2003年(平成15年)に始まった東日本少年野球交流大会は、コロナ禍での中止を含めて23年の歴史がある。関東各地では全国大会の地域予選が始まる時期でもあり、「全国予選の試金石」との位置付けが定着。今年は参加32チームの半数に、全国大会(全日本学童マクドナルド・トーナメント)の出場実績があった。そうしたなかでは無名ながら、明らかに異彩を放つチームがあった。その真意に迫る特別ルポと、ベスト4以外で光った選手たちの写真カタログを番外編としてお届けする。
(写真&文=大久保克哉)
―On-the-ground report―
革新のベンチワーク

ASAI KIDS☆UNITED(千葉)
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吉川ウイングス(埼玉)

学生野球を取材して四半世紀。学童の現場へも足を運ぶようになって15年あまり。筆者が初めて目にするシーンがあったのは、大会の2日目。ASAI KIDS☆UNITED(千葉、以降「アサイキッズ」)と、吉川ウイングス(埼玉)による2回戦だった。
アサイキッズが3対1と勝ち越した後の2回裏。吉川が二死満塁から押し出しで1点を返し、クリーンナップを迎えたところで、守る一塁側のベンチが動いた。

「タイム!」
ゆっくりとベンチを出てきた背番号30は、マスクをかぶる伊藤龍成と言葉をやり取り(=㊤写真)。そしてそれから、球審に投手の交代を告げた。以下は、野口孝之介監督の弁。
「自分の見た目と、球を受けているキャッチャーの意見は違うこともあるので、ピッチャーを変えるにしても必ず聞いてから。それも行き当たりばったりじゃなくて、投手陣には事前に声(登板予定)を掛けてあります。その上で、キャッチャーの判断と今までのデータから『こっちがいいよね』と最終確認をするように」

選手交代は独断という監督が、学生野球では圧倒的多数だろう。フィールドの選手の生声も踏まえて判断するなんて、それも学童野球で。少なくとも筆者は、他で見聞きしたことがない。
タイムをとった野口監督が、捕手の元へと歩いていくのにも理由があった。むろん、いたずらに時間を稼いだり、偉ぶっているわけではない。
「まずは表情を見るんです。キャッチャーが困っているのか、ピッチャーが困っているのか。あの場面(2回裏)は、相手の良いバッターが続いていて、私の目にはピッチャーが押されちゃっていた。それをキャッチャーの子にも確認して、強気のピッチャーに代えよう、と」

背番号1の石田翔馬から、同18の中西奏太=㊤写真)へ。いずれも投げ方の基本が備わっている右腕だ。
ただし結果は、救援失敗。吉川は三番・安保凱翔主将(=㊦写真)と、四番・玉井颯音(5年)が連続長打など、3対7と一気に試合をひっくり返した。


アサイキッズにとっては、打者10人の長い守りが続いた。だがその間も、ベンチの30番は微動だにせず。そして3アウトを奪って戻ってくる選手たちを一人ずつ、グータッチで迎えた(=㊤写真)。表情はサングラスで隠れているが、あざけりや怒りといった負の空気感はゼロだ。
「相手とか試合展開とかがどうであれ、自分は絶対に冷静に子どもたちに接する。人としても私がちゃんと見本にならないといけない。それはチームをつくったときから決めていることのひとつです」(野口監督)
「良い父親に!!」
アサイキッズは2022年に創部した。拠点は、太平洋を臨む九十九里町から内陸側に入った東金市にあり、「医療法人静和会 浅井病院」の社会人軟式野球部が運営母体となっている。

現役時代に外野手だった野口監督は、同野球部の主将となって2014年には全国準優勝(プライドジャパン甲子園大会)。その後は監督、現在は総監督という立場にある。地元の千葉で君津商高から城西国際大まで硬式でプレーした経験もあり、学生野球に潜む闇や理不尽を知らないわけではない。
何かにつけて「人間性」を口にする指導者が、それを真っ先に疑われる言動をしていたら始まらない。学童チームを立ち上げた野口監督のモットーは『(教え子に)良い父親になってほしい』というものだ。
「やべぇ、学童野球ちょー楽しかったなって、野球人生がその後も続いて、いずれは野球を楽しく子どもに教えられる、そういうお父さんになってほしい。だからこそ、学童野球を目一杯に楽しむ。それもレベルの高いところで、こういう大会にも呼んでいただけるようなレベルで、勝つ」


先述のように、試合の守備の間はじっと戦況を見守る野口監督は、声もほとんど発しない。内外野へ指示をしているのは、ベンチの選手たちだ(=㊤写真)。このあたりにも、チームのあり方や指導スタンスがうかがえる。以下、指揮官の弁。
「失敗してもいいから、基本は自分で考えて守りましょう、というのがチームの信条。場面とか相手打者の雰囲気、仲間のピッチャーの球威とかから各自で動く。私は勝たせてやりたいし、どうしても守備位置が気になるときは、ベンチの子に『あそこでいいと思う?』と話を振ってから、発信させる。するとそれで、ベンチの子も考えたり、覚えるじゃないですか」

主体的に事を運ぶ選手たちからは、結果や指導者に怯えている様子はうかがえない。それでいて一丸のムードがあるのは、共有する目標や目的があり、野球をしっかりと学んでおり、局面に応じてやるべきことを把握できているからだろう。
アサイキッズは、火曜と木曜に練習がある。病院と野球部のバックアップも受けて、屋内外の整った施設があり、個の育成は計測と年間計画に則って、練習は科学的な根拠にも基づいて。結果、チームは地域で勝ち進むようになり、秋の新人戦は2023年から2年連続で県大会に進出。昨年は『小学生の甲子園』全日本学童の予選となる県大会にも初出場し、低学年は県3位に食い込んだほか、NPBジュニアを2人輩出している。
「土日に試合をして、その内容や反省も踏まえて、平日の夜に技術練習を目一杯にやらせてもらっています」(野口監督)
あえての失敗も
さて、2回裏に大逆転された試合のほうは、終盤に再び大きく動いた。アサイキッズは5回表に7対7に追いつくと、6回表に1点を勝ち越す。しかし、その裏に吉川は長短打で8対8としてなお一死一、二塁で、2回に逆転二塁打を放っていた背番号10が右打席へ。

同じ会場内で同時進行中の他の2回戦を取材して回っていた筆者が、再びこの一戦に戻ってきたのはそのタイミング。アサイキッズは、背番号4の小島大輝を三番手でマウンドへ(=㊤写真)。やはり、身体の柔軟性と美しいフォームが光る右腕は、三番打者をフルカウントから内野フライに打ち取って二死とする。
だが、続く四番に右中間を破られ、8対9のサヨナラで決着した(=㊦写真)。


三番・四番の右強打者たちを打席に迎えたとき、ベンチの野口監督は珍しく大きなゼスチャーで、左翼手の守備位置を修正していた(=㊦写真)。
「自分(監督)から動きたくないのが本心なんですけど、勝たせてやりたいので、ちょっと動いちゃって。最後も正直、次がボール球(見逃し)だったら『もうちょいこっち!』とベンチの子たちに言わせようと。でも一手が遅くて、(右中間へ)いかれてしまった。ガマンして自分を殺し過ぎると、こうなっちゃう…」

実は1週間前に『小学生の甲子園』につながる、地域予選の決勝で敗れたばかり。そして再起を誓ったこの東日本交流大会で、悪夢のような逆転サヨナラ負け。さすがに直後の指揮官は、いつもの凛ではいられなかったが、口調は穏やかだった。
「う~ん…今日だけは勝たせてやりたかったですね…でも最後、外野を抜かれたのも『やっぱりだから、考えてやらなきゃね』という教えになる。明後日(火曜日の練習)に、みんなとまた顔を合わせるので。この負けを忘れないで、次につなげようよっていう練習ができるので」

ただ笑って楽しいではなく、存分に野球をしながら、より高いレベルに挑む。4年目の新興チームの新風に、やむ気配はない。あるいは、学生球界に根強い旧態依然や大人たちの理不尽をも吹き飛ばす、大旋風となる予感も。
この大会にアサイキッズを推薦したのは同じ千葉の強豪、豊上ジュニアーズの髙野範哉監督だった。その全国区の名将が筆者に漏らした一言も印象的だった。
「これからは、ああいうチームに子どもが集まるでしょうね」

■選手カタログ“春の輝き”
※ベストプレーヤーの選出ではありません。3日間、複数会場で同時進行した大会を巡るなかで光った選手を紹介するもので、取材できなかった試合・チームも複数あります








