父親と2人で始動する。正月2日から茨城県で、走り込みとキャンプ生活をする予定だ。スーパー未来モンスターの脱「未来」へ向けた歩みが、いよいよ新年から始まる。