エネルギッシュで熱い指揮官だが、ビハインドの展開や窮地では特に、ベンチに鎮座していることが多い。それでも選手に伝えるべきは、しかるべき言葉とトーンで確実に。そういう“不動心”が顕著となってきた今春から、チームは伝統とも言える“ミラクル”を演じ始めた。2019年に東京勢の永年の壁だった「全国8強」を打ち破り、さらに2023年には銀色のメダルに輝いた。今夏、また新たな歴史を築くとすれば、ゴールは一つしかない。『破壊王』の異名もとった、故人の名言が浮かんでくる。時は来た、それだけだ!!――。
(写真&文=大久保克哉)
※都知事杯決勝のリポートも近日、掲載します
人心も試合も動かす30番。新潟の夏空でも舞わんと“ミラクル”発動
ふどう
不動パイレーツ
[目黒区/1976年創立]
3年連続6回目
初出場=2016年
最高成績=準優勝/2023年
【全国スポ少交流】
出場=なし
【都大会の軌跡】
2回戦〇4対1東村山3RISEベースボールクラブ
3回戦〇9対0小作台少年野球クラブ
準々決〇6対2国立ヤングスワローズ※リポート➡こちら
準決勝〇7対3船橋フェニックス※リポート➡こちら
決 勝〇14対5越中島ブレーブス※リポート➡こちら
ボールボーイも颯爽と
背番号30がファウルボールを拾いに走る――。
それも1度ならず、3球連続でも即座に平然と。しかもその試合は、東京都軟式野球連盟主催の伝統の大会、都知事杯の決勝という舞台であった。
驚いたり、感心した観戦者も少なからずいたことだろう。その激レアなシーンこそは、今年の不動パイレーツの成長の要因を物語ってもいた。ベンチの大人たちの変化によって、子どもたちが活躍しやすい土壌が生まれ、やがて“ミラクル”を巻き起こすまでのチームへと昇華してきたのだ。
実は都知事杯の決勝と同日の同時間帯に、彼らは別の大会もあり、登録メンバーの6年生14人のうち5人と、5年生1人がそちらの試合へ。全国予選に続く「東京二冠」がかかった一戦は、ギリギリの10人で臨んでいた(=上写真)。
スタメンは前月の全国予選決勝とほぼ同じながら、指名打者の上田廉は5年生チームの主将でもあることから、別会場の大会へ。右サイドハンドから100㎞超の速球も動じる木戸恵悟が、打線の九番に入った。
都知事杯決勝。唯一ベンチスタートの背番号11・岡田は、左翼手の北條とのキャッチボール相手を務め(上)、最終6回に登板した(下)
ベンチに控える1人、岡田大耀は勝ちゲームを締めることが多い、右の本格派だ。真夏の炎天下でボールボーイなど裏方役を丸投げして、いたずらに消耗させるのは得策ではない。
となれば、コーチが裏方を兼務するのが道理と思われるが、不動のベンチは違った。攻撃時は別として、陣取る三塁側方面のファウルボールを拾いに走っては、球審へ手渡していたのが田中和彦監督だった(=下写真)。
神奈川県の強豪私学高出身の田中監督は、30代とあって動きは軽快そのもの。だが、ボール係を務めた理由は「若さ」ではない。この一戦を制して2冠を決めた後、このように語っている。
「任せられる2人のコーチがいるっていうのは、かなり大きいかなと思っています。(指導陣)3人の連携というのが、全国予選のときからかなりうまく取れています」
そうなのだ。ベンチの田中監督と、29番の茂庭郁也コーチ、28番の竹中久貴コーチには、それぞれ役割がある。互いを補い合いながら試合を運ぶのも特長で、1人が少し持ち場を離れたくらいでは何らグラつかない。
向かって左から、茂庭コーチ、田中監督、竹中コーチ
イレギュラーな形となった都知事杯の決勝は、コーチの2人が守備のフォーメーションや位置取りなどをケアしつつ、ブルペン捕手も務めていた。また攻撃中は、打ち終わりの選手がベースコーチに入り、続いてバット引きを行うなど、選手10人も円滑に機能。こうして難なく急場もしのげるチームだからこそ、全国最多の1047チームが加盟する東京都で2つのタイトルを手にすることもできたのだろう。
そもそもの発端。ベンチの大人たちに変化があったのは、2025年に入ってから。秋の新人戦での都大会1回戦敗退を受けて、深井利彦代表ら組織の首脳も交えての話し合いがきっかけだったという。
以下、4月の東日本交流大会中に聞いた田中監督の弁。
「目標の全国に向けて、やっぱりベンチワークから見直そうということで。監督が全部を1人でやってしまうとか、コーチ陣は選手個々よりも試合の経過をただ追ってしまうとか、反省点も多かったので。徹底的に意見を出し合いながら、誰が何をどうするというところを決めて、実際にやりながら擦り合わせる。そこに一番、時間を使ったんじゃないかなと思います」
結果、田中監督は戦況を追いながらの采配に専念し、両コーチは各選手をケアしながら準備を整えるように。ちなみに背番号のある指導陣3人は、いずれも6年生の父親だ。言いにくいこともあっただろうに、大目標へ向けて妥協をしなかったことが好循環を招いたと思われる。
春から“覚醒”する流れ
不動は学年単位の活動をベースとしており、父親監督が選手たちと一緒に繰り上がっていくシステムだ。従って、6年生主体のトップチームは毎年、指導陣も選手も顔ぶれが一変する。
それでも、チーム愛やプライドに正否の体験のフィードバック。あとは地域性もあるのかもしれない。どの年も、品格と賢さが暗にうかがえる。また展開する野球は、どんどん洗練されてきている。
のっけから全勝ロードを突き進むような圧倒的な強さはない半面、登るべき山をよく心得ている。1年に1度しかない全国大会とその予選に、ピークを持ってくることに長けているのも伝統だろう。
今年のトップチームもその流れにある。1年前の全国4強をグランドレベルで体験した選手は、主将の田中璃空しかいない。にもかかわらず、前年同様に春休み中の東日本交流大会から“覚醒”が始まった。
2回戦では豊上ジュニアーズ(千葉)に大逆転勝ち(リポート➡こちら)。
0対5と敗色が増して迎えた5回裏、六番・山田理聖が中越えアーチを放った(=下写真)。チームNo.1の飛距離を誇るという山田の久しぶりの一発で、空気が変わった。それも「三振OK! 狙い球が来たら、ボール球でもいいから振り抜け!」という、指揮官の声に促されてのものだった。
安心を担保しつつ、やるべきことを明確にした指示。これに七番・北條佑樹と、途中出場の八番・間壁悠翔(5年)も呼応した。連打で2点目を返すと、最終6回裏には北条が同点二塁打(=上写真)、間壁が逆方向へサヨナラ打を放ってみせた。
振り返れば、ドラマチックな勝利をしたこの1日が契機だった。
目覚めたロングヒッターの山田は、正捕手として圧巻のスローイングも披露するようになり、北條は「恐怖の七番打者」へ。そして5年生の間壁はレギュラーに食い込み、やがて四番も張ることになる。
茂庭(上)と田中主将(下)の二遊間。堅実性と守備範囲は全国でもトップクラスだろう
また同日1試合目の2回戦では、故障明けの岡田が先発で復帰登板を果たし、投手陣の質も引き上げていくことに。茂庭大地と田中璃空主将の二遊間に、中堅手の竹中崇のセンターラインは要所で存在感を示し、全体をリードしながら“ミラクル”の源流となっていった。
翌日の準決勝でも、全国区の平戸イーグルス(神奈川)との激戦に勝利。続く決勝は、新人戦関東王者の旗の台クラブ(東京・品川区)に敗れている。けれども、土日2日間での4試合、ハイレベルな相手との気の置けない激闘によって、果てしなく大きなものを得ていたようだった。
嘆き節で終わらない
6月7日、全国最終予選の都大会4日目は、準々決勝と準決勝のダブルヘッダーが組まれていた。ここを勝ち抜いた2チームが、夏の全国切符を手にする。
不動はまず準々決勝で“ミラクル”を発動した。国立ヤングスワローズ(国立市)に1点リードされたまま、最終6回の攻撃も1アウトで走者なし。でも、ここで三番・竹中が同点ホームランを放つと、四番・間壁が勝ち越しのホームランで続き、これが決勝打に。その攻撃中に泣いている選手もいたが、バーンアウトすることはなかった。
全国予選の準々決勝、竹中が6回一死から同点ソロ(上)。続く間壁は「うれしくて涙が出ましたけど、思い切り打てました」と勝ち越しソロ(下)
続く準決勝は、前年の決勝で敗れていた船橋フェニックス(世田谷区)に完勝。周到な対策と準備を実らせたことは既報の通りだが、全国出場への足掛かりは東日本交流大会にあったと指揮官は話していた。
「何と言っても、ホントに東日本(交流大会)だと思っています。今日のこの緊張感の中で、2試合を集中して勝ち切れたのは、東日本の土日でやった4試合の経験があったから。特に最終日の反省をうまく生かせたからだと思います。ダブルの2試合目にどうやって入るか、気持ちの持っていき方が今日はうまくいきました」(田中監督)
右サイドの木戸(上)は球速も増して軟投派から脱皮。5年生の上田は全国予選から指名打者に定着(下)
東日本交流大会では、準決勝から決勝までのインターバルが30分程度だった。そして決勝を落とした後の指揮官は「集中のスタミナ切れ」を敗因に挙げていた。嘆き節や現象の指摘で終わらず、指導陣で善処を企てて次に生かせるあたり、これも不動ならでは。今年のチームならでは、だろう。
全国予選を終えてから始まった都知事杯では、やはり前年同様にオプションを増やしてきた。もちろん、8月の夢舞台での最多6連戦を見越してのことだ。並行する他大会や練習試合も通じて、6人の選手が実戦のマウンドで経験値を増したという。
都知事杯決勝の最後を締めた山田(上)は最速110㎞。開始前のノックでは竹中が三塁にも入った(下)
投手陣を厚くするだけでは、全国6連戦は勝ち抜けない。投手交代に伴う布陣変更で、途端に守備が綻んで自滅していくチームが毎年のようにある。不動にはそのあたりの経験則も引き継がれているのだろう。
都知事杯の決勝は先述のように10人での戦いとなったが、元々は捕手だった中堅手の竹中が終盤にマスクをかぶり、シートノックでは三塁守備にも入っていた。また正捕手の山田がマウンドに上がり、投球練習で110㎞(球場表示)のスピードボールを披露。この日は別会場にいた斉藤和馬は外野守備の経験が豊富で定評もあり、全国大会では貴重な役回りとなりそうだ。
寺田悠人は長打もある勝負強い二番打者(上)。三塁を守る市原稜のスローイングは変わらず安定している
想いを託せるチーム
全国予選で“ラッキーボーイ”となった竹中は、都知事杯決勝でも先制のランニング本塁打。2回裏のピンチでは、前進守備の遊撃の後方への小フライを好捕した。活躍は8月に入っても続いている。もはや、“ウイン(win)ボーイ”は語る。
「全国でも優勝して、監督を胴上げできるような素晴らしい大会にしたいと思います」
緻密な野球もほぼ完成の域。無走者から左越え三塁打を許した際には、一塁手の寺田も中継に入り、三塁手の市原がそのカバーに動いていた(都知事杯決勝)
都知事杯の決勝も2安打でMVPとなった田中主将は、大会の総括と全国への意気込みをこう語った。
「楽しい大会でした。高島エイト(板橋区)との準々決勝はリードされて苦しい展開でしたけど、気持ちはずっと負けていませんでした。あとはもう、全国制覇するだけ」
どちらかといえば、口下手でクールな背番号10。その父でもある田中監督は、能弁でハートが熱い。戦術にも精通しており、細やかな策が奏功する確率も上がっている。
昨年の鎌瀬慎吾監督もそうだったが、試合中にベンチを飛び出してのガッツポーズもままある。褒められたことではないのかもしれないが、対戦相手を侮辱する意図など微塵もないのは明らか。
「負けた相手が不動さんで良かった!」と自ら歩み寄り、田中監督と抱擁を交わしたのは全国予選の準々決勝で戦った国立の杉本敬司監督だった(=上写真)。このときに目を赤くした田中監督は、続く準決勝にも勝利して全国出場を決めると、1週間後の決勝までの間に、緩みそうな選手たちへこういう言葉を掛け続けてきたという。
「全国を決めたし、もういいよ、という気持ちじゃなくて、ここに来るまでに負けていった仲間たち、切磋琢磨してきたチームのためにも、オレたちは東京1位で全国に行かないといけない。この大会でも『負けた相手が不動で良かった』と言ってくれたチームもある。最後の相手にも、そう思ってもらえるような戦いをしないといけない」
間もなく迎える新潟での「小学生の甲子園」。ここでも東京2冠王を前に涙しつつも、想いを託して清々しく去っていくチームが1日ずつ増えていくのかもしれない。
【都大会登録メンバー】
※背番号、学年、名前
⑩6 田中璃空
⓪6 竹中 崇
①6 木戸恵悟
②6 山田理聖
③6 寺田悠人
④6 岡本穂隆
⑤6 市原 稜
⑥6 茂庭大地
⑦6 北条佑樹
⑧6 高浦 浬
⑨6 平尾 駿
⑪6 岡田大耀
⑫6 斉藤和馬
⑬6 中山大誠
⑭5 間壁悠翔
⑮5 上田 廉
⑰5 瀧 旺輔