47都道府県の王者で日本一を決する全日本学童大会。2年ぶり2回目の出場で「全国初勝利」から準優勝まで躍進した伊勢田ファイターズ(京都)は、“ニューカマー”と言っても差支えないだろう。また特筆したいのは、大会中の不変のスタンスと指揮官の柔軟なマネジメントだった。目の前の試合への動機づけや、各選手のパフォーマンスの引き出し方において、これほどの参考や模範が他にあっただろうか。勝てばいい、ただそれだけのチームではないし、後ろ指を指されるような大人の言動もゼロ。スタメンの4人は5年生だった。伊勢田はなぜ、銀メダルを手にできたのか。「あるべき今と未来へ」――学童野球メディアの編集長が核心に迫った。
(写真=福地和男、大久保克哉)
(文=大久保克哉)
―Runners-up of 45th―
結果より、道程にコミット。等身大のプレーと各々のミッションに全集中
準優勝
いせだ
伊勢田ファイターズ
[京都]
出場2年ぶり2回目
【戦いの軌跡】
1回戦〇6対0川和(神奈川)
2回戦〇9対2秦(高知)
3回戦〇1対0北名古屋(愛知)
準々決〇11対6豊上(千葉)
準決勝〇5対3多賀(滋賀)
決 勝●4対8長曽根(大阪)
楽しみ方を知る選手
「ナツ、楽しんでやらな!最高の舞台やぞ!」
伊勢田ファイターズの幸智之監督が、こう言って主将の夏山淳(=下写真)をマウンドへ送りだしたのは、準決勝の最終回。6回表が始まるタイミングだった。
結果として、夏山は被安打3の1失点、一死を奪ったのみで降板。そして幸監督から叱責されたことは既報のとおり(『主将と指揮官の夏物語』➡こちら)。このときの夏山もそうだが、ミスや凡打などの良くない結果が理由で、指揮官のお咎めを受けた選手は、大会中は皆無であったと思われる。なぜなら彼らは、逐一の結果にコミットしてきたわけではないからだ。
「楽しめ!」とは、今や学生野球でよく聞かれるフレーズだが、その具体的な道筋がハッキリとしていた。今夏の一番の勝因はもしかすると、そこだったのかもしれない。夢の全国舞台の地、新潟県に入ってから、伊勢田は指導陣と選手たちとで話し合い、大会中のテーマを立てたという。
決勝の6回表、代打の浅貝瑛斗は遊ゴロから全力走、一塁へ頭から飛び込んだ
ひと言にするならば、「全力」――。ありきたりだが、その看板の中身が小学生でも十分に理解し、実行し、立ち戻る原点にもなっていたのがミソだった。顕著にそれが見て取れたのが、2回までに7点ビハインドとなった決勝戦だ。3回が始まる前のクーリングタイムの5分間に、指揮官はナインにこう伝えたという。
「点差のことはまず忘れろ!結果とか、どうなりたいとか、そういうことよりも、自分自身で野球の勝負をしろ!」
自分自身の野球の勝負とは――。幸監督は試合後、その具体なところを補足しながら、このように回想している。
「バッターならピッチャーと、ランナーならバッテリーと、アウトにならないという意識で勝負する。その時その時の、一瞬一瞬の勝負を全力でやる、というのを大会中のテーマにしてきました。勝ち負けよりもまず、そういう1個1個の勝負に集中する。その積み重ねで最終日(決勝)まで来たんですけど、決勝戦は何かチラついたのか、勝ちたい欲が強くなり過ぎたというのか、そのあたりをコントロールしてあげられなかったボクの力不足かなと思います」
決勝戦の序盤を終えて、指揮官から原点回帰を促された伊勢田ナインは、明らかに変わった。
その最たる具現者が、2回途中からマウンドに上がっていた松倉駿(=上写真)だった。3回表は相手の下位打線を3者凡退に。打者2人には3ボールとなり、二死からはバントの構えも見せられたが、揺さぶられず。ゆったりとしたモーションから、緩いボールをゾーンに集めて打ち取った。そして迎えた、その裏の打席だ。
「前の打席(1回裏の先頭)で見逃しの3球三振をしてしまっていたので、絶対にアウトにならない!という気持ちで勝負しました」
こう振り返った松倉の第2打席は、空振り三振。だが、追い込まれてから4球連続のファウルなど、8球を稼いだ。モーションとボールの緩急を駆使する相手投手に対して、タイミングの合ったフルスイングが少なくとも2回はあった。
重心を後方に残しながら、バットヘッドを鋭く走らせる。小柄な松倉だが、勝負強い一番打者でもあった
指揮官が言うところの「自分自身の勝負」を、トップバッターの松倉が体現すると、後続にもそれが伝染していった。
続く二番の5年生、幸尚哉も右へ左へファウルを続けてから、逆方向へ技ありのヒット。そして三番・藤本理暉が初球を右中間フェンスの向こうへ運び、続く夏山主将も右翼ポール際へのソロアーチで続いた。
「楽しむ」とは、脈略もなしに、つくり笑いを浮かべることではない。何があろうと、ただニコニコとしているのとも違う。昨今、多くの指導者が悩めるあたりについても、結果として成功事例を明示してくれたのが伊勢田ではなかっただろうか。
小柄な巧打の二番・幸(5年=上)は、遊撃守備でも背伸びをせずにワンバンスローも。佐藤駿(下)は右翼守備がピカイチで、小技とつなぎの八番打者だった
個々も技術も知る監督
幸監督は、歯の浮くようなキレイごとを並べ立てるわけではない。えらい剣幕での怒号も時にはあるが、その矛先はプロセスや姿勢に向いていることを選手たちは理解している。
「結果を求める=厳しい」という安直な方程式は、少なくともこのチームにはない。その代わりに、指揮官は選手個々の性格と技能の限界点を常に把握しており、プレーの方向性がズレていたり、ファイトしていない選手には手厳しい。
「打った瞬間に行った(サク越え)と思いました」と語る決勝戦での2ラン。反撃の狼煙となる一発を放った藤本(=下写真)は、打席に入る前に幸監督からこういう指示を受けていたという。
「大振りはタイミングをズラされるから、しっかりと強いライナーを外野に打て!」
速球と半速球と超遅球。相手投手はこの3段階をクイックモーションか否かで使い分けるが、一塁に走者が出たのでほぼクイックになる。藤本はそれも頭に入れた上で、半速球のストライクに狙いを絞り、そのとおりの初球を強振したと思われる。世代を代表するような左腕投手であると同時に、打撃の対応術とパンチ力もまた抜けている。それだけの選手だからこそ、指揮官は踏み込んだ指示を与えたのだろう。
勝利に目がくらんで、有能なタレントを酷使する気は毛頭ない。大会の開幕前、幸監督はそれを明言してから、こう続けた。
「全国大会は強化試合ではないし、子どもらが頑張ってきた成果を出す場。ボクはその環境を整えてあげたいし、(新たに)準備できない部分をいかに捨てられるか、指導陣がいかに許容できるかがポイントやと思います」
今大会は1回戦から決勝まで、全6試合で継投だった。すべて先発したのは本格派左腕の藤本で、状態や展開で早めにスイッチし、勝負どころで再登板。間をつないだ投手は4枚、いずれも右の軟投派だが、柱の藤本とのギャプも奏功し、各々が「自分の勝負」に徹していた。
三塁守備での身のこなしも光った5年生の栗山雄吾は、1回戦で2度登板(上)。左翼手の臼田塁人は、継投策でも打線でも大きなアクセントに(下)
決勝は結局、4対8で敗北。閉会式が終わったタイミングで、指揮官に改めて尋ねた。「捨てた部分と許容した範囲」とは、具体的にはどういうものだったのか。
「結構、単純ですよ。バッティングだったら、『打てないところは打てなくていいよ、そのボールが来たらしょうがないと思えばいいから、捨てなさい』とか。やること、やれることを限定することで、気持ちを楽にさせてあげるというか、長所を消したくないのもありましたので。せっかくこれまで頑張って、できるようになったことが、さらにこっち(監督)が求めることによって、できなくなっちゃうというのが一番イヤだったので」
幸監督は25歳まで現役選手だった。大谷高(京都)から京都学園大に進み、4年春にはリーグ優勝して大学日本一を決する全国大会(全日本大学選手権)にも出場している。卒業後は社会人硬式クラブの全播磨(現・YBSホールディングス)や海外のリーグでもプレー。豊富なキャリアのなかではおそらく、理不尽な要求を受けて自身のプレーができなかった経験もあるのだろう。
「(試合中の対応は)チーム全体で、というよりは個々でしたね。この子はコレは苦手やから言わないでおこうとか、この子は言ったらできるから伝えよう、とか」
ヒジの故障でノースローの若山(上)は代打で2打数2安打。5年生の一塁手・赤穂空舞(下)は堅実なプレーと明るさが際立った
「オレは大学、社会人までやってきたから、黙って言うことを聞いておけ!」
元エリートにありがちな、そういうアプローチは幸監督にはあり得ない。自ら柔整師の資格も取り、小学生からプロ選手まで、野球トレーナーとして幅広いサポートを生業としている。したがって当然、理論も技術も常にアップデートしつつ、個々に寄り添うことができているのだ。
オモロさ知る5年生
昨年の12月。「冬の神宮」ポップアスリートカップで、伊勢田は初出場初優勝を遂げた。このときの幸監督は、前面に立って選手たちを明るく引っ張る“イケイケ兄貴”の風情だった(※関連記事➡こちら)。
それがこの夏は、チーム全体と選手個々に道筋を示しての後方支援に徹しよう、との姿勢が見受けられた。その違いはきっと、時期の差からも生じているのだろう。
夏の全日本学童大会は最上の夢舞台だが、大半の6年生には続きがある。一方、12月のポップアスリートカップの全国ファイナルは、多くのチームの多くの6年生にとって最後の大会となり、伊勢田の6年生もこの大会をもって卒団となる。
どちらの大会にも「前年度優勝枠」があり、ポップ杯の2024年王者・伊勢田は「冬の神宮」出場が決まっている(12月6・7日に開催)。夏の全国を終えたばかりだが、夏山主将は鼻息が荒かった。
「くら寿司トーナメント(ポップ杯)で、ボクたちも絶対に優勝して終わりたいです!」
その後、阪神ジュニアに選ばれた二刀流の藤本は欠場すると思われるが、1人に頼り切るチームでないことは今夏の戦いで証明されている。また、ヒジの故障で夏の全国では代打と代走のみだった若山桧人は、すでにスローイングを再開しているという。その右腕は全国準V後に、こう話していた。
「今はまだまともに投げられてないんですけど、しっかりと治して、12月のくら寿司トーナメントでは投げてしっかりと抑えたいと思います」
準決勝の6回表、一死一、三塁。三ゴロから二塁ベース上で送球を受けた山本灯司は、一塁偽投で本塁へ送球。結果、間一髪で1点を失うも、5年生とは思えぬ機転だった
全日本学童は準Vなので、来年夏の出場権を5年生たちにプレゼントすることはできなかった。決勝が終わって閉会式を待つまでの間に、6年生や指導陣からそういう話を振られた5年生たちは、冗談交じりながらこう豪語したという。
「そんなん(前年V枠)ないより、自分らで出場権取って、全国に行ったほうがオモろいやん!」
全力で駆け抜けた夏。決戦の地・新潟でのラストは、下級生たちの威勢のいい言葉で盛り上がった。幸監督にはもう、労いの気持ちしかなかった。
「今朝、みんなに言ったんですよ。『今日の最後の2時間(決勝戦)が終わったら、1週間は腑抜けでいいからな!』って。こんなん初めてやったんですよ。6日間の共同生活も、この暑さでの6連戦も。ナイターの次の日は4時半起床とか、体力的にもキツかった。でもそれをみんなで経験しながら、チームが一つになっていく実感が、ボクにもあの子たちにもありました。よく頑張ってくれたと思います」