創立41年目の今夏、35回目の全国出場を決めている。このとんでもない「オバケ記録」を更新し続ける理由は何か――。学童球界きってのレジェンドチームは、必ずしも最先端の育成指導法を追っていなかった。努力はやはり、ハンパないが、大人の独りよがりとも違う。残るべくして続く伝統と、変わるべくしての新たな取り組みとが、見事なまでに調和。この令和の時代とまた次の元号でも、まず途絶えることはないだろうものを40年でしかと遺してきていた。
(動画・写真・文=大久保克哉)
41年で35回目の全国出場。オバケ記録を更新し続ける“永遠の横綱”のレガシー
【参考ポイント】
▶組織で維持する「常勝」
▶低学年と高学年の区分と活動
▶伝統の継承と本質を見る目
▶子どもを上達させる手段
▶リズムトレーニングの目的
▶低学年生への個別アプローチ
⇩年中~3年生の練習『未来へ捧ぐ今』
⇩4~6年生の個を磨く平日練習『自ずと王道』
枯れぬ湯とともに
無色無臭で、肌にさわる感覚も取り立ててない。それでいて、源泉は60℃に迫るという湯は、体の深層までじっくりと確実に温めてくれる。
そんな地球の恵みを活用した、東日本最大級の温泉レジャー施設といえば「スパリゾートハワイアンズ」。福島県いわき市のいわき湯本温泉にあって、前身は1960年代開業の「常磐ハワイアンセンター」だ。
そして同温泉の旅館組合や青年会など、磐南地区の複数の団体が手を携えて、1984年に誕生させた域内初の学童野球チームが「常磐軟式野球スポーツ少年団」である。昭和の時代から、これほどコンスタントに実績を残し続けているチームはほかにない。
由緒のある夏の全国2大大会のひとつ、全日本学童軟式野球大会は今夏で2年連続23回目の出場となり、2010年には優勝している。その出場回数はぶっちぎりの最多記録で、2位は17回、3位は16回。もうひとつの全国スポーツ少年団軟式野球交流大会は、過去12回の出場で3回の優勝がある。
2020年は県予選制覇も、全国大会はコロナ禍で中止。5年ぶり22回目となった昨夏の全日本学童は、コロナ感染もあってベスト布陣で戦えず1回戦敗退
41年の歴史で4度の日本一。そして「35回目の全国出場」という、途方もないオバケ記録を更新し続ける。いわば、3元号をまたにかける「不滅の横綱」を、創成期から支え続ける大平清美団長はキッパリとこう言った。
「常磐を強くしたいというのは今もありますよ。でも、『オレが日本一の監督になりたい!』なんて、思ったことはまったくないですね、ただの一度も」
初代監督を16年務めて創設3年目には全国初出場(全国スポ少交流)。そして同8年目の1991年には同大会優勝で初の日本一に。残る王座は全日本学童だったが、これを獲る(2010年)よりもずっと以前に、50歳の若さで指揮官の座を教え子に譲ったのは、こういう理由からだという。
「おこがましいけど、チームを強くするのは簡単。でも、そういうチームを続けるのは難しいことなんですよ」
初代監督にして常勝組織を築いた大平団長(左端)は、創設41年目の今日もグラウンドで指導にあたる
要するに、自らが手柄を立てて名声を得ることが出発点でも目的でもなかった、ということ。情熱も経験もノウハウも、すべては目の前の子どもたちとその家族の幸せ、組織の繁栄のために捧げられてきた。そこに「不滅」の原点があるのだ。
継承される伝統
現在、現場を預かる天井正之監督は4代目(※「監督リレートークは→こちら)」。創設時に8人いた選手の中の1人(当時4年生)で、全国デビュー時(1987年)の正捕手だった。
「できたばかりの常磐に自分から入りました。それまでやっていたソフトボールでは、もの足りなくなって」
卒団後は地元の湯本一中に続き、湯本高でも看板選手として鳴らし、甲子園まであと一歩のところまで躍進した。大学野球の名門・中大でプレーした後に、郷里の古巣の学童チームで指導者となり、第2代監督として2007年には全国スポ少交流を制覇。その後、一時期は家庭の事情で現場を離れたが2015年に第4代監督として復帰している。
1984年の創設メンバーでもある天井監督は大学までプレー。「自分も後進に道を譲るつもりですけど、やり残していることもあるので今はまだ…」
職場で要職に就いたことで、この2023年4月からは平日練習(水曜以外の16時半~19時)の前半は顔を出せなくなった。代わりに指導をしている大平団長は、教え子でもある天井監督にキッパリとこうも言っているそうだ。
「オレが邪魔になったら、遠慮なく言ってくれ! 潔く身を引くから」
大ボスの大きな懐に抱かれる現監督も「そういうことがあれば、ハッキリ言おうと思っています」と断言した上で、こう続けた。
「おかげさまで、今までずっとそういう状況じゃないのでね。信頼してやらせてもらっています」
グラウンドでは指導陣のコミュニケーションが密で、意思疎通が図られている様子が見て取れる。特段、目新しい練習メニューはないし、ピリついた空気がすべてを支配し続けているわけでもない。一方、本人次第で、いくらでも数をこなせる環境にある。
組織のスローガンは『継続は力』。昨夏の全国大会も、スタンドには保護者のほか低学年生や歴代OBらの姿が(神宮球場)
「毎年、全国大会に行くことを一番最初に目標に掲げて、そこから先は本人たちの頑張りなのかな。理屈でやるよりも、数をやって自分の体に刷り込むのが子どもには一番良い練習だと思っています」(天井監督)
メンバー選考は100%実力主義。学年や保護者の肩書や貢献度のほか、そこに入り込むものは何もないという。毎年の6年生は12月の最後の大会以降は卒団式のある2月まで、自らも練習しながら後輩たちのコーチ役になる。
「それもまぁ、伝統なのかな。その時期になって元気が出てくる子もいたりしますし。やっぱり、チームの中で自分の役割を知って、役立てる選手に育ってほしいなと思います。それは社会に出てからでも同じですよね」(同監督)
高学年チームに上がった4年生は練習をサポートしつつ、全国舞台を目指す上級生を見て盗んでいく。この過程で自然に志も高くなってくる
背番号や肩書きがなくても、グラウンドにやってくるOBコーチも多数。また公式戦のベンチ内でも、OBを中心とする指導陣で常に情報を共有しながら、意見交換もする。これらも当初からの常磐スタイルだという。
承認される革新
教育現場でも体罰が当たり前にあった昭和の時代には、指揮官だった大平団長の体罰も「地元では有名だった」(同団長)。それでも、全国大会やその出場権を掛けた大会になると、歴代の卒団生たちが自ずと集まってくるという。その理由は、「鬼の指揮官」の中にもそれぞれに愛情を感じて育ったからではないだろうか。
伝統や実績が突出するばかりに外界に目が行かず、暴走の果てに大きなトラブルを招いたり、世に取り残されてしまったり。野球やスポーツ界に限らず、こういうケースがままあるが、一代限りのワンマン体質ではない常磐にはそういう心配もいらないだろう。
革新の象徴は、グラウンドでティー打撃のトス係など、練習にタッチしている母親たちだ。これは今年度からの新たな取り組みだという。
今年度からは母親たちもグラウンドへ。とくに平日練習の効率アップに寄与している
「手伝ってもらえるのはありがたいことですし、お母さんでもぜんぜん問題ない。『練習中のお手伝いや声で盛り上げるのはどんどんやってください。ただ、指導は指導陣がやりますので、そこはこちらに任せて』と、父母会のほうには言っています」(天井監督)
父母会の永井唯会長はこう語る。
「練習のお手伝いはコーチの方々から頼まれて始めました。『女が入るなんて常磐じゃない!』とOBに言われたこともありましたけど、私たち親の願いは目の前の子どもたちが成長して強くなってくれること。そのお手伝いには男も女も関係ないと思います」
古き良きの中でも、本質を見られる目が無数にある組織なのだ。
「工夫だよ、工夫!」
青いユニフォームと、その胸に躍る『JOBAN』の横文字。これらが、かつての低学年生には憧れだったという。
筋力だけではない。バランス感に関節の可動域も要するブリッジはキッズの全員ができる
強さが人を遠ざけることもある。一時は100人に迫る規模だった常磐も、全国大会の常連として広く認知されるようになったあたりから、子どもの数が減りだした。そこで20年ほど前に、低学年を別組織として始めたのが「常磐キッズ」。これで持ち直した時期もあったが、現在は高学年と同じ傘下でユニフォームも同じものを着用している。
2014年からキッズを率いる村田繁人監督はとりわけ、頭が柔軟で向上心も旺盛。神経系が劇的に発達する、10歳までの真のゴールデンエイジの特性を当初から理解しており、斬新な練習やトレーニングを実践してきた。そして4年ほど前に、永井知子コーチ(当時は保護者)と資格を得て「リズムトレーニング」を導入している。
半ばブーム化の「リズムトレーニング」を低学、年のキッズでいち早く導入。指導陣が資格を得たのは4年以上も前だ
8拍子から16拍子の音楽に乗って、手足をバラバラに動かしながら進んり、戻ったり。ボリュームも難易度も自在に調整できて、野球の動きに寄せていくこともできる。また子どもにとって、それがどれだけ楽しくて夢中になれるのか。このあたりは練習動画で確認いただきたい。
「子どもにはそれぞれの野球人生があると思うんです。小学生で輝く子がいれば、中学や高校で輝く子、ずっと輝く子…。それぞれを応援してあげたいなと思っています」
上は高2、下は小2。村田監督は4人の子の父でもある。巣立った教え子たちの多様なその後も間近に見聞きしているせいもあるのだろう、安直に目の前の結果を求めていない。
たとえば、1ボール2ストライクからの試合形式練習。見逃し三振を繰り返す最上級生(3年生)たちには声を荒げるでもなく、あえて抽象的な言葉を投げていた。
「工夫だよ、工夫! どうしたら打てっかな?」
一方で、1つ下の2年生たちには「全部(全球)タイミングをとっていくこと!」「それで来た、と思ったらそのまま打ちにいっちゃっていいから!」と、子ども目線で具体策を授けていた。
チームの代名詞でもある「堅守」と「走塁」は、基礎練習と実戦練習を並行ししながら段階的に磨かれていく
低学年でノビシロをそれぞれ十二分に得た選手たちは、高学年からのどこかで爆発的に進化するのかもしれない。「守備」と「走塁」が伝統の常磐野球。さらに個々の「打力」も上乗せされている今年は、全日本学童の県予選では例年になく安全な勝利が続いたという。
『勝ちに不思議の勝ちあり――』という名言があるが、永遠の横綱にあっては不思議の勝ちなどないのだ。温い湯の町のよく肥えたグラウンドで、人々と素顔に迫るほど、そういう思いが強くなってくる。
キッズも親任せではない。グラウンド整備や道具の準備・後片付けまで自分たちで
【野球レベル】全国大会優勝クラス
【活動日】水曜日以外(※3年以下は土日祝の午前中)
【規模】全学年で50人程度
【組織構成】常磐スポ少(4~6年生)、常磐キッズ(年中~3年生)。専門の指導者13人、父母会※当番制なし
【創立】1984(昭和59)年
【活動拠点】福島県いわき市
【役員】団長=大平清美/代表/渥見伝/監督=天井正之(常磐スポ少)/村田繁人(常磐キッズ)/総監督=橋本幸三/事務局長=吉田宏一/事務局=佐藤正和
【選手構成】計44人/6年生10人/5年生2人/4年生12人/3年生7人/2年生7人/1年生5人/未就学1人※2023年7月現在
【コーチ】常磐スポ少=鈴木慎也、永山貴士、本田雄仁/常磐キッズ=早坂浩、遠藤洋、佐藤雅彦
【全日本学童大会出場22回】優勝=2010年/準優勝=2回(2002年、05年)/3位=1回(2006年)
【全国スポ少交流大会出場2回】優勝=3回(1991年、93年、2007年)/準優勝=2回(1997年、98年)/3位=2回(2008年、16年)