新人戦の関東王者が散る――。全日本学童マクドナルド・トーナメントの東京予選2回戦を、当メディアはそういう見出しで速報した。序盤戦で主役級を失った大会だが、その後もハイレベルな戦いが続いて盛り上がった。それでも一抹の寂しさを禁じえなかったのは、明るさと実力を伴う新人戦王者の残像のせいだったのかもしれない。むごい散り様だったが、賢明な指揮官の下、1試合のなかで奇跡的な粘り腰もみせた。その彼らも「敗れざる者たち」であるに違いない。シリーズの第2回は、旗の台クラブ(品川区)。いたずらな美化を避け、個性的な面々と敗因にも迫った。
(写真&文=大久保克哉)
※記録は編集部、本塁打はすべてランニング
■2回戦
◇5月18日 ◇郷土の森野球場
▽A面第1試合
旗の台クラブ(新人戦優勝/品川)
0010120=4
0040001x=5
レッドサンズ(文京)
※特別延長7回
【旗】栁澤、岡野-遠藤
【レ】田代、久保、田代-中澤
本塁打/柳(旗)
二塁打/豊田(旗)
【評】外野の天然芝で弾む打球の処理というのは、なかなか難しい。芝の長さや大地の硬さは球場で異なる。まして軟式球は、天候や気温でも跳ね方が変わってくるから、目測を誤りやすい。
奇しくも3回、双方の守りでその処理にミスが生まれて、打者走者がそのまま生還する形で試合が動いた。外野へクリーンヒットを放ったのは、先攻の旗の台クラブが一番の高市凌輔(=上写真)、後攻のレッドサンズは三番の井口凱斐(=下写真)。1本ずつだったが、スコアには差が生じた。塁上に走者がいなかった旗の台に対して、レッドは2四球と久保俊太の右前打で満塁としていたので、4対1に。
それでも、適時失策直後に両軍の守りが崩れなかったことで、緊張の糸は保たれた。レッドはバント安打など走者2人を許すも、6-4-3の併殺(=上写真)で3アウトに。無死だった旗の台は、先発の栁澤勇莉(=下写真)が四番打者から3人をピシャリ。一死からは連続の遊ゴロを米田然が華麗に捌いた。
3点を追う旗の台は5回表、高市が右前打から二盗を決めると、三番・国崎瑛人が逆方向の左前に落とす技ありのタイムリーで2点差に迫る。さらに6回表、一死から代打・豊田一稀が右中間へ二塁打を放つと、続く七番・柳咲太朗が起死回生の右越え同点2ラン(=上写真)。
スコアは4対4で、7回から特別延長戦に入る。一死二、三塁からの内野ゴロで本塁封殺(=下写真)など、表の守りを無失点で終えたレッドがその裏、二番・山下礼葵のバント安打で満塁とし、続く井口が四球を選んでサヨナラ決着となった。
■敗れざる者たち❷
旗の台クラブ
[品川区]
※チーム関連記事
・新人戦東京大会優勝➡こちら
・新人戦関東大会優勝➡こちら
・東日本交流大会優勝➡こちら
早過ぎた対決と名勝負
幕切れの1球は高く抜けた。明らかなボール球だった。でも何とかストライクにしたかったのだろう、マスクをかぶる遠藤雄大主将は体勢をできるだけ低くしたまま捕球。だが、ミットだけは高く上がっていた。
「もうホントに、あと一歩で、チームでずっと目標にしてきたところで勝てなくて…ホントに悔しくて…言葉が出ないです」(遠藤主将)
7回裏、無死満塁から4球連続のボール。バントの構えからバットを引き、ガッツポーズをした打者が一塁へ走り出すより早く、マウンドの岡野壮良は前のめりで大地に突っ伏した(=下写真)。
「アイツ(岡野)はメンタルがめっちゃ強いから、『こういう場面になったらいくよ』と言っていたんです。よくがんばりました。しょうがない」(旗の台クラブ・酒井達朗監督)
語句の講釈は割愛するが、4回からマウンドに立った右腕の岡野は「センスの塊」のようなタレントだ。バットを振っても内野ゴロを捌いても、身体能力やノビシロを否応なく訴えてくる。さらに「メンタルの強さ」を、この試合のマウンドでも発揮していた。
それこそ、4対4で迎えた6回裏のピッチングだ。申告敬遠を含む2四球と内野安打で一死満塁。サヨナラ負けの大ピンチを、連続三振で切り抜けてみせた。
しかもその2人目の打者は、1回戦で左へ豪快な2ラン、この試合でも右へクリーンヒットを放っていたレッドサンズの一番・久保俊太。この強打者を空振り三振に斬った岡野は、ベンチへ戻る途中で咆哮し、仲間からはハイタッチや抱擁で迎えられた(=下写真)。
しかし、そこはまだ満12歳の6年生。気力も体力も、ほとんど底を突いていたのかもしれない。続く7回裏の大ピンチでは、ボールがまったく手につかない感じだった。
敗退が決まるや、その場に崩れ落ちたのは岡野だけではない。三塁側のベンチを勢いよく飛び出してきた歓喜の勝者たちとは、あまりにも好対照な絵図。それでも旗の台の一塁側ベンチにいた父親の一人(引率責任者)は、やさしい笑みをたたえていた。そしてどうにか、整列と挨拶へ向かう子どもたちの背中へ、拍手をしていたのが印象的だった(=下写真)。
負けて喜べるはずはない。しかし、3試合分を消化したような濃密な7イニングだった。「全国初出場」という、チームを挙げての大目標をかけた最終予選の初戦。そこで展開した戦いは、フィールドに注ぐ真夏のような日差しにも増して激熱だった。最後は派手に泣き崩れた旗の台の面々だが、このような名勝負もきっと、彼らならでは。並のチームなら、1対4ですんなりと負けていたはず。
対戦相手は、2年前に全国で銅メダルを獲得している名門。決勝戦でもおかしくない顔合わせ、そしてゲーム内容だった。
手負いの関東王者
旗の台は全国出場こそないものの、昨年秋の新人戦では最高峰となる関東王者に初めて輝いている。その予選にあたる東京大会は4年ぶり2回目の優勝(前回はコロナ禍で関東大会は中止)で、決勝では船橋フェニックス(世田谷区)の3連覇を阻止した。
勝負の2025年を迎えても、底抜けの明るさとハイレベルと勝負強さは変わらず。春休み中には、全国区の強豪が集う東日本交流大会でも初優勝。準決勝では“関東の雄”茎崎ファイターズ(茨城)に完勝し、東京勢対決となった決勝では、ミラルクルを巻き起こしてきた不動パイレーツ(目黒区)に逆転勝ちした。
その準決勝で快投し(=下写真)、決勝では3安打2打点の活躍で大会MVPに輝いたのは、豊田一稀(2025注目戦士❺➡こちら)。頼れるエース左腕で、打率も断トツでチーム1位だという。ところが、その名前が、この全国最終予選の初戦のスターティングオーダーになかった。
試合開始の約1時間前。豊田はまだフィールドの外にいて、携帯用の栄養補助食品に口をつけていた。ベンチに荷物を置いた仲間たちは、動き始めようかという段階。予想される酷暑下の先発マウンドに備えて、遅めの始動かと思えば、さにあらず。
「ちょっと肩をやってしまいまして…」
すぐ側にいた父・伸一さんが、小声で教えてくれた。
「投げられなくても、やれることはあるよね?」
半ば動揺した筆者が口走ると、豊田は間髪入れずに答えた。
「はい、いっぱいあるし、自分でも準備します。バットを振るのは多少できるし」
ケガでスタメンを外れた豊田は裏方もこなし、守備の3アウト後は真っ先にベンチを出てきてナインを迎えた
序盤の2回までは、豊田不在の穴をまるで感じさせない内容だった。先発した大型右腕の栁澤勇莉は、3者斬りで立ち上がる。2回には連続ヒットで無死一、二塁のピンチも、得意とする一発けん制で二走を刺すなど無失点。
遊撃手の米田然(=写真上左)と、三塁手の柳咲太朗(=同右)は、この試合で持てる守備能力を存分に発揮していた。あらゆる打球を難なくグラブに収めては、軽やかにステップを踏んで一塁へストライク送球。そのたびに、対戦相手の三塁側のベンチからも大人たちの感嘆の声が漏れていた。
「いやぁ、うめ~な~」
とりわけエネルギッシュな米田は、チームの元気印だ。その存在感は、1学年上の先輩たちが主役だったころから際立っていた(リポート➡こちら)。この試合では投手交代に伴う布陣の変更で、4回から二塁の守備へ。そこでも、相手の三番打者が放った強烈なゴロを捌いてから、驚いたような表情を見せている(=下写真)。そして6回裏からは、ベンチで仲間たちを懸命に鼓舞し続けた。
土壇場で切り札から
双方に守りのミスがあって、3回を終えた時点でスコアは1対4(※戦評参照)。5回表に高市凌輔と国崎瑛人のヒットで2点差とした旗の台はその裏、豊田の代わりに左翼でスタメン出場していた下玉利瑛純が、特大の飛球をキャッチして3アウトに(=下写真)。そして既定の最終回となる6回表の攻撃へ。
先頭が倒れたところで、酒井監督がベンチを出てきて、背番号2を打席へ送った。米田の打順だった六番で、とっておきの切り札、チームの首位打者・豊田の登場だ。
「代打で出番が来たら絶対に打てるように、頭の中で打つイメージをしてました。最高のバッティングができたと思います(=下写真)」
こう振り返った豊田は、左打席でストライクを見送った後の2球目を、ひと振りで右中間へ。アドレナリンのせいだろう、二塁ベースに達すると、患部の肩をかばうこともなく、利き腕でガッツポーズ(=上写真)。これで流れも引き寄せた。
続く七番・柳が、カウント2-2から高めの球をジャストミート。鋭い打球は右翼手の頭上を超えて、芝の上を滑るように転がっていく。打った柳は、ダイヤモンドを駆け抜けて、ついに4対4に追いついた(=下写真)。
土壇場の同点劇に、一塁側の旗の台ベンチは火がついたようなお祭り騒ぎだ。中には涙を流している選手も。ただし、指揮官は浮かれていなかった。
殊勲の柳をハイタッチで迎えて笑顔は見せたものの、サングラスの奥の目は笑っていなかったのかもしれない。スマートフォンやパソコンが、ぐるぐると処理中のマークを出しているときのように、30番の頭の中では高速でシミュレーションが行われているようだった。
「よく追いつきましたよ。でも、まだ勝ち越していなかったのでね。競って緊迫した状況になるのはわかっていましたから」と、酒井監督は当時を振り返る。
あくまでも結果論だが、代打策からの同点劇と引き換えに、二遊間の名手・米田を失ったことが響いた面は否定できない。俊敏な米田はバッテリーと息の合った「二塁一発けん制」の要であり、過去の苦しい場面で何度も二走をタッチアウトにしてきた。
この試合でも2回にそれを決めていた(=下写真)。無死一、二塁で始まる特別延長でも有効なオプションだった。しかし、7回表は無得点に終わり、もう1失点も許されない状況。加えて米田不在のなかで、バッテリーも一発けん制の選択はできなかったようだ。
「ウチが先に1点取ったとき(3回表)に、これは守りに入らないほうがいいなと思って、やってきたんですけどね。すぐ(3回裏)にひっくり返されたときも、(失点が)4点じゃなくて2点、3点に留められたら、その後の展開も変わったかなとは思います。でも、攻めた子のミスを責めても仕方ない」(酒井監督)
3回表、無死満塁のピンチで右前へ弾き返された鋭いライナーを、右翼手はワンバウンド捕球からの一塁または本塁送球でアウトを奪おうとしたのだろう。それが二死であれば、当然の判断だ。また1点リードの前半戦であったことから、勝負も悪くない選択だった。あるいは、無死でしかも走者が3人いたことから、捕球を優先する選択もあったと思われるが、いずれも机上の結果論に過ぎない。
ベンチと選手の以心伝心も、旗の台の持ち味。右翼手は指揮官の意向と同じく、守りに入らなかったのだ。結果、地面に跳ねた白球は、チャージしてきた彼の頭の上を勢いよく超えていって4点を失うことに。
その外野手とは、背番号1の国崎(=下写真)だ。打線ではほぼ不動の三番、守ってはバッテリーを救うライトゴロを何度も決めてきた。この選手も間違いなく、前途の有望なタレントである。
国崎は3回の適時失策以降も、イニング前にはライトゴロの練習もしていた(下)
「ケーロン打法」不発
小学生は骨格だけではなく、人格も形成の途上にあってナイーヴ。それゆえ、失点に絡むミスについては、固有名詞をさらさないのが筆者の流儀。だが、国崎はワンミスで塞ぎ込むような質ではない。現に適時失策後、自らのバットで打点を挙げている。そういう前のめりや勝ち気への賛同と、さらなる飛躍に期待を込めて、名前にも触れさせてもらった。
同様の意味でもう一人、挙げたい名前がある。四番を張る大島健士郎だ(=下写真)。昨秋の関東大会1回戦では、逆転サヨナラ打(リポート➡こちら)を放つなど決定的な仕事をしてきている看板打者だ。
身体は大きいほうだが、声質はまだ高い。自ずと人を笑わせるシニカルなトークの一方で、野球をよく知っていて対戦相手の傾向や注意点も細かに把握しては、仲間へ伝える役割も率先して果たしている。
春先からはアーロン・ジャッジ(ヤンキース)に倣ったという、新たな構え「ケーロン打法」(本人命名)に。従来は構えた時点から、ほぼトップの形にあったが、新打法はリラックスした状態からトップに移行する。それで快音を発してきたことは、指揮官の試合後の談話の一部からもうかがえた。
「四番がね、普段はもっと打っていたんですけどね…」
この試合でも両軍通じての初ヒットは、大島のバットから生まれていた。初回に逆方向へときれいに流し打っている(=下写真)。
しかし、第2打席は打球の強さも災いして、内野ゴロ併殺打。さらに5回表、7回表と、勝ち越しの好機に凡退してしまう。結果として、空振り三振(=上写真)で敗軍の最後の打者となったのが大島だった。
その三振を奪ったのは、1回戦で113㎞をマークしていたレッドの超大型右腕、田代航志郎(=下写真)。先発して4回1失点(自責点0)のエースを、特別延長の一死二、三塁で再登板させた坂路友一監督は、こう振り返っている。
「旗の台は友好チームで、間違いなく強いのはわかっていました。3点リードしたときにも、このままじゃ絶対に終わらないなと思ってましたし。田代の球数がちょっと残ってたので、最後は覚悟を決めてサドン(特別延長)で託しました」
敗軍の将は、その相手エースに脱帽した。
「ウチが打てなかったというより、向こうのピッチャーを褒めるしかない。外角の低めにベッタベタにきてましたからね。ベンチの横から見ていても分かるくらいに。攻略するためにウチも対策は練っていたんですけど、ダメでした。負けましたね」(酒井監督)
指揮官も言葉を失い…
さて、最後の打者となった大島だ。敗退後にフィールドを出ると、突っ伏して声を挙げて泣くばかり。いつものトークが聞かれる状態にあるはずもなかった。ほろ苦いこの経験も彼の成長を後押しし、人格もさらにプラスへと導いてくれることだろう。
「いやぁ、こんなに早くに…この状況(初戦敗退)は考えてなかったので、言葉が出てこない。試合の中身の話もいっぱいしたかったですね」
還暦を超えている酒井監督ですら、第一声はそれだった。しばらく考えた指揮官は、このように続けた。
「まず、子どもたちを褒めてやりたいですね。これだけのメンツがそろっているのに、勝てなかったのは監督、コーチの責任。豊田が先発を外れている中でも、よくやったと思います。落ち込むとは思うけど、次…次、どう切り替えるのか、たいへんですけど切り替えてやるしかないですね。寂しいです」
大島に限らず、フィールドを出た6年生はほとんどが号泣か、一点を茫然と見つめるか。起死回生の2ランを放った柳なら、前向きなコメントが聞けるかもしれない。しかし、その背番号15の姿が見当たらない。一団を見守る大人に尋ねてみると――。
「柳ですか、あれ、どこかな? ああ、学校の運動会に行きました」
ヒーローになり損ねた彼は、仲間たちより一足早く、明るさを取り戻したことだろう。筆者は次の試合の取材へ入り、彼らのその後の声を拾えなかった。だが、1時間もしたあたりだろうか、球場に隣接する土手のあたりを、笑いながら駆け回る姿を遠目に見ることができた。
旗の台はこの7月下旬、和歌山県で開催される高野山旗に東京代表として出場する。