岡山県の里庄町少年野球クラブが実践するノーサイン野球と、その母体となる小野正太郎監督の日本一の声掛け。実戦2試合分のリアルな音声に、指揮官の前後編インタビューを収めた計4本の動画で、その全容と成り立ちは概ね、ご理解いただけることだろう。勝負は時の運でもあり、現6年生たちが目指す「3年連続5回目の全国出場」が叶う保証はどこにもない。だが、「人にモノを伝える」ことにおいて著しく長けた指揮官がそこにいて、尖らぬ人柄に学びと寄り添う姿勢を失わない限り、チームが廃れることはまずあるまい。むしろ、これからの学童球界を自ずとリードしていくのかもしれない。人口1万人強。瀬戸内海に面した小さな町からは毎年、野球を通じて豊かに育った小学生が一定数は中学生となり、大人への階段を上っていく。その少なからずが、いずれどこかで恩を返してくれることだろう。野球や町やチームや指揮官へと――。
(動画&写真&文=大久保克哉)
学童野球最前線。日本一の声掛けで具現するノーサイン野球
Series lineup
【日本一の学童コーチングとノーサイン野球】
動画=全4本計81min
①監督インタビュー前編『声掛けの意図』➡こちら
②監督インタビュー後編『今日への道程』➡こちら
③実録公開!日本一の声掛け❶➡こちら
④実録公開!日本一の声掛け❷➡こちら※New
選手に強く結果を求めることが「厳しさ」であり、結果が出なくても笑って受け流すのが「楽しさ」である――。学生野球の現場では現在も、こういう短絡的な認識や観念が大半を支配していると思われる。
里庄町少年野球クラブの小野正太郎監督の言動は、間接的にそこに大きな風穴を開けている。野球の楽しさや学童野球の享楽とは、まさしくこれ! というものを暗に提示してくれている。
グラウンドで初めて試合を見たときから、筆者が切に感じたのは、そういうものだった。この内容をかみ砕いて、野球界にも広く伝えたい。いや、伝えなくては! そんな使命感すら勝手にわいてくるほどの新鮮味と独創性に親しみやすさがあり、感心や納得や驚きがいちいちついて回ってきた。
子どもたちの瑞々しい笑顔や真剣な眼差しや、意欲と意思に満ちた姿やプレー。これらは、トータルで80分超となったシリーズの動画でも髄所にうかがえるはずだが、大人の強制によるものでは決してない。あくまでも結果として、自然に導かれている。
野球というスポーツや勝負を通じて、そういう世界を創り上げるのは、全国制覇にも匹敵する尊さと至難さであるだろう。指導の方法と正解は無数にあるとはいえ、学童野球の現場でこれほど先進的な模範例は“激レア”だ。筆者の取材歴15年超を辿ってみても、顔が浮かぶのは他に1人、2人いるかいないか、といったところでしかない。
「やっぱり、最後はみんなハッピーになってもらいたいので」
こう語る小野監督の指導育成メソッドの重要なファクターは、選手個々に応じた声掛けだった。指揮官はそれを可能とするために、個々の特性や経過と現状の把握に務める姿が常にあった。
「コレ! という言葉はハッキリ言ってないです。その子にしか伝わらない言葉というのもいっぱいありますし。選手は一人ひとり違うし、必要な言葉もタイミングも違うと思うし、声掛けに関してはゴールはないかなと思っています」(同監督)
チームとして全国大会は4回出場。小野監督となって初めての出場が2023年(下)
受け売りの言葉でなく
誰かの受け売りのようなフレーズがまったく聞かれないのも、小野監督ならでは。監督3年目に、県外の名将が率いるチームとの合同練習を通じて、人に伝えることの難しさと己の未熟さを「衝撃的」なほど痛感。これを機に言葉を求めて、不慣れだった読書に自ら勤しむように。
「衝撃」から6年目となる今日、語彙は確実に増えたというが、グラウンドで子どもたちに発している言葉は、難解でも崇高でもない。誰でも聞き覚えのある単語が使われ、小学生が十分に理解できるようにコンパクトにまとめられている。
小野監督が読んだ本は、取材時に持参いただいた分だけでも段ボール3箱分。「野球マンガの『ラストイニング』も相当に勉強になりました」
試合中の声掛けは、特に簡潔だ。それも状況と合わせて聞いていると、複数の意図や効果が詰まった「スペシャル単語」も少なくないことに気付かされる。目的も方法も明快な一語。これをひねり出すまでに、どれだけ考えて練られただろう、と思わずにはいられなくなる。
たとえば序盤の守備では「予測の一歩な!」と、全体へ確認する声が何度か聞かれた。
フィールドで守る選手が、打球に対して予測の一歩を踏み出すためには、アウトカウントや打順や走者の有無など、状況を頭に入れる必要がまずある。次いで、打者の体格やスイングの強弱、捕手のミットの位置なども判断材料に。さらに試合が進めば、ファウルの方向や前打席の内容なども加味しながら、野手7人は自ずと立ち位置を変えていくことになる。
要するに、よくありがちな「集中!」「準備!」「考えろ!」「一歩目!」「反応!」などの指示命令の目的を網羅しつつ、具体的に行動を促せる一語が「予測の一歩な!」なのだ。投球ごとのこの繰り返しが結果、ファインプレーも呼んでいく。
多くの選手が複数のポジションを守る。スーパープレーもある正捕手の田中夢大(上)と、遊撃手の杉琉希斗(下)はほぼ固定のようだ
もちろん、立ち位置や一歩目の逆をつかれる打球もある。取材した試合中もそれによる内野安打があったが、直後に小野監督はベンチの下級生たちへこう話していた。
「今みたいに逆をつかれてもええけ、どんどん試しや! 自分で考えて動いたんやったら、失敗してもぜんぜん構わんけ」
複数の走者を負ったピンチの場面では、指揮官は「欲張りや!」と内野陣へ発していた。そして併殺を奪い、ベンチに戻ってきた6年生たちに向けては、このように話していた。
「今みたいに欲張りや! 1個のアウトを取った、良かった、で終わらんように。取れるアウトはどんどん取らな! そういうふうに欲張っていかんと、上のレベルには上がって行けれんけんね」
ピンチにおいては、各選手が可能な限りの連続アウトを頭の中でシミュレーションする。そのためには、自ずと次の展開を予想し、自分の役割や動きを考える。それを仲間に伝えたり、仲間にも準備を促したりする。
結果、「バッチコーイ!」と大連呼をしなくても、必要以上に緊張することがない。ベンチの大人たちも「声を出せ!」とか「リラックス!」とか「気持ちで負けるな!」とか「笑え!」とか、方法や目的があいまいな言葉を吐かずに済む。
取材した試合では実際、次の次までを想定しただろう連動がふつうに見られた。外野手のタイムリーエラーからの中継プレーで、打者走者を二塁でアウトにするというビッグプレーも。
また、試合中の声掛けで特異なのは、プレーの真っ最中にある選手に対しては、何も発していないこと。顕著にそれがうかがえるのは、挟殺プレーのときだ。
塁間に走者が挟まれると、攻守双方のベンチから「行け!」「戻れ!」「止まれ!」「投げろ!」「追え!」…と大人たちの大声が飛び交うのが学童野球。動画にある小野監督の声はマイクで拾っているのでよく聞こえるが、実際は呟き程度のボリュームでしかない。その内容も「チャレンジ!」「狙い!」「次!」など、後押しする単語であり、プレーそのものを厳命するものではない。
今まさにプレーしている最中にまで、指示されないと動けないような従順は、里庄ではまったく求められていないのだ。むしろ、選手たちはその対極にいられるように育てられている。
「ウチでは練習試合が総合練習なんです。結果を出すのは全国大会とその予選だけでいい。それまでは、どんどん自分で考えながらチャレンジして、失敗して覚えていけばいいと、子どもらには言っています」(小野監督)
およそすべての声掛けが、命令や指示や現象の指摘ではない。多くは事前の提案と事後の確認、それに共感や同調だ(動画参照)。伝えるタイミングや言葉も含めて、現実的で理に叶っている。言われた子どもの頭に、疑問符が浮かぶような光景にはまず出会わない。
そんな指揮官とやる野球だから、選手たちは自ずと考えたり、意欲的になる。加えて、とても明るい。そうしたことが日常になると、描く未来も必然的にプラスのほうを指すものなのかもしれない。
竹田日向汰主将(6年)は「背番号10で、県大会とか全国大会で優勝したらカッコいいなと思って」立候補でキャプテンになったという。そんな前向きな主将は、監督やチームについてはこう語っている。
「監督は怒るとめっちゃ怖いけど、打てなかったり、守備でエラーしたりすると逆に優しく教えてくれます。どんなことで叱られる? 試合中に何も考えてないとき。自分たちは、ランナーが出たら1点を取る戦術とか方法が分かっているので、取れる確率も高いのが良いところ。でも、自分でそのやり方を考えていなかったりする選手は怒られます」
選手主体の土壌で成熟
選りすぐりの言葉を適切なタイミングで使いこなす賢さと慈愛をもって、指揮官は選手たちとコミュニケーションを取っている。そういう土壌だからこそ、ノーサイン野球も実現した。またそれがチームに根付いてきたことで、全国大会2年連続出場など、安定した成績にもつながっているのだろう。
指導者のサインや指示ではなく、選手たちが判断や選択や伝達や相談をしながら試合を運ぶのが、ノーサイン野球。その元祖は多賀少年野球クラブ(滋賀)で、パイオニアは辻正人監督(=下写真右)だ。
かつてないその画期的な野球で、全国スポーツ少年団交流大会を初制覇したのが2016年のこと。もう9年も前になる。そして多賀は、夏のもうひとつのメジャーな全国大会、全日本学童大会マクドナルド・トーナメントで2018年から2連覇を達成。これで辻監督の知名度も一気に上がり、ノーサイン野球も全国へと広がり始めた。
一方の里庄は、創立5年目の1996年に全日本学童に初出場(16強)。2009年に2度目の出場を果たし、このときは初戦の2回戦で敗れている。
実は全国2大大会のデビューは、多賀(2001年)よりも早かった。しかし、これは前監督の時代の話。大学までプレーした経験のある、小野監督の就任は2017年。その前年には保護者として、遠征に来ていた多賀のノーサイン野球を目の当たりにしたという。
「雑誌で連載している辻さんだぁ、と見ているだけでした」(小野監督)
面識をもつようになるのは3年後のことになるが、小野監督もそこから「ノーサイン野球」を志して花を咲かせることに。
両監督は現在も交流しているが、小野監督の成功の一因は独自性だろう。先に述べてきたような声掛けは、どれも小野監督のオリジナル。サインを出す・出さないではなく、子どもに主体性を持たせることに成功していたからこそ、ノーサイン野球の浸透も早かったのではないだろうか。
賢さに加えて人間性
メガネの藤原俊文コーチ(背番号29)は、試合の成り行きや選手たちのプレーはもちろん、指揮官の前後の助言から事後のフォローまで、傍らで静かに見聞きしている(動作参照)。その上で、タイミングを見計らないながら選手個人へ指導をしていた。
「ボクはコーチなので、小野監督のサポートを一番に考えています。その中でも、技術的な部分に特化したコーチを目指しています。自分は心の教育的なことはあまり上手ではないし、喋るのも得意ではないので」
ノックの腕前もピカイチの藤原コーチ。「息子と卒団せずにチームに残ったのは、指導者として悔いが残っていたことと小野監督がいるからです」
藤原コーチは、指揮官の変わりゆく様も間近で見てきた一人。全国準Vの実績もある兵庫県の小野東スポーツ少年団との合同練習で、小野監督が名将・園田達也監督の指導に「衝撃を受けた」のが2019年。当時はまだ、藤原コーチは選手の保護者だった。
「あのころの小野監督は『昭和の指導』で、ガンガン怒ってましたね。試合に負けると『子どもたちのせいや!』という話も実際にされていました。それが『オレ(監督)のせいや!』という声掛けに変わり始めてから、子どもたちの顔つきも変わりましたし、笑顔も少しずつ見られるように」
そう振り返る藤原コーチに、もう一歩踏み込んで聞いてみた。大学までプレーした野球エリートである小野監督が、40歳も過ぎてから、こんなにも劇的に変われた要因はどこにあるのか。すると、迷わずに答えが返ってきた。
「人柄というか、人間性だと思います。変わる前の小野監督は、逆に無理をして監督像をつくりあげているなというイメージでした。それが素に戻っただけで、今のほうが自然だと思います。子どもも野球もホントに好きなんだというのは、当初から近くにいて感じています」
これを伝え聞いた小野監督はほんの一瞬、目からこぼれるものを左手で拭ってから言った。
「ボクは人から言われるのが評価だと思っているので、自分で自身を評価するのは良くないかなと思っています。学童野球の監督を今後もやれる限り? というよりは、こういう楽しい思いはずっとしていきたいと思います」
素に戻っても楽しい。これこそ本物の証し、学童指導者のあるべき理想のひとつではないだろうか。
【野球レベル】全国大会出場クラス
【活動日】土日・祝祭日=全学年8時30分~12時30分(※練習試合は午後4時間になる場合あり)、未就学児=90分(※開始時間は季節と天候による)/水曜=全学年18時30分~20時30分
【規模】学年10人、全体60人
【組織構成】レギュラー=5・6年生/ジュニア=3・4年生/ルーキー=1・2年生と初心者/幼児/専門の指導者4人/保護者会/事務局
【創立】1992(平成4)年
【活動拠点】岡山県里庄町
【役員】代表兼監督=小野正太郎/コーチ=佐藤芳紀、藤原俊文、長安皓也/相談役=金森哲也、佐藤宏良/事務局=伊藤芳充/保護者会長=竹田翔太
【選手構成】合計44人/6年生9人/5年生7人/4年生7人/3年生4人/2年生8人/1年生3人/未就学6人
※2025年4月25日現在