えっ、ウソだろ、なんでこんなに高いの!?――。いわゆる“ぼったくり”の被害を自覚した瞬間のショックや気持ちとは、そういうものなのかもしれません。
ハンバーガーとポテトとドリンクのセットで3000円。私はやはり、愕然としました。そこはアメリカのアリゾナ州。朝の8時に降り立ち、予定の行程をすべて終えて、ホテルの隣にあったハンバーガーショップに入ったのが夜の10時近く。現地で初めて食べたものが、それでした。
味もへったくれもない。いや、正確には味覚の記憶がありません。成田空港を経ってから38時間、私は一睡もしていませんでした。疲労と睡魔に加えて、日本でならせいぜい800円といったところの、3000円のセットを半ば強引に腹へ収めつつ、危機感や悔しさを募らせたのでした。
これをこの国の人たち、アメリカ人はファストフードとして庶民感覚で普通に食べているのか…。噛みしめるほどに、日本という国の価値や国力の低下を感じずにはいられません。
「円安」は今に始まったことではないし、それによる損害を食い止めようというのが、渡米のそもそものきっかけ。それでもいざ、現地における日常で感じた「円安」の痛手は、ニュースで見聞きして予想するものとは比較にならないリアル感でした。
このままじゃ日本はマズいな、などと勝手に気負ってしまうのは、睡眠不足のせいばかりではなかったはず。ついには、日本の底力を見せてやる! という反骨心が芽生えてきたのも、私の性分ゆえでしょう。アメリカンサイズの大きめのハンバーガーにかぶりつきながら、大志のスイッチが改めて押された感覚がありました。
よし、この世界1位の経済大国、アメリカという国で市場を開拓してやるぞ!
「失われた30年」とも言われていますが、日本の賃金水準はほぼ横ばいで推移している。にもかかわらず、このところの異常な物価高が、国際紛争や世界的な政情不安による原材料の減少と高騰によって引き起こされている。昨今、こういうニュースや解説をよく見聞きします。
実のところ、われわれフィールドフォース社にとっても、この2024年は非常に厳しい年でした。社員たちの踏ん張りのおかげで、辛うじて黒字は確保できましたが、「為替相場」という外的要因に振り回され、苦しめられました。
商品の9割以上を中国の協力工場で生産し、日本へ輸入しているわれわれにとって、急激な「円安」は死活問題となりかねません。同様に輸入を柱とする日本の会社のうち、中小企業は軒並み赤字だそうです。倒産や廃業も数知れず。
世界的な通貨の米ドル($)に対して、円の価値が下がるのが「円安」ですね。日本の輸入会社にとって、それがどれだけのダメージになるのか、簡単に説明します。
年間で100万ドル分の商品を輸入している会社があるとします。為替レートが「1ドル=100円」なら、輸入費用は1億円です。それが「1ドル=150円」になると、1億5000万円と、プラス5000万の出費(差損)を余儀なくされる。実際、2024年は平均で約32円もの円安でしたので、上記の例でいくと差損は約3200万円という計算になります。
フィールドフォースは、「唯一無二の商品開発と適正価格の販売」がモットー。それが多くの支持をいただいている要因であると自負しています。したがって、円安に大きく振れた今年も、販売価格は据え置きました。代わりに、少なからぬ利益が飛んだことは言うまでもありません。
もちろん、そういう状況も昨年の段階で十分に予期していました。そこで、社としては、対策に3つの柱を立てました。まずは定番商品の仕様の見直しによる、改廃での利益の確保。さらに為替に左右されない、国内サービスを強化すること。これは、国内5カ所のボールパーク(全天候型練習場)での野球スクールや、屋内施設の施工請け負いなどの事業です。
そして3つめの柱が、アメリカ市場の開拓。輸入会社でありながら、輸出にも乗り出すという逆パターン。これが実現すると、「円安」の恩恵も受けられるのです。先の例(年間取引100万ドル)で言えば、「1ドル150円」で輸入すると5000万円の差損が発生するのに対して、輸出をすれば同額の差益が発生することに。
目指すゴールは、輸入50%と輸出50%。この配分に迫るほど、為替相場に左右されることのない、強くて安定した会社になれる。もちろん「適正価格」も堅持できます。
そう簡単でないだろうことは百も承知。でも、難しいことにも果敢にトライしてきたからこそ、今日の社と私がある。そして速やかなチャレンジは、われわれの真骨頂でもある。このあたりは、これまでのコラムでも触れてきました。
『公言をすると、実行力と持続力が自ずと生まれる。支援者も必ず現れて、モチベーションが上がるとともに、有益な情報も自ずと集まってくる』(コラム第18回➡こちら)。
アメリカ市場への進出。まだ道半ばどころか、助走の段階に過ぎませんが、公言によるメリットを早くも再認識しています。
結果として、人から人へとどんどん紹介され、とんとん拍子で話が進んで、ついには現地に飛んでの市場調査を実施することができたのです。私個人の力だけではおそらく、日本をまだ発てていないか、現地で見聞きできたのも半分以下といったところでしょう。
すべての始まりは今年の春。以前からお世話になっている、市川シニア(千葉)の宇野誠一監督からのこういう依頼でした。
「自分の知り合いで『倉庫をリノベーションしたい』と言っている人がいるんだけど、吉村さん、相談に乗ってあげてもらえないだろうか」
私は「誠心誠意、ご対応させてもらいます」と返事をして、紹介された倉庫の主の元へ出向きました。それがGW中のこと。
まずはご要望をひと通りうかがってから、請け負う施工の詳細や社の背景などをご説明していきました。自ずと話が弾む中で、私は「実はアメリカ本土でも、ウチの商品を売りたいと思っているんですよね」と公言。すると、倉庫の主が名刺を差し出しながら「実は私、千葉ロッテで外国人選手のスカウトを担当してまして、海外を行き来しているんです」と。
お名前は倉持学さん。名刺の肩書きには『球団本部 編成管理部 国際ディレクター』とありました。ご本人によると、中央学院高(千葉)から国士舘大を経て、単身で渡米して独立リーグに挑戦。その後はカナダやドイツでもプレーされたとのこと。夢追い人の行動力、それだけで尊敬に値するものです。
一方で私からは、インターネットを介してのアメリカへの販売事業も間もなくスタートすることや、オフラインでの現地での物販を模索していることなどを話しました。すると、倉持さんが「現地(アメリカ)の人間を紹介しますよ」と。そして実際に、フロリダ在住のアメリカ担当スカウトに話を通してくれて、その彼が現地でのアポイントからスケジューリングまですべてを担い、私をアテンドしてくれることに。
そして倉持さんとの初対面から約半年後の11月上旬。私は満を持して日本を発つことができました。海外でも中国へは数えきれない回数の渡航歴と、トータルで1年以上の滞在歴がある私ですが、アメリカ大陸に渡るのは初めて。右も左も分からない上に、英語も満足に話せない。
しかし、頼もしい同行者がいてくれました。アメリカでトレーナー資格も有しており、プレーヤー時代の倉持さんの渡米もサポートされたという関沢計一さん。そして、フロリダ在住のアメリカ担当スカウト(千葉ロッテ)である、ギャレット・メディナさん。
市場調査は実質4日間の行程。大学4校と併設するパフォーマンスジム、MLB3球団の施設などを見て回りました。また、持ち込んだフィールドフォースの商品をその場で試用して評価をいただくなど、非常に有意義な経験も。もし、倉持さんやギャレットさんとの出会いや、彼らのサポートがなかったとしたら、アポ取りさえもままならなかったことでしょう。
そもそもの私の「公言」はもちろん、そういうことを見越してのものではありません。米国進出については、お2人を含め、行く先々で打ち明けていたのです。
初上陸のアメリカ。そこで見聞きした具体的なことについては、新年からのコラムで触れていきたいと思います。冒頭のように円の衰退を否応なく実感しながらも、苦しんだ2024年のうちに第一歩を踏み出せた。それによって、希望とファイトに満ちた新年を迎えることができそうです。
少し早いですが、どうぞみなさん、良いお年をお迎えください。
(吉村尚記)