超難関の全国舞台も6回目。過去には決勝で2者連続アーチなど伝統の打力を存分に発揮しながら、銀メダルに終わったことも。夢舞台で勝ち切ることの難しさも骨身に沁みている。だからこそ、周到に準備をしてきて、それがひとつの身を結んだ形となったようだ。『名勝負数え唄』第3弾は、歓喜と失意が渦巻く逆転サヨナラ劇に潜んでいた、納得のクールにも迫る。
(写真&文=大久保克哉)
2回戦
◇8月18日 ◇府中市民球場
■第4試合
[北海道南]初出場
岩見沢学童野球クラブ
102000=3
000103x=4
北名古屋ドリームス
[愛知]2年連続6回目
【岩】大西竣、山下-北川
【北】三島、富田-岡野
本塁打/山下、井川(岩)
二塁打/大西竣、柳谷(岩)、髙井(北)
競技2日目の2回戦。府中市民球場での第4試合は、夕刻の18時5分にプレーボール。そして30秒としないうちに、先頭打者アーチが生まれた。
それから1時間と44分後。カクテル光線で浮かび上がる夏夜のスタジアムでの幕切れを、いったい誰が予想できただろうか。のっけからビハインドで、残り1アウトどころか、あと1球で敗北。よく言う「徳俵に足がかかった」瀕死のチームが、一気に同点、そして逆転サヨナラで勝利を収めてみせた。
しかし、それを安易に「奇跡的」と表現してはいけないのもしれない。勝者の指揮官にも確信はなかったものの、「そういう練習はず~っとやってましたよね」と話している。要するに、試合終盤でひっくり返すというシミュレーションも経て臨んだ、全国舞台だったのだ。
待望のニューウェーブ
北国や豪雪地域はハンディを背負っている。この認識はあながち間違いではない。極寒の季節が長く、屋外で自由に白球を追える時間は限られるからだ。ただし、そうした「特例区」につきまとう概念は、昨今の学童野球にはないと言えるだろう。
北信越の石川県勢は、全日本学童大会で優勝3回。これは全国2位タイの記録だ。また2017年には、東16丁目フリッパーズが道勢初の日本一に輝いている。同チームはその前年に全国3位(=下写真)。個々の打力が高い上に、1点をもぎ取り、また守るための戦術が洗練されている。その戦いぶりは、非力や拙いという「特例区」のイメージを夢舞台でも一変させるものだった。
そんな北海道きっての強豪は今年、全国予選の南北海道大会1回戦で敗退。最終回に七番打者・細野世羅の逆転サヨナラ満塁ホームランで勝利し、そのまま勝ち続けて真夏の本大会に初めてやってきたのが、岩見沢学童野球クラブだ。
「とんでもなく強い!」との前評判に偽りのないことは、全国初陣となった前日の1回戦で実証された。高知県の王者を17安打21得点で圧倒。今大会50試合の中で、その得点数は最多タイ、ヒット数は3位タイだった。
縮小と二極化が加速する学童球界にとって、いわば待望のニューウェーブ。成り立ちも目的も運営も先駆的で、少子高齢化に悩むローカル地域の模範例にもなるだろう。チームは創設2年目で、小松連史監督(=下写真中央)は今大会最年少で唯一の20代だ。
「私たちが活動する岩見沢市も人口がかなり減ってきている中で、子どもたちが野球をする環境を残すために、NPO法人を立ち上げてできたチームです。指導者7人は全員が学校の教員。監督はボクがやっていますけど誰でもよくて、地域のみなさんと子どもたちを育て上げる、という目的は変わりません」(同監督)
道都・札幌から1市1町を隔てただけでも、岩見沢市は有数の豪雪地帯で野球環境はさらに厳しい。それでも、昨今の親世代の多くが学童チームに求める無条件の「安心」が、そこには確実にあるのだろう。選手は1学年9人以上。そのうち6年生14人と、5年生9人が東京での全国舞台へやってきた。
迎えた2回戦も、一番・山下颯太の1回戦から5打席連続(1四球挟む)の長打となるソロアーチ(=下写真)で先制する。その後、打者一巡までに生まれたヒットは5年生・柳谷一桜のテキサス安打のみ。相手は2021年に準優勝している全国区の強豪とあって、好きなようにはさせてもらえなかったが、前半戦は主導権を確実にキープした。
3回表には、四番・大西竣介の左中間二塁打と五番・井川晴斗の大会2号2ラン(=上写真)で3対0とした。守っては先発右腕の大西竣が、内外を攻める投球で3回まで被安打1。毎回、走者を出しながらも要所で三振を奪った。2回には強肩捕手の北川遼が二盗を阻止、3回は二遊間の堅守にも救われた。
3回2/3を75球で1失点と好投した岩見沢の先発・大西竣(上)。1回戦でサク越えを放っていた北川(下)は、盗塁阻止など捕手スキルの高さも存分にうかがえた
スコアは動かずとも
あくまでも終わってからの振り返りだが、雲行きが変わり始めたのは、4回表だったのかもしれない。岩見沢は柳谷の右中間二塁打で二死二塁として打線が3巡目に。ここで先制ソロの山下が申告敬遠で、後続が倒れて無得点に終わった。
全国スポーツ少年団軟式野球交流大会(2回出場)を含めて、夏の2大全国大会で8回目の采配となる愛知・北名古屋ドリームスの岡秀信監督は、開始から劣勢が続いても落ち着いていた。
「ウチのほうが当然、力は劣っていましたし、あとどれだけ点数を取られるのかわからないような力のある相手でしたので、そこは怖かったですね。ですから、3点のまま抑えることを前提として(後半戦を)見ていました」
北名古屋・岡監督(写真上、左から2人目)はスタッフからも敬われる人格者。先発の三島(下)は強力打線に力で対抗した
北名古屋は6年生13人と5年生10人。先発左腕の三島桜大郎は長打3本で3失点も、100㎞超の速球で多くの打者を押し込んでいた。バックは無失策で、取れるアウトを確実に奪ってきて4回裏、ついに好機で1本が生まれる。
死球と大口航輝の右前打で一死一、三塁として、七番・髙井信芭の右中間へのエンタイトル二塁打で1対3に。八番・松尾蒼真も四球を選んで一死満塁、ここは岩見沢の右腕が踏ん張って二死としたが、球数が規定の70球を超えて降板となる。
4回裏、北名古屋は大口(上)と髙井(下)の連打でようやく1点を返す
「大西の球数がそこまでいく前に代えたかったんですけど、北名古屋さんの圧力にこっちも押されがちなところもあって、ちょっとアレでしたね…」
岩見沢の小松監督が、この試合の具体的なところについて唯一、言及したのが継投のタイミングだった。
4回裏、二死満塁で救援した長身右腕、山下はいきなり107㎞のスピードボールを投じた。その1球で北名古屋の5年生で唯一のスタメン、一番・安藤玄気を内野ゴロに打ち取ってピンチを脱してみせた。
5回の表裏に6回表も、塁上に走者が出るもスコアは動かない。北名古屋も5回から右腕の富田裕貴主将が二番手で登板(=上写真)。クリーンヒットはされても、得点までは許さなかった。
「岡監督から『一人ひとりが責任感を持ってやり切りなさい』と言われていたので、その言葉を心に留めてピッチングもバッティングもやっていました」(富田主将)
信頼と理解からミラクル
北名古屋・岡監督は、試合終盤までの自身の心持ちと選手たちの様子をこう振り返っている。
「あと2イニングで3点負けている。そういうときにどうするんだ? という練習はず~っとやってましたよね。そういう意味では、そこまで慌てるとか、悲観しているというのはなかったですね」
全国舞台とそこで勝ち切ることの難しさをよく知ればこそ、伝統の打力を磨くだけではなく、状況を設定した実戦練習も繰り返してきたのだろう。その成果は、各打者の粘りとなって表れていくことに。
投手の球威に怯むことなく、じっくりと見定める。5回裏は2四球で二死一、二塁として、六番・大口は大きな中飛に倒れたものの、それまでに5球ファウルがあった。その抜群の選球眼としつこさが、マウンドの本格派右腕にはボディブローのように効いていたのかもしれない。そして最後の攻撃となる6回裏だ。
先頭の髙井が四球を選んでから二死となるも、4巡目に入った打線はやはり、ボール球には決して手を出さない。一番・安藤がストレートの四球を選ぶと、守る岩見沢サイドがタイム(=上写真)。二番・三島は2球目をファウルで2ストライクと追い込まれてから、ボール球を4球続けて見て一塁へ歩いた。
そして二死満塁。三番・富田主将が右打席に入り、バットを構えかけたところで一塁ベンチを出てきた岡監督に呼び寄せられた(=下写真)。このタイム中の指示を指揮官がこう回想している。
「ああいう展開(3四球で満塁)になって、押し出しをみんな考えたと思うんです。でも、バッターがそれを感じちゃうとたぶん、ダメになる。富田は特にそういうタイプなので『少々のボール球でもいいから、いけよ!』と。フォアボールを取りにいくようなことはするなよ、という話だけしました」
怪物級ではないが、投打に計算できる実力者で、すべてを託せるだけの過程とパーソナリティーもある。富田が背番号10をつけている理由も、それだ(「2024注目戦士」➡こちら)。
短いタイムが終わっての再開直後だった。頼れる主将は初球をきれいに中前へ弾き返し、2者が生還。これで3対3、試合は土壇場で振り出しに戻った。
「打ったボールはインコース気味の真ん中あたり。昨日もヒット1本だけで、今日も前の打席までぜんぜん打ててなかったので、やっとみんなに返せたかなと思います」
普段はもの静かな富田が、一塁ベース上で派手に何度も拳を突き上げた。また感情を爆発させながらも、冷静な部分を残していた。あるいは繰り返してきた練習の設定に、同じ状況もあったのかもしれない。続く四番・岡野拓海の1球目でタイミングを見計らい、2球目で二走・三島とともに重盗を決めてみせた。
そして四番打者は追い込まれた次の1球を逆方向へ流し打ち(=上写真)、これがサヨナラヒットとなった。
「もう打つしかない場面。慎重に見てつなぐとか、そういうのは考えませんでした。野球人生で最高の1本。すごく今、気持ちが高ぶっています」
勝負を決めたヒーロー、岡野がそう話したとき、球場の針時計は夜の8時あたりを刺していた。
「試合には勝者と敗者しかない。どっちがが笑い、どっちがが泣く。あとは野球の神様がどちらに微笑むかという形の勝負はできたかなとは思います。自分の責任なんですけど、悔しい。ただただ悔しいです。あと1点を取ること、1つのアウトを取ることの難しさを感じた中で『そこはやっぱり練習なんだよ』いうところは子どもたちに伝えたいなと思います。南北海道の1回戦で2アウトからの逆転満塁ホームランで勝ってきたチームが、最後は全国で同じようにやられた。これが野球の楽しさかなって思いますね」
敗軍の涙のミーティングが終わり、指揮官がそう話して移動バスに乗り込んだのは、20時43分のことだった。