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【ポップ杯全国ファイナル決勝】伊勢田が有終の初V、絶対王者・新家の年3冠阻む

2025.01.22リポート2024
【ポップ杯全国ファイナル決勝】伊勢田が有終の初V、絶対王者・新家の年3冠阻む

 新時代が到来!! 第18回ポップアスリートカップくら寿司トーナメントの全国ファイナル。「冬の神宮」は、京都・伊勢田ファイターズの初出場初優勝で閉幕した。同チームの6年生はこの大会で引退とあってか、アグレッシブかつ一丸の戦いぶりが目を引いた。前年王者の大阪・新家スターズとの決勝は、前半で2対0とリードしてからも攻撃的なスタイルで逃げ切った。一方の新家は、夏の全日本学童マクドナルド・トーナメントと高野山旗の2冠を達成しており、年3冠で先輩たちに続くことはできなかったものの、威厳のある散り際だった。

(写真&文=大久保克哉)

決勝

◇明治神宮野球場

◇12月22日 ◇第3試合

新家スターズ(大阪)

 000000=0

 011000=2

伊勢田ファイターズ(京都)

【新】庄司、今西、庄司、今西、庄司-藤田、庄司、藤田

【伊】幸、田見、大西、幸-森田

二塁打/貝谷(伊)

 幕切れは唐突だった。あれっ、終わり!?――。フィールドもベンチもスタンドも、そこにいた多くが確認をしたのだろう。15秒もなかったかもしれないが、Vチームの歓喜の輪ができるまでには、停止画像のような「間」があった。

2冠王のプライド

 最後のワンプレーの判定について、敗軍からクレームがあったわけではない。むしろ、プライドも感じるほど潔かった。「機械が判定するものではないし、審判さんも一生懸命にやってくれて、ジャッジがあっての野球なので。それまでに自分たちの力を出せんかったのが、アカンかったところかなと思います」と、新家スターズの吉野谷幸太監督。

 それでも、舞台は「全国」と名のつくところ。それも参加1590チームの頂点を決める大一番の、ひとつの勝負所でもあった。ゆえに、ラストプレーについても触れないわけにはいくまい。

 それは6回表、0対2でリードされている新家の攻撃中だった。一死から三番・藤田凰介主将が中前打(=上写真)。続く四番・庄司七翔が右前打で一死一、二塁と好機が広がった(=下写真)。

 長打なら同点、サク越え弾なら一気に逆転となる。夏の全日本学童の初戦では、同様の土壇場で黒田大貴が逆転決勝3ランを放っていた(リポート➡こちら)。新家とすれば、勝機はまだ十分。少なくとも、勝負を諦める状況ではないし、ひっ迫して自滅するような軟な選手たちでもない。彼らは前年に続いて、すでに全国2冠を達成していた。

 一死一、二塁から五番打者が放った打球は、内野の上空へゆるゆると力なく上がった。そしてこれを内野手はダイレクトで捕球できず。白球が人工芝に跳ねると同時に、一走と二走が次塁へ走るも、二塁ベース手前で1人がタッチされて「アウト!」に。そして試合終了が告げられた。新家サイドへは、審判団からこういう説明があったという。

「インフィールドフライを宣告したので打者は即アウトで2アウト。そのままインプレーで走者がタッチアウトで3アウト」

 その後、内外で多少の議論となったのは、インフィールドフライの判定(適用)の是非だった。このルールは、故意落球での重殺など攻撃側の不利益を回避するためのもので、インフィールドフライの宣告は『審判員が「内野手が普通の守備行為を行えば捕球できる」と判断したもの』と定義されている。

6回表、一死一、二塁のピンチとなったところで、伊勢田は幸監督がタイムを取ってマウンドへ。そして再開後、すぐに幕引きとなる

 今回の打球は打ち取られた当たりながら、ポテンヒットもありそうな微妙なフライだった。そして内野手は捕球体勢に入れておらず、単純に捕れなかっただけのようにも見えた。

「普通の守備行為で捕球できる」という即座の判断は、一塁側のカメラマン席にいた筆者にもできず。歓声のためか「インフィールドフライ!」の声も聞こえなかった。それぞれ次塁へ走った2人の走者も然り、だったのだろう。百戦錬磨の新家の主力選手たちが、インフィールドフライの定義と対処を知らないはずがない。

 ともあれ、審判のジャッジは覆らないのがアマチュア野球。万人が後味スッキリではなかったものの、勝者には何ら非はないし、優勝にケチがつくものでも断じてない。

大会を通じて、伊勢田は扇の要・森田(写真上中央)を中心とした堅い守備と明るさが目を引いた

 伊勢田ファイターズは、相手の倍近くのヒットを放ち、走塁も抜かりがなかった。守ってもまたノーミスと、内容もやや上回っての戴冠だった。選手も指導陣も、野球と勝負を楽しんでいるように見受けられた。

「冬の神宮」は、新時代の到来も予感させる新王者の誕生をもって閉幕した。

「夢のような」決戦

 両チームは交流しており、6年生の代は今回の対決までに5試合して、新家の4勝1敗だったという。互いに手の内を知るだけではなく、選手同士も打ち解けた間柄。「冬の神宮」開会式の日には、伊勢田の幸智之監督がこう話していた。

「ウチの子たちも新家さんの子に久しぶりに会って、うれしそうにしていました。6年生はこの大会で引退なので、締めくくりに決勝で新家さんとできたら夢のようやなと思います。とにかく、勝ち負けよりかは、この神宮で思い切り野球をやらせてあげたいですね」

準決勝と決勝のファイナル最終日の朝、両監督は決勝での対戦を誓って握手。左は新家・吉野谷監督、右は伊勢田・幸監督

 その後、それぞれトーナメントを勝ち進んで「夢のような」フィナーレの決戦が実現した。マッチアップした不動のオーダーには、ともに5年生が1人ずつ。戦いは静かに始まった。そして先制劇もまた、不意に始まった。

 2回裏、伊勢田の攻撃は二死で走者なし。ここから六番・荻田琉聖が両軍を通じて初ヒットとなる左前打を放つ。そして七番・石川衛がテキサス安打で二死一、三塁となる。

2回裏、伊勢田は左前打の荻田が、続く石川の中前打(上)で一気に三進(下)

 野球界の格言のひとつに「実力のあるチームは2アウトから得点できる」という類いのものがある。だが守る新家とすれば、献上してしまった先取点だった。

 伊勢田は八番・田見哲也の左翼線へのヒットで3連打となるが、その前にバッテリーミスで三走の荻田が先制のホームを踏んでいたのだった(=下写真)。

 1対0とした伊勢田はなお、受けに回らずに攻めの姿勢を貫いた。

 3回から二番手の田見がマウンドへ。いきなり与四球も、1-6-3の併殺を決めた。迎えた新家の「金看板」こと一番・山田拓澄には、中前打(=下写真)と二盗を許した。しかし、二塁けん制を執拗に繰り返し、三盗の企図を許さなかった。そうして二番打者のセーフティバントもきっちりと処理して3アウトに。

 そしてその裏の攻撃で、伊勢田は二番・北村海惺から三番・貝谷大騎、四番・森田颯真まで、3者連続のクリーンヒット(=下写真、上から順)でリードを2点とした。一死二、三塁から中前タイムリーを放った森田は、こう振り返っている。

「打ってランナーをかえすことしか頭になかったです。ちょっと詰まったんですけど、チームに貢献できてよかったです」

ベンチワークも果敢

 ビハインドが続く新家も、守備では負けていなかった。先発右腕の庄司は珍しく、開始2人目に四球を与えたが、後続で併殺を奪ってみせた。

 夏の全国舞台と同様に、効いていたのは5年生・竹添来翔の右翼守備だった。2回にライトゴロを奪い、3回の失点後に2つ目を決めた。4回には小飛球を追ってきて二塁手と衝突し、ヒットにしてしまう。しかし、一死一、二塁のピンチから鋭いライナーを好捕するや、一塁へまた矢のような送球で戻りかけの走者を刺してみせた(併殺でチェンジ)。

4回裏、守る新家は野手同士の衝突で飛球を捕り損ねるも、中堅手の西浦颯馬がバックアップ(上)。5年生の竹添(下)は、ライトゴロ2つに併殺も決めるなど投手を何度も救った

 全国2冠王が流れをイーブンに戻そうとする中で、伊勢田は果敢なベンチワークで踏ん張った。同日の準決勝では打たせて取る快投を演じた右腕・田見を引っ張ることなく、4回表の一死一塁で本格派左腕の大西陽太(=下写真)をマウンドへ。

「田見のスローボールは、よその強いチームはハマってくれるんですけど、新家さんの打線は鍛えられていて『遅いボールを狙え!』という指示も出ているのが分かりました。このままじゃ、ちょっと捕まるなと思って、左の大西にスイッチしました」(幸監督)

 そして、スコアは2対0のまま動かずに迎えた最終6回表には、幸大貴主将がマウンドへ。先発して2回まで投げていた背番号10の右腕が、再登板で胴上げ投手となっている。

 伊勢田は初出場初優勝。最後に絶対的な王者も下し、てっぺんに立った指揮官は勝因をこのように話した。

「あの子たちの日ごろの練習の賜物だと思います。実力というか、心の強さですね。すごくしんどかったと思うんですけど、そこを詰めるところは詰めましたので(※以降は下のチームストーリー参照)」

 敗れた新家ナインは、最後のジャッジについて言及することもなく、友好チームの歓喜をじっと眺めていた。こちらは6年生もまだ卒団ではない。投打にMVP級の働きだった山田は「まぁ、楽しい大会でした」と一言。2安打と気を吐いた藤田主将は「悔しいっす!相手は強いっす!(立て直しに必要なのは)気持ちっすね、練習のときの」と、短く発して冬の神宮を後にしている。

 〇伊勢田ファイターズ・幸智之監督「いやぁ、まさか勝てるとは。きょうも1試合目の準決勝から、みんなで野球ができたなと思います。全国優勝で6年生が終わり(引退)なんて、想像もできてなかったので、こんなに幸せなことないですね。ありがたいです」

●新家スターズ・吉野谷幸太監督「やっぱり野球は怖いというか、不運なところにミスが重なり、そうなると固くなって余計に力が出せなくなってしまう。準決勝までよく守ってきたんですけど、最後の最後にそれが出てしまったかなと思います」

 

―We are champion―

“イケイケ兄貴”と手綱さばきの妙。新時代の旗手、ここに現る

いせだ

伊勢田ファイターズ

【戦いの軌跡】

1回戦〇7対2北ナニワ(兵庫)

準々勝〇6対3棚倉(福島)

準決勝〇2対0喜来(徳島)

決 勝〇2対0新家(大阪)

 伊勢田ファイターズというチームを語る上で、絶対に外せないのは2023年夏の夢舞台(=上写真)。初めて出場した全日本学童大会1回戦での、3時間1分にも及ぶ“大激闘”だ。現役時代には大学、社会人に海外でもプレーした幸智之監督ですら、このように語っている。

「ちょっとアレは、ボクの野球人生でも経験したことがないような試合でしたね」

伝説の「死闘」に敗れて

 既定の90分の倍となる時間を費やし、ゲリラ豪雨と特別延長も経て13対12で決着した一戦は「死闘」とも言えた。詳しくは当時のリポート(➡こちら)を参照いただきたいが、マンガでもありえないような大逆転負けを喫したのが伊勢田だった。勝利まで残り3アウトという局面から8点差を追いつかれ、特別延長で2点を先取した後に3点を失って涙――。

2023年夏の全日本学童1回戦は、5年生(現6年生)の4人がスタメン出場。一番・遊撃で2安打したのが幸主将だった(写真は現在)

「小学生の甲子園」での鮮烈な痕跡が、功を奏した面もあったようだ。死闘の翌年の12月に「冬の神宮」にも初めてやってきた幸監督は、初日の1回戦と準々決勝を制してからこう話している。

「やっぱり、マクド(全日本学童)に初めて出て、ああいう戦いもしたことで、新家(スターズ)さんとか全国区のチームとも試合をさせていただけるようになって。勉強をさせていただきながら今があるので。決勝で新家さんとやれたら、うれしいなと思います」

アニキが感じた「成長」

 伊勢田の6年生は、この大会をもって引退。負ければ、それがラストゲームになる。そんな最上級生たちへ「勝っても負けても、自分の納得いく野球をしなさい!」と繰り返してきたという指揮官自身が、先んじて楽しそうだった。

 エネルギッシュでよく笑う。ベンチ内をよく動き、選手のガッツポーズにも呼応した。よく通る声は雄々しいが、相手チームを貶めたり、子どもを威嚇する類いのものではない。前向きで明るくて、時には選手が意気に感じるような言葉も吐いた。かと思えば、勝負どころでは選手の肩や背中にそっと手をやり、諭すように何かを助言。そうした姿は、監督というよりは“イケイケの兄貴”だった。

幸監督は京都・大谷高から京都学園大に進んで4年時に大学選手権に出場。卒業後は社会人硬式クラブの全播磨(現・YBSホールディングス)や海外のリーグで25歳までプレーした

「ウチは小さい子ばかりですし、守りに入ってどうこうしても楽しくないし、勝つこともできない。なので特にこの大会に関しては、とことん楽しむ! 120%を出せば結果はついてくる、という考え方でした」(幸監督)

 長男・大貴が1年生のときに親子で入団し、4年間は4年生以下の監督に。5年目でトップチームの監督となり、6年生5人で全国初出場を果たす。そしてあの「死闘」も経験した長男(当時5年)らとの学童ラストイヤーは、夏の全国予選(全日本学童府大会)は3回戦で悪夢の抽選負け。それでも夏のもうひとつの伝統の全国大会、全国スポーツ少年団軟式野球交流大会に初出場を果たしている。

「試合の流れが悪くなったり、苦しい展開が続いたときに投げ出したり、人のせいにしてしまったり。そういう『小学生あるある』をいかに脱するかが、学童野球だと思うんです。この子たちは夏の全国予選の抽選負けから、そのあたり甘さに少しずつ気が付いて上がってきた感じ。スイッチを入れるべきところでしっかり入って、スッとチームが一つになれる。この大会ではそのあたりの成長も肌感覚でありましたね」(同監督)

 チーム創立は1976年。現在の総部員数は41人で、今大会は5・6年生14人が登録メンバーに。そして戦うごとにタフになっていった。二塁手の貝谷大騎は準々決勝でのミスを挽回(準決勝ヒーロー➡こちら)。また、準決勝で貴重なタイムリー、決勝では先制の口火となったラッキーボーイ、荻田流聖も大会中に成長が認められた一人だ。

 準決勝での荻田は、殊勲打の前の第2打席でスクイズバントを空振り。三走は生き残ったが2ストライクに追い込まれたところで、幸監督が攻撃のタイムを取った。試合後にその意図を問うと、このような答えだった。

「指示は『打て!』しかなかったんですけど、相手チームにもちょっと考えてほしかったし、荻田の顔が固まってたので。きのうも彼はちょっと、ミスしてたんですよ。夜のホテルで『あの場面、実際にどうやったん?』と聞いたら、『自分の中で固くなってしまいました』と。なので冷静さを取り戻してほしいと思って、間(タイム)を入れました」

インフルにも負けず

 前面に立ってナインを盛り上げる一方で、性格も知り抜いた個々を適切にフォローしながら、適宜の作戦も遂行する。伊勢田の勝因の第一は、指揮官の絶妙な手綱さばきにあったのではないだろうか。

 そんな父とのラストゲームで有終の美を飾った幸主将は「最高です!」と話したが、会心の笑みではなかった。「この大会は調子がなかなか上がらなくて、他のメンバーに助けられました」。

 実は1週間前まで、幸一家はインフルエンザに襲われて全員ダウン。辛くも冬の神宮には間に合った父子だが、チームの看板である主将のパフォーマンスは、本来とは程遠いものだったという。でもその分、仲間たちが奮闘し、ついには絶対的な王者も打倒して全国優勝を果たしてみせた。

準々決勝で三塁打(写真)を放った5年生の夏山は、元気ハツラツのムードメーカーでもあった

「新家は足でかき回してくるので、最後まで嫌な感じはありましたけど、慌てることはなかったです。自分たちは夏のマクドに出られなくなってから、ずっとこの大会を目標にがんばってきたから優勝できたと思います」と三番・二塁の貝谷。四番・捕手の森田颯真は「チーム一丸になれたことと、自分たちの野球ができたことが、強いチームを倒せた要因やと思います」と話した。

 1年後の「冬の神宮」にも出場が決まった(前年優勝枠)。レギュラーで唯一の5年生、五番・三塁の夏山淳は「来年も今年みたいに日本一を獲れるようにがんばりたいです」と意気込みを語った。現4年生の次男も引き連れてくることになるだろう、幸監督は謙虚にこう締めくくっている。

「ウチは決して追われるような立場のチームではないし、新家さんのような地盤もしっかりされたチームにはまだまだ及びません。5年生が4人と少ないですけど、4年生も今回の大会を見に来てくれていたので、代々で受け継ぎながら安定して力強くなれるように、がんばりたいです」

 

―Good Loser―

2冠王者の「練習の虫」。全国初登板から1年、魅せた進化と意地

しょうじ・ななと

庄司七翔

[新家6年/投手兼捕手兼三塁手]

 新チームのエース候補として、全国のマウンドに初めて立ったのが1年前のこの「冬の神宮」だった。

 チームは1年上の先輩たちに続いて、夏の全日本学童と高野山旗の2冠に輝いた。庄司七翔は「絶対的なエース」とまではいかなかったものの、夏は初戦も決勝も先発するなど、投手陣の柱としてフル回転。打線では不動の四番として6試合で打率.357、6打点をマークした。

2点を追う決勝の6回表、一死一塁からライトへクリーンヒットを放っている

 非登板時は、三塁を守るか、マスクを被るか。冬も役回りは同じだったが、「やっぱり努力が出るんかなと思いました」と吉野谷幸太監督を感心させたのは1回戦の6回表、無死満塁で始まる特別延長でのピッチングだった。

 相手は2回目の出場となる西埼玉少年野球で、序盤から鋭い打球や大きな飛球で2冠王者を脅かしてきた。対する再登板の庄司は、特別延長でギアを一段上げたかのようだった。力強いボールで2者連続の空振り三振を奪うなど3者凡退の無失点で切り抜け、その裏のサヨナラ勝ちにつなげた。

「夏以降、練習はもう5年生主体の新チーム中心にシフトしてきている中でも、庄司は平日でもお父さんと1時間くらいは居残りでやってるんですよ。指導者は『残れ!』とは誰にも言わないんですけど、今回の庄司の活躍を見て他の子も何か感じてくれたらなと思います」(吉野谷監督)

 準決勝からは球速が表示される舞台となり、夏は90㎞台だった庄司はコンスタントに100㎞以上をマーク。投球フォームも明らかに進化していた。夏までは踏み出した足へ乗り切る前にボールをリリースする印象があったが、今大会では左足に体重が乗ったタイミングから右腕が鋭く振られていた。

 首脳陣にそのあたりを指摘してみると、また新たな真実が明かされた。

「夏は終わるまで自分たちも知らなかったんですけど、右手の指に血豆ができて思い切り投げられてなかったらしいんですよ。見たらホンマにすごい血豆で『オマエ、なんで言わんの?』と(笑)」(松下広紀コーチ)

 言えなかったのだろう。チームは2年連続の日本一へまっしぐら。夏にきて左腕の山田拓澄が調子をやや崩していたこともある。庄司はそうしたなかで、血豆の痛みと、いつつぶれるかもしれない恐怖を抱えながら右腕を振っていたのだ。球のリリースが早めだったフォームは、その影響もあったのではないか。本人に水を向けると、即座に肯定した。

「はい、夏は血豆の影響はありました。それも治って、この大会では自分のボールを投げられました。最速? 104㎞です」

 2年連続の年3冠という快挙の夢は、最後の最後に潰えた。決勝では手痛い追加点を献上したものの、大会を通じて自分のピッチングには納得しているという。だが、V逸のショックは深かったようだ。

「次の大会へ向けて? え~と…今は言葉が出てこないです」

 努力をしても、思うようにならないこともある。先のある人生にとっては、これも成功体験のひとつに数えられることだろう。 

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