【2024注目の逸材】
そのべ・しゅん園部 駿
[東京/6年]鶴巻ジャガーズ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、一塁手
【主な打順】七番
【投打】右投右打
【身長体重】158㎝46㎏
【好きなプロ野球選手】バリー・ボンズ(元パイレーツ、SFジャイアンツ)
※2024年4月8日現在
良い意味で、気負いがなくて自然体な歩み。令和の時代、こういう父子鷹も増えてくるのかもしれない。
父親監督は、プレーヤーの息子についてこう評している。
「中の上くらいの身長と体重を持っているので、中の上くらいのスピードと球は投げられているのかな。野手だったらぜんぜん、先があるような選手だとは思っていないので。このまま投手をやるんだったら、やれるところまでやってみれば、というふうには思っています」
息子のハイパフォーマンスや華々しい活躍でザワつく周囲や取材者をよそに、一向に目がくらんでいない様子。逆に目を閉じたくなるような一人相撲でマウンドの息子がイラついていても、決して声を荒げることもない。
「単純にマネジメントとして『ちゃんと投げろよ!』とか、大きい声を出してプラスに働くならやりますけど、何もプラスにならないと私は思っているので、やらないだけです」
こういう指揮官を父親に持つことも、園部駿の可能性を無限に感じる理由のひとつである。
最速は110㎞超。捕手の背後に立つと、右手の2本指を離れたボールの鋭いバックスピンが見て取れる。どうりで伸びがいい。小学生ながら、「剛球」という表現がマッチするスピードボールだ。
それを主武器として、2月の京葉首都圏江戸川大会(都内59チーム参加)の3位決定戦では3回コールド参考ながら、ノーヒットノーランを達成。右打席からサク越えの先制2ランを放つ活躍もあって優秀選手賞に輝くと、素直に喜ぶ姿もまた印象的だった。
「今まで、こういう個人賞とか取ったことなかったし、自分のピッチングができてもらえたのでホントにうれしい。野球をやってて良かったなと思います」
京葉首都圏江戸川大会の3位決定戦は無安打無得点投球(3回参考)に先制2ランで勝利の立役者に
前日の準決勝は関東王者・船橋フェニックス(東京)に惜敗したものの、並居る強打者たちの多くを「剛球」でねじ伏せた。
「ずっと0点に抑えてきて、最後はワイルドピッチとかで失点しちゃったんですけど結構、自信が持てました。ボクはバッティングはホントに微妙というか、ランニングホームランもぜんぜん打ってないし。投げるのに全部を懸けているんです。100あるとしたら、90はピッチャーというくらい」
己が何者なのか、きっとまだよくわかっていない。人との対比にも興味がないようだ。未来や将来を問うても「甲子園」や「プロ野球選手」という、秀逸なタレントにありがちな単語はついに聞かれなかった。
「メジャーリーグとバリー・ボンズ(通算762本塁打のMLB記録保持者)が好きで、ああいうバチコーン! というバッティングがボクもできて、ピッチャーもできたらいいなとずっと思っています」
剛速球のルーツ
妹と二人兄妹の長男坊。野球を始めたのは年長で、中学硬式まで看板打者として活躍した父・健二さんのススメからだった。1年生になって地元・新宿区の校区にある鶴巻ジャガーズに入り、やがて父は学年監督に。
両肩のラインの延長線上にある右手の指先から、ボールがリリースされる
3年生からほぼ投手一筋で、4年時は東京23区大会で16強入りの原動力になった。健二監督が自身の思惑と現在を語る。
「私が野手出身だったので、当初は息子にはショートとかをやらせたかったのですが、投手にしか興味を示さなかったんです。守備とか走塁、打撃にはそこまで関心を持ってないけど、ピッチングは能動的にやれているかなと思います」
剛球はどのようにして備わってきたのだろうか。その球速や球威にまずは目を奪われるが、投球フォームもリリースポイントも安定しており、腕の振りはきれいでパワフルだ。
「小さいころからお父さんと投げていたこともあるし、5年生から神田Rebase(野球塾)というところで体の使い方とかを教わったのが大きいと思います。それでマジで10kmくらいスピードが上がったし、ほとんどストライクが入るようになりました」
自重のトレーニングは、チームの誰も及ばない域までこなす。フィジカルの強さが剛球のベースにある
投球動作のベースにもなる、体幹や足腰の強さにバランス感覚なども小6としては抜けたレベル。これらを養うメニューも、月イチの野球塾で学んだという。健二監督が補足する。
「私が投手ではなかったですし、親が教えても嫌がるのは自分で経験しているので、専門家にお任せしよう、ということで野球塾に。月に1回ですけど、結果として私も一緒に学ばせてもらって、チームの練習にも還元しています」
荒れ球さえも魅力のひとつで、相手打線には脅威が増すようにも見える。かつては与四死球が止まらずに、大炎上や降板も経験してきた。現在も出来ムラは払拭しきれていない。しかし、調子が悪いときでも、それなりに自分で踏みとどまることができるようになってきた。また逆に調子が良いときには、球速差や高低差を利した配球が冴えまくる。
直近の4月7日、新宿区大会1回戦でもコールド勝ちの参考記録ながら、ノーノーを達成(写真は3月)
「土日(チーム活動)で何かすごい出来事があったりして、やりたいと思うときは自分でめちゃくちゃ練習する。朝はだいたいバッティングで、夕方はピッチングです」
やはり日々の取り組みにも、親の“愛のある非介入”がうかがえる。たかが生まれてまだ11年と少し。海のものとも山のものともつかぬ学童ゆえ、野球だけが生きる目的ではないし、気分にもムラがあって当然ではないのか。父親監督は暗にそう言いたげだ。
「日々の筋トレとかは、サボったりもぜんぜんしてるので。『今日はやったのか?』『やっておけよ!』くらいは言いますけど、プロ野球選手になれ! とかまったく思ってないですね。人たらしの人気者、モテる大人になってほしい。願いはそれだけですね」(健二監督)
打撃も開眼したかのように最近は快音を連発している
原石のまま埋もれる原石も、世には無数にあるのかもしれない。あるいは投手として自らを磨き倒した果てに、真の姿を露にした園部が野球界を席捲することになるのかもしれない。あくまでも、これからも、本人次第ということか。
どの道、これからの時代を彩る大人へと育っていくのだろう。適度な距離感へと形を変えた、両親の深い愛情の下で――。
(動画&写真&文=大久保克哉)