第21回東日本少年野球交流大会の準決勝で、昨秋の新人戦で関東大会を制した旗の台クラブ(東京)と、同ベスト4の茎崎ファイターズ(茨城)が激突した。大会での顔合わせは初めてという注目の一戦は、関東王者の旗の台が貫録を示す形に。2連覇中だった茎崎は、ガマンの展開が続く中で守備陣はノーエラーを貫き、打線も最後に意地をみせた。同時進行のもう1試合は取材できなかったが、試合評とは異なるリポートをお届けしよう。
(写真&取材=大久保克哉)
※決勝戦も近日、特報します
■準決勝1
◇4月6日 ◇茨城・希望ヶ丘公園野球場
旗の台クラブ(東京)
01211=5
00003=3
茎崎ファイターズ(茨城)
【旗】豊田、栁澤-遠藤
【茎】百村、石塚-佐々木
二塁打/栁澤、岡野(旗)、佐藤(茎)、泉(旗)、関(茎)
【評】2回表、豊田一稀の左前打と、続く栁澤勇莉の右中間二塁打で先制した旗の台が、その後も着々とリードを広げていった。3回には高市凌輔のバント安打と岡野壮良の右中間二塁打で1点、さらに内野ゴロ2本で3対0に。4回は四番・大島健士郎のテキサス安打で二走の遠藤雄大主将が生還、5回はその遠藤主将のタイムリーで5対0とした。旗の台のエース左腕・豊田(=上写真)を打ちあぐねてきた茎崎は、4回裏一死から五番・佐々木瑠星がチーム初安打。そして5回裏、柿沼京佑の二塁打や山﨑修眞のバント安打、敵失と四番・関凛太郎の左翼線二塁打で3点を返した。だが、この回の攻撃終了でタイムアップとなった。
●茎崎ファイターズ・吉田祐司監督「最後にやっと打線が(相手投手の球を)とらえられたんですけど、遅かったですね。序盤からもうちょっと、とらえていかないと流れも来ない。全国予選に入る前なので、優勝するつもりでハッパかけていったんですけど、結果として負けてしまったので、次の3位決定戦に切り替えて。沈んだまんまで終わりたくないですね(※3位決定戦は10対2で勝利)」
第3位
茎崎ファイターズ
[茨城]
大会最終日は、準決勝と決勝のダブルヘッダー。初出場の旗の台クラブ(東京)の酒井達朗監督は、試合前にこう話していた。
「2試合を想定してはいますけど、この準決勝で勝つことが最優先ですし、まずはここに全集中。簡単な相手ではありませんから」
相手の茎崎ファイターズ(茨城)は“関東の雄”として、全国に名が通る名門。夏の夢舞台、全日本学童大会マクドナルド・トーナメントの出場は2ケタを数え、銀メダルを2回獲得している。その全国大会の予選に向けた試金石ともなる、この東日本交流大会は2連覇中。思い出されるのは、高い壁となって威厳が示された1年前の準決勝と決勝だ。
準決勝では、新チーム始動から不敗ロードを突き進む東京・船橋フェニックス(※今大会は日程が合わず不参加)を、準決勝で打ち破った(リポート➡こちら)。8対3で逆転勝利した茎崎は続く決勝で、不動パイレーツ(東京)と8イニングに及ぶ緊迫の勝負を展開し、これをものにしている(リポート➡こちら)。
旗の台は全国出場こそないものの、代表も兼務する酒井監督の下で、近年は急速に実績を伸ばしてきている。そして昨秋はついに関東王者に。迎えたこの“関東の雄”との対決は、大目標の全国出場を占う意味でも貴重な位置付けであったに違いない。
ただし、フィールドに散った旗の台の選手たち(=上写真)からは、重苦しいムードや過度な緊張は見て取れず。昨秋の新人戦から変わることのない明るさと落ち着きがあり、個々がベストパフォーマンスでチームに貢献せんとする意欲に満ちていた。
この一戦で誰よりも自信を増したのは、旗の台のエース左腕、豊田一稀(=上写真※「2025注目戦士❺」➡こちら)だろう。4回2安打無失点の快投。走者を出してからが、とにかく粘り強かった。
3回までは毎回の与四死球も、続く打者たちをたちまちに追い込んでアウトにしてみせるのだ。結果として、相手の待球作戦も裏目にさせる。攻める茎崎とすれば、崩せそうで崩せないまま、いたずらにイニングを消化してしまった感じもあった。
2回表、旗の台が豊田(上)と柳澤(下)の連打で1点を先制する
ストライクがほしい場面で奪える。勝負どころで制球が冴える。そんな“豊田ワールド”とも呼べるピッチングを兼ねてから高く評価する酒井監督は、試合後にあらためてこう絶賛した。
「大人がびっくりするくらい、マウンドの彼はめちゃくちゃ落ち着いているんですよね。自分で全部考えて、気持ちもボールもコントロールしているので、私から言うことがないんですよ、実際」
なぜ、それができるのか。本人を直撃すると「少し球が乱れてたのを修正して投げられたのが良かったです。なぜ修正できるのか? 家ではトレーニングとかはやっていますけど…」と、取材者も何だか煙に巻かれてしまう。ともあれ、バックの好守に救われて、波に乗れた面もあっただろう。
そういう意味で“分水嶺”とも言えるポイントは1回裏、茎崎の攻撃にあった。先頭の宮下陽暉が四球を選び、一死後に二盗を決める。そして三番・石塚匠主将(「2025注目戦士❼」➡こちら)が放ったゴロ打球は、一・二塁間を抜けていく(=下写真)。
しかし、球足の速さが災いしたこともあり、ライトゴロに(=上写真)。二死三塁から四番・関凛太郎が放った強烈なライナーも、快足の中堅手・高市凌輔のグラブにダイレクトで収められた。3回裏にもライトゴロを決めた、旗の台の右翼手・国崎瑛人は試合後にこう話している。
「ライトゴロは常に意識はしていますけど、プレーとしては来たボール(打球)に反応するだけ。捕って投げるだけのことなので」
そういうシンプルな考えと行動を、強敵相手の重要な試合でも実践できるあたりは、旗の台の見えない武器なのかもしれない。明らかに主導権を握ったのは、打線が2巡目に入った3回表だった。
高市の絶妙のバントヒット(=上写真上)に始まり、続く岡野壮両の右中間二塁打(=上写真下)で1点。そしてその岡野を内野ゴロ2つで生還させて3対0に。
イニングの得点はここまでだったが、二死無走者から五番・豊田、六番・栁澤勇莉、七番・泉春輝までの3連打。茎崎はその最中で、石塚主将を二番手でマウンドに送ったが、火がついた旗の台打線は鎮まらない。4回も5回もタイムリーヒットが生まれた。
旗の台は下位打線も機能。七番・泉(上)は2安打1四球、九番・遠藤主将(下)は2安打1打点
茎崎のほうも、守りにおいては負けていなかった。昨秋の関東大会から布陣も多少変わり、個々の確実性を増していた。
4回表には左翼手の柿沼京佑が、切れて逃げていくファウルフライをダイビング捕球(=上写真)。続く5回表も失点こそあったが、マウンドの石塚主将が好フィールディングで三走を2回、タッチアウトに(=下写真)。終わってみればノーエラーだった。
打線のほうも4回からポツポツと快音が聞かれ始めて、5回裏にようやくつながった。
この回から登板した旗の台の長身右腕・栁澤の角度のあるボールを、先頭の九番・柿沼がジャストミート。打球は一塁ベースで跳ねて右翼線へ転がる間に、柿沼は二塁へ。さらに二番・山﨑修眞のバントヒット(=下写真上)と敵失でまず1点を返すと、四番・関が三塁線を痛烈に破る2点二塁打(=下写真下)で3対5とした。
なおも一死一、二塁と好機を広げて、好調の六番・佐藤大翔が右打席へ。前日にサク越えアーチを1本、この準決勝も前の打席で二塁打(=下写真)を放っていた佐藤だったが、ここはマウンドの栁澤が踏ん張って三振に。
次打者も倒れて3アウトとなったところで、球審がタイムアップによる「集合」を両軍に指示した。
―Pickup Hero―
動きもスイングもシャープに
[茎崎6年/捕手]
ささき・るお
佐々木瑠星
全国区の名門で「四番」を張った昨秋は、関東大会4強入り。新年を迎えてその座を大型スラッガーの関凛太郎に譲り、一時は六番にまで打順を下げた佐々木瑠星だが、五番にまた上げてきた。
ひと冬を越えて変わったのは、打順ばかりではない。マスクをかぶっての身のこなしが、明らかにスムーズになっている。身長も伸びて、ややスマートになったようにも見受けられたが、それも鍛錬があってのことだった。
「キャッチャーの投げる動きだったり、伸びるボールを投げるための練習だったりを、冬場から相当にやってきてます」
昨秋の関東大会でも二盗阻止があったが、阻止率はまだまだ上がっていきそうだ。
「まだ、誰もとらえきれてないぞ!」
吉田祐司監督が選手たちにそう告げたのは、準決勝の4回表の攻撃前。イニング2人目の打者だった佐々木は、2ストライクに追い込まれてもフルスイングで4球連続のファウル。そしてボール球を1球見てから、センター前へ鮮やかに打ち返してみせた。これが打者14人目にしてのチーム初ヒットだった。
続く5回裏は3点を返した直後の一死二塁で、追い込まれてから死球で一塁へ。得点には絡めなかったが、存在感を発揮した。
「ぜんぜん満足していません。自分もチームも、もっと上を目指しています」
敗北後は手短に話して、3位決定戦の会場へと向かった。
学童野球の何たるか――。
全国の道、断たれても
■準決勝2
◇4月6日 ◇茨城・希望ヶ丘公園野球場
平戸イーグルス(神奈川)
001400=5
10131 X=6
不動パイレーツ(東京)
第4位
平戸イーグルス
[神奈川]
今大会のベスト4のうち、3チームが昨秋の新人戦で都県の王者となり、関東大会に出場した。その最高位に輝いた旗の台クラブ(東京)に、準決勝で1点差負けしたのが平戸イーグルス(神奈川)だった(写真ダイジェスト➡こちら)。
迎えた春。東日本交流大会のトーナメントには関東出場組の名前が4つあり、いずれもベスト8まで順調に勝ち上がった。そのうち3チームが準々決勝も制して準決勝へ。平戸は4年時の東京4強の国立ヤングスワローズを6対5で下して、4強入りしていた。
大会最終日。準決勝の前に中村大伸監督に意気込みを問うと、いつもより重い口振りで意外な内容が語られた。
「実はですね、全国予選はウチはもう負けちゃったんですよ。この東日本大会の1週間前かな、(横浜市)東ブロックの決勝で、戸塚アイアンボンドスさんに完敗でした」
好事魔多し、とはこのことか。昨夏の全日本学童大会で8強入したレギュラーメンバーで、新チームでは投手兼遊撃手の富田諒太主将が、ヒジを痛めてバットも振れない状態に。正捕手の小林琉珈も同様の故障で欠場、さらには秋の関東大会で大いに輝いた“スーパー4年生”(現5年)の高田幸太郎(=上写真)までも、ヒジを痛めてバットスイングのみの代打要因に。
富田主将と同じく、夏の全国大会でプレーしてきた三塁手・横地樹(=下写真)は健在。だが、全国予選の市内ブロック大会決勝は、主力3人を欠いて太刀打ちできる相手ではなかったという。
「戸塚さんは神奈川でも一番強いと思います。ウチがベストメンバーをそろえられなかったのも実力不足。言い訳でも何でもないです」(中村監督)
大目標だった夏の全国大会。その道を閉ざされて、わずか1週間で迎えたのが今大会だった。欠場組が復帰しているはずもない。それでも、準決勝まで駒を進めてきたのは、実力とプライドの表れだろう。地元で平戸を下してきた戸塚は、1回戦で茎崎ファイターズ(茨城)に惜敗している。中村監督は、準決勝を前にこう続けた。
「サジを投げたいくらいにひどい内容が続いて、試合中は私もワーワー言ってますけど、3つ勝ってきたことは自信にしてほしいなと思いますし、大会が終わったら子どもたちにそういう話をしたいと思います。6年生にとっては1個1個が最後の大会なので、ムダにしないように、モチベーションを高くしてあげたいなと思っています」
準決勝は不動パイレーツ(東京)とシーソーゲームの末に、1点差の再逆転負け。不動・田中和彦監督によると、相当にタフな試合だったという。
学童野球は、夏の全国大会やその予選の敗退がイコール、最上級生の引退ではない。また中村監督ほど、輝かしいプレーヤーの実績をもつ現役監督は他にいまい。横浜商高で春夏連続の甲子園準優勝、大学と社会人でも活躍して1996年アトランタ五輪では日本代表の主将も務めた。
中村監督はしかし、それを鼻に掛けるわけでもなく、できない子どもや負けたチームにそっぽを向くような御仁でもない。3月の全国予選で早々に涙したときには、選手たちへこういう話をしたという。
「大きな目標の大会だったので成果として出さなきゃいけなかったけど、ここまでのプロセスは決して間違ってはいないから。負けたからって、違ったことをやる必要はないし、今まで通りにやっていこう!」
準決勝に続く3位決定戦も落として、大会4位でフィニッシュ。それでも表彰式から集合写真の撮影に至るまで、伏し目がちな選手はどこにもいなかった。
個々の野球人生にもまだ先がある。偉大な指揮官をいずれ超えていく選手だって、生まれる可能性がある。学童野球の何たるかを、今大会の4位チームが教えてくれたような気もする。