あるべき今と、これからの学童野球界をつなぐ輪。『監督リレートーク』は4人目の登場です。全国スポーツ少年団軟式野球交流大会で3度V。満75歳の小名浜少年野球教室・小和口有久監督は、同じ福島県いわき市の強烈なライバルに敬意と謝意を表しつつ、「ともに福島を盛り上げましょう! アンタが中心にいねかったら、みんな育っていかねぇから」と、温かみのある磐城弁でメッセージを送ってくれました。
(取材・構成=大久保克哉)
こわぐち・ありひさ●1948年、福島県生まれ。小名浜一中で軟式野球部、勿来工高で硬式野球部。社会人・小名浜クラブまで遊撃手としてプレーした。引退後は社会人・堺化学工業クラブの監督を経て、94年に小名浜少年野球教室の指揮官に就任。29年の学童指導歴の中で、全日本学童は9回出場(8強3回)、全国スポ少交流は昨夏も含めて8回出場して95年からの2連覇と2004年の計3回の優勝を誇る。教え子からは小松聖(オリックススカウト)、西巻賢二(DeNA)、古長拓(元オリックス)と3人のプロ選手が生まれている
[福島・小名浜少年野球教室]
小和口有久
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天井正之
[福島・常磐軟式野球スポーツ少年団]
あまい・まさゆき●1974年、福島県生まれ。常磐軟式野球スポーツ少年団で野球を始め、6年時に四番・捕手で全国スポ少年交流に2回戦まで進出。湯本一中で四番・投手、湯本高でも看板打者で3年夏に県準優勝。中大まで硬式野球を続け、卒業後に地元・いわき市で消防職員に。同時に古巣・常磐でコーチとなり、2000年から監督を務めて02年と05年に全日本学童準優勝、07年は全国スポ少交流で優勝。09年から顧問、15年に指揮官に復帰。監督として全国2大大会通算14回出場、優勝1回、準優勝2回、3位が1回
私も始まりは父親監督です。社会人まで野球をやっていたこともあって、小名浜少年野球教室の鈴木良成代表から監督をずっと依頼されていたの。それを初めて引き受けたのが、自分の息子が6年生のとき(1994年)。
でも最初は弱かったねぇ。いわき市の大会で常磐(軟式野球スポーツ少年団※全日本学童の最多出場記録22回)さんに0対18くらいのボロ負け。その次は0対9、その次が0対7という感じで、少しずつ差を縮めていって。全日本学童予選の県大会の準決勝で、また常磐さんと当たったんです。このときには延長まで持っていって、1対2で負けたのかな。それで、あれ、オレも(監督)できんのかなって。
その次の年(95年)には富山県であったスポ少の全国大会(全国スポ少交流)に行って優勝(翌年に連覇)。それでああ、オレもできんだなっていう感じで、それからずっとやってきてます。
過去3度制している全国スポ少交流大会に2022年、10年ぶり9回目の出場。準々決勝で敗退も、逆転に次ぐ逆転の大激戦を演じた
こんなに30年近くも続いて、こういう今があるなんて、想像でぎなかったよね。おかげさまで大きな病気もせず、足が少し悪かったのも手術して治って。体が丈夫だったから続いてきたのかもわかんねぇけど、本当に大変なときもありましたよ。もう年中、野球やってっから、家内に怒られたりしてね。
土日祝日は野球。平日も朝8時に会社に行って16時半まで働いて、帰ってきたら夜の8時半まで子供たちと練習して、それからまた会社に行って…。そういう生活を20何年もやってきたから。そういうサイクルになってたから、ここ(活動拠点の矢田川グラウンド)に来ないと逆に気持ち悪いっていうのか。ただ、家内は大変だよぉ。だから、家族同士で理解もねかったら、こんなに長くはできないよね、絶対。
OBの中学生に激怒
それとね、やっぱり子供がね、子供が好きだからだね、うん。大好きなんで。でねかったら、こんなに続かないよね。この前も、中学生になった教え子たちに本当に怒ったんです。
すぐ隣の球場で中学軟式野球部が試合をするらしくて、一方のチームが「(練習)場所を貸してくれませんか」と来たんですよ。ところが、もう一方のチームはぜんぜん言ってこないで勝手に始めて。だから私は頭にきてよ、怒ったんです。
「オメェたちさ、オレに『借りる』と言ったが? 一言あってもいいんじゃねぇが? そんなんだら野球なんてやめちまえ! そんな礼儀もわかんねぇだら野球どころでねぇから」って。「オメェたちに教える側も悪いんだ!」って言ったらさ、その野球部の監督が私の教え子(小名浜OB)で、選手も2年前まで小名浜でやっていた子たちが中心。「じゃあ、オメェたちを教えてきたオレが一番悪いんだな!」って(笑)。
今では笑い話ですけどね、あんときは本当に怒ったね、頭から。子供が可愛くねがったら何も関与しないし、あんなに怒んねぇなと思いますよ。
福島では「打撃の小名浜」とも呼ばれる。遊撃手として社会人までプレーした小和口監督の指導は、シンプルで小学生に理解・習得されやすい(写真は2012年)
このコーナーで私を紹介してくれた北名古屋ドリームス(愛知)の岡秀信監督とは、不思議と馬が合うというのかなぁ。出会ったときから、お喋りがしやすい人でしたね。
震災翌年に感激の再会
スポ少の全国大会が北海道の札幌で固定開催(2006年から8年間)されていたときで、2009年の開催前日に新千歳空港で会ったのが初めて。そんときの岡監督がすっごく気さくだったの。私は初対面の人とはそんなにお喋りできねぇんだけど、岡監督は何だかお喋りしやすくて、大会中もずっと仲良くさせてもらって。その中で、岡監督は進退を悩んでいる、という話も聞きました。この大会はウチは3位で、北名古屋とやったのが2日目の準々決勝。結果は7対4だったかな、ウチが勝たせてもらって。
あんときの北名古屋は、和やかにやってたよね。ベンチもそんなにガツガツといくような雰囲気もねかったし、負けてもサッパリしてたよね。でも子供たちは野球をしっかりと教えてもらってるなという。何ていうのかな、岡監督の人柄でやってるみたいな感じで、本当に優しくてね、子供らにも。それで「こういう野球してったら、また全国来れっから!」と試合後に話したんです。
それで3年後(2012年の全国スポ少交流)に、また札幌で再会。私もうれしかったねぇ。また出て来てっからさ、北名古屋がね。岡監督に感謝の気持ちもたくさんあったからね。
北名古屋・岡監督と再会した2012年の全国スポ少交流は4強まで進出した
あの再会の前年が東日本大震災で、津波も原発の事故もあった福島県のこっちの沿岸部のほうは、野球どころではねがったからね、ぜんぜん。ウチの選手たちも会津とか新潟とか埼玉とか、一時はみんな避難してほとんどいなくなっちゃった。
少し落ち着いてからも、この矢田川グラウンドは汚染土をどんどん運び込まれて。大変だったなぁ。するとやっぱり、子供以上に大人が心配したんですね。放射能が空気中に出てるんじゃねぇかと。「こんなところで野球やってる時期じゃないじゃないですか」とも言われてね。
それで保護者全体で会議を開いてもらって。そしたら「親からOKをもらった子だけ練習に来てもらう」と。最初は2、3人だったかな、少しずつまた選手が戻ってきたんですよね。練習は私の勤め先の関係の場所でね、しばらくは。矢田川グラウンドで震災の前のようにできるようになったのは、2013年だったかな。そういう大変な時期に、北名古屋の皆さんからはボールを贈ってもらったり、いろいろと心配もいただいて。ありがたかったよねぇ、本当に。
岡監督と3度目に全国で会えたのは、コロナ禍で全国大会が全部ねくなった次の年(2021年)。オリンピックもあって新潟でやった全日本学童大会だね。まだコロナで開会式がねかったから、岡監督とあれ、どこで会えるかなぁと思ってたら、写真撮影のときに私を見つけて、あっちから挨拶にきてくれたから、本当にうれしかったよねぇ。
ウチはこの大会は1回戦で負けたけど、北名古屋は準優勝でしょ。スローガンが『打って打って打ちまくれ』(上写真)で、選手も多いし、変わったなぁと思って。最初はびっくり。でも、岡監督の人柄はそのまま変わらねぇし、その野球の姿勢が素晴らしいなと思ってさ。最初にお会いしたころは「打ちまくる」みたいなことは言ってませんでしたね。ただ、心には秘めてたと思いますよ。4度目の再会もできるように、私もがんばらねぇと。
近くて大きい宿敵
私たちの、いわき市の学童野球がなんで結果を残してきてっかっていうと、やっぱり伝統の力が大きいんじゃねぇかな。子供は下の子が上の子たちをいつも見てるから、「昔から強かった」とか「日本一になってる」って、話してつないでいってっから。だから親も結構ね、負けてらんねぇなという感じでやってるんじゃねぇかな。んだから、ある程度のレベルでずっときてると思うんだよね。あとはやっぱり、常磐さんのおかげです。
やっぱり、近くにライバルがいることが大きい。す~っごくそれがありますよねぇ、うん。常盤さんは一時期、10年間くらい連続で全国に行ってたんですよ。全日本学童も6年連続だったかな、それで7年連続出場になると新記録になる、という年(1996年)に県予選で私らに負けたんです。それで小名浜が全日本学童でベスト8に(同年のスポ少交流は優勝※当時は2大会同時出場も可能だった)。そんときにね、常磐を倒せたから、ここ(全国)まで来れたんだな、という思いを強くして。だから、ずっと常磐を目標に頑張ってやってきてますよね、うん。
いわき市の他のチームも同じだと思いますよ。やっぱり、常磐さんがずっと強くて目標にしてるからね。子供たちだって、常磐を倒さなかったらオレらもう全国に行けない、と一生懸命にやってきていると思います。
今年はライバルを脅かすほどの「レベルに達していない」と指揮官は言うが、1年間で劇的に進化するのが小名浜の伝統でもある
ちょっと不思議なのは、今年の常磐さんはハッキリと怖いなと思ったとき、10回やっても勝てねぇなって思うときに、全国予選は意外とウチが勝っちゃうんですよ。逆にウチのほうがちょっとレベルがあんな、という年に負けちゃう。理由はよくわかんねぇけど。
戦うときはいつも全力。常磐さんもウチとやるときは目の色を変えてくっからね、こっちもだけど(笑)。もうぜんぜん、違うから、他のチームとやるときと。ウチも相当に苦い水を飲まされたっけど、目標がすぐ近くにあっから、少しずつ差を詰めていくことはできたのかな。とにかくね、常磐さんは素晴らしい。やっぱり、作り方がうまいね。ウチは『打て打て!』で、常磐さんは緻密な野球をして守備がものすごくうまいし、ピッチャーもいい。そういうのをしっかり作ってくっから、倒すのも本当に大変なんです。
私が紹介したいのは、その常磐さんの天井正之監督。練習試合もあんまりやんねぇんだけど、何でかっていうと、天井監督は一度試合するだけで、もう緻密に分析されちゃうんですよ。そういう能力っていうのが、特に素晴らしい。普段からそういう研究もしてっと思うし、相手のここが弱いってなったら、徹底的に攻めてくっからね。だから怖いです。すごくね、人や子供の扱いもうまいし、うん、良い監督だよ。
長く勤めた会社を定年退職後は小学校の用務員に。週3回はプールで1時間泳いで温泉に浸かるのが健康の秘訣という
私から見るとライバルだからね、ちょっと距離を置いている感じで、そこまでは直接には言わねぇけど、天井監督は本当に良い監督だ、うん。年齢差はあっけど、いつかふたりとも監督を引退したら、野球談義もできんのかなぁ。私のことなんか相手にしてねぇのかもわかんねぇけど、これからもよろしくお願いします! という気持ちですよね。
あとは、お互いに福島県の野球を盛り上げていきましょう! 常磐さんと小名浜で引っ張っていきましょう! とお伝えしたいですね。やっぱりね、天井さんが中心になっていかねかったら育っていかねぇから、みんな。それだけはお伝えしたいですね。