全日本学童大会マクドナルド・トーナメント東京予選の「3位決定戦」――。2009年から昨年までであれば、ラスト1枚の全国切符をかけた戦いだった。だが、全国大会の東京固定開催は昨年で終了し、「開催地代表」枠は今年は新潟へ移り、東京の全国出場は2枠に。要するに、東京3位を決する一戦は、全国大会とは無縁となった。それでも十分に、見応えのあるゲームが展開された。9月のGasOneカップという上部大会の出場権も懸かっていたが、1週間前の準決勝で涙したばかりの両軍、その対決から読み取れたのは、ブライドや向上心。やはり彼らも“敗れざる者たち”だった。まずはレッドサンズ(文京区)のストーリーをお届けしよう。
(写真&文=大久保克哉)
※記録は編集部、本塁打はすべてランニング
■3位決定戦
◇6月14日 ◇府中市民球場
▽第1試合
船橋フェニックス(世田谷)
00220=3
00010=1
レッドサンズ(文京)
【船】前西、佐藤-佐藤、高橋
【レ】田代、久保、門田、田代、門田、久保-中澤
本塁打/田代(レ)
二塁打/柴原2(船)、久保(レ)
【評】開始から押し気味に試合を進めたのは、船橋フェニックスだった。1回表は二番・柴原蓮翔の二塁打から四球、佐々木暦望の左前打で一死満塁に。続く2回は四球と敵失で無死三塁と、先制のチャンスをつくった。
レッドサンズの先発・田代航志郎は、開幕カードの113㎞を上回る115㎞をマーク(=上写真)。ただし、速球一本槍ではなく、遅球も交えた投球で、船橋打線にあと1本を許さない。初回の守りでは、遊撃の久保俊太が機敏なゴロ処理で本塁封殺。2回には田代がけん制で三走を挟殺した。こうなると、守り切ったほうに流れは傾くものだが、船橋のエース右腕が大きく立ちはだかった。
船橋の先発・前西凌太朗(=上写真)は、3回途中4失点だった準決勝とは別人のように、落ち着き払っていた。100㎞手前の速球をコーナーに集め、クリーンヒットと連打を許さない。4回にはレッドの四番・田代に、左中間を破られてソロホームラン(=下写真)となったが、安定感は変わらなかった。
船橋打線は奮投するエースを中盤戦から援護。まずは3回表、四球と柴原の二塁打(=上写真)で無死二、三塁とし、三番・中司彗太の二ゴロ(=下写真)でついに均衡を破る。さらにバッテリーミスで加点し、2対0とした。レッドはこの回から細かな継投に入るが、船橋の攻撃は執拗だった。
4回表、連続四球と犠打で一死二、三塁とした船橋は、九番・長野隼也のスクイズと、一番・佐藤優一郎主将の中前タイムリー(=上写真)で4対1とした。レッドは続く5回の守りで犠打を封じ、一死満塁から6-2-3の併殺(=下写真)で裏の攻撃へ。
船橋は1週間前の準々決勝で好投していた佐藤主将が、5回からマウンドへ。先頭のレッド・久保にテキサス安打(二塁打)を許したものの、続く3者を連続斬りでタイムアップに。最後の打者は、本塁打を放っていた田代だったが、申告敬遠をせずにレフトライナーに打ち取っている。
■敗れざる者たち❸
レッドサンズ
[文京区]
第4位
【戦いの軌跡】
1回戦〇3対1カバラホークス
2回戦〇5対4旗の台クラブ
3回戦〇13対2鷺宮スタージョーズ
準々決〇7対0昭島クラブ
準決勝●5対9越中島ブレーブス
3位決●1対4船橋フェニックス
近年の関東勢の躍進は、このチームが全国区の強豪へと昇華するところから始まった、と見ることもできる。1975年から文京区で活動して満50年となる、レッドサンズだ。
「小学生の甲子園」こと全日本学童大会には2010年に初出場(16強)。そして2019年からは3大会連続で出場しており、2023年には東京勢の最高成績タイとなる、銅メダルに輝いている(リポート➡こちら)。
2023年8月10日、大田スタジアムでの全国大会準決勝後の3位表彰式。坂路監督は当時29番でコーチを務めていた(写真下中央)
名門が“台風の目”に
今年の6年生の代は、2年前のジュニアマック(4年生以下の都大会)で準V。昨秋の新人戦は都3回戦で敗退も、都合5回目の全国出場を決めても何ら不思議はなかった。
そういうチームに“台風の目”という表現は抵抗もあるが、今年の東京は例年にも増して群雄が割拠。次々と台頭するチームやタレントがあるなかで、いささかの埋もれた感は否めなかった。現に今年の1月初旬、連休中の大交流大会で、坂路友一監督はこのように話していた。
「ウチはまだまだ課題が多い。何とかそこ(5月開幕の全国最終予選)に間に合うように、いろいろとやっているところです」
確かに大交流大会では、同じ全国区でも多賀少年野球クラブ(滋賀)や不動パイレーツ(東京)などに比べると、仕上がりの遅れは明らか。個々を試している段階にも見えた。
その一方で、試合の合間には空きグラウンドで練習に精を出していた。大人の頭数と用具類もフル活用した効率的なメニューに、意欲的にトライする選手たちの明るさも印象的だった。指揮官は当時からの苦悩をこう回想する。
「途中から入ってきた選手も順応して、守りは固まっていきましたけど、攻撃がずっと課題でしたね。特にバットで苦労しました。去年からトップチームで主力だった子が多いんですけど、新年から『大人用レガシー(一般用の複合型バット)』が使えないルールになって、調子を崩す子が何人も。長打も目に見えて減ったので、確実に点を取りにいく野球に変えてきたんです」
橋爪武男代表(写真㊤前列右から2番目)以下、半世紀の伝統も守るスタッフ陣。「今年はお父さんお母さんたちも非常に協力的です」と坂路監督(下)
4月5日、全国予選の第一歩となる文京区予選の決勝は、菊坂ファイヤーズに1対0の辛勝。指導陣も選手も保護者も、大いに肝を冷やしたという。
坂路監督は息子が卒団後、指導者としてチームに残った。2019年から4年生チームのコーチとなり、3年目の21年に背番号28で全国舞台を経験。翌22年は5年生チームのコーチとなり、翌年は門田憲治監督(現Bチーム監督)の右腕となって全国4強入り。そして3巡目となる現6年生チームで昨年から指揮官となり、2年計画で全国出場を目指してきた。
「息子がチームにいないほうが、楽しくできますね。息子がいれば必然的に、あれこれ気にしないといけないことも多いので」(同監督)
立て続けの“大物食い”
迎えた全国最終予選。各地域の代表と新人戦王者の62チームによるトーナメントは、5月の大型連休後に始まった。結果として、トーナメントの左半分を序盤から盛り上げたのは、レッドサンズだった。“台風の目”のごとく、話題をさらっていった。
開会式に続く開幕カードの1回戦では、カバラホークス(足立区)に逆転勝ち。この一戦は、2年前のジュニアマック決勝と同一カードでもあり、期待と注目にも応える熱戦だった(リポート➡こちら)。
続く2回戦は、新人戦王者の旗の台クラブ(品川区)と大接戦を演じた末に、タイブレークでサヨナラ勝ち(リポート➡こちら)。3回に4対1と一気に逆転し、勝利まで残り2アウトから同点とされてしまう。それでも勝ち越しは許さず、特別延長の7回裏に押し出しで勝利した。
「大物食い」と書いたら失礼かもしれないが、直近の実績からすれば上の相手を連破。その戦いで際立ったのは、細やかな継投と粘り強い守備。そして何より、バントを駆使した手堅い攻撃だった。
一番・遊撃の久保はマウンドでも躍動(上)。2回戦は特別延長の7回裏、二番・山下礼葵のバント安打(下)で満塁としてから押し出しで勝利
三番の井口凱斐は、カバラ戦は全3打席でバントした。初回のスクイズは失敗(本塁憤死)したものの、2打席目は一走を送り、3打席目はスクイズを決めて3対1と、貴重な1点をもぎ取った。そして旗の台戦では、3回に逆転を招く右前打を放ち、延長7回裏には押し出しの四球を選んで一塁へ。試合後はまだ興奮の面持ちで、「大物食い」の要因をこう語っていた。
「長打を打とうとするんじゃなくて、次にしっかりと回す。単打でどんどん点を取っていく。そういうのを全員でやれているところが良かったと思います」
それこそ、坂路監督が新たに掲げてきた野球に違いなかった。投打に遊撃守備でも活躍が光った久保俊太は、新人戦王者を倒した後に、こう戒めていた。
「今日ここで勝ったからって、まだまだ次に戦う相手がいるし、油断しないで全国出場を決めたいです」
低学年時からチームを引っ張ってきた、門田亮介主将もマウンドへ
快進撃は続いて、順当にベスト4入り。2年ぶりの全国出場を予言する声も増えていた。ところが、その一枚の切符を懸けた準決勝で、越中島ブレーブス(江東区)に足をすくわれてしまう。筆者は同時進行していた別会場で取材しており、この一戦は見ていない。
坂路監督によると、大黒柱のエース・田代航志郎は、同日の準々決勝は初回のみの登板。十分に球数を残して(※投手は1日70球まで)の準決勝だった。しかし、制球が安定する前に、相手打線にうまく打たれて序盤で失点。結局、失った流れを最後まで取り戻せなかったという。
「振り返ってみると、1回戦、2回戦で5、6試合やったような疲労感はありましたね。ダブルの2試合目だった準決勝は、コンディションをもっていく難しさも。あとはやっぱり、全国まで1勝というプレッシャーだったり、全体としては経験が浅い分、波がある面も出てしまったかなと…」(同監督)
夢、はかなく消えようとも
2年ぶり5回目の全国出場――。この大目標が消えて迎えた3位決定戦。相手は昨秋の新人戦3回戦で、5対9と敗れていた船橋フェニックス(世田谷区)だった。
レッドはこの一戦も落とし、リベンジもならず。それでも最後まで、勝利への執念がうかがえる戦いぶりだった。3投手でどんどん回した継投があり、大ピンチが続いた序盤を堅守で切り抜けた。
エース右腕の田代は、1回戦を上回る最速115㎞を投じ、打っては左中間へ豪快なソロホームラン(=上写真)。3回の守り、暴投で2点目(三走生還)を献上した際には、左翼手の井口が三塁後方までバックアックに動いていた。
その井口が、直後の攻撃で二死一、二塁から、バスター打法で右翼線へ惜しいファウル。4回裏、二死満塁では代打・馬場弘哉が初球を狙い打ち、あわや同点打という当たりを外野へ飛ばした。
3回は井口(上)が、4回は代打の馬場(下)が、ヒット性の打球を飛ばした
指揮官は「空元気」と自嘲気味に何度か口にしたが、夢が断たれたチームは崩壊するどころか、さらなる進化を遂げんとしていた。両軍を通じて、緩慢なプレーも凡ミスもなし。名門の矜持がそこに横たわっていた。
「ピッチャー陣はちょっと思うようなピッチングはできなかったけど、先週の反省から全員で何とか踏ん張れたので、今後に生きる試合だったと思います。まだまだこれからも成長するチームだと思っています」(坂路監督)
4位チームには、表彰も集合写真の撮影もなかった。しかし、思い出以上の尊いものを、彼らは手にしたことだろう。学童王座決定戦、東京23区大会と、進化を確認する舞台もまだ残されている。